ホーンラビット
街から少し離れた森の中でうさぎの首に布を巻き付け、これ以上血が滴らないようにする。
まあ、殆どの獣は傭兵がウロウロしている街に近いあたりの森には近寄らないし、これで大丈夫なはずだ。
そうして私は街へと入った。
最初の仕事としては上々なんじゃないだろうか。
まあ、うさぎが食べられないとか全然使い物にならないとかだったら悲しいけど。
「こんにちはー。」
傭兵ギルドの受付窓口がある建物の隣に、別棟として独立して建っている建物のほうの扉をくぐる。
そこには傭兵ギルドの買い取り窓口があり、その奥にはかなり大きな解体場もある。
待合には、内臓を抜いた骨角猪を足元に置き順番を待っているのだろう若そうな傭兵3人組や、魔獣のものだろう大きな角を壁に立てかけ暇そうにあくびをしている傭兵などがいた。
なんとなくうさぎに視線が集まっているような気もするが、子どもがちょっとでかいうさぎを獲ってきたのが物珍しいのだろうか。
私はとりあえず採取系の窓口に行き、薬草を出す。
普通の薬草と上質な薬草があわせて30束くらいだ。
薬草は傭兵のランクに関わらず、1日の納品数が上質な薬草も併せて50束と決められている。
シルビアの中でその話を聞いたときは“薬草が足りていないのになぜ?”と思っていたのだが、どうやらあんまりにもたくさん納品されると回復薬を作る手のほうが足りなくなってしまうらしかった。
薬草は乾燥させてもあまり日持ちがしない。確かにせっかく買い取っても、回復薬にできずに捨ててしまったらもったいない。
「いつもありがとうね、シルビアちゃん、じゃなくて何ちゃんだったんだっけ?」
「リネッタです。」
「そうそう、リネッタちゃん。とうとう傭兵ランクも貰ったんだって?これからも頼むね!薬草を納品するだけでも、ちゃあんと点数もらえるからね。」
気の良さそうな人のおばちゃんが、薬草を受け取りながら笑顔でそう言った。
「リネッタちゃんのおかげで薬草の納品数が増えてて、ほんと、ありがたいよ。」
点数というのは、傭兵ランクをあげるのに必要なランクポイントのことだ。
このポイントを一定数稼ぐと傭兵ランクが上がる仕組みなのだそうだ。
ランクCまでは上がりやすいらしいが、それからは魔獣の討伐などの難しい仕事をこなさなければポイントがもらえず、そこで討伐を苦手にしている傭兵がふるいにかけられることになるそうだ。
まあ、ランクCになれば大抵の仕事はできるので仕事に困ることはあまりなく、傭兵はランクCが圧倒的に多いと、以前、サーディスが言っていた。
私は害獣退治の受けられるランクEまで上げれば充分なので、ランクEになるのにどれくらいポイントが必要なのかは知らないが、ちまちまやっていればそのうち上がるだろうと楽観的に考えていた。
「今日は薬草以外にも……これ、狩ってきたんです。これは、解体買い取り窓口ですよね?」
そう言ってでかいうさぎを持ち上げて見せると、おばちゃんは目をまんまるにした。
「あれま!一角兎だね?それもこっちで受け取るよ、一角兎の角は回復薬の材料になるからね!」
「えっ、そうなんですか?」
「……知らなかったのかい?」
「たまたま見かけただけなので……」
「へえ、じゃあ幸運だったね。一角兎は、狩人が犬と一緒におっかけてようやく捕まえられるくらいすばしっこいらしいからね!」
この、のしのし歩きそうなうさぎ、本当はすばしっこいらしい。
周囲の視線がこちらにむいたのは、本来は狩人が狩るようなこのうさぎを傭兵が持ってくるのが珍しいからだったようだ。
「じゃあ、また捕まえてきたら薬草と一緒にこっちで受け取ってもらえるんですね?」
「あははっ、まあ、また“運良く”捕まえられたらだね!」
「お肉とかは食べられるんですか?」
「ああ、そうだね、ちょっと見せてね……ああ、血抜きはしたんだね?あの2人に習ったのかい?偉いねえ。」
「さすがに、内臓は無理でした。」
「一角兎は内臓を抜かないほうがいいんだよ。肉より角より何より、内臓が大事だからね!
