リネッタの初仕事、おまけ付き。
ぶち、ぶち、と、薬草を摘む。
上質なものだけではなく、普通の薬草もちゃんと摘む。
薬草を教えてくれた、えっと……ス、スキー君?違うな、誰だっけ、まあ、スキー的な名前の金髪の男の子に感謝しながら、私は傭兵としての初仕事をしていた。
この森は、本当に豊かだ。
どれくらい豊かかといえば、そこら辺に薬草や香草が生い茂り、茂みには食べられそうなベリーが鈴なりになり、陰って湿っている場所にはきのこが群生し、それを餌にする小動物も多く、そのため全体的に獣が多い。
まだどれが美味しくて売れる獣か知らないので、薬草積みのときによく見かけるうさぎやら鳥やらもときどき捕まえてみて、傭兵ギルドの買い取り窓口に持ち込んでみようと思っている。
美味しければ買い取りも高いだろうし、1匹くらいなら血抜きをして宿に持ち帰って、晩御飯にしてもらってもいいだろう。
赤羽鳥、美味しかったからなあ。まだあれを超える美味しい肉を食べたことがないのだ。この豊かな森ならば、たらふく栄養を溜め込んでいる美味しい何かがいるに違いない。
(マジュー?)
「それはない。」
シルビアの心の声に即答し、私は小さくため息を吐いた。
「魔獣の肉は浄化しないと食べられないし、そもそも魔獣を食べる習慣自体、ないから。」
(ザンネムネン。)
どこで覚えたのかそんなよく分からない言葉を残して、シルビアは沈黙した。
魔獣の肉は、その魔獣が生きている限り、魔核によって汚染され続けている。
その汚染は核が壊れても消えることはなく、魔獣の肉を人が食べると毒気に当たって体調を崩す。
ごく少量なら体がだるいとかその辺りで済むのだが、大量に食べれば死ぬことだってある。
まあ、汚染された魔獣の肉はどう頑張って料理してもものすごくまずい(らしい)ので、そもそも一口めで吐き出してしまうのが普通なのだが。
私の元居た世界に魔獣の肉を浄化する魔法があるのは、大都市から離れた僻地で大飢饉が起こったとき、子月を崇める神殿の神官らが、苦肉の策として魔獣の肉を民衆に配ったことがあるからだ。
魔獣の肉は汚染されたままだとものすごくまずい(らしい)が、浄化しても普通にまずい。結局魔獣の肉を食べる習慣は根付くことは無かったが、飢饉の時の最終手段として、魔獣肉を浄化する魔法は各神殿やら何やらに周知されている。
ただし、魔獣にとっては、汚染されたままの魔獣の肉はごちそうなのだそうだ。
シルビアいわく、魔獣が自らを強化するためには、他の魔獣の肉や核を食べるしかないらしい。特に、強い魔獣の核を食べると、目に見えて魔力が強くなるというのだ。
つまり半分魔獣である私も、これ以上の成長を望むなら、魔獣を食べないといけないのだろうか……?
半分魔獣ということは、汚染された魔獣の肉も、私なら美味しく戴ける……???
