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隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
森の国のリネッタ
102/298

エリオット

 ――急に、背中に怖気(おぞけ)が走った。


 エリオットは泡立つ肌を何とか鎮めようと腕をさすりながら、それでも顔には出さないように気を付けつつ静かに周囲を見ると、思い思いの場所で休んでいたパーティーメンバーたちのうち何人かが立ち上がり、怪訝(けげん)な顔で辺りをうかがっていた。木に繋いでいる馬も怯えている。気づいていないのは、商人と、パーティーメンバーのうちのCランクの者ばかりだ。



 エリオットは今、とある商隊の護衛をしている。



 これは傭兵ギルドから、エリオットがリーダーを務めるパーティー“バリュー・ワークス”に、指名という形で入った仕事だ。報酬は相場よりわずかに良いくらいだが、宿代・食事代は雇い主がすべて賄うというなかなかない待遇だった。つまり、それだけ危ない仕事だということだった。


 パーティーメンバーと話し合った結果この仕事を受けることにしたが、それは、その街に滞在していた高ランクパーティーが“バリュー・ワークス”しかおらず、なおかつ商人ギルドの強い要望もあってのことだ。


 そんなこんなで緊張感をもって始まった仕事だったが――エリオットもパーティーメンバーも、道中のあまりの平和さに拍子抜けしていた。


 盗賊の噂は聞くものの、まったく出くわすことがないのだ。

 商人頭であるルーフレッドは「バリュー・ワークスさんたちがいるから襲いたくとも襲えないのでしょう。」とは言ってくれるものの、エリオットは少し焦っていた。もちろん何もないほうがいいに決まっているのだが、それにしたってぞろぞろ9人も無駄飯食らいがいるのはまずいのではないか、と。


 そもそもエリオット以下Bランクの傭兵を5人も擁する“バリュー・ワークス”は魔獣討伐をメインに請け負うようなパーティーであり、エリオットも自分たちが雇われたのは、何かしら大きな問題が起きるという前提だと思っていたのだ。しかし道中は至って平和で、パーティーメンバーたちは馬に乗ってまったりと散歩をしているようなものだった。


 3日目の夜、森の開けた所で野営した時に十数匹のホーンウルフが襲い掛かってきたものの、エリオットらは何かしらが襲ってきたことにようやく仕事ができたと安堵した。魔獣とは程遠いものの、敵の数が多かったので程よく体が温まる程度には動いたし、商人どころか商品にも近づかせず、大いに感謝されたのだ。

 護衛の仕事はこんなもんでいいのか、と、“バリュー・ワークス”の面々は内心苦笑いものだった。

 

 その緩み切ったところに、この禍々しい、気配。


 エリオットは、剣の柄に手をやっていた仲間を視線で制し、それから森のほうへと視線を向けた。

 気が緩んでいて魔獣の接近に気づかなかったのだろうか、とも思ったが、パーティーメンバーには気配に敏い獣人(ビスタ)も何人かいるので、さすがにそれはないと思いなおす。


 それより、先ほど用を足しに森へ入っていったリネッタが心配だった。心なしか帰りが遅い気がする。

 探しに行くべきか。そう考え、パーティーメンバーを集めた。


「何、何、何か怖いんだけど。」


 小声でBランクの傭兵である獣人(ビスタ)のポナが、愛用の魔獣の皮で作られたグローブを抱いて不安げに口を開く。魔獣討伐では最前線をはる彼女が開口一番に怖いと言う。つまり、彼女の苦手な不死系の魔獣なのかもしれない。

