魔人のうわさ
宿を紹介してもらった私は紹介状を鞄にしまい、それから傭兵ギルドの掲示板へと向かった。
掲示板には、ランクごとに受けられる仕事の一覧がずらりと貼り付けられている。その中でランク未でも受けられる仕事を探すと、庭の草むしりや荷物運びなど、以前ヨルモがやっていたような体力勝負の雑用の仕事がいくつかあった。
宿の紹介状を書いてもらっている間、ギルドの職員に仕事を受けたいと告げると、驚きつつも、獣人だからと断られることはまずないですよ、とお墨付きをもらえた。
しかし、私はできれば街の外に出るような仕事がしたかったのだが、なぜかそういったものは一切なかった。確かエリオットは、町の外での薬草摘みの仕事もあると言っていたはずなのだが……。
「薬草は間に合ってるのかしら……。」
首をひねって、思わずそうつぶやく。
すると、すぐ後ろに立っていた男が「町の外は、魔人やら魔獣やらで危ないぞ。」と声をかけてきた。
「魔人?」
振り返ると、見ればそれは中肉中背の、背中に大剣を背負った傭兵の男だった。黒い短髪で、頬に古い切り傷がある。少しつり上がった目は、睨めば怖そうだが、今は特に興味なさげに細められていた。
「知らなかったのか?今、この隣の小国で魔人の討伐作戦やってんだ。」
「ええ、今日、この街についたばかりなの。……です。街道は獣も出ず、とても平和だったので、この街も平和なのだと思っていました。」
「ふーん?まあ、今は、子供は外に出ると危ないってことだ。」
「そうなんですね、気をつけます。……魔人がどのあたりに出たのか、ご存知ですか?」
「よその国の騎士とこの国の傭兵が、主都マウンズあたりまで追い詰めてるって話だが……なんせ相手は火鬼猿だって話だ。一筋縄じゃいかねえだろうなあ。まあ、万年Cランクの俺や、そもそもランク外のお前には一生関わることのない名前だよ。」
「火鬼猿……。主都、マウンズ。そう、ありがとう。」
私は、ただでさえ忘れっぽい頭に、しっかりと名前を記憶する。
火鬼猿という名前の魔人。
ぜひ討伐される前に、刻印というものを見てみたい。
私は、教えてくれた傭兵に主都マウンズの方向だけを聞いて、あとは礼を言ってその場を離れた。
今日はこのまま宿で仮眠をしたら、そのまま主都マウンズに向かおう。
討伐されてしまっていたらしょうがないと諦めるが、討伐されるまでは探してみる価値はあると思った。宿は先にお金を払っておけば何日か居なくても、怪しまれはするだろうが、問題はないはずだ。
傭兵ギルドで紹介された宿は、傭兵ギルドにほど近い場所にあった。
傭兵ギルド直営だというこの宿は、ランクや状況によって金額や部屋の大きさが変わるという特殊な形態をしている。
私の場合は、素泊まり1泊がなんと銅貨5枚。王都で食べた肉串と同じような値段だ。
もちろん部屋は酷く狭く、床の半分以上がベッドに占領されているので、本当に寝るためだけの部屋なのだが、私の荷物は革の肩掛けカバン一つだし、銅貨5枚で安全で暖かで柔らかい寝る場所を提供してもらえるというのはありがたいと思った。
そこそこ快適な野宿だが、地面はどんなに草を敷いてもかたいのだ。
私はあてがわれた宿の部屋のベッドの上で、被っていたマントと革鞄を床にポイすると、そのまま横になった。
特に疲れているわけでもないが、夕飯にはまだしばらく時間がある。かといって、街を観光する気にはならなかった。
まだお金に困っているわけでもないし、ランク未でも受けられるとはいっても、10才前後の少女に庭の草むしりや荷物運びをさせてくれるとも思えない。つまり、仕事は無いに等しい。
主都マウンズにはもう少し暗くなってから行くとして、これから何をしようか。
私はそんなことをぼんやり考えはじめ――気づいたら夜になっていた。
どうやら、眠ってしまったようだ。
小さな小さな窓から外を見れば、宿の前は人通りが多い。
まだ寝静まるような時間ではないことにほっとしながら、私はぐうと鳴くお腹をなでてから鞄にマントを詰め込み、部屋を出て宿の一階に続く階段へと向かう。
いい匂いの充満する中、階段をゆっくり降りて食堂に入ると、この宿に泊まっているのだろう傭兵らが思い思いの料理を酒と一緒に楽しんでいた。
私は一人でテーブルを占領するのもなと思い、カウンター席を選ぶ。
