トーラムとサーディスの一日 2
ギルドのロビーにはすでに十数人の傭兵がいた。
掲示板に張り出されている仕事一覧を眺めている者もいれば、手持ち無沙汰に他の傭兵と話している者もいる。このうちの何人かはギルドから呼び出しがかかった傭兵だろう。もしかしたら仕事を探している時に声をかけられた者もいるかもしれない。
サーディスは、緊張した面持ちの4人の獣人の傭兵らにちらりと視線を向けた。パーティーを組んでいるのか、受付窓口の近くでかたまって小さな声でぼそぼそと話していた。
相手は魔獣とのことだが、ランクCにも声をかけているらしいので、もしかしたらあの4人組がそうなのだろうか?
トーラムに視線を向け、たぶんそうだろうなと2人で頷く。
マウンズ周辺の森は広大で、深部には魔獣の巣と呼ばれる魔獣が多く棲む地帯がある。
ランクBにもなると当たり前のように魔獣討伐の仕事が入るのだが、ランクCの傭兵らは魔獣と戦うことに慣れていないことのほうが多く、ランクDに魔獣討伐の仕事はないのでランクCになったばかりだと魔獣を見たことすらない者までいる。
主都マウンズの森に出る害獣は、ただの獣ですら普通の森に出るものよりもよっぽど大きく手強い。普通の獣の退治すら死と隣り合わせなのだから、相手が魔獣となれば緊張しないわけがないだろう。というか、そもそもランクC傭兵の大半が魔獣討伐の仕事を嫌っており、ランクCで魔獣討伐の仕事を受けるほうが少数派である。
そんな張り詰めた空気の隣を2人はまったりとした足取りで通り過ぎ、トーラムが指名専用の受付を覗いた。
そして4人の獣人たちの視線がこちらに向いているのを居心地悪く感じながら、受付の奥に声をかける。
「どもー。」
「あ、おはようございます、いつも通り早かったですね。人数が揃い次第サリアさんから説明がありますので、もうしばらくお待ちくださいね。」
「副マスから?……わかった。」
サリアというのはこの傭兵ギルドの副ギルドマスターの一人で、手練の人の魔術師だ。
元傭兵を雇うことの多いマウンズの傭兵ギルドにしては珍しく、彼女は元々は主都シマネシアの魔術師協会に在籍していた魔術師だった。それをもう一人の副マスである獣人のガーネルが引き抜いた、らしい。
“らしい”というのは、魔術師至上主義者の集まりであり、在籍するのは簡単だが抜けるのは難しいことで有名な魔術師協会の、しかも優秀な魔術師であるサリアを獣人であるガーネルがなぜ引き抜けたのか、(成り行きを知っている一部の者たち以外には)誰も理由が分からなかったからである。
「厄介そうだな。」
と、サーディスが声を潜めてつぶやく。
「いやーどうだろうな、Cを引っ張ってくるってことは、そこまでキツくもないんじゃないか?」
何かしらの仕事でギルドに呼び出された場合、大抵は受付窓口で簡単な説明がある。
それは本来なら掲示板に張り出されているだろう内容で、魔獣の討伐依頼ならば、魔獣の大体の形状、集めた人数、依頼主から支給される物品や報酬などだ。そしてそこで仕事を受けるか最終的な判断をすることになる。そうすることで依頼主からの詳しい説明の際、余計な質問などを省くことが出来るのだ。
しかし、窓口で説明がないということは、周囲の傭兵には詳細が伏せられているということで、つまり魔獣が出たという事以外あまり広めたくない内容だということである。
要人の護衛などの場合は珍しくもないことだが、魔獣の討伐でそれはあまり意味がないので、トーラムとサーディスは首をかしげるばかりだ。しかも集めた中にはランクCの傭兵もいるので、強力な魔獣というわけでもなさそうである。
そのうちに招集されたのだろう傭兵が次々に扉をくぐってギルドへと入って来たので、ギルド職員が広めの会議室に傭兵らを移動させた。
