とあるギルド職員の報告
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
それは、何というか、あまりにも信じられない出来事だった。
目の前で起こったことにも関わらず、頭が理解することを拒むような……いや、それは言い過ぎか。
何にしても、これからどう報告すればいいのか悩ましいところだ。
結局のところはありのままを話すしかないし、それで納得してもらうしかないのだが。
「えーと。」
僕が立っているのは、傭兵ギルドの面接などに使われる職員用の小さな会議室だ。
扉の方に向かってコの字型に3つ置かれたテーブルには椅子が2脚ずつ並べてあり、それぞれ違う部署のギルド職員が座っている。
扉を背にしている僕から見て右側のテーブルに座っているのは、主都マウンズの傭兵ギルドのランクFの傭兵を担当している職員のまとめ役である僕の直属の上司ケティアスと、ランクEの傭兵を担当している職員のまとめ役のライオスだ。
ライオスは僕が直接声をかけ呼んだのだが、たかが10才の獣人の少女の報告になぜ自分が呼ばれたのか分からず困惑した顔をしていた。
それから僕から見て左側のテーブルに座っているのは傭兵ギルドの買い取り窓口のたぬき耳のおっさんと、ランク未傭兵担当でリネッタの担当でもあるナタリア。ナタリアは緊張した面持ちで目の前のテーブルに視線を落としていた。
最後に、正面のテーブルに一人で座っているのはこのギルドの副ギルドマスターの一人、ガーネルだ。傭兵ギルドでは基本的にギルドマスターが一人と副ギルドマスターが二人いる。本当はギルドマスターに声をかけたかったのだが、あいにくの来客中でガーネルが報告を聞いてくれることになった。
「まず、結論から言いますね。リネッタちゃんなんですけど、実力で言えば、ランクEあたりが妥当だと思います。」
そんな僕の言葉に、周囲は一瞬ぽかんとして……
「はあ?」
と、声を上げたのは、ランクE傭兵のまとめ役ライオスだった。
ライオスは怖い顔の大柄な獣人である。頬には目立つ大きな傷があり、先端に長い飾り毛の伸びた猫耳の片方もばっさり切れてなくなっているが、それはランクB傭兵として暴れていた時に仲間を庇って魔獣の毒爪によってつけられたものだ。
結局その毒のせいで獣人には必須である聴覚と嗅覚に若干の障害が残り第一線から退くことになった。その後傭兵ギルドで働くことになったのだが、感覚は鈍っても腕っ節は健在でそこらへんの害獣ならば余裕で倒せてしまう実力者だ。
「言いたいことは分かるっす。」
これから話す内容はつっこみどころしかない。いちいち止まっていたらあっという間に次の日になってしまう。
できるだけスムーズに最後まで話してしまいたい。僕はライオスに向かってうんうんと頷きながら言葉を続ける。
「僕も、実際見るまでは、ほんと、まさかって思ってたんですよ。獣人とはいっても、まだ10才の女の子ですから。使えると言っていた霊獣化だって、本当なのかもわからないし。
まあ、とりあえず昨日あったことを残さず話しますんで、一旦、最後まで聞いて下さい。あっという間に終わったんで、そんな長話にもならないっすよ。」
そう前置きしてから、僕は昨日見たそれを話すべく、まずは深呼吸してからゆっくりと口を開いた。
「まず、リネッタちゃんの装備ですけど、七分袖の薄いワンピースに、いつものぺらぺらの革靴、あと、一昨日買ったとかいう薄い皮の手袋をしていましたね。武器を持っていなかったんで、ギルドで貸せるって言ったんですけど、いらないって断られました。」
またライオスが口を開きかけ、つぐむ。その隣りに座っている僕の上司やナタリアも戸惑うような顔をしていた。
「んで、そのまま森に入ってしばらくは雑談なんかしならがら歩いてたんすよ。街を背にしてまっすぐ、森の奥へね。で、まず初めに僕が思ったのは……ほんと、前だけを見て歩くんですよね、リネッタちゃんて。獲物の足跡を探すとか迷う様子とか全然ないまま、ひたすらまっすぐ歩いて、そのうちに森の中腹くらいまで来た時に、ふと、何の前触れもなく立ち止まったんっすよ。そこで、僕を振り返って何て言ったと思います?