 獣人(ビスタ)の感覚は(ヒュマ)よりも鋭い。彼女の“恐れ”は、外れることのほうが少ないのだ。


「一個前の街には、魔獣の情報なんて出てなかったよね?」

「噂の(ヒュマ)の魔獣化がこの国でも出始めたのか?」

「ああ、例の。裏で魔人(ドイル)が動いているらしいな。」


 次々にパーティーメンバーからこぼれる言葉に、エリオットは「憶測は後だ。」と制した。


「馬は気づいてはいるが、逃げ出す気配はないし、魔獣自体は遠いのかもしれない。僕たちにできることは変に手を出さずに、できるだけこの場から離れて向こうの街のギルドで報告することだよ。リネッタちゃんが戻ってきたらすぐに出発できるよう、僕はルーフレッドさんに言ってくる。それまでにリネッタちゃんが帰ってこなかったら、探しに行こう。」


 その言葉に、パーティーメンバーの面々はしっかりと頷く。

 エリオットは満足そうに頷き返し、手持ち無沙汰に他の商人と話しているルーフレッドへと向かった。


「ルーフレッドさん。」

「はい?」


 ルーフレッドはすぐに会話をやめ、エリオットに顔を向けた。エリオットの真剣な顔に、何かを察したように話していた商人から自然と離れ、エリオットのほうへと近寄った。


「なんでしょう。」

「悪い予感がします。馬も落ち着きがない。できるだけここから離れたほうがいいでしょう。リネッタが戻ってき次第、すぐにでも。」

「ふむ、悪い予感、ですか。確かに――」


 ルーフレッドはちらりと馬のほうに視線を向け、すぐに視線をエリオットに戻した。


「馬の様子がおかしいとは思っていたのですが、そうですか。あなた方も何かを感じていらっしゃるんですね?」

「はい。最悪、魔獣が出現した可能性もあります。これはそういった類の気配です。申し訳ないのですが、パーティーメンバーのうち、一人は元の街に、もう一人は行き先の街に走らせてこのことを傭兵ギルドに報告させてもらえないでしょうか。」

「……そうですね、わかりました。何かあってからでは遅いですからね。」


 微笑み頷くルーフレッドに、エリオットは、優秀な雇い主で助かったと思った。依頼料は半分前払いと金払いも良く、支払いを難癖つけて渋るそこら辺のがめつい商人とは全く違う。まあ、だからこそ、護衛なんていう仕事でも受けたのだが。

 リネッタを拾った時も驚いたが――ああ、その事も言わなければ。と、「それと、」とエリオットが話を続けようと口を開いたとき、「……ルーフレッドさん、エリオットさん。」と、鈴を転がしたような少女特有の可憐な声が聞こえ、2人はそろって声のしたほうへと視線を向けた。


「お待たせしました。」


 森から戻ってきたリネッタだった。

 ぺこりと頭を下げ、「馬車を止めてしまってごめんなさい。」と続ける。


「いやいや、そこまで急ぐ旅ではありませんから。」


 ルーフレッドは朗らかに答え、あとは何も言わず、視線だけでエリオットと頷き合った。

 余計な会話はもう必要ない、できるだけ早く出発しよう、と。


「さあ、出発しましょう!街はまだまだ先ですよ!」


 パンパンと手を打ちながらルーフレッドはそう言って商人たちを促し、自らも一台目の馬車に乗り込んだ。リネッタも、ぽてぽてと走って行き二台目の馬車の一番後ろに座る。

 エリオットら“バリュー・ワークス”のメンバーたちも馬に乗り、各々、指示された位置へと戻る。そのうちBランクの獣人(ビスタ)2人は、魔獣の気配を感じたことを街に知らせるため、それぞれ向かう街の方向へと、街道を走って行った。


 ぎぎ、と馬車の車輪が軋み、商隊は目的地へと再び進み始める。

 ルーフレッドの指示なのか馬がソワソワしているからなのか、心なしか先ほどよりも馬車のスピードは速い。


 エリオットは馬に乗りながら、何事もなく出発できたことに少しほっとしていた。

 リネッタにも何もなかったようで、彼女はまた楽しそうに歌を歌っている。

 まだ悪寒は続いてはいるが、このまま進めばそれも遠のくだろう。


 悪寒の原因が何だったのか、もしかしたら次の街では、その魔獣討伐の仕事を受けるかもしれないな、とエリオットは考え、ここ数日のうちに緩みきってしまった気持ちを引き締めた。


