一方その頃 2
「あ、エリオットさん!」
「うん?」
主都シマネシアに無事に荷馬車を送り届け、ギルドマスターのフィリンスと話をしてから数日が経った。まだ魔獣の被害は聞こえてはこないが、魔獣が空を飛んでいたという噂をよく耳にする。降りたところは目撃されていないし、街道沿いに出た魔獣とは別の個体だろう、とエリオットは考えていた。
この日エリオットはギルドの職員に呼び出され、傭兵ギルドのロビーで人を待っていた。
“バリュー・ワークス”のパーティーメンバーは魔獣に対処するために主都シマネシアに詰めてはいるが、街の周辺を警戒するのは軍部の仕事であり、傭兵には魔獣が確認されたときのみお呼びがかかるのだ。毎日体を動かして万一に備えているものの、起きている間中体を鍛え続けるという趣味はないエリオットはそこそこ暇を持て余していた。
「お呼びだてしてすみません。よく、来てくださいました。」
そう言いながらエリオットに駆け寄ってきたのは、傭兵ギルド直営の宿の受付で働いている、エリオットとは顔なじみの女性職員だった。
「え?呼び出したのは君?」
「……はい。」
困ったような顔の彼女に疑問符を浮かべながら、ロビーの奥に傭兵用に設えられた個室に案内される。
ここは、ギルド職員や依頼主と傭兵が相談をするスペースだ。秘密裏に行う仕事などは除き、討伐系の仕事や簡単な護衛などの話し合いはここで行われる。
そうしてエリオットが椅子に座るのを待って、女性職員は話を切り出した。
「実は……リネッタちゃんのことなんですが。」
「何?何か問題でも起こした?」
と、反射的にそう聞いてしまったのだが、すぐに、あの聡明そうな少女が問題を起こすだろうか、と、疑問が浮かぶ。そしてすぐに、なさそうだよなあと内心で否定した。
「いえ、彼女自身は、問題を起こしたわけでは……ある意味、問題ですけど……。」
「うん。」
「リネッタちゃん、宿を取った日の次の日から、宿に帰ってないみたいなんです。」
歯切れの悪い職員の口から続いて出てきたのは、そんな意外な言葉だった。
「それどころか、宿を取ったその日すら泊まっていないかもしれなくて。お金は食費は含めずなんですけど10日分ほどを先払いされているので、通常の傭兵ならば部屋をとっておくためや、荷物を置いておくため等と考えられるのですが……ランク未の女の子なので、心配で。リネッタちゃん、薬草を摘む仕事を探してたっていう情報もあって、しかも、夜に大通りを歩いてたっていう目撃情報もあって……」
「そうか。」
早口にまくし立てる職員に、エリオットはゆっくりと頷いてみせる。
「……詳しく聞かせてもらえるかい?」
そんなどっしりと構えたエリオットに、職員は少し顔を赤くして、「あ、すみません。」と小さくなった。
「……その、私、リネッタちゃんの宿の手配をした子と仲が良くて、可愛い子どもが宿に泊まることになったって聞いて、しかもそれがエリオットさんのご友人だって聞いて、会えるのを楽しみにしていたんです。私、リネッタちゃんが宿を取った次の日がちょうど勤務だったので、朝からずっと台帳管理をしながら宿の出入り口を見ていたんですが……リネッタちゃん、その日は夜まで部屋から出てこなくて。」
「うん、それで?」
「はい。まあ、子どもですし、旅の疲れが出たのかなって思って、その時は特に気にせずに家に帰って。でも、次の日の朝も、リネッタちゃん部屋から出てこなくて、さすがに心配になって、昼ごはんを持って、部屋まで様子を見に行ってみたんです。そしたら、」
「部屋にはいなかった、と。」
「そうなんです。荷物もなくて、それで、リネッタちゃんが宿を取った日に夜勤をしていた子に聞いてみたら、その日の夕食を食べた後は、部屋に戻ったのか外に出たのか見ていなかったって……。」
「それで、その日の夜に、大通りを歩いていたのは、誰かが見ていたんだ?」
「はい。何人かの方が見かけたようです。夜、出歩いている子どもは珍しいですから、記憶に残っていたみたいで。」
「つまり、その日から宿に帰っていない可能性が高い、と。で、えーと、薬草を摘む仕事を探していたっていうのは?」
「それは、Cランクのとある傭兵さんが、仕事一覧を眺めていたリネッタちゃんに話しかけたそうで、その時、薬草を摘む仕事はないのかとか、そういう話をしたそうです。その傭兵さんは、“今は魔人とか魔獣で危ないから、外の仕事はない”って言ったそうなんですけど……。」