“骨角猪を見つけたので、こっそり付いてきて下さい”っすよ。
ああ……いや、わかりますよ。気持ちは痛いほど分かります。僕だって、リネッタちゃんが何を言ってるのか一瞬わかんなかったっすからね?まだ僕は獣の気配なんて感じてなかったですし。でも、一応、反応がないか気配感知の魔法陣を発動したら……いたんすよ、魔法陣のギリギリ感知できる500メートルくらい先のあたりに、何かしらが。」
「ちょっと待て。」
次に声を上げたのは今まで椅子の背もたれにどっかり座ってむすっとした表情で話を聞いていた、副ギルドマスターのガーネルだった。
「俺は、その子どもをよく知らないんだが、これはどういった話なんだ?」
「あ、あの、リネッタちゃんというのは、10才の獣人の女の子で、半年……うーん、もう少し前、かな?それくらいに近くの森で保護されて、しばらくこの街で療養してた子なんです。そのときは、記憶が混乱してたのか、なぜか名前をシルビアって名乗ってたんですけど、本当の名前はリネッタちゃんっていうらしいです。
あ、その、リネッタちゃんていう名前は、リネッタちゃんの知り合い?の、“バリュー・ワークス”のパーティーリーダーであるエリオットさんからも聞きましたので、間違いはないと思います。
そのリネッタちゃんは、ランク未で登録していたんですが、先日、記憶が完全に戻ったとかで、……その、本人から、ですね、“自分は霊獣化を使えるので、これからは傭兵のランクを上げていきたい”という相談があって、それで、実戦で実力を見ることになったんです。」
おずおずとそう答えたのはナタリアだった。
「保護者として登録しているのは、たぶんガーネルさんも名前は聞いたことがあると思うのですが、うちのギルドを拠点にしている、2人のBランクの傭兵さんたちで、トーラムさんとサーディスさんという方です。もちろんこのことも、許可をもらっています。その……“だいじょぶだろー”だ、そうで……。」
「ああ、例の便利屋か。……しかし、うちの担当と戦わせてみればいい話だろう。なぜ子どもをいきなり森へ入らせたんだ。」
「そ、それは、その、リネッタちゃんから、そういう申し出があって……」
「結果から考えると、対人にしなくてよかったと、僕は思いますけどね。」
「どういう意味だ。」
会話に割って入った僕に副ギルドマスターが胡乱そうな視線を向ける。
「とりあえず、話を聞いて下さい。
骨角猪を見つけたあとからでしたよね、えーと……ああ、そう、リネッタちゃんの気配?についても、ちょっと言っておかないといけないっすねー。
骨角猪に近づくにあたって、リネッタちゃんの気配が、ぐっと薄くなったんですよね。あれ、何だったのか未だにわかんないんっすけど、今まで何も考えずにざっくざっく歩いてきた普通の女の子だったのが、気配“だけ”が一気に隠密を得意にしている傭兵並になったんですよね。
歩き方とか呼吸の仕方とかぜんっぜん素人なんっすよ?でも、気配だけ薄い。影が薄いっていうか……ほんと、わけがわかんないんすけど、まあ、そんな感じに気配を隠してました。
リネッタちゃんが言うに、彼女は何種類かの霊獣化を使い分けてるそうで、骨角猪を見つけたのも、気配を消した?のも、霊獣化の力のうちの一つらしいんですが……」
「霊獣化に関しての詳しい資料は数百年前の戦争で大部分が失われたからな。もしそれが本当であれば、その少女はどこでそれそ知ったのか……」
「いやでも副マス、10才だぞ?」
副ギルドマスターとライオスが顔を見合わせる。
副ギルドマスターはライオスの数年先輩にあたる獣人で、ほぼAランクと言われていた元ランクBの傭兵だ。相当な実力者であり今でもランクB傭兵から一目置かれるような存在だが、実はどちらかといえば気さくなほうで、柔軟な考えができるいい上司である。
ボサボサの頭からは鹿のような耳が伸びており、照れるとぴゅっと後ろ向きになるのが一部の女性職員に絶大な人気を誇っていることを僕は知っている。……もちろん本人は露ほども知らないが。