 特に何事もなく街道を進んでいると、エリオットは前を行く荷馬車の後ろに座っているリネッタが、森のほうへと視線を向けていることに気づいた。

 いつものように歌を歌ってはいるが、その顔はどこか緊張しているような表情をしているし、耳もピンと立って森へと向けられている。


「何か見えるかい?」


 その声にはっとしたようにリネッタがこちらを見た。耳は相変わらず森のほうへと向いてはいるが。


「……いえ、何も。」


 微笑んでいるのか、困っているのか、あいまいな顔でそんなことを言う。

 擦れてないのか何なのか、この子は噓をつくのが下手だな。と心の中だけで苦笑しながら、エリオットは「そうか。」と頷いた。


 獣人(ビスタ)の感覚は(ヒュマ)よりも鋭い。リネッタも、もしかしたら幼いながらに、このおぞましい気配に何かを感じているのだろうか。

 エリオットは馬の首を撫でながら、リネッタの反応を注意深く窺いつつ「何だろうね、さっきから馬がね、何かに怯えているんだよ。だから狼でもいるのかなと思ったんだけど。」と続けた。


「……。」


 黙りこくってしまった幼い少女に、少し脅かしてしまっただろうかと言ってから気づく。しかし、狼という言葉に、リネッタは小さな手を細い顎に添え何かを考え始めた。

 その反応を不思議に思っていると、ほどなくしてリネッタは顔を上げ「では、歌を変えましょうか。」と言った。


 ――歌?


 エリオットは思わず聞き返しそうになったが、リネッタの歌は心地よく感じていたし、せっかくの申し出だったので黙って歌を聴くことにした。不思議な言葉で紡がれるその歌は、この商隊のメンバーにも気に入られていたし、歌で気分がまぎれるのならそれでもいいかと思ったのだ。


 そうしてリネッタが歌い始めたのは、さっきまでの荒々しさを感じる旋律とは全く違う、どこか重々しい旋律だった。


 歌うのが声の高いリネッタなのでかなりちぐはぐだが、もうその声に慣れてしまっていたのでさほど気にはならなかった。

 歌っているのが獣人(ビスタ)なのに厳かな神聖ささえ感じるその歌は、どちらかというと(ヒュマ)が好みそうな曲調だな、と考えながら、エリオットは静かに歌を聞く。


 穏やかな天気の中、しばらく、車輪の音とリネッタの歌声だけが辺りに響いていた。


 そうしてリネッタが歌い終わった、その時だ。


 エリオットが直前まで感じていた悪寒がいくぶんか、和らいだ。

 和らいだ“気がした”のではない。本当に和らいだのだ。歌う前と違って、馬もいくぶん落ち着いたように感じる。


 リネッタの歌に癒やされでもしたのだろうか。いや、まさか。

 エリオットはふと浮かんだ自分の考えをすぐに否定した。しかし、完全には否定できずにもいた。


 ずっと悪寒が続いていたので、エリオットは、遠くからずっと一定の距離をとりながら魔獣が追ってきているのではないかと不気味に感じていた。

 しかし、リネッタが歌い終わると、魔獣が離れたのか何なのか精神的に楽になったのだ。

 リネッタが同じ曲を繰り返し歌うとさらに緊張はほぐれ、そのうち完全に悪寒はしなくなった。馬もすっかり落ち着きを取り戻している。


 この歌には、魔獣を遠ざける不思議な力でも宿っているのだろうか。

 それとも、ただ偶然、気配を発している何かが遠ざかっていったのだろうか。


 エリオットは、最初のほうに歌っていた猛々しい歌もの時も、不思議な感覚を受けていた。


 もしかしたら、この幼い獣人(ビスタ)の少女が歌う歌には、なにかしらの力があるのかもしれない。 

 そんなふうに思って、エリオットは、自分の中にもこういう非現実的な考えが浮かぶんだな、と、今度は隠さずに苦笑をもらした。

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