「あー……たしかに、そんな話を、僕もされたことがあったなあ。」
馬車の護衛をしている時、リネッタは“薬草を摘む仕事はあるか”と聞いてきた。
まだ魔獣の問題が起きる前だったので、エリオットは、“この主都シマネシアなら、治安もそこそこいいし、そういう仕事もあるだろう”と答えた記憶がある。
「門番さんにも話を聞いたんですが、リネッタちゃんが門を通った事を誰も覚えていなかったので、街の中にはいると思うんですけど、それならなぜ宿に戻ってこないのか、心配で……。」
「そうだね、たしかにその通りだね。ありがとう、教えてくれて。」
「えっ?」
戸惑う女性職員に、エリオットは笑顔でしっかりと頷いた。
「あの子は、危ないことはちゃんと危ないってわかる子だから、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ。」
リネッタは普通ではないし。と、言いかけ、エリオットは慌てて口をつぐんだ。
たしかにあの少女は、“いい意味で”普通ではないが、さすがに口にだすのは、例え彼女の耳には絶対に入らないとしても失礼だろう。
困惑の色を濃くした職員の顔を、じっと見つめる。
この女性職員は、会ったこともない少女の事を本気で心配しているのだろう。それでなければ、他の職員や傭兵、門番などに聞き込みなんてするはずがない。
相手が傭兵やならず者の場合、情報料を請求されることもままある。傭兵の中にはそういう情報を売買して儲ける者もいるのだから。
本来ならこれは、迷子探しという“依頼”の扱いになるだろうし、女性職員もそうなるだろうと思っていたからこそ何も言い出さないエリオットに戸惑っているのだろうが、エリオットはこの件を依頼として扱うつもりはなかった。
ギルド直営の宿は、儲けを出すための施設ではない。そして、そこで働いている彼女の給料では“バリュー・ワークス”どころか、エリオット一人すら雇うことはできないだろう。
まあ、そもそもエリオットに迷子探しなどという仕事を、しかも傭兵ギルドの職員である彼女が依頼する事自体、ランクBの傭兵を軽視していると避難されてもおかしくない事なのだが。
もちろん、傭兵ギルドの職員である彼女もそれを分かってはいただろうが、幼い少女が行方不明になり、いてもたってもいられなくなったに違いない、とエリオットは思った。
リネッタは可愛らしい人形のような少女であり、しかも珍しい混色なのだ。奴隷商人や物好きな金持ちに目をつけられやすいだろう。
「ありがとう、エレナさん。僕も友人は大事にするほうだからね。僕は今のところ暇だから、僕も探してみるよ。」
「え、あの……。」
「うん?君は、僕の友人の行方が分からないって、僕に教えてくれたんだよね?」
「え、は、はい……。」
「それ以外に、何か話をしたかった?」
「あ、え、いえ……。」
「うんうん、じゃあ僕はリネッタが心配だから、もう行くよ。」
「えっ?あ、あのっ。」
「君の着ているそれ、制服だろ?そろそろ昼休憩も終わるだろうし、急いで戻ったほうがいいよ。」
「あっ――。」
何かいいたげな顔で引き止めるようにこちらに手を伸ばしかけた女性職員を残し、エリオットは早々に傭兵ギルドの建物から出た。
あれ以上あそこにいても得られる情報はない。
それに、彼女はがリネッタを探していることは周知の事実だろうし、会話が長引けば、彼女がエリオットにそのことを依頼しているのだろうと思われてしまうかもしれないからだ。
「それにしても、あの子が行方不明、ねえ。」
宿に向かう大通りを歩きながら、うーん、とひとりごちる。
彼女は、宿を探したいと言っていた。
だからこそ、主都シマネシアに着いたあの日、一緒に傭兵ギルドに行ったのだ。
確かにおかしい。
彼女はこの街にしばらくとどまるつもりだったのだ。
事実、10日ぶんの宿代を支払い済だという。
「ん?」
エリオットは、リネッタに対する小さな違和感に気がついて、足を止めた。
10日分の宿代。どこからそんなお金が出てきたのだろうか。
傭兵ギルド直営の宿はたしかに宿代も食事も安いが、それでもランク未の10才前後の少女がまとめてはらう、というのは違和感があった。ランク未の名ばかり傭兵たちは大抵はその日暮らしで、食事も宿のものよりもさらに安い古いパンや芋を買い、毎日をギリギリでしのぐものなのだ。
それを、10日ぶんも前払いした?
