解体屋のひとりごと
「ところであの魔獣はどこへ行ったんでしょうかねえ?」
鬱蒼とした森と大きな川の間を、首をかしげながら歩く。
先ほど射抜いた少女の死体だけでも回収できればいいか程度の考えで川下へと向かっているが、この川は比較的流れが早いので、その死体も遠くまで流されているかもしれない。
まあ、目的は魔獣なのでさほど問題はないのだが。
「見たこともない種類でしたが……。」
遠くに見えた、大きな翼をもつ魔獣。
相当な速度で飛行していた。あれは、遠い地からやってきたに違いない。
「はてさて、どこからやってきたのか。」
飛べる魔獣は、珍しい。
一定数いることはいるのだが、その生息域は人が住むには不適合すぎる場所が多く、目にする機会が少ないのだ。
魔獣が、基本的に産まれた自分の棲み処から遠くへ移動しないというのも、あまり見ない理由の一つに挙げられるだろう。飛べる魔獣の縄張りは広いが、魔獣の中でも強力な個体は山脈の奥深くなどで産まれるものなのだ。
ほかにも、そういった強力な魔獣は、被害を及ぼさない限り討伐隊が組まれることがないのも理由のひとつか。
まあ、産まれた場所がうっかり大きな街の近隣にある森や山だったりすると、当然、腹が減れば街も餌場に含まれるので、否が応でも見ることになるが。
例外としては、人が魔獣化した、半魔獣か。
アレにはそもそも縄張りというものがない。
相手が人だろうが格上の魔獣だろうが魔人だろうが、たぶん歴王だとしても関係なく襲い掛かり、破壊と殺戮を撒き散らしながら気の向くままに移動する。
幾度となく半魔獣を見てきたが、あれらは総じて生物が持つ根本的なところがごっそり抜け落ちている。生き残る、という意思が感じられないのだ。純粋に破壊衝動だけで存在しているのだろう。
私はあまり半魔獣は好きではなかった。
相手にするのも、手ごまにするのも――その醜い姿を見るだけでも。
半魔獣は、斃すと跡形もなく消える。いったい何がどうしてそうなるのかはわからないが、魔獣化の際に消費した魔核すら残らない。私は、基本的には、襲い掛かってこない限りは相手をしないことにしていた。
手ごまにするにしても、使用する魔核のランクが低いと半魔獣になったはいいが基本的な能力である刻印もどきすら取得できないものもいるのだ。まあ、本来、人の魔獣化は魔人化の失敗なので、半魔獣になることが確実と分かった時点で即処分するのが一般的なのだが。
何より私が半魔獣を好きになれない理由は、自らも魔人化に失敗したらああなっていたのかと、半魔獣を見るたびにぞっとするからだった。
自分の使った核はSランクのものだったが、核の持ち主であった魔獣は醜い毒蛇草【ホズベイン】だった。
あれは、美しくない。
本来は比較的珍しくない、大きくても高さ3メートルほどの植物の魔獣なのだが、【ホズベイン】は10メートルはあろうかという巨体で、その太い体にはびっしりと触手が生え獲物を探すようにうごめいていた。
1キロ先ですら感じることのできる強烈な腐臭にはわずかに毒性があり、弱っているものはその幻覚に囚われ、なすすべなく餌になる。
触手の先から噴出する幻覚毒と麻痺毒、さらには腐敗毒を巧みに使い、傭兵を次々と屠っていたネームド魔獣。それが毒蛇草【ホズベイン】だった。
そして、その魔獣の核で魔人化の儀式を行った私も、失敗すれば醜い半魔獣に成り下がっていたかもしれないのだ。今思えばなぜその魔核を使ったのかわからないが、そのおかげで毒という刻印を手に入れられたので、結果的には良い判断だった、のだろう。
私の毒という刻印は、なかなか便利だ。
毒は、なにも苦しめたり殺したりするだけではない。
残念ながら薬にはならないが――使い方によっては、魔獣を操ることができる、ということに気づいたのは実はつい最近だった。
色々と試した結果、完全に操ることはできなかったが、思考を麻痺させる類の毒で半催眠にすることによりある程度……例えば、明確に「あいつを殺せ」という命令には従う程度にはできた。
催眠中は思考が停止しているので攻撃手段は単調になるが、そこは腐っても魔獣であり、歩兵として、そして肉壁としては申し分がなかった。
難点としては、食事などの維持費が相当かかるというところだろうか。まあ、そこらへんの肉を与えていればいいので、適当に村を襲わせれば問題ないのだが。
――確かに火鬼猿のいた場所あたりに、降りたはずなのだ。
飛行する魔獣は珍しい。そして、強力な個体が多い。
飛行する魔獣といえば、数年前にこの連合王国に現れた大口蛇竜が記憶に新しいが、あれはすぐに討伐されてしまっていたのでそれとは違う魔獣だろう。しかし姿かたちが似通っていたので、もう一匹現れたという可能性もある。
自然発生する魔獣につがいという概念があるのかは知らないが、同じ種類や系統の魔獣が群れることはままあるので、もしかしたら数年前の大口蛇竜が群れからはぐれた個体で、今回も同じ群れからはぐれた個体という可能性もあるかもしれない。
飛んでいる魔獣相手に、自分一人で対処できるかはわからないが、もしできることならば、持ち帰りたいと思った。
川下へ向かって、歩く。
火鬼猿は獣人の追撃から逃げることができただろうか。
あのいつも余裕ぶっている火鬼猿が、たかだか獣人の傭兵ごときに追い回されるのは見ていて面白かった。
本心を言えば、火鬼猿には獣人の傭兵どもと戦ってほしかった。
火鬼猿が本気を出せば、霊獣化している獣人の傭兵ら(と、人の魔法剣士どもを合わせた混合パーティー)とはいい勝負になっただろう。まあそれも最初だけで、最終的には火鬼猿の勝ちになるだろうが。
あいつは、ランクの高い傭兵が束になろうが、勝つ。それだけは、断言できた。
しかし、あいつは戦うことを面倒くさがって逃げた。
パワーファイターにも拘わらず、好戦的ではないのだ。
よくつるんでいる隠匿の影響が強いのもあるだろう。あのじいさんは火鬼猿を甘やかしすぎている。
まあ、今回はその隠匿と引き剥がすことが目的だったので、火鬼猿が逃げようが応戦しようが、すでに目的は達していた。
魔人討伐騎士団の主力メンバーが隠匿を追っているので、すぐに合流することは難しいだろう。欲を言えば隠匿を捕らえ今回の作戦に組み込ませることができればいいのだが、正直、あのじいさんを捕まえても協力してくれるかどうかは怪しいところだった。何せ、雇い主は歴王排出国である聖アリダイル王国なのだから。
3時間ほど川下へと向かったが、結局魔獣も少女も見つけることができなかった。
少女の体にも射抜いた矢じりにも毒は残っていないが、さすがに子供の死体が見つかると面倒なことになる、と探していたが、これだけ現場から離れていれば傭兵どもに見つかることもないだろう。
そのうち血の匂いに誘われて野獣が集まり、死体をきれいさっぱり消してくれるはずだ。
私は、川上に行けばよかったのだろうかと多少後悔しながらその場を後にした。




