魔獣の影(?)
「そうですか、この街には近づいてこなかったと。」
「はい。街に入るときには完全に魔獣の気配は消えていた、とポナが言っていました。アウラニの街に走らせた獣人もそういう気配に敏いラビアナを送っています。」
「アウラニの街のギルドからはもう連絡が来ていますよ。ラビアナさんは、馬車から離れるにつれて気配が薄くなったとおっしゃっているみたいですから、どちらかといえばこちらの街に近い所にいるのかもしれません。あ、ラビアナさんは向こうのギルドに残ってくださるそうで。ありがとうございます、助かります。」
「いえ、僕達のパーティーが抜けたぶん、アウラニの街は戦力が不足していますから。……ポナが言うには、魔獣はしばらくは馬車についてきていたようなのですが、しばらく走っていると気配が薄れて、そのうち完全に途絶えたそうです。……そうですね、この街から馬車で4日、あたりのところだと思います。もうその場所から移動しているとは思いますが。」
「やはり、魔獣、なんでしょうかね。」
主都シマネシアの傭兵ギルド、その2階にいくつか設えてある会議室の中の一番狭い部屋のなかで、シマネシア小国の傭兵ギルドを束ねるギルドマスター・フィリンスと、シマネシア小国を中心に連合王国アトラドフで活躍する“バリュー・ワークス”のパーティーリーダー・エリオットが、ソファに座って話している。
フィリンスは悩んでいた。
シマネシアの傭兵ギルドを拠点にしている高ランクの傭兵パーティーは、現在、魔人討伐の為に隣の小国の主都マウンズに集まっているのだ。そこに突如落ちてきた、魔獣の影。
主都シマネシアの周辺の地域で今動けるのは、“バリュー・ワークス”とあともう数パーティーしかない。今回、アウラニの街に滞在してもらっていたエリオットが商隊の護衛を受けたのは、本当に例外の中の例外だった。
もし今、魔獣がアウラニの街に現れたらと考えると、ぞっとする。
まあ、運んでいるモノがモノだったので、どうしても信用のおける高ランクの傭兵でなければならなかったのも事実なのだが。
「――そういえば。」
と、フィリンスはふと気になっていたことを口にした。
「盗賊の類いは大丈夫でしたか?」
「はい。魔獣の気配の事を除けば、かなり……そうですね、報酬が半分になってもしょうがないくらいは、何もなかったですね。何を運んでいるかは、僕も聞いていませんでしたけど……そうそう、結局最後まで教えてもらえなかったんですよね。」
エリオットが、積荷の中身を教えてくれるのだろうかと瞳に期待の色を載せてフィリンスを見るので、フィリンスは思わず吹き出してしまった。
「ふ、ふ。そうですね、気になりますよね。もう積荷は城ですし、確かめようもないですからね。……商隊の隊長を務めていたルーフレッドですが、彼はかの大商人アージャルの後継者と名高いブラウン・トイルーフの弟で、ルーフレッド・トイルーフといいます。トイルーフ家といえば――」
「――魔道具、ですか。」
エリオットが、なるほど、と頷く。
魔道具は、消耗品である発火の魔法陣板から繰り返し使える治癒の魔法陣布まで様々な種類があり、その質もピンからキリまである。
その中でも、特に鍛冶屋と共同で制作される武器や防具は高級品だ。
そういったものを運ぶのなら、あの報酬でも、出しすぎだとは思うがまあ納得できる。
――魔道具を扱う店の中でも、トイルーフ家は最近めきめきと名を上げているとエリオットは知っていた。
なぜなら、エリオットが今携えている魔剣も、トイルーフの本店で買ったからだ。
エリオットがそんなことを考えていると、フィリンスは信じられない言葉を続けた。
「魔道具の他には2級と3級の魔素クリスタルと、最上級回復薬、そして、貴族が所有しているいくつかの国外持ち出し禁止の魔法陣ですね。実はあの商団、アウラニの街まではずっと“ルマール・スキャッター”が護衛をしていたんですよ。」
「なっ……。」
エリオットは告げられた内容に思わず息をつまらせた。
「“ルマール・スキャッター”はアウラニの街から主都マウンズに向かってしまったので、アウラニの街からの護衛をどうするのか本当に困っていたんです。ですから、“バリュー・ワークス”さんには本当に感謝しています。」
エリオットは、なぜあんなにも報酬がよかったのか、なぜあんなにも商人ギルドがランクの高い傭兵を雇うのに必死になっていたのか、今になってようやく理解できた。
積荷を考えれば、あの報酬は妥当だ。
本来は、出自すらわからない者が多い傭兵やなんかに頼むような仕事ではないのだ。
2級の魔素クリスタルは市場に出回らない超高級品で、その金額は3級の魔素クリスタルとは桁がふたつほど違う。これだけでも十分危険な仕事なのに、よりにもよって持ち出し禁止指定の魔法陣まであったとは。エリオットは自分たちのお気楽道中に頭を抱えたくなった。
ずっと一緒だった商人たちもニコニコと気楽なふうを装っていたのだ。中身を考えれば、あんなほわほわなんてできないはずだ。……まさか、運んでいた商人たちはああ見えてプロの護衛だったのだろうか?そう言われても何らおかしいとは思えなかった。
“ルマール・スキャッター”が護衛をしていたというのも頷ける。
“ルマール・スキャッター”は、連合王国アトラドフきっての高ランクパーティーだ。