まあ、解体してみないとわからないけど、内臓もきれいだったら回復薬の材料として高く買い取るからね。下手な猟師が獲ってくるのは内臓が潰れてたり矢で貫いちゃってたりするんだけど、これはきれいだからいけるかもしれないね。
ああ、肉はもちろん食べられるよ。独特な臭みがあって干し肉には向かないけど、市場に出回らない肉でもないし食べる方法はいくらでもあるよ。好みは、まあ、あるだろうけどねえ。」
「じゃあ、肉以外を買い取りしてもらってもいいですか?」
「あいよ、でも順番があるからすぐには肉は渡せないよ?あそこの猪は全買い取りのはずだから――ああ、あとは角とか爪とかばっかだね。順番はすぐ来るだろうけど、解体に時間がかかるからね。特に毛皮の状態がすこぶるいいから毛皮はうまく剥いであげないとね。」
おばちゃんはうさぎを色んな角度から眺めながら、ため息をついた。
「ほんっとうまく獲ったねえ。首もきれいに切れてるし……保護者よりうまいんじゃないかい?まあ、あの2人も結構きれいに殺るほうだけどね。どんな相手でも首を落とせば死ぬって考えてる単純な連中だからね。」
「なるたけ早く首を落とせば、そのぶん買取金額も高くなるしね!」とおばちゃんは声を上げて笑いながら、うさぎを持って奥へ引っ込んでいった。奥にある解体場の職員に渡しに行ったのだろう。
しばらく、このちょっと獣臭い建物の中で待たなければならない。
もし一角兎が美味しければ、また肉だけを貰ってもいいだろう。
好みでなければ次からはまるごと買い取って貰えば済む話だ。そっちのほうが時間はかからないのだから、それはそれでいい。
……一角兎の角が回復薬の材料になったりその肉が滋養強壮に良いのは、一角兎が薬草を食べていることに関係しているのだろうか。もしそうなら、他の薬草を食べる獣も回復薬の材料になったりするとか?
いや、小牙豚も薬草を食べていたが、あの固くて不味い豚にそういった効能があるとか聞いたことはない。
回復薬に関してはあまり興味はないが、回復薬を作るとかいう魔法陣には興味しかないのでそのうち調べてみたいものである。
暫く待つと、窓口のおばちゃんに呼ばれたので肉を受け取りに向かった。
「解体場の連中が驚くくらい内臓がバッチリな状態だったって聞いたよ?
ああいうのはね、罠を使っても、罠にかかって暴れてる間に熱をもって一部がだめになったりするもんなんだけど……ほんとに幸運だったみたいだね!
今日が最初の仕事だったんだろ?幸先がいいじゃないかい!ああ、肉はここで渡せるけどお金はここで渡せないから忘れずに受け取って、まっすぐ宿に帰るんだよ。角より内臓のほうが高く買い取ってあげられるからね、報酬を楽しみにしてなよ。」
「ありがとうございます。」
内臓のほうが効能が高い、ということだろうか。
……もしかしたら一角兎は主に薬草だけを食べているのかもしれない。
この主都マウンズの周囲に広がる森では、木工製品に使われるような大きな木は切り倒されるし、それ以外でも定期的な木の間引きなどの管理が行われている。そのため、某王都近郊にあったような手付かずの森よりも圧倒的に明るいし歩きやすい。
そして日向には薬草がもりもり生えるわけで、森をちょっとでも歩けば特に苦労すること無く薬草の群生地を見つけることが出来る。
この薬草だけ食べていればいいのなら、天変地異とか大きな火事とかがない限りは食いっぱぐれはないだろう。一角兎も考えたものである。
まあ、そのせいで回復薬の材料として狙われることになってしまったのだから、良し悪しかもしれないが。
大きな柔らかい葉にくるまれ麻ひもで結ばれただけの肉を受け取り、私は買い取り窓口のある建物から渡り廊下でつながっている傭兵ギルドの受付窓口のある建物に入った。
受け取った肉は冷たいし、ぱっと見は血も滴ってないが、さすがにこの肉をそのまま肩掛け鞄や薬草用の袋に入れるのには抵抗がある。さっさと報酬を受け取って、肉が痛む前に帰らなければならない。
報酬窓口に着くと、「ああ、リネッタちゃん、おかえりなさい。」と、よく報酬窓口に座っている人のおにーさんが迎えてくれた。
「一角兎を獲ったんだって?ランクF傭兵の最初の仕事の報酬としてはかなりいい金額になったよ。まあ一角兎はそれだけ価値のある素材だからね、特に内臓は。報酬額、トーラムさんたちが聞いたらびっくりすると思うよ。」
朗らかにそう言いながら、木の皿にじゃらりと置かれたのは銀貨が6枚と銅貨2枚だった。
「……えっ?」
「内訳は、一角兎の上品質の皮が銀貨1枚。それから、同じく上品質の角が銀貨1枚と銅貨5枚で、上品質の内臓が銀貨3枚。あとはいつもの薬草の代金が入ってるよ。肉が欲しいってことだったから、解体費用を少し引かせてもらったからね。」
……予想以上に、一角兎の素材が高額だった。
「内臓、そんなに高いんですか?」
「うーん、全部上品質ってなってるから状態が相当良かったんじゃないかな?いつもは良くて中品質だし、もっと安いから。ま、一角兎の内臓は一本金貨2枚前後もする上級回復薬の材料だし、買取価格が高くなるのは当たり前だよね。」
