閑話 安らぎの魔法陣
大変おまたせ致しました。
続きは、ロマリアの閑話からになります。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
ディストニカ王国の王都ゼスタークは、その日もいつもと変わらぬ穏やかな天気だった。
7日に1度の精霊の祝日、いわゆる休日であるその日は第二壁内の高級商店はみな閉まっていたが、第三壁内の殆どの商店は通常通り営業しており、休日など関係なく働く農民や傭兵らが忙しなく出入りしている。
第三壁内の北東に位置する、通称屋台通りもいつもどおりの賑わいを見せていたが、その中には平日は第二壁内で勉学に励んでいるであろう貴族の庶子などが、お忍びで庶民の味を楽しんでいるところも見受けられた。
そんな休日の王都で、ここ半年ほどで劇的に賑わいを見せ始めた場所がある。第三壁内の東門の近くにある、国営の孤児院だ。
以前は孤児と関係者しか立ち入ることがなく、静寂に包まれていた孤児院の広い前庭で、7日に1度の休日に小さな市が開かれるようになったのだ。
そこでは人も獣人も孤児も分け隔てなく笑顔で、食べ物を食べたり、談笑していたりする。
それはまさしく、歴王オルカの目指した未来の一端を担うだろう光景であった。
――その市は、元々は、孤児院による香り袋だけを販売するためだけのものだった。
香り袋は、一時期、謎の獣人の少女が第三壁内で僅かに売り歩いていた“安らぎの香りの干し花”の正式な量産品である。
謎の獣人の少女が街から消えたのち、さまざまな商店から干し花の類似品と思しき商品が発売された。しかし本物を知っている客から苦情が相次ぎ、王都ではちょっとした騒ぎとなっていた。
とはいえ元々の干し花の販売数が圧倒的に少なかったために、その騒ぎも半年も経たずに消えた。
それからさらに半年が経った頃、孤児院から“正式に”干し花の量産版という“国の許可を得て”販売されはじめたのが、孤児院産の香り袋であった。
始めの頃は不審がっていたホンモノを知る客も、香り袋の香りが本物だとわかるやいなや飛びつき、毎週のように孤児院に通って買うようになった。
“孤児院の香り袋は、本物。”
噂はあっという間に第三壁内に広まり、7日に1度、孤児院の庭は香り袋を買い求める人でいっぱいになった。
その売れ行きに目をつけたのが、屋台通りの店主らである。
7日に1度、限定で100個しか孤児院の店頭に並ばない香り袋は、大抵、昼前には売り切れてしまう。そのおこぼれに与ろうと、一人の屋台の店主が、屋台通りに常設してある大型屋台とは別に、孤児院の前の通りに小さな屋台を出した。
屋台通りより味も量も落ちるものの、相応に安い値段設定のその露店の食べ物は飛ぶように売れ、話を聞きつけた他の店主らによって、7日ごとに、通りには小さな出張露店が増える。
そうすると今度は、香り袋よりもその露店を目当てにした人が集まりはじめる。
結果的に孤児院の前は馬車が1台も通れないほどの人混みになり、周囲に住んでいる王都民から、孤児院と屋台連合に苦情が届くようになった。
そして、王都が間に入り、孤児院と屋台通りの代表らが話し合った結果、屋台の店主らは交代で孤児院の庭に露店を出してもよいことになったのだった。
そんな爆発的な人気の香り袋は、ひとつ銅貨5枚である。
あまりにも売れるので一人につき一つまでという制限があるが、それでも飛ぶように売れる。
それを満面の笑みで売っている中心人物のひとりが、ロマリアという人の少女であった。
彼女は孤児で、元々はこの孤児院で暮らしていたが、城詰めの魔術師であるテスターという貴族に見出され、1年ほど前から、生成師として第二壁内で暮らしているという。
そんな栄光の階段を登り始めた彼女が、なぜ未だに簡素なワンピースを着て孤児院に関わっているのか、大半の客は不思議に思っていた。
この王都の孤児院にいる子どもは、運良く幼い頃に貰われていく以外は、15才前後から王都に点在する様々な工房の仕事(精肉、紡織、鍛冶手伝いなど)に就くようになる。工房には基本的に従業員用の寮が併設されており、孤児らは工房に慣れてきた辺りで、独り立ちという形で孤児院から出ていく。
その他にも、大きな農場で仕事をもらったり、素質があれば魔術師や傭兵になったりと様々な働き口はあるものの、工房で働く孤児院出の少年少女らの給与は、他の王都民と比べ少なめだ。
それは、第三壁内の子供らは望めば第二壁内にある教育施設で文字や計算を覚えることが出来るが、孤児院の子供らは、幼いころは手に職をつけることを最優先にしているし、それなりに大きくなれば、少ない孤児院の運営資金の足しに、ゴミ拾いや草むしり、荷物運び、時には害獣退治などの仕事をするため、教育を全く受けることができないからだった。