連合王国アトラドフを拠点とするAランクの傭兵は8人しかいない。そのうちの2人が“ルマール・スキャッター”に所属しているのだ。残りの3人もBランクの傭兵で、少数精鋭のそのパーティーは周辺諸国にもその名を轟かせている。
傭兵ランクは、Cまでなら仕事を受けていればそのうちなれる。Bランクになるには一定の魔獣討伐などの実績が必要とされるが、なれないわけではない。
しかし、AランクとBランクの間には高い壁が存在する。
各国の王国貴族や商人ギルドが協賛している、傭兵ギルド主催の武闘大会での優勝もしくは準優勝、という、高い高い壁だ。
その武闘大会は年に1度、各国の持ち回りで毎回違う国の王都などで開催される。
それ以外にも、王から直接褒章を賜わるような活躍をした傭兵に送られることもあるが、それは非常に稀なことだった。
その高い壁を超えた傭兵が2人も在籍している“ルマール・スキャッター”は、名実ともに連合王国アトラドフの傭兵を代表するような存在だ。
ちなみにその2人は、数年前に開催された連合王国アトラドフでの武道大会の優勝者と、準優勝者である。
「本当に、何がどうなって、あんなに平和だったんだ……?」
エリオットが頭を抱えてたまらず呻く。それを見ていたフィリンスも、「そうなんですよね。」と、首を傾げながら口を開いた。
「“ルマール・スキャッター”が護衛をしているときは、ちらほら盗賊が出ていたみたいなんですよ。“ルマール・スキャッター”という名前は知っていても、彼らの顔を知る人はあまりいませんし、護衛する者の名前は極力伏せるようにしましたから。」
「……僕達の運がよかった、ではちょっと説明がつきません、ね。」
「アウラニの街からこの主都シマネシアまでは街道は一本しかありませんしね。
それまで盗賊を蹴散らしていた謎の強い護衛が商隊から離れ、街道の両脇は森。言っちゃあ悪いですが、狙い時のはずなんですよ。だから、私はこうも考えてるんです。あなた方が感じた魔獣の気配、あれは、本来、あなた方を狙うはずだった魔獣なのではないかと。」
「ああ……。盗賊がだめなら、魔獣を、と。でも、魔獣を操ることなんてできるのでしょうか。」
「襲うように仕向けることはできるでしょうね。積荷がどうなるかは分かりませんが。まあ、それが分かったらいいんですが、何せ、今はまだ何もわかりませんから、ただの想像の範疇なんですが。」
そこでフィリンスは言葉をきり、エリオットと一緒に何とも言えない苦笑いを浮かべた。
「まあ、運んでいただいた物資は無事でしたし、この件……盗賊が出なかったということはもう考えないようにしましょう。あ、今回の物資輸送ですが、何一つの欠けなくできたという功績は、実はとても大きいんですよ。メインで護衛をしていた“ルマール・スキャッター”もですが、もちろん護衛を引き継いだ“バリュー・ワークス”もです。
主都マウンズ周辺に追い詰めているらしい魔人ですが、逃げられた場合、こっちに逃げて来ないとも限りません。手負いの獣ほど恐ろしいものはありませんから、こちらとしても被害が少なく済むよう準備をしていたんです。運んでいたのはそのための予備物資だったんですよ。
まあ、魔人討伐にかけては右に出るものはいないと自負しているアリダイルの聖騎士が出張っているわけですから、この件は何かしら動きがあってからでもいいでしょう。それよりも、今は目先の、魔獣の話をしますね。」
こほん、とフィリンスが咳払いして仕切り直し、エリオットは神妙に頷いた。
「魔獣が現在どこにいるか分からない上に、通常、魔獣討伐の主力となる傭兵たちは不在ですから、私たちはいつ魔獣に襲われてもいいように、軍部と連携して街の周辺を警戒をすることになります。これは、国からギルドへの正式な仕事ということになりますが――魔獣が現れなかった場合は報酬は出せないそうです。
獣人の方々が感じた魔獣の気配はほぼ間違いないでしょうが、実物を見ていない上に実害もないですから、そこはしょうがないですね。もちろん魔獣を討伐すればたっぷりと報奨金が出ますから、そこは安心してください。
魔獣の知らせを聞いたその日のうちに軍部に顔を出して、周辺の街々にも魔獣が徘徊しているかもしれないと警戒を呼びかけてもらっていますし、もうほかの街でも警戒は始まっています。商人にも、できるだけ街を移動しないよう呼びかけています。まあ、魔人関連ですでに街は警戒態勢でしたし、兵も各街に散らばっていますから、特に混乱もなく体勢が整うでしょう。」
「そうですか、よかった。」
「それでですね、エリオットさんはしばらくこの街に滞在していただきたいのですが……。」
「もちろんそのつもりです。魔獣が本当にあの積荷を狙っているのだとしたら、この街が襲われるという可能性もありますから。」
「すみません、よろしくお願いします。」
「お互い様ですから。」
エリオットがそう笑うと、ほっと胸をなでおろして、フィリンスがソファの背もたれに深く背を預けた。
フィリンスとしては、報酬も確約できないのにBランクの傭兵パーティーを街に留め置くというのはギルドマスターとしていかがなものかと考えていた。しかし、エリオットはこの頼みを断らないだろうとも考えていた。
魔人対策にアウラニの街にしばらく滞在して欲しいと頼んだ時も、この男は二つ返事で頷いたのだ。
傭兵にしてはお人好しなエリオットとその仲間たちは、フィリンスの中で確実に株を上げつつあった。