呼ばれているのはランクBの傭兵よりもランクCの傭兵が多い。ランクBの傭兵はトーラムとサーディスを含め4人だ。ランクCの傭兵は8人で、偶然なのか狙ったのか全員が獣人であった。
サーディスら傭兵が案内されたその部屋には、すでに副マスのサリアが待機していた。
ゆったりとしたウエーブのついた赤い髪は前髪だけを残して一つに結ばれ、後頭部の真ん中あたりで硬くお団子になっている。わずかに眉尻が下がっているのと穏やかな焦げ茶の瞳のせいで物腰が柔らかそうに見えるのだが、実際そうでないことは大抵の傭兵が知っている。
「ようこそ傭兵諸君。招集に応えてくれて感謝している。」
全員が揃ったのを確認し、サリアがおもむろに話を始めた。
「ランクCの諸君はきっと困惑しているだろう。なぜ獣人ばかりなのだろう、とね。そしてランクBの諸君は、わざわざ私が仕事の説明をするのにも関わらずランクCの傭兵がいることを疑問に思っていることだろう。」
その言葉にランクBの傭兵の間に苦笑いが広がった。もちろんトーラムとサーディスも含めてである。
ランクCの傭兵らは、普段はあまり関わることのない副ギルドマスターという相手に緊張して、それどころではないようだった。
「はっきり言ってしまうと、今回の魔獣は……まだ何か分かっていない。
ランクC諸君でも先輩がたの手伝いがあれば倒せる魔獣から、ランクB傭兵のみでパーティーを組まなければならない魔獣までいくつか思い当たるものはあるのだが……まあ、最悪を考えればキリがないが、相手は紛れもなく魔獣で、もちろん気を抜けば誰でも死ぬ可能性はあるだろう。」
いやそれが普通だろ、とサーディスは心のなかでつっこむ。
しかし、ランクC傭兵らの緊張の度合いは跳ね上がったようだった。
それにうんうんと満足気に頷いて、サリアは続ける。
「いい反応だ。すぐに死ぬようなやつはこういうときにやる気満々になるから困るんだが、君たちは生き残れるだろう。
まず被害者だが、狩人が二人と狩猟に使っていただろう犬が五匹、今はそれだけだ。魔獣本体の目撃情報がないので相手が魔獣だということしか確定はできない。
死体が見つかったのは森のやや深い場所で、魔獣と確定した理由だが――狩人も犬も、体液を全て吸われた状態で干からびていた。普通の獣にそんな殺し方をするやつはいないからな、どう考えても魔獣だろう。
一番に考えられるのは擬態木だな。だが、死体はそれぞれ離れた場所に落ちていたし、その近くでそれらしい魔獣は目撃されなかった。
相手は容易に移動ができる可能性が高いかもしれない。運がよければ魔獣の巣から出てきたばかりのただの魔獣で、ランクCの君らでも手伝ってもらえば倒せない相手でもないだろう。」
「運がよければな。」と、サリアは付け加えたようにそう繰り返した。
「君たちは、“マウンズの十年禍”と呼ばれる魔獣を知っているだろうか?」
「……【擬態魔林】、か?」
集まった傭兵の中で最年長だろう30代も後半の人がぽつりと漏らす。それはトーラムたちよりも長くこの街で仕事をしているベテランのランクB傭兵のバーナーだった。
トーラムとサーディスは風の噂でバーナーがそろそろ引退を考えていると聞いたことがあった。たしかに彼はここ最近魔獣討伐に顔を出すことが少なくなっていたが、今回は直接呼び出されたのだろう。
彼は傭兵仲間からも傭兵ギルドからも信用が厚く、今回のようにトーラムとサーディスと一緒にギルドに呼び出されることも多かった。
「たしか、10……いや、11年前くらいか?そん時は別の街で護衛をしていて、帰ってからそんな魔獣が出たと聞いただけだが。」
「そうか。」
短く返事をしたあとわずかに目を伏せ、それから傭兵たちに視線を戻して、サリアが口を開く。