「リネッタちゃんの出身は、大昔から獣人の伝統を守り続けている集落?らしくて、そこでは子どもでも普通に霊獣化が使えるらしいですよ。」
「そんな話、聞いたこともないぞ。」
「……外に漏れなかったからこそ、あの殲滅戦争から逃れられたのかもしれん。」
「だが10才……10才だぞ……?」
そう、これが17、18くらいの獣人ならば将来有望な若者として傭兵ギルドとしても大切に育てていきたいと思える人材なのだが、何せリネッタは10才なのである。2人の困惑はきっとこの部屋にいる全員が理解してるだろう。かくいう僕もその一人である。
「まあ、霊獣化の種類?ってのは、その後すぐに、違うタイプのを見せてもらったので、本当に何種類かあるんだとは思いますね。」
そう言うと、何やら話していた副ギルドマスターとライオスは静かになった。リネッタに対して興味が出てきたのかもしれない。
「気配を消しつつ骨角猪に近づいてたリネッタちゃんなんですけど、骨角猪を視界に収めた途端、また気配が変わったんっすよね。なんていうか――今まで子犬ちゃんだったのが、急に訓練された猟犬みたいな雰囲気になったというか、ほんと、ガラッと変わりました。空気が張りつめた感じに。
まあ、それも霊獣化の一種らしいんですけど、でもそれに驚く暇もなく、おもむろに隠れていた茂みからすっくと立ち上がってですね、何でこそこそ隠れて近づいてたのかわからないくらい堂々と、骨角猪に向かって歩き始めたんです。
武器を持ってない女の子が、骨角猪にっすよ?もちろん骨角猪もリネッタちゃんに気づいてるわけで、ほんと焦りましたよ。ぱっと見130キロくらいのサイズだったんですけど、まともに骨角猪なんかに跳ね飛ばされたら僕でも死ねますからね。僕の気持ち、分かってもらえると思うんですけど、ほんと、もう少しで剣を抜くところでしたよ。」
「抜かなかったのか?」
「あ、はい。骨角猪が逃げちゃって抜く暇なんてなかったっす。」
「は?」
「いや!はい!分かります、副マスが言いたいことも、ライオスさんが言いたいことも、むしろここに居る全員がきっと同じ思いだと思うんっすけどっ!!
でも、事実、リネッタちゃんのほうを向いた骨角猪は速攻、全力で逃げ出しましたね。もう、森の奥へと一目散ですよ。」
「……。」
何とも言えない沈黙。
当たり前だ。
骨角猪は、普段はきのこや木の芽やそこらじゅうの土を掘り返して栄養のある根などを食べているが、気性の荒い猛獣で、人を見れば問答無用で襲い掛かってくるし雑食性で屍肉も食べる。
150キロを越える大きい個体になると体長は2メートル近くになり、鼻の頭から伸びた鋭く長い角は(その後引っこ抜けるかどうかは別として)余裕で大木を貫くし、角を避けたとしてもまともに体当たりをくらえば熊でも弾き飛ばされる。
そんな骨角猪が自分よりも小さな獣人の少女から逃げ出すなんて、本来はあり得ない。
しかし、本当に驚くのはこれからなのだ。
なんとなく、自分が遠い目をしているような気がする。
「でも、話はこれで終わりじゃないんです。何回、驚いたのかもうわからないんすけど、リネッタちゃん、逃げた骨角猪を猛然と追いかけ始めたんですよ。一瞬のためらいもなく迷わず走り始めたんです。
うん、僕も、さすがに追いつけるわけないって思ったっすよ?でも、置いていかれたのは、僕だけでしたね!獣人は森での機動力が高いってのは知ってるんですけど、さすがに10才の女の子に置いていかれるっていうのは、結構、くるものがあるっすね……。
……。で、まあ、僕が必死で追いかけてるうちに、リネッタちゃんはあっという間に骨角猪に追いついて、逃げる骨角猪の角と、耳を掴んで、追いついた僕の見てる前でその首に膝蹴りを――」
「おい待て、まさか……」
「リネッタちゃんが、骨角猪が暴れるよりも早くの首に膝蹴りを入れた瞬間、骨が折れる音と、骨角猪の断末魔が同時に聞こえましたよ、そりゃもうはっきりと。
骨角猪は蹴り飛ばされて近くの木に衝突して、それからもう動くことはなかったっすね。見事な一撃だったっす。」
