閑話 安らぎの魔法陣、の前に。
「驚きましたね。貴方はてっきり、父を指名するものだと思っていたんですけど。」
王都ゼスタークの中央に位置するゼスターク城の、西棟。
城詰めの魔術師テスターに充てがわれた、彼の書斎。
腰に届く長さの艶のある黒髪の先を指でつまんで遊んでいたロイスが髪をぱらりと離し、無表情を保ちながらもややつり目のその奥に好奇の色を宿した瞳で、ソファの向かいに座っているテスターに視線を向ける。
その居心地の悪い視線から逃れるようにテスターは僅かに視線をそらし、こほんと小さく咳払いをした。
「もちろんカーディル様も考えたんだけど、カーディル様に今から新たな研究課題を渡したら、最悪、占術師長を降りて死ぬまで研究するとか言い出しかねないと思ってさ。」
「……父が、そんな責任感のない男だと?」
「占術師長をやめないとしたら、あのいっそがしい中で研究もするってこと?過労死しちゃうんじゃない?」
「それは否めませんが。」
「じゃあ、その血を引く君が一番だよ。僕と同じような時期に城詰めになって、きっと僕と同じような時期に占術師になるだろう君がね。――僕の相方になることを断るつもりがないから、ここに来たんだよね?」
「相方……。」
ロイスが含みをもたせたようにつぶやき、その瞳の奥に怪しく光を灯す。
「それはつまり――フォアローゼス侯爵夫妻と私の両親が私たちの婚姻の話を進めていることを知っていて、あえて私を選んだ、ということですか?」
その言葉に、テスターの思考は一瞬止まって――
「婚い……っ?……、……はあっ!?婚姻?!!!」
テスターは目を白黒させ、「知らないよそんな話!!」と声を上げた。
ロイスはというと、すでに怪しげな雰囲気は皆無で、無表情の中に多分に呆れを馴染ませて慌てふためくテスターを見ていた。
「……やはり知らなかったんですね。はあ、少しでも期待した私が馬鹿だったようですね。なんと頼りない。」
「や、でも、え、……はあ?結婚?僕と……君が!?」
「年齢的に考えれば、お互い遅すぎるくらいでしょう。そういう話が出てこないことに疑問を持たなかったのですか?」
「そうだけどさあ、え?え?本当なの!?」
「お父様からお話を頂いたわけではありませんが、情報は確かです。」
「そ、そうなんだ……。」
「貴方は、フォアローゼス侯爵家の、唯一の魔術師ではないのですか?」
「うん、それは、そう、なんだけど……」
唐突に告げられたことへの衝撃が抜け切らないまま、テスターが額に手をやってうめく。
(いや、しかし……そうか、そういう話が出てもおかしくは、ない、のか……。)
テスターは混乱しながらも、この数秒のうちに、納得もした。
確かに、ロイスが言っていることは正しい。
テスターは20台半ばで、ロイスは20台前半で、もうお互い子どもがいてもおかしくない年齢であり、今の今までそういう話がなかった事自体が、おかしいといえばおかしいのだ。
テスターの兄でありフォアローゼス家の次期領主であるランファードは、3才のときに3つ下(つまり0才)の許嫁ができ、成人である15才になった日からは12才の許嫁を連れて各パーティーへフォアローゼス家嫡男として出席を始め、少し遅いが許嫁が成人を迎えるのを待って18才のときに家庭を持った。
21の時に待望の長男が生まれたのち順調に子どもは増えて、一回死産を挟んだが30代半ばの現在、子どもが5人もいる。本来ならば第二夫人を迎えるはずだったのが、子どもに恵まれたため妻は一人きりで、夫婦関係は(夫人に尻に敷かれているという話を耳に挟むものの)常に円満だそうだ。
そんな貴族として完璧な道を歩む兄がいるテスターは、次男ですらない三男だ。
母親似で細身のテスターとは全く正反対で、父親に似て大柄な次男はポールウェポンの名手として領地で名を馳せており、すでに領地を守護する騎士の団長を任されている。そして、当然のごとく妻帯者で息子もいる。
