解体屋と隠匿
人が乗るには違和感があるほどの大きな荷馬車の、薄暗い幌の中。
魔法陣の描かれた金属の板の上、さらに魔法陣が刻まれている黒い金属の檻の中に彼は居た。
彼はむすっとした不機嫌そうな顔を隠しもせず、淡く輝く魔法陣の上に置かれた木の椅子に座っている。
他を廃するために魔人が闇月より与えられる刻印。
それを、隠れ逃げることばかりに使うおかしな魔人。
その名を“隠匿”という。
本来ならばその力にはもっと有用な使いみちがあるのにも関わらず、彼は火鬼猿ばかりを構い、魔人という存在とは正反対のなんとも平和ボケした生活を送っている。
刻印を発動していない――否、できない現在、彼の見た目は魔人化した時点、つまり人をやめる直前と同じ、白髪交じりの黒髪を長くのばした背の高いじいさんだ。ただし背筋はぴんとのび、不機嫌だからか纏う気配は鋭く、体躯はそこら辺のゴツい獣人よりもよほどしなやかで強靭だ。
よっぽどの間抜けでもないかぎり、彼のことをよぼよぼじじいと呼んだりはできないだろう。
そんな檻の中の不機嫌な隠匿を眺めながら、向い合せに置いた木の椅子に座り、解体屋は薄ら笑いを浮かべていた。
「拗ねないでくださいよ、隠匿。長く生きていれば、こういうことだってありますよ。」
「……。」
「別に、貴方をどうこうしたいわけじゃないんですよ?ただ、少し我々を手伝ってくれればいい。貴方の大切な火鬼猿だって、あちらから手を出してこなければ、もう何もしません。」
「……。」
隠匿は何も言わない。ただ、じっと目を閉じて解体屋の話を聞いているだけだ。
しかし、解体屋は知っている。隠匿は火鬼猿以外にはいつもこうだ、と。
解体屋は特に気にしていないように、そのまま話を進めた。
「でも、ああでもしないと貴方を一人にはできませんでしたしねえ?まんまと罠にかかっていただいて本当に助かりましたよ?――まあ、無理に手伝えとはいいません。手伝わないのなら終わるまでここにいてもらうだけですしねえ。あ、もちろん手伝ってくださるのなら、ちゃんと報酬を出しますよ?金でも、物でも、何でも。私のように“贄”を求めてもいいんですよ?ふふふ。」
贄。
それは、魔人が魔人であるための枷だ。
魔人には、睡眠も食事も必要ない。その代わり枷に縛られている。
贄の話の辺りから、次第にぴりぴりと空気が凍っていく。
それを肌で感じとっているのか、解体屋は顔がにやけていくのを止められずにいた。
「お好みの少女をいくらでも用意しましょう。もちろん無垢な少女たちをね?ふふ、ふふふふ。貴方ももう長い間、耐えていらっしゃるんじゃないですか?己の中の“枷”に。……耐えるために、あのつまらない森の中で隠居しているのでしょう?我々は魔人ですよ?人を相手に、何を我慢することがあるのです?」
そこまで言ったとき、ずっと目を閉じていた隠匿がゆっくりと目を開けた。
「何とでも言え。おぬしの遊びに付き合う気はない。」
底冷えするような声音でそれだけ言って、再び目を閉じる。
「……、そうです、か。まあ、あまり期待はしていませんでしたしね?気が変わればいつでも歓迎しますので。貴方が魔人として全うするべきは、平和を謳歌することではなかったはずなんですが……悪い意味で、貴方と火鬼猿は影響を与えあっているようですね?」
何も反応しない隠匿に、解体屋は小さく、本当に小さく小馬鹿にしたように鼻で笑った。
そのまま立ち上がり、薄暗い馬車を後にする。
馬車の外はまだ昼すぎだ。
解体屋は、太陽の眩しさに目を細めた。
今の状態では、何を言っても無駄である。
隠匿を動かすには、火鬼猿に協力してもらうのが一番なのだが、あの男が協力するとは到底思えない。むしろ、あの男は顔を見れば即殴りかかってくるだろう。
つまり、別の弱みを探さなければならない。
手っ取り早くやろうと思うのならば……やはり、贄だ。
美味しそうな贄を前に、あの頑固じじいがどこまで耐えられるのか、見ものである。
とりあえず今回の作戦は最低限のラインだが成功したので、明日にはここを出て聖王国に帰るとしよう。
連合王国側には、隠匿は、騎士団によって斃されたと報告すればいい。
懸念があるとすれば、それを聞いて火猿鬼がどう出るかだが――まあ、面倒くさがりの火猿鬼がわざわざ聖王国に乗り込んでくることはないだろう。
そもそも火鬼猿と隠匿は特殊な繋がりを持っていて、どんなに遠くにいようが存在を感じることができる、らしいのである。
「まあ、あの男が暴れなければ、なんでもいいんですけどね?」
解体屋がつぶやく。
実際問題、それに尽きるのだ。
火鬼猿の戦闘能力は魔人の中でも、特に高い。
近接戦闘では、横に並ぶものは片手で数えるほどになる。
彼が聖王国に殴り込みに来た場合、民間人が多く犠牲になるだろう。
それ自体はなんの問題もないのだが、それによって今回の一大イベントに遅れが出るのはいただけない。
「頼むからおとなしくしていてくださいよ?」
自分のしたことを棚に上げつつ、解体屋はそう言ってくすりと笑った。