「おかしいだろう!?」
ライオスが思わず立ち上がって叫ぶ。
「僕だって、目の前で見てたけど信じられませんでしたよ。でも、リネッタちゃんの動きは洗練されてたというか、あれは一朝一夕でできるものではないっすね。彼女、確実に、戦闘慣れしてますよ。
まあ、霊獣化が使える獣人は魔獣にも殴りかかるんですから、霊獣化を使ってたかだか大きめのイノシシを蹴り飛ばしただけなら、何らおかしくはないんじゃないですか?10才の女の子ってことを除けば、っすけど。
あ、骨角猪はその後持ち帰って調べたっすよ。一応、報告するために、買い取り窓口のひとに来てもらってるっす。」
「おう。」
と答えたのは、たまたま骨角猪を持って帰ったときに買い取り窓口にいたギルド職員のたぬき耳のおっさんである。
「捌いてみたが、首の骨は当たりどころがよかったのか、きれいに折れてたな。腹を開いて直接も見たし、魔法陣でも調べたが、特に病気もなく至極健康な成体のオスだったよ。今は繁殖期でいつも以上に気が立ってるはずなんだがなあ。まあ、何にせよ、骨角猪には問題は無かった。」
「……だそうです。たぶん、対人にしてたら、最悪、骨角猪の代わりに誰かが骨を折られてたんじゃないっすかね。」
会議室が静まり返る。
僕の報告はこれで終わりだ。
まあ、ひと悶着どころか何悶着もあるだろうがリネッタのランクがあがるのは確実だろう。
骨角猪の討伐はランクEの傭兵でも受けられる討伐系の仕事のひとつだ。
しかしランクEが仕事で大怪我を負う原因も大抵は骨角猪である。
討伐の仕事に慣れはじめたあたりのランクDでも1対1は厳しい、いわゆるランクEの壁のひとつがこの骨角猪なのだ。
ぶっちゃけ、そんな骨角猪の成体が全力で逃げているのに普通に追いついて一撃で首をへし折って殺すなんて離れ業ができる傭兵なんて、それこそランクB前後の獣人の手練くらいである。
とはいえ、リネッタちゃんのランクを予想するなら、やはり順当にランク未の次であるランクFが妥当だろう。
例えばリネッタちゃんがもう20も半ばであれば、特例処置でいきなりランクEやDになることもあるだろう。対人試験をして、その結果もしかしたらランクCも夢じゃないかもしれない。
しかし彼女は10才だ。傭兵としての先が短いわけでもないので、いきなりランクEやDになることはないだろう、と、思う。
それに、革鎧にも使われるあの硬い毛皮と分厚い脂肪と強靭な筋肉にガッチガチに守られていたボアの首の骨を膝蹴り一発でばっきり折ったのだ。どんなに戦闘慣れしているといっても、子どもならではの問題として力加減が分かっていない可能性がじゅうにぶんにある。
対人試験をする場合ギルド側は相当の手練を用意しないと危険だろうし、そういった追加の試験は行われない可能性しかない。
ただ、ランクFの傭兵になるにあたって何かあるとしたらパーティーの問題があるだろう。
ランクが低かろうが高かろうが人数制限がある仕事は意外と多いし、ソロやペアで動いていた傭兵が何組かで大きめのパーティーを組むこともざらにある。
しかし、リネッタちゃんをパーティーに入れるような傭兵は、後ろめたいことを考えている連中しかいないだろう。それにリネッタちゃんがパーティー行動できるかもわからない。
あとは……ギルドの信用問題、とかか。
10才の少女は、守られるべき存在だ。
10才という年齢の、それも女の子に、ランクFとはいえギルドカードを発行し傭兵の真似事をさせて害獣退治に駆り出しているなんて、何も知らない他国の傭兵ギルドに知れたら問題になりかねない。
まあ、最終的に判断するのは僕ではないからどうなるかは分からない。
僕は僕が見たことを余すとこなく伝えたはずだ。
気が付けば、しばらく静かだった会議室の中はいつの間にか賑やかになっていた。
どうやら、本格的にリネッタちゃんをどうするのか、それぞれの職員が意見を出し始めたようだ。
僕はその内容に耳を傾けながら、リネッタちゃんが十数年後あたりに最終的にランクA傭兵になったら面白いのになあとか考えていた。