エリオットにとって銀貨5枚は大した消費ではないが、ランク未でまともに仕事にもありついていなかった少女にとってそれは、大金ではないだろうか。
違和感は、それだけだろうか。
エリオットは思い返す。
そもそも、10才前後の獣人の少女が歩いて一人旅をしている時点でおかしいのではないか?
主都シマネシアへ向かう街道でリネッタを拾ったあの日、リネッタは「一人旅の途中です。」と言っていた。
エリオットは最初、リネッタを見つけたすぐ前の町から主都シマネシアへ知人でも頼りにいくものだと思っていたのだ。歩いているこの少女には、乗合馬車に乗るお金すらないのだろうと。
しかし実際は、宿に泊まる充分なお金を持っていた。
そういえば「そろそろどこかに落ち着きたい。」と言っていたような気がする。
もし、彼女が周辺の街からではなく、もっと遠いところから旅をしていたとしたら?
街道は、大きな街と街をつなぐ、そこそこ整備された広い道だ。
街道沿いには小さな街がぽつぽつとあり、場所によっては人通りも多く、馬車が頻繁に行き交うようなところもある。
しかし、多くの人々が行き交っているからといって、そこが安全だというわけではない。
街道というのは――例え街のすぐそばだとしても、子どもや武力を持たない者にとっては、非常に危険である。
何より、道中には獣が出る。
夜行性の獣ばかりではないのだ。
ひとりきりで歩く幼いリネッタは格好の獲物だろう。
例え夜は宿に泊まるとしても――
いや、リネッタと出会ったあの日、エリオットらは野宿をする準備をしていた。しかしリネッタはそれを通り越そうとした。つまり、一人で野宿するつもりだったということだ。
獣避けの煙木でも持っていたのだろうか?
しかし、街道に出るのは獣だけではない。それが盗賊だ。
盗賊が奪うのは、何も金品だけではない。様々な目的のために、女子供を攫うことも多い。
少女がワンピース一枚でのんきに街道を歩いているのを見て襲わない盗賊はいないだろう。
思い返してみれば、リネッタの鞄から出てきた干し肉もだ。
商人が言っていた。
あの肉は、間違いなく赤羽鳥だったと。
赤羽鳥は、ランクBの傭兵であるエリオットすらなかなか口にすることができない高級品だ。
捕獲量が少ないので市場に出回ることがほぼないそれは、食べようと思うと専門にしている傭兵や狩人に依頼するか、自ら捕りに行かなければならない。
常に飛び続けている赤羽鳥を撃ち落とすのは手練の魔弓使いが適しているというが、魔弓使いは絶対数が少ない。エリオットはまだ2人しか見たことがなかった。
そんな入手が難しい赤羽鳥の肉、しかも絶品の干し肉をリネッタは惜しげもなく傭兵や商人に振る舞っていた。売れば相当な額になるはずなのに、手持ちの干し肉はその時に全て消費したと言っていた。
自分で干したと言っていたが、彼女は赤羽鳥の肉をどこで手に入れたというのだろうか。まさか、自分で狩ったわけじゃあないだろう。
そこまで考えて、ようやくエリオットはリネッタに対する“普通ではない”という自分の違和感の正体が、リネッタの異常性だということに気がついた。
例えば、リネッタが屈強なビスタの戦士ならば、分かる。
しかし彼女は、幼く、か弱い。
本人を前にしていると特にそんなことを思わなかったのだが、なぜ思わなかったのかと自分自身を問いただしたいほど、今思えば彼女は――異常だった。
「リネッタ、君は一体……」
どこにいるかも分からない、獣人の少女の名前をつぶやく。
見た目は本当にか弱そうな、可愛らしい獣人の子ども。
しかし、その行動は。中身は。
彼女は今、どこにいるのだろうか。
どこから探してみようか、と思いながら、エリオットは大通りの人混みにまぎれて歩きはじめた。