「上級回復薬……そんなのもあるんですね。」
「上級回復薬は個人で買うものではないから、知らないのも無理はないね。ああいうのは大きなパーティーが“パーティーとして”所持してたりするものなんだよ。褒章とかでもらえることもあるけど。」
「じゃあ、また見つけたら捕まえないといけませんね。」
「あはは、楽しみにしてるよ。」
窓口のおにーさんが全然期待してなさそうな顔でそんなことを言うので、一角兎は本当に狩りにくい部類の獣なのかもしれない。これは見かけるたび持って帰ったら上質な薬草の時の二の舞いになりそうなので、たまーに狩ることにしよう。
何となく周囲からの視線が気になる。
受け取ったお金を大事に鞄にしまい、私は一角兎の肉を持ってまっすぐ宿へと戻った。
宿に戻ってすぐに食堂の厨房に声をかけて肉を見せると、“臭みを取るのに時間が掛かる”とのことで、一角兎の肉は明日の朝のスープになることになった。宿の料理人が作るのだから、もちろん他の傭兵にも振る舞うことが条件で料理してもらうのだ。
一角兎の肉は体が資本である傭兵に人気らしいので、すぐにはけるだろうとの事だった。
そんな感じで、初めての仕事は考えていた以上の成果を出して終わった。
薬草だけでもその日の宿代とご飯代くらいなら稼げるのだ。薬草摘みは朝から森に出かければ昼前には終わるので、あとは好きなことをして過ごせる。
今日のように大きな収入があればもっと空き時間は増える。
なぜ他のランクの低い傭兵たちはもっと薬草を摘まないのだろうか、と、ふと疑問に思ったが、その答えはすぐに出た。
考えてみれば簡単なことで、私は武器や防具を使わないぶん目立つ出費は宿代とご飯代だけであり、あとは宿でお湯を貰ったり公衆浴場に行ったりするときくらいしかお金を使わないのだ。
森に仕事に出る傭兵は薬草摘みであったとしても、いつ何かしらに襲われてもいいように必ず武器と防具を装備している。
日々の手入れはもちろん、それらが壊れたら直したり買い替えたりしなければならない。
霊獣化が使える獣人の傭兵だって、手を痛めないように手甲をはめているし革鎧を着ている。
それに魔術師や魔法陣の彫られた武器・防具を使う人の傭兵であれば、武器防具の整備費に加えて魔素クリスタル代もかかる。
その他にも、もしものときの回復薬や、ごまごまとした出費があるはずだ。私には想像がつかないが。
それに対して私は、武器も防具も持っていない。
着ているのはただのワンピースだし、履いているのは森を歩くには心もとないてろてろの安くて薄い皮を縫い合わせただけの靴で、先日買ったばかりの薄い革の手袋は手甲というにはあまりにもおこがましい代物だ。
それ以外で持っているそれっぽいものといえば、小さな水袋と皮の肩掛け鞄、あとは薬草を入れる袋だったり小さな獣を運ぶための縄……くらいか。
獲物を探してあてもなく森を歩き回ることもあまりないし、(怪我なんて矢を受けたとき以来していないが)回復だって自前の魔法でなんとでもなる。
さすがに野宿をする時はそれ相応のものが必要だが、そういったものはそこまで傷みが早いものでもないし、宿に泊まっている今は必要ない。
周囲のランクの低い傭兵たちが頑張っている中、私がまったりのんびりできていたのは出費の違いだったのだ。
今さらそれに気づき、なるほど私は傍から見れば変なのかと、妙に納得する。
まあ、そんなことは言っても私は武器なんて使えないし、10才の小柄な獣人が着られるような鎧なんてものも存在しないのだからどうしようもない。
トーラムとサーディスが私を受け入れてくれているように、待っていればそのうち周囲が慣れてそれが普通になるだろう。
あのシルビアの食欲だって最初は珍しがられていたのに、最終的には私に戻った時に食事の量が減っていろいろな人から心配されるくらいには普通になっていたのだ。
そのうち私にも慣れるだろう。
トーラムとサーディスが今日は遅くなると言っていたのでその日は夕食を一人で食べ、それから7日ぶんの宿代をランク未料金で先払いして私は一人で部屋に戻った。
食事代も一週間ぶんまとめて払おうとも思ったのだが、今日の報酬額を超えてしまうのでそれはやめておいた。
ここは傭兵ギルド直営の宿なのだ。そういった情報の共有がされていないとも限らないわけだし。
ランクFになったので今日からは新しい部屋だ。半分がベッドに占領されていたランク未の部屋から考えれば、広くなった。
荷物を置くスペースがちゃんとあるしテーブルもある。椅子はないので、ベッドを椅子代わりにしろということだろうか。
これからしばらくは、この部屋にお世話になることになる。
私はベッドに横になった。
部屋は違ってもベッドの構造は同じだし、見える天井もほぼ変わらない。
明日も薬草摘みを頑張ろう。
私はぐっすり寝るべく深呼吸をして、ゆっくりと目を閉じた。