侯爵家の直系とはいえ、嫡男と次男にそれぞれ健康な息子がいる場合、三男なんてよっぽどのことがないかぎり家を出ても何も言われない存在なのだ。逆に言えばずっと領地にいても、肩身が狭いだけでいいことがない。
もしどうしても領地に残りたい場合は、領地の一角を借りて屋敷を建て、その周辺の領地を管理しながらそこで家庭を持つこともあるが――テスターはそんな面倒くさいことなんて、まっぴらごめんであった。
だから、自分が家庭を持つというイメージは全くなかったのだ。テスターは気楽に生きるつもりだったのだ。
もちろん、テスターが凡庸な三男であれば、気楽なまま生きることが出来ただろう。
血縁特有の病気もなく性格も問題ない健康で善良な兄が2人もいる貴族の家の三男以降は、大抵がそんな扱いなのだ。
しかし、テスターは……違うのだ。
テスターが凡庸な三男などではないことなど、次期フォアローゼス侯爵である嫡男も、騎士団長の次男も、そして現フォアローゼス侯爵さえも知っている。
テスターは、このディストニカ王国が誇る“城詰め”の一人であり、ゆくゆくは占術師になるだろうといわれている優秀な魔術師だ。
フォアローゼス家の“魔術師の血を侯爵家に取り入れる”という試みを考えれば、結果的に実ったテスターのその優秀な魔術師の血を、フォアローゼス侯爵が放置するわけがないのである。
なぜ今まで気にしなかったのか――。
侯爵家においての自分の立場を考えれば、目の前に座っているロイスは優秀な魔術師であり、貴族であり、現占術師長カーディルの末娘で、テスターの相手としては申し分ないどころか侯爵家側が嫁にくださいと頭を下げてもいいくらいかもしれない。
それにしても……ロイスかあ……と、テスターがそっとロイスの顔を窺うが、ロイスはいつも通りの無表情でテスターを見返していた。
「何ですか?」
「いや、君はどうなのかなって思って。」
「何がですか?」
「僕は、まあ、まず家を継ぐなんてことはありえないけど、一応は継承権を持ってるから、親が決める結婚相手はよっぽどのことがない限り口答えはしないよ?
でも、君は子爵家の末娘で、兄も姉も居るし、カーディル様の血縁の中で君だけが城詰めの魔術師なわけでもないんだから、多少の融通はきくでしょ?」
「それで?」
「いや、だからさ、その……好きな人の一人や二人、いないの?」
「……。」
「……。」
テスターの問いでもたらされたのは、重たい間だった。
しばらくすると、ロイスはそっと耳から前に垂れる自らの髪に触れ、切れ長の目を伏せながら髪を耳にかけ、小さなため息をもらした。
テスターは、そのどこか色気さえ漂う美しい仕草に少しだけ見とれて――
「私は、お父様が大好きです。愛していると言っても過言ではありません。いえ、精霊王に誓って、私はお父様を愛しています。正直に言わせていただきますと、お父様以外の男は貴方も含めて全てロバや馬と同じに見えます。」
すぐに苦虫を噛み潰したような顔になった。
思わず半眼になってしまうのを、テスターは止められなかった。
「ですから、愛するお父様がお決めになった結婚相手ならば、私はロバだろうが馬だろうが構いません。どれも同じですから。」
「さいですか。」
悟りきった顔で父親への愛を告白するロイスから視線をはずし、テスターは脱力してソファに深くもたれた。
「ああー。……まあ、いいや。それはおいおいにしよう。今日の本題は、それじゃないし……。」
と、独り言のようにつぶやき、目を閉じる。
そんなぐったりしたテスターに冷たい視線を送りながら、ロイスは内心で盛大なため息をはいていた。
この男は……お父様に選ばれたこの男は、本当に、自らの価値を理解していない。
そう、再確認する。
この城には、占術師長であるロイスの父親を筆頭に、城詰めの占術師が約30名、そして城詰めの魔術師が約150名在籍している。
その30名の占術師全員が、以前、城詰めの魔術師や占術師を輩出した家系の生まれだ。
