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隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
森の国のリネッタ
112/299

解体屋と隠匿

 人が乗るには違和感があるほどの大きな荷馬車の、薄暗い幌の中。

 魔法陣の描かれた金属の板の上、さらに魔法陣が刻まれている黒い金属の檻の中に彼は居た。

 彼はむすっとした不機嫌そうな顔を隠しもせず、淡く輝く魔法陣の上に置かれた木の椅子に座っている。


 他を廃するために魔人(ドイル)闇月(ガードナー)より与えられる刻印(スキル)

 それを、隠れ逃げることばかりに使うおかしな魔人(ドイル)


 その名を“隠匿”という。


 本来ならばその(スキル)にはもっと有用な使いみちがあるのにも関わらず、彼は火鬼猿(かえん)ばかりを構い、魔人(ドイル)という存在とは正反対のなんとも平和ボケした生活を送っている。


 刻印(スキル)を発動していない――否、できない(・・・・)現在、彼の見た目は魔人(ドイル)化した時点、つまり(ヒュマ)をやめる直前と同じ、白髪交じりの黒髪を長くのばした背の高いじいさんだ。ただし背筋はぴんとのび、不機嫌だからか纏う気配は鋭く、体躯はそこら辺のゴツい獣人(ビスタ)よりもよほどしなやかで強靭だ。

 よっぽどの間抜けでもないかぎり、彼のことをよぼよぼじじいと呼んだりはできないだろう。


 そんな檻の中の不機嫌な隠匿を眺めながら、向い合せに置いた木の椅子に座り、解体屋(ヴェスティ)は薄ら笑いを浮かべていた。


「拗ねないでくださいよ、隠匿。長く生きていれば、こういうことだってありますよ。」

「……。」

「別に、貴方をどうこうしたいわけじゃないんですよ?ただ、少し我々を手伝ってくれればいい。貴方の大切な火鬼猿(かえん)だって、あちらから手を出してこなければ、もう何もしません。」

「……。」


 隠匿は何も言わない。ただ、じっと目を閉じて解体屋(ヴェスティ)の話を聞いているだけだ。

 しかし、解体屋(ヴェスティ)は知っている。隠匿は火鬼猿(かえん)以外にはいつもこうだ、と。

 解体屋(ヴェスティ)は特に気にしていないように、そのまま話を進めた。


「でも、ああでもしないと貴方を一人にはできませんでしたしねえ?まんまと罠にかかっていただいて本当に助かりましたよ?――まあ、無理に手伝えとはいいません。手伝わないのなら終わるまでここにいてもらうだけですしねえ。あ、もちろん手伝ってくださるのなら、ちゃんと報酬を出しますよ?金でも、物でも、何でも。私のように“(にえ)”を求めてもいいんですよ?ふふふ。」


 (にえ)

 それは、魔人(ドイル)魔人(ドイル)であるための(かせ)だ。

 魔人(ドイル)には、睡眠も食事も必要ない。その代わり(かせ)に縛られている。


 (にえ)の話の辺りから、次第にぴりぴりと空気が凍っていく。

 それを肌で感じとっているのか、解体屋(ヴェスティ)は顔がにやけていくのを止められずにいた。


「お好みの少女をいくらでも用意しましょう。もちろん無垢な少女たちをね?ふふ、ふふふふ。貴方ももう長い間、耐えていらっしゃるんじゃないですか?己の中の“(かせ)”に。……耐えるために、あのつまらない森の中で隠居しているのでしょう?我々は魔人(ドイル)ですよ?(ヒュマ)を相手に、何を我慢することがあるのです?」


 そこまで言ったとき、ずっと目を閉じていた隠匿がゆっくりと目を開けた。


「何とでも言え。おぬしの遊びに付き合う気はない。」


 底冷えするような声音でそれだけ言って、再び目を閉じる。


「……、そうです、か。まあ、あまり期待はしていませんでしたしね?気が変わればいつでも歓迎しますので。貴方が魔人(ドイル)として全うするべきは、平和を謳歌することではなかったはずなんですが……悪い意味で、貴方と火鬼猿(かえん)は影響を与えあっているようですね?」


 何も反応しない隠匿に、解体屋(ヴェスティ)は小さく、本当に小さく小馬鹿にしたように鼻で笑った。

 そのまま立ち上がり、薄暗い馬車を後にする。


 馬車の外はまだ昼すぎだ。

 解体屋(ヴェスティ)は、太陽の眩しさに目を細めた。


 今の状態では、何を言っても無駄である。

 隠匿を動かすには、火鬼猿(かえん)に協力してもらうのが一番なのだが、あの男が協力するとは到底思えない。むしろ、あの男は顔を見れば即殴りかかってくるだろう。


 つまり、別の弱みを探さなければならない。

 手っ取り早くやろうと思うのならば……やはり、(にえ)だ。

 美味しそうな(にえ)を前に、あの頑固じじいがどこまで耐えられるのか、見ものである。


 とりあえず今回の作戦は最低限のラインだが成功したので、明日にはここを出て聖王国に帰るとしよう。

 連合王国側には、隠匿は、騎士団によって(たお)されたと報告すればいい。


 懸念があるとすれば、それを聞いて火猿鬼(かえん)がどう出るかだが――まあ、面倒くさがりの火猿鬼(かえん)がわざわざ聖王国に乗り込んでくることはないだろう。

 そもそも火鬼猿(かえん)と隠匿は特殊な繋がりを持っていて、どんなに遠くにいようが存在を感じることができる、らしいのである。


「まあ、あの男が暴れなければ、なんでもいいんですけどね?」


 解体屋(ヴェスティ)がつぶやく。


 実際問題、それに尽きるのだ。

 火鬼猿(かえん)の戦闘能力は魔人(ドイル)の中でも、特に高い。

 近接戦闘では、横に並ぶものは片手で数えるほどになる。


 彼が聖王国に殴り込みに来た場合、民間人が多く犠牲になるだろう。

 それ自体はなんの問題もないのだが、それによって今回の一大イベントに遅れが出るのはいただけない。


「頼むからおとなしくしていてくださいよ?」


 自分のしたことを棚に上げつつ、解体屋(ヴェスティ)はそう言ってくすりと笑った。

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