ふとそんなことを思いついて、私はぞっとした。
ない、魔獣を食べるとか、ないない。
すぐに自分の考えを否定する。
シルビアのときならまだしも、私が私の意思で魔獣を食べることはない。
それならば、解毒の魔法を連発しながら美味しい毒キノコを食べたほうがまだマシである。
と。
私の空間把握の魔法(狭)に、何かが引っ掛かった。
“(狭)”というのは、私はまだシルビアほどうまくこの魔法を使いきれておらず、最大距離が、調子がいいときでもギリギリ500メートルほどしかないからだ。
まあ、それでも充分な性能があるし、情報量は逆に多すぎるくらいなので、しばらくはこれでいいかなと思っている。
「でかいうさぎ。」
(ウマそう。)
ぴょんぴょん跳ねているというよりは、のっしのっし跳んでいる、というほうがしっくりくるくらいのずんぐりむっくりだが、耳は長いし、たぶん、うさぎ的な何かだろう。
まだ実物を見たことはないが、シルビアでこの森を歩いていた時もちょこちょこそれっぽいものの影を見ていたので、この森に普通に生息している小動物のうちの一匹か。
薬草は少し足りないが、代わりにアレを持って帰ってギルドで買い取ってもらったら、もしかしたら上質な薬草くらいにはなるかもしれない。
私は、荷物になるだろう大きな薬草の袋を分かりやすいように少し背伸びしてそこらへんの木の枝にくくりつけると、隠匿の魔法(命名:私)で気配を消し、そっとでかいうさぎに近づいていった。
目視できる距離まで近づくと、でかいうさぎは薬草を一心に食んでいた。
森の土に溶けこむような黒に近いまだらなふわふわの茶色の毛に、なぜか目立つように額には白い角が一本生えている。魔獣っぽい感じはない。食べられそうではある。
というか、びっくりするくらい苦い薬草だが、薬草を食べる獣は意外に多い。まあ、体に良い草なのだから、加工する手段のない獣は直接食べるしかないのはわかる。獣は苦味を感じないのだろうか?そうだとしたら、なかなか羨ましい舌だなと思う。
「気絶の魔法。」
周りに誰も居ないことを確認してから、魔法をかける。
ティガロの教えに、血抜きをする時はできるだけ動物が生きた状態で、なおかつ暴れられない状態が一番いい、というのがある。
ティガロはびりっとする魔法陣を使い、獣をほぼ仮死状態にしてから血抜きをしていたので、私もそれに倣っている。
びりっとする魔法陣の場合は小さい獣などはそのまま死んでしまったりもするが、気絶の魔法で生物が死ぬ可能性はまずないので安心だ。
私は隠匿の魔法を解除して兎に近づき、気絶している兎の手足を細い縄で絡んで持ち上げた。
多少重い気がするが、そこは半分魔獣の体だ。しんどくはない。
てくてくと歩いて薬草のところまで戻って薬草も持つと、私はうさぎの血抜きをするべく、最寄りの小川の方へと向かって歩き始めた。
右手にうさぎ、左手に薬草を持ちながら、他の傭兵や狩人が近いところにいれば避けるようにしながら、ずんずんと森の中へ進む。
途中で、同じでかいうさぎやら、先日蹴り殺した骨角猪などを見つけたが、うさぎはこちらに気づけば即逃げるし、骨角猪や熊、狼、大型の猿のような好戦的な獣などは傭兵らと同じくできるだけ避けて歩いた。
獣に出会う度に対処するのは面倒なのだ。睡眠の魔法でもすればいいだけの話なのだが、最初はそうしていたものの次第にそれすらも面倒になった。
ものぐさというなかれ、空間把握の魔法(狭)があれば出遭う前に分かるし、匂いや何かで感づかれたり、どうしてもその方向に行きたい場合は隠匿の魔法もあるのだ。
隠匿の魔法とは、私が付けた名前のとおり、隠匿のローブの魔法陣を詠唱魔法に翻訳したもので、ふとランクF傭兵の試験の前日に思いたち、1日を使って覚えたものだ。
適当に糸を切って隠匿のローブをバラバラにし、中に隠すように縫い付けられていた魔法陣を見たのだが、そのうち、あの、もうただの布みたいになってしまった元隠匿のローブも、きちんと直さないといけないとは思っている。そのうちね。うん。機会があれば。