カウンター席の椅子は、テーブル席の椅子よりも高いので、半ばよじ登るように座って一息ついた。
小さいというのはこういうところで不便だと思う。
「いらっしゃいませっ。」
席に座るなり声をかけてきたのは、若い給仕だった。
15、6才くらいの少女だ。白いエプロンには小さく、可愛らしくデフォルメされた一本角の牛(?)の刺繡が施されている。
「パンと、なんでもいいのでスープを下さい。」
「はーい!」
少女は元気よく返事をし、厨房へと入っていった。
これを食べたら街の外に出て、主都……なんだっけ、魔人討伐に傭兵が集まっているという街に向かおう。本当は夜中がよかったが、この街は大きいだけあって街の周りには塀があるのだ。夜中は門が閉じられているだろう。
移動手段としてはなんでもいいが、乗り心地を考えず早いということだけを見れば、翼竜、だろうか。
翼竜は手の代わりに翼が生えている、ドラゴンに似たトカゲだ。騎竜とも呼ばれ、卵から育てて調教すれば空を飛ぶ移動手段になる。
とはいえ、本体はあまり賢くなく、よっぽどしっかり調教していないと、餌を見るとそっちに向かうわ野生の翼竜を見ると威嚇して動かなくなるわで、大変らしい。
調教も大変で食費もかかり、なおかつ目的地に行くためには騎手を必要とする。ということは自然と利用料も高くなるわけで、一般的な移動手段に使うことはない。あくまで、選択肢の一つというだけだ。
そんな翼竜を使うのは、竜騎士と呼ばれる空飛ぶ騎士たちである。
彼らは、幼生の頃から餌を与え躾をし戦うことに慣れさせることで、翼竜を手足のように乗りこなす。
翼竜は亜竜なので、ブレス攻撃はない。足のかぎ爪と牙だけだ。竜騎士は自らと翼竜に強化魔法を使い、空を飛ぶ魔獣と空中で戦うのである。
……と言えば聞こえはいいが、実は彼らの仕事は空飛ぶ魔獣を地上に落とすことだったりする。
空を飛ぶ相手にあわせて空で戦う必要はないし、翼竜を乗りこなすには長い時間がかかるので、竜騎士を目指す者は多いが竜騎士になれる者はその中のごく一部だけなのだ。
そんな翼竜だが、召喚獣としての翼竜も、基本的に乗ることはない。
翼竜に乗るのは、緊急時だけだ。いわゆる最後の手段というやつである。
翼に魔法をかけて飛ぶドラゴンと違って、自力で飛ぶ翼竜の乗り心地はあまり良くないし、竜騎士でさえ体のどこかを紐か何かで翼竜に括りつけておかないと振り落とされる。
しかし、人を乗せて飛べる召喚獣といえば、鳥系は難しいので、翼竜かドラゴンくらいしかない。ドラゴンを召喚するには長い詠唱時間がかかる。ということで、消去法で翼竜に乗るか、となるのだ。
……実は、私はこの世界に来てから様々な召喚を使っているが、そもそも私の元居た世界では召喚はサブ魔法である。召喚魔法使い、というくくりはない。
私も元居た世界にいた時には召喚なんてまず使っていなかった。
もちろん、すべての魔法を覚えるために召喚獣は大体網羅している。しかし、私の元居た世界では移動のときに足に使ったりするくらいしか召喚獣を使う機会はなかったのだ。
他の魔法使いもそうだろうと思う。
なぜならば、戦闘中に召喚に使う魔力と時間があるなら詠唱魔法を使ったほうが早いし強いから。
私の元居た世界での召喚獣は、馬の代わりに使ったり走り鼠のように先の見えない場所に潜らせてあたりをうかがったり、そういう使い方をするもので、戦闘に使うものではないのだ。
もしかしたら私が知らないだけで、色々と利用価値があるのかもしれないが。
ほどなくして運ばれてきたパンを、暖かいスープに浸して食べる。
なんだかんだで、久しぶりに宿でご飯を食べた気がする。温かいご飯はいいなあとしみじみ思う。
野宿をしているときももちろん暖かい食事をするようにはしているが、一人で食べるよりも周囲に誰かがいるほうがなんとなくおいしい気もする。基本的になんでもおいしく食べられるので、本当に、なんとなく程度なのだが。
そういえば、孤児院では温かいスープはあまり出なかった。
ばっさばさのパンのサンドイッチと、あとは水。
あの水が、ちょっと味気のない程度のあたたかなスープになると、ぐっといいだろうに。
まあ、ロマリアが干し花を売る気になったら、それくらいは稼げるのではないだろうか。干し花はいつ売っても売り切れたし、お得意様だっていたのだ。まあ、食事以外にもお金を回さなければならないところはたくさんあるだろうけれど。
