熊と魔獣と
リネッタとシルビアのイラストを描いていただきました。
苦手な方もいらっしゃると思いますのでTwitterのほうに置いています。
よければシルビアのあほの子顔だけでも、見てやってください。
その日、黒い毛並みを持ったオスの熊が、餌を求めて森をのそのそと歩いていた。
フンフンと木の実やきのこの匂いを辿っては食べながら、あてもなくふらふらと進み続ける。
この熊は他の熊と同じく縄張りを持たず、森をウロウロしながら暮らしていた。
たまに他の熊やら狼やらと遭遇することもあるが、熊は雑食であり、餌も豊富にあるという森の環境も相まって、熊が自分から襲いかかることはあまりなかった。
もちろん極端に腹が減っていたり、相手が襲いかかって来たりした時は別だ。
この熊は過去に、襲い掛かってきた10匹ほどの一角狼の群れのうち、5匹ほど殺して撃退したことがあった。立ち上がれば5メートルに届く巨大な熊は、飛びかかってくる狼を叩き落とし骨をも砕く強靭な顎で狼を噛み殺したのだ。
木のうろに見つけた蜂の巣を夢中になって食べている時に、3人組の血気盛んな若い人の傭兵がいきなり斬りかかってきたこともあった。縮こまってじっとしていた熊は不意をつかれて多少の怪我をしたものの、正面からぶつかれば3人は熊の敵ではなく、3人全員が熊の腹に収まる結果となった。
しかし、そんな熊をも餌とする獣が、この森にはたくさんいる。
例えば、20メートルほどの巨蛇、1メートルほどの大きさの肉食の虫の群れ、そして、一匹なら取るに足らないものの罠や弓などを使い集団で狩りにくる亜人などだ。
その中でも特に危険なのが、森の奥で生まれる魔獣である。
魔獣と獣の違いは、魔核を持っているかそうでないかだ。
魔獣は完全な肉食であり大抵の獣は餌となってしまうし、強力な魔獣は弱い魔獣をも食べる。
この森の奥、一部の領域ではそういった魔獣が多く出没し、その場所は亜人も近寄ることがなかった。
そんな魔獣が多く生息しているわりに大部分の森が平和なのは、基本的に魔獣は生まれた土地から移動しないためだった。
現在熊がきのこを食べているここも、魔獣の領域からは少し離れているし、街からも離れているはずだった。
熊が何かの匂いに気づきフイと視線をあげると、少し離れた先に、熊よりかは多少小さいがそれでも体長は3メートルを超すだろう大きさの、双頭のリザードがいた。
深緑色の鱗はところどころ剥がれており、片方の頭の片目は潰れている。しかししっかりと2本の後ろ足で立ち、獰猛を宿したような金色の目を縦に割る黒い瞳は、熊を餌として見据えていた。
熊は戦いの気配に、ゆっくりと体をそちらに向けて威嚇するように立ち上がり唸る。
魔獣の領域では、弱い魔獣は生きてはいけない。そのため、体の小さな魔獣はその領域から出てくることがある。
そういった魔獣はしばしば街へと近寄り、大抵は数人を殺したあたりで討伐されるのだが、魔獣にとっては人も獣も大差なく、野生の獣を襲うことももちろんある。
この双頭のリザードも、弱肉強食に敗れて領域から逃げてきた魔獣のうちの一匹だった。
大きさでは熊の方が有利に見えるが、対するリザードは魔獣である。
リザードはカチカチと2つの口で牙を噛み鳴らし、姿勢を低くして熊に威嚇している。
お互い、視線を逸らさず、静かな時間が少しだけ流れ――
先に動いたのは、リザードだった。
大地を抉るような勢いで熊に飛びかかると、一気にカタをつけるべく2つの顎門が左右から挟み込むように熊の喉を狙う。
熊はその速度に面食らいながらも咄嗟に姿勢を低くして、逆にリザードの片方の首へと噛み付いた。
その瞬間、残っていた方のリザードの首が後ろから熊の首に噛みつき、太い首をへし折らんと力を込めた。
それは一瞬の攻防。しかし、決着はつかなかった。
熊に噛みつかれている方のリザードの首からは青い血が流れヒューヒューと音が漏れているが、その頭が死ぬ気配はない。熊も、首の後ろに噛みつかれてはいるもののリザードが噛み付いた時の角度が悪く、その牙は熊の首の骨まで到達していなかった。
リザードは、熊に噛み付いている方の小さな頭で考えた。
どうすればこの戦いに勝ち、この熊を自らの血肉にできるのか。
熊は片目の潰れたもう片方の首に噛み付いて、離れそうにない。当然だ。今、リザードの首から顎門を離してしまえば、自由になったもう一つの頭は熊の喉笛に噛み付くか、それができなくとも四肢の爪のいずれかで喉を切り裂くことができるのだ。
では、自分はどうか。さっきは無我夢中で噛み付いてしまったので角度が悪く熊に致命的な傷を与えられていないが、熊が片方の首から頭を動かせない今なら、上手く噛みつき直せるのではないだろうか。
今なら。そう考えてリザードが力を緩めた瞬間を、熊は見逃さなかった。
リザードの牙が首から抜ける感触に、熊はリザードの首に噛み付いたまま頭をブン、と勢いよく振った。
ほんの少し気を緩めていたリザードは呆気なく取り付いていた熊の体から剥がされ、自由なほうの頭はしまったとばかりに目を見開いたが、もう遅い。
素早さ重視で見た目よりも軽いリザードを、熊は噛み付いている首を支点に死に物狂いで振り回し、周辺の木々に、岩に、大地に叩きつけ、噛み付いた方のリザードの首がへし折れて千切れてその体が明後日の方向へ飛んでいくまでそれを続けた。
リザードの、体に残った方の首にもすでに意識はない。さんざん叩きのめされて、もとより傷ついていた鱗はボロボロに剥がれ、自慢の爪も折れている。熊の、忍耐勝ちであった。
グルルルル……
興奮冷めやらぬ熊が、二本足で立ったまま、自分は勝ったのだと言わんばかりに唸る。
時間にしてみればひどく短い戦いだったが、魔獣の血を多少なりとも体に入れてしまった熊の目は血走り、熱を帯びた体からは湯気が立ちのぼっていた。
そしてゆっくり四足歩行に戻ると、肉を食らうべく、リザードの首をくわえたままその体が飛んでいった方へと森へ分け入ろうとして……突然現れた何かの気配に、振り返った。
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「ぷろてくトしるドー。」
こちらを視線に捉えるなり歯をむき出しにして襲い掛かってきた熊の爪が届く前に、シルビアの詠唱魔法は完成した。
ガッ、という打音とともに、不可視の盾によって熊の爪が空中で止まる。
それでも熊は血走った目でガンガンと爪を繰り出し、噛み付こうとガチガチと歯を鳴らしてなおも盾を殴り続ける。
(こ、怖ッ!大丈夫ってわかってるけどそれでも怖ッ!)