「【擬態魔林】というのは、まあ、マウンズの十年禍という名前からすぐに想像はつくだろうが、マウンズ周辺の森に10年に1度くらいの頻度で現れる植物型のネームド魔獣だ。たまに出る擬態木と同じく擬態がうまく、手触りや匂いまで木そのものらしい。
移動をしないぶん、擬態木よりも木に近いといえるだろう。擬態木は根を使って這い回ったりするからな。
さらにある程度切りつけられてもしばらくは木の真似を続けることもあるらしく、そのせいで発見が遅れることが多い。
擬態木との違いはそれだけではなく、近くを通った者を手当たり次第に襲う擬態木とは違い、【擬態魔林】は相手を選び、しかも死体を遠くへと投げ飛ばすために死体を発見した者が襲われないこともよくあり、それがさらに魔獣の発見を遅らせるわけだ。致命的にな。
……植物型の魔獣は他の魔獣と比べ知能が低い。選んでいると言うよりは、何かしら理由があるとは思われるが、今のところその選別理由は分かっていない。」
「そんなやつ、どうやって見つけるんですか……」
ランクCの傭兵らから、そんな声が漏れる。
何でもかんでも無差別に襲いかかる擬態木ならば、見つけるのは容易だ。
しかし、切りつけられてもしばらくは木の真似を続けるという【擬態魔林】を森の中で見つけるのは相当難しいだろう。
とはいえ、サリアはそんなに深刻そうな顔はしていなかった。
「前回【擬態魔林】が出たのは12年前だが、そのときは獣人の傭兵たちが事も無げに【擬態魔林】を判別していたぞ。」
「えっ?」
ランクCの獣人たちが、きょとんとして声を漏らす。
「人である我々には違いが分からないが、獣人は霊獣化を使うと【擬態魔林】と森の木の違いが分かるらしい。平原を好む人と森を好む獣人の違いだと、当時傭兵だったガーネルが笑いながら言っていたよ。」
「ガーネルさんが……。」
「今は副ギルドマスターの席に偉そうに座っているガーネルだってランクFから傭兵を始めたし、もちろん君たちと同じだけランクCの仕事をこなしている。何かしらの差はあるだろうが、12年前もそのさらに11年前だって【擬態魔林】を見つけてきたのはランクCも含めた獣人の傭兵たちだったのだから、君たちにできないということはないとは思う。
私は人だから、どう頑張ってもわからないがね。」
サリアは小さく肩をすくめて、「もちろん、諸君に強制するつもりはないがね。」と続けた。
「まあ、そもそも今すぐ倒しに行けという話でもないんだ。
【擬態魔林】が“十年禍”と呼ばれる所以は、10年に1度、森の中の一定の範囲に集団発生して原因が分からない間に何十人も被害者が出るからで、擬態を見分けることができるのならばランクB傭兵であれば大して恐ろしい相手というわけでもない。まあ、少しでかくて手強い擬態木みたいなものだ。
実際12年前は発見が早かったこともあり被害者は6人で、しかもそのうちの2人は普通に【擬態魔林】と戦って負けた傭兵だ。
ただ、この森は広い。見つけ次第倒してしまうと他の【擬態魔林】が見つかりづらくなってしまうんだよ。
だから今回君たちに頼みたいのは、一匹でもいいから【擬態魔林】を見つけてほしい、ということだ。そうして見つけてさえしまえば後は適当に立ち入り規制を敷いて、その間に傭兵を集めて一斉に叩くことが望ましい。
もちろん君たちには、【擬態魔林】を見つけただけで報酬を出す。
今までの記録から、【擬態魔林】が出現するのは広くても2キロほどの範囲の中に、多くても15本程度しか現れない。不意打ちに気をつけてさえいれば、危険性だけならそこら辺の動く魔獣より遥かに低いはずだ。
今回声をかけたランクC傭兵の諸君は霊獣化が使えるし、すでに何度か魔獣と戦った経験があるはずだ。
魔獣の気配を体感している君たちならば【擬態魔林】を見つけられると私は考えている。つまり、今回の主役は君たちだ。