……ちなみに、私には裁縫の才能なんて欠片もないが。
ほどなくして小川に着いたので、私は気絶したままのでかいうさぎを小川に浸けてから革鞄から取り出した肉厚の短剣に付与魔法をかけ、スパーンと一気に喉を切り裂いた。
勢い良く血が出るのは、ちゃんと太い血管を切れた証拠だ。
本来ならば――例えば熟練の傭兵とかならば――短剣に付与魔法なんて必要ないのだろうが、私は剣の使い方なんてわからない。何回も斬りつけて皮をダメにしたり周囲を血で汚すのもあれなので、きちんと切れ味を良くしてから首を切るようにしているのだ。
これなら鳥の首なら骨ごと落とせるし、これくらいの大きさの獣の首ならば余裕できれいに切ることができる。
うさぎを小川の深い所に沈め、血抜きと併せて、肉を冷やす。
できれば芯まで冷やしたいので、しばらくはここで休憩だ。
もう、森をずっと歩いても、汗が滲むこともないし、疲れもない。
しかし、日向ぼっこは大好きなので、問題はなかった。
時間的には、まだ昼過ぎだ。
数時間川で冷やせば、まあいいだろう。
本当は内臓を抜けばもっといいのだろうが、私は女の子なのでそんなことはできないのである。
小川から少し離れ、短い草の生い茂ったところに足を伸ばして座る。
お日様が気持ちがいい。
うとうとするのはさすがに危険なのでできないが、気分はゆるゆるだ。
空間把握の魔法も今は200メートルほどまで狭めている。
200メートル先からなら、例えどんなに強靭で豪速な矢でも、届く前に気がつくだろう。
ぽかぽか、ぬくぬく。
ぽかぽか、ぬくぬく。
あんなに、狭くて湿気ってて資料で散らかっていた薄暗い部屋が好きだったのになあ。
と、懐かしい遺跡を思い出す。
遺跡で魔法陣を研究していたのが、もう十何年も前のような気がする。
でも、あれからまだ2年と少ししか経っていないのだ。
私の血まみれだろう魔法陣を見て、研究仲間はどう思うだろうか。
もう2年も経ったのだ、何かしらの進展があってもおかしくはない。
私が何の魔法陣を研究していたのか、誰も知らない。
でも、彼らがきちんとあの魔法陣を調べれば、それがどういったものなのか、絶対に気づくはずだ。
そこに残る膨大な魔素の痕跡で、その魔法陣がどれだけの魔素を消費するのか、容易に想像がつくだろう。
そしてきっと、その魔法陣が、転移のための魔法陣だと、いずれ、気づく。
そのとき彼らは、私と同じように魔法陣を発動させるのだろうか。
そうしたら、私と同じようにあの孤児院の地下に現れて、またマニエや孤児たちを驚かせるのだろうか。
この、詠唱魔法という概念がない世界で、彼らは何を思って何をするのだろうか。
やろうと思えば、何だってできる。
魔法陣をよりよくすることも出来るし、簡単な詠唱魔法ならばこの世界の人々にも使えるだろうから、それを広めて一躍有名人になることだってできるだろう。
その気になれば、もしかしたら一国くらい落とせるかもしれない。
ラフアルドで彼らが何をするかは、彼らの思うままだ。
「……。」
ま、まあ、多少は不安だが、今はそんなことを心配してもどうしようもない。
私は自らの思いつきに少しひっかかりながらも、自分ではどうしようもないことなので無理やりそういうことにした。
そんなことより、今はうさぎである。
重さ的には10キロ前後あるが、食べられるのはせいぜい2、3キロというところだろうか。
もし美味しいなら、お肉は持って帰って、宿で食べたい。
お日様もだいぶ傾いてきたし、そろそろ血抜きはいいだろう。
私は立ち上がってゆっくりと小川に戻り、うさぎを川から引き上げた。
まだ血は滴ってはいるが、服が汚れないよう、うさぎの表面だけをさっと魔法で乾かし、血がぽたぽた垂れるほうを後ろにして、また右手に持った。
森を出る前に滴らないように布で縛る必要があるが、まだ大丈夫だ。
お肉、美味しかったらいいなー。
そんなことを考えながら、私は意気揚々と帰路についた。