食事を終えて、ぱたぱたと走り回る給仕の少女を呼び止め、代金を払う。
一泊銅貨5枚の宿で、パンとスープは銅貨3枚。破格だ。
まあ、ランクが高い傭兵の部屋代はもっと高いし、ご飯代も相応に高くなるので、それで釣り合いを取っているのだろう。ランク未の名ばかり傭兵にはありがたい話だった。まあ、私はお金には困ってないんだけど。
そのまま宿を出て、街の外に向かう。
歴王の国の王都ほど大きくないとはいっても、ここはシマネシアの元王都であり、そこそこの広さがある。頑張って歩いて、ぎりぎり閉門の時間に間に合うかどうかだろうか。
結局、私は翼竜で空を飛んでいこうと決めた。
夜だし、空の高いところを飛べばきっと誰にも見つからないだろう。昼間に街の上空を飛んだらちょっとくらい話題になるかもしれないがそこに誰かが乗っているなんて誰も気づかないはずだ。
たったかと人通りの多い大通りを歩く。
ここから、なんとかという主都に行くには、街道を北へ向かわなければならないらしい。
山を迂回するような街道で、荷馬車で20日、馬で7日かかるそうなので、翼竜で空を突っ切っていけば1日半くらいで着くだろう。
たぶん、明後日の朝あたりには魔人のいるらしい主都の近郊につけるはずだ。日が昇るとワイバーンは目立つので、さすがに夜明け前に降りなくてはならないが。
この時間に街の外へ出る者はいないのか、街壁の周囲にはまばらにしか人影がなかった。
門番に呼び止められても面倒なので、私は路地で素早く肩掛けカバンから隠遁のローブを引っ張り出して羽織り、魔法陣を発動させる。
このローブは本当に便利だ。本当に持ってきてよかったと思う。
あの太った貴族のおっさんに感謝しながら、私は誰にも気づかれることなく堂々と門から街道へと繰り出したのだった。
そうして私は意気揚々と空の旅に出たのだが――
ヒュゴオオオ……
「…………。」
ゴオオオオオ……
「…………。」
かぜがつよい。
すごくさむい。
街を出発してから、1日と少し。
主都シマネシアを出た夜、空が白んできた辺りに一旦休憩して食事をとった私は、こうして再び翼竜に乗って空を飛んでいる。
私は、前をきつく閉めた隠匿のマントの裾をバッタバタとはためかせて、翼竜の首にしがみついていた。
昔翼竜に乗ろうとしたときは、召喚したのが街中で、すぐに大騒ぎになって怒られて乗れなかったのだが、実際に乗ってみるとこんなに大変だったとは。
話には聞いていたのだが、たしかにロープで翼竜の首の付け根と腰を括りつけておかないと、これは、落ちる。
ヒョゴオオオ……
真っ暗闇の上雲を突き抜けたり振り落とされそうになったりするので下を見る余裕はないが、雲の流れるスピードからしてかなりの速さで目的地に向かっているようだ。
さすがにずっとこれだと疲れる。そろそろ休憩がしたいと思っていると、空が白んできたことに気づいた。そろそろ朝か。
私は翼竜をその場でホバリングさせて下をのぞいた。
うっそうとした森の中を幅の広い川が流れている。川の両端は森が開けていて河原もあるし、そこに降りることにしよう。
指示を受けた翼竜は、ゆっくりと下降して大地に降り立った。
私はぴょんと河原に飛び降り腰のロープをほどくと、すぐに翼竜の召喚を解除した。
それから、両手を伸ばしてその場で伸びをする。
空を飛びながら、あ、これ無理だ、って気づいてからずっと身体強化の付与をかけていたが、それでも慣れない体勢だったからか体のあちこちが固くなっている気がする。
あと、おなかもすいた。
ちょうど川もあるし、新鮮な魚でも焼いて食べて一息つこう。
そう思い、朝日を浴びながら川で顔を洗い、冷たい水を飲む。
周囲を見回せば、大きな岩が川の中にごろごろしているので、足をぬらさないようにぴょんぴょん跳ねて大岩まで近づき、よじ登った。
流れは早いが、岩の陰にはちらほら銀にきらめくおいしそうな魚が見えるし、ちょっと川をびりっとさせるだけで結構な魚が取れるのではないだろうか。いや、取れすぎても処理に困るし、もうちょっと狭い範囲で魚が取れるように、土をせり上げる魔法で川の一部を囲ってもいいかもしれない。
大岩の上でどうしようかと考えていると、ふわりと魔素のうねりを感じ、私は森のほうへと視線を向けた。
そこいたのは、困ったような顔でこちらを見る、燃えるような髪色の男だった。