ランクB傭兵諸君には申し訳ないが、今回はランクC傭兵のサポートをしてもらうことになる。ああ、この仕事を受ける場合、ランクB傭兵2人につきランクC傭兵4人の6人パーティーを組むことを強制させてもらうよ。
もし【擬態魔林】以外の魔獣が現れた場合は、主役はランクB傭兵に交代だ。その時はランクCの傭兵は必ず先輩がたの指示に従うこと。
いいか、逃げろと言われたら迷わず全速力で逃げろ。何かあればすみやかに傭兵ギルドに報告してもらわねばならんからな。
生き残ることは恥ずかしいことではない。ランクCの諸君は、指示に従わず先輩方の足手まといになるほうがよっぽど恥だと心得ろ。
最後に……依頼主はマウンズ小国の軍部だ。報酬は、【擬態魔林】を一匹発見するごとに、傭兵1人につき金貨2枚出すと言っている。1パーティーにつき金貨12枚ということだな。
ランクBの傭兵諸君にはランクC傭兵の生存を最優先に考えるという制約つきだが、なかなか美味しい話だと私は思う。」
サリアは最後に「この仕事を受けてくれることを期待している。」と締めくくった。
喉が渇いたのか、手近に置いてあった水の入ったコップを一気にあおる。
“金貨2枚”
緊張に縛られていたランクC傭兵らが、それを聞いた途端にわずかに目の色を変えた。
1日の収入が銀貨数枚から多くても金貨1枚に届くか届かないかのランクC傭兵にとって、魔獣を見つけるだけで金貨2枚というのは大きい。しかも複数見つければさらに金貨は増えるのだ。
ランクB傭兵が2人もついてきてくれることもあり、ここで断るという選択肢を選ぶ者はいないだろう。
もちろんサーディスらランクB傭兵にとっても、臨時の収入としてはなかなかいい話である。
基本的にランクB傭兵にもなれば、強力な魔獣の討伐や高額商品を載せた商隊の護衛、珍しいところでは貴族のお忍びの護衛などの大きい仕事が入れば、長いとふた月ほどはちまちまとした仕事だけでゆうに食べていけるほどの収入を得ることが出来る。
それは“便利屋”と呼ばれているトーラムやサーディスも同じだ。2人はコツコツ仕事もするが、もちろんランクに見合った大きな仕事もする。その大きな仕事の大きな報酬の余剰分があるからこそ2人はギルドの直営宿に泊まれているし、大食らいなシルビアを養えてもいたのだ。
今回のこのランクC傭兵らの護衛は、ランクB傭兵にとっては“ちまちま仕事”のなかでも相当割のいい部類に入るだろう。何せ、歩き慣れた森の中を散歩するだけで(魔獣を見つければ、という制約付きだが)報酬が発生するのである。
トーラムもサーディスも、もちろん断るようなことはしなかった。
それは、例えトーラムとサーディス2人がかりでも厳しい魔獣がうっかり出てきたとしても、それが群れでもなければ獣人らは余裕で逃げ切れるだろうという考えがあったからだ。
森の中での獣人の動きは目を見張るものがある。ずっとマウンズ小国で傭兵をしているトーラムとサーディスは、それを嫌というほど知っているのだ。
「本当に【擬態魔林】かは、まだ分からない。しかしそのせいで今も何も知らない傭兵や狩人たちが危険な地域を歩いているかもしれない。
前回の十年禍から12年が経っていることを考えれば、【擬態魔林】が現れてもおかしい話ではない。君たちが一匹でも見つければその時点で軍部も動くし、被害はぐっと減るだろう。
もしその他の魔獣であれば、魔獣の種類や大きさにより相応の報酬が出ることになっている。【擬態魔林】でなくとも、ランクC傭兵の諸君にはいい経験になるだろう。」
サリアが集まった傭兵たちをぐるっと見回す。
結局、誰一人仕事を断る者はいなかった。
仕事は明日から始めても良いとのことだったが、トーラムとサーディスは一緒にパーティーを組んだ4人のランクC傭兵の希望もあり、昼食に干し肉などを買い込んでその足で森に入ることにした。