もちろん、本人の頑張り次第で、就職後に働きながら勉強し読み書きや高度な計算を覚えることはできるが、特に20才前後の元孤児らは、孤児院に出入りすると“あいつは読み書きができない、計算ができないのか。”と思われるような気がして、あまり近寄りたがらないのが現状だった。
孤児院出身というだけで後輩からも馬鹿にされることもあり、出身を隠す子も多かった。
しかし、ロマリアは全く違うのだ。
常に市の中心にいて、積極的に様々な人に声をかけてまわる。
その底の抜けた明るさは、元々はロマリアを知らない人々には好印象を与え、逆にこの孤児院に来たばかりの陰鬱としたロマリアを知る一部の人々には、孤児院の賑わい以上の劇的な変化で驚きを与えたのだった。
ロマリアがこんなにも明るく――ある意味必死に孤児院で香り袋を売っているのには、理由があった。
この香り袋の売り上げは、全て、孤児院に寄付される。
それは、成人手前の孤児たちの仕事を減らし、文字や計算の勉強に充てる時間を生む。
孤児院の出でも人並みに読み書きや計算ができれば蔑まされることが少なくなるはずだ、と、ロマリアは考えていた。
ロマリアは孤児院を出てフォアローゼス侯爵家の養女としてテスターの屋敷に住みはじめ、そこで初めて、孤児院の先輩たちが職場でどういう扱いを受けているのかを知ってショックを受けた。
思っていた以上に、文字の読み書きができない・難しい計算ができないということがどれほど仕事面で問題なのか、孤児院を出て初めて知ったのだ。
マニエが孤児らに読み書きを覚えさせたいと嘆いていた理由はそこにあったのかと、ロマリアはようやく知ったのだった。
それからのロマリアは、どうすれば孤児院に、ひいては自分を見出してくれたテスターやこの国に恩返しが出来るだろうかとずっと考えていた。
お金だけならば、テスターからどうしてもチラリとでもいいから見せてほしいと頼まれている“安らぎの魔法陣”を国に売れば、膨大な――それこそ、元お屋敷である孤児院をもっと住みやすいよう改築してもありあまるほどの金額が手に入るだろう。
ロマリアは、度重なるマニエやテスターからの“新しい魔法陣”というものの価値の刷り込みによって、リネッタからもらったこの魔法陣が、歴王でさえも得難い国宝よりも高価なものであると理解できていた。
リネッタは、魔法陣を孤児院のために使って欲しい、と手紙に書いていた。
あのリネッタなら、孤児院のためにお金が必要ならば国に魔法陣を売ったとしても、たぶん「いいんじゃない?」と軽く返すような気もする。
しかし、魔法陣をそのまま売ってお金に変えてしまうのは、違うのではないだろうか。
ロマリアは考える。
それに、その膨大なお金を寄付すると言っても、マニエは上辺では喜ぶかもしれないが、本心から喜んでくれるだろうか。例えそのお金があれば、孤児たちに万全の教育を受けさせることが出来るようになるとしても……
その思いが何なのかは分からないが、お金を寄付さえすればいいというわけではない、と、ロマリアは思ったのだ。
そしてマニエやテスターに相談し生まれたのが、干し花の量産版である“香り袋”の、7日に1度の販売だった。
材料は、干し花と同じ森の草花と、それを入れる目の粗い小さな麻袋。
草花は孤児院の庭で育てたものだけでは到底足りなかったので、孤児院の年長の男子が森へ摘みに行くことになった。麻袋はマニエが切れ端を大量に貰ってきて、裁縫の得意な女児が縫い合わせたものを使うことにした。
これなら、ロマリアが作って孤児院で売っているというより、孤児院が作ったものにロマリアが一手間加えているだけ、という形になる。
それならば、孤児院の子供たちの働きで孤児院にお金が入るという、今までの流れと変わりない。
そんな細々とした調整の中でロマリアが一番大変だったのが、香り袋の効果をどう弱めるか、だった。
干し花では安らぎというよりも陶酔状態に近くなってしまっていた強すぎる効果を、どうにかしなければならなかったのだ。
結果的には、小さな安らぎの魔法陣の上に孤児院から届いた完成品の香り袋を20個ほど積んで魔法陣を発動させることで、オリジナルの干し花よりかなり優しめな効果の出る香り袋に仕上がったが、それまでロマリアは何回も香り袋を作り続けなければならなかった。
そして売り出すにも、いろいろと問題があった。
まずは、値段。