リネッタは、狂ったように襲い掛かってくる熊を平然と見据えているシルビアの肝の座りように慄きつつも、シルビアがリネッタの知っている詠唱魔法を問題なく使えることにほっとした。
もちろん熊と対峙する前(というか、宿屋で夜のうちに)一応は試していたのだが、やはり本番は緊張感が違った。
シルビアの空間把握の魔法で熊を見つけたときには、近くに二足歩行する双頭のでかいトカゲもいたのだが、さっき熊に振り回されてそのまま死んでしまったようだった。
魔獣であるトカゲのほうが勝つと思ったのだが、魔獣だからといって全てが全て強いわけではないらしい、と、リネッタは魔獣の認識を少し改めた。
その、魔獣に勝った黒くてでかい熊だが、爪や牙では盾が割れそうにないと判断したのか、今度は勢いをつけて体当りすることにしたようだった。残念ながら、それでも盾はびくともしない。
「もデすたぶレスとー。」
何を思ったのか熊が体を起こして、抱き込むように盾に取りついた。
それを見たシルビアがそう短く詠唱した直後――カッと目を焼く光と共に熊の胸元あたりで爆発が起き、鼓膜がやぶれるのではないかと思うほどの爆音が森に響いた。
5メートルはあろうかという熊の巨体は弾けるように軽々と飛ばされ、爆発の範囲は狭かったもののその余波はあたりの木々を激しく揺らして木の葉を振り落とす。
防御壁の魔法のおかげでこちらに被害はなかったが、光と音にシルビアがびっくりして、耳をふさいで不快を露わにした。
「メトミミ、いタイ。」
(目の前で使う魔法じゃないって、言っておけばよかったわね……。っていうか、これ、もう、小規模ではないわね。)
「もですト?」
耳鳴りが収まり、シルビアが聞く。
(別に“もですト”でも“モディスト”でも“もデすた”でもいいのよ。要は、魔法がちゃんと発動することが大事なんだから。)
「そーカ。」
(まあ、強いていうなら、もうちょっと威力を抑えないといけないってことかしらね。)
「なンデ?」
(この体じゃあもう魔素を使い切ることはないからそこはいいんだけど、壊しすぎたらだめなものもたくさんあるのよ。)
「?」
(まあ、いいわ。そのうち、ゆっくり分かっていけばいいから。)
「そーカ。」
(とりあえず、熊を見にいきましょう。)
「ウン。」
小規模ではない小規模爆破の魔法で数メートルほど飛んでいった熊は、胸元を文字通り消し飛ばされて絶命していた。
近くには、ボロ雑巾のようになった双頭のトカゲも落ちている。
(グロテスクね……。)
「ごはん?」
(……お願いだから食べないで。)
「……、…………ウン。」
魔獣の肉は汚染されているが、魔核を持つリネッタの体ならこのまま生で食べても問題ない、かもしれない。しかし、リネッタは断固として食べたくなかった。
熊は普通に調理すれば食べられるだろうが、胸がえぐられたように焼け焦げているところをばっちり見てしまったために、全く食欲がわかなかった。
(さすがに素材を持って帰る訳にもいかないし、今日はこのまま帰りましょう。日が落ちる前に帰らないと、2人に怒られて1人で森に行けなくなっちゃうかもしれないわ。)
「ワかっタ。」
シルビアは死んだ2匹に少し残念そうに視線を向けたあと、空間把握の魔法を使い周辺の傭兵を避けながら、街へと歩いて帰ったのだった。
それからしばらく、リネッタとシルビアは詠唱魔法を試し続けた。
その結果分かったのは、シルビアの動かす体でも、大体の詠唱魔法は問題なく使えるということであった。
イメージを言葉にせずそのままシルビアの脳内(?)に伝えることができた事が一番大きいだろうが、シルビアの魔素を構成する技術も目を見張るものがあった。
それは、シルビアが元は魔法を得意としていた魔獣だったからだろう。シルビアは魔法が得意だったからこそ、神獣になり得たのだから。