しかし、テスターの生まれたフォアローゼス侯爵家は今まで、まともな魔術師を輩出したことがない。それは数代前からずっとそうであり、現侯爵や次期侯爵にも魔術の素養はない。かろうじて現領主の次男だけが、魔法陣の彫られた武器を使えるくらいである。
魔素に適応していない血の流れるフォアローゼス家が国内外を問わず優秀な魔術師の血を取り入れているのはこの国では有名な話だが、今までは魔素の適応がある者が生まれても、それだけで食べていけるような力の強い者は生まれなかったのだ。
そんな侯爵家に生まれ、いきなり城詰めの魔術師になった、テスター。
侯爵家であるフォアローゼス家が、爵位が低くても魔術師の素質が在れば積極的に娶り、某国の魔術爵一族の血も取り入れ、ようやく実ったのがテスターなのだ。
そのテスターは今、城詰めの魔術師の中でもめきめきと実力を伸ばしている。
ぽっと出のテスターを認めきれていなかった国の上層部も、1年と少し前に彼が守護星壁を、ごく一部の発動だったとはいえ見事に使いこなしてからは、嫌が応にもその力を認めざるを得なくなった。
テスターに自覚はないが、占術師としての教育を受けてすらいない者が守護星壁を発動させるというのは前代未聞の話だった。
さらには、10代半ばで4級の魔素クリスタルを生成する天才少女を見出し、血縁とすることで実質的に手に入れ、これは城のごく一部しか知らない情報だが、ヴァンドリア領の現領主であるオーガスト侯爵も彼を支援することを本人と現フォアローゼス家当主に伝えている。
そしてここにきて、未発表の完成された魔法陣の解明に取り組むというのだ。
彼が若くして占術師に抜擢されるのは、歴王でさえ認めるしかないだろう。もちろん、歴代の占術師の中でも最年少の占術師ということになる。
全てをひっくるめて見ても、この男がいかに精霊王に愛され、どれほど偶然と奇跡に恵まれているのか……それを考えるたびにロイスはめまいを覚えるのだった。
そんな男との婚姻の情報を手に入れた時、ロイスは愛する父親が自分にテスターの手綱を握れと言っているように感じて、何よりもまず、父に頼られているのだと感じて喜びに打ち震えた。
もしテスターのこういった特殊な情報が他の貴族やら諸外国やらに漏れれば、テスターを手に入れようとする大きな動きが起こる可能性もあるのだ。
例えテスターの争奪戦が起こったとしても、占術師長の娘であるロイスならば、例え王族の娘が相手だろうが問題はないはずだ。よっぽどの阿呆でもないかぎり、現歴王と幼馴染であり唯一無二の相談相手でもある占術師長に喧嘩を売ることなどないはずである。
それにこの男は、今はこの国の城詰めの占術師を目指してはいるが、自由奔放で飄々と生きているふしがあり、他国からよりよい条件を出されれば、ある日突然出奔しないともかぎらない危うさを抱えている。
思いついたら即☆行動。
それが彼の行動理念らしく、突然守護星壁の使用を占術師長に直談判しはじめたり、獣人騎士団の団長を伴ってオーガスト侯爵の隠宅に乗り込んだりと、テスターは占術師長カーディルすら手に余らせる問題児なのだ。
そんな世間知らずでじゃじゃ馬のようなテスターには、優秀な騎手が必要だ。
そう、占術師長カーディルの秘書であり、実の娘であり、魔術師としての実力もある、ロイスのような騎手が。
この国から逃がさないためにも、私がしっかりと手綱を握らなければ……。
ロイスは無表情の仮面の奥でそんなことを考えながら、ぐったりとソファにもたれたまま動かないテスターの次の句を待っていた。
棒の先に武器がついてれば、トライデントも薙刀も、なんでもポールウェポンていうんですね。
僕、棒の先に槍の穂先と斧みたいなのがついてるやつだけ、ポールウェポンっていうのかと思っていました。
たぶん、子供の頃にしたゲームにでてきた、なんか羽の生えた飛んでるキャラクター(鳥人か竜人?)がポールウェポン使ってて、かっこいいなあと思って見ていた記憶のせいですね。
まあ、ゲームの内容とかタイトルとか、何一つ覚えてないんですが。調べてみたけど分かりませんでした。