ロマリアは銅貨3枚で売りたいと言ってたのだが、それではあまりにも安いので、銅貨5枚ということになった。それでも安いのではないかとテスターが渋ったのだが、もともとリネッタは銅貨3枚で売っていたのだ。ロマリアが価格を譲ることはなかった。
それから、生成師であるロマリアが第三壁内で直接売るというのも、防犯面で問題があった。
以前、某侯爵に拉致されたこともあるのだ。テスターもマニエも気が気ではない。
その為、特別にその日だけは、獣人騎士団の何人かがロマリアの警護にあたることになった。
ロマリアが生成師だとしてもそれは格別の待遇であり、軍部で許可を取るのに一番時間がかかった問題でもあったが、上層部は別として、獣人騎士団は干し花の大ファンであり、騎士団員からの反発はほぼ無かった。
最後に、買い占めの問題である。
香り袋が販売され始めてから、商人やら貴族のお使いやらがたびたび買い占めにやってきていた。
しかし、ロマリアの仕事の関係上、休みは7日に1度のこの日しか無く、時間的に香り袋は100個までしか作ることが出来ない。
一人一つまでという取り決めも最初に決めてあったので、それが農民だろうが商人だろうが貴族だろうが、たくさん売ることはできないと頑なに断るしかなかった。
そこで生まれたのが、“貴族向けの商品”である。
ひとつ銅貨5枚の香り袋は、麻の切れ端を縫い合わせ袋状にし、その中に森から摘んできて乾燥させた草花を入れて一度に大量に作るが、貴族向けのものは、ハーブや香辛料に安らぎの香りを直接付加してそれを刺繍入りの絹の袋に入れたり、香りは少ないが見た目が豪華な花束に直接安らぎの香りを付加したものを作ることによって、見た目や肌触りで“庶民の香り袋”との差別化を図った。
効果も、干し花よりは弱いが香り袋よりかはいくぶん強めにし、高価な嗜好品としての付加価値を高める。そして、個数制限ありの完全受注生産にし、一つ金貨一枚からという、香り袋よりもはるかに高い金額設定にすることにより“特別感”も出した。
それが功を奏し、貴族による香り袋の買い占めはなくなった。
商人らは未だに人を雇って買いにこさせたりもしているが、そこはもう諦めるほかなかった。
そんな中、毎回、香り袋を買いに来る不審な集団がいた。
魔術師協会の面々である。
王都では、製造方法が全くの不明である香り袋についていろいろな噂が飛び交っていたが、その中に、“新たに創られた魔法陣によって特別な香りが付加されている”というものがある。
出処の分からないその噂だが、魔術師協会の魔術師たちは、どこから入手したのかその噂は真実だと確信していた。
そしてその魔法陣の鍵を握っているのがフォアローゼス家のテスターであると睨んでいた。
その理由は、以前、某貴族がロマリアを秘密裏に欲しがり誘拐したことがあることもそうだが、その後、ロマリアがテスターの血縁としてフォアローゼスの養子に迎えられたというのも大きい。
フォアローゼス家は侯爵家だ。例え遠い血縁だとしても、その“直系”の養子に孤児が迎えられるのは異例中の異例である。もし血縁として迎えるとしても、傍系の家であったり、庶子として迎えるのが普通なのだ。
そして、ロマリアがこの市の中心人物だからというのも大きい。
ロマリアの周辺を警備しているのが、第二壁内を守護しているはずの獣人騎士団だというのも、ロマリアが、そのまだ誰も見たことのない新しい魔法陣に関して何か知っているかもしれないという疑念に拍車をかけていた。
しかし、魔術師協会は、キーレスを筆頭にたびたびロマリアとコンタクトを取ろうとするものの、ロマリアは魔術師協会を警戒していたし、そもそも獣人騎士団が近づくことを許さない。
かろうじてこの孤児院の出身であり、現在は魔術師教会で正式に魔術師になるべく修行しているマティーナとは会話するものの、マティーナは誘拐事件の件でロマリアに負い目を感じていたので、香り袋について問いただすようなことはできなかった。
香り袋も効果が1日しか保たず調べるにも限界があり、結局のところ魔術師協会は新しい魔法陣についてまだ何も分かってはいないかった。
その安らぎの魔法陣だが、香り袋の販売から半年ほどになるこの日、テスターの熱意にとうとうロマリアが折れた。
テスターの必死の頼みもあり、テスターも含めた有能な城詰めの魔術師と占術師のうちの2人にだけ、魔法陣を開示することを許したのだ。
それはテスターでなくてもいい、とのことだったが、もちろんテスターが自らを外すなんていうことをするはずもなく。
念願の魔法陣との対峙にテスターが相方に指名したのは、現占術師を纏める占術師長の末の娘である、ロイスであった。




