こっそり盗賊退治?
いそいそと一人で森に入る。
見た目が10歳といっても、中身は30を超えているわけで、もちろんあの発言が恥ずかしくないわけではない。しかし、それ以外で馬車を止める理由は考え付かなかった。
森の中に入った私は、茂みの奥へと分け入って馬車から見えない位置へと移動する。
盗賊を見つけてからしばらく進んでしまったので、盗賊まではもうあと1キロほどしかない。まだ相手に動きはないが、すでに武装を済ませていつでも戦える体勢になっているし、さっさと用事を済ませてみんなの元に帰らなくては。
私は小さく息を吐いて、ささっと魔素を練る。
『 ――召喚 』
その言葉に応えてぽぽぽぽーんと現れたのは、6匹の影妖精。
引き返してきた4匹もあわせて、私の周囲を計10匹の影妖精がふわふわと浮いている。
『 影なる月 闇の月 常夜の月 』
私が新たな詠唱を始めると、好き勝手に浮いているだけの影妖精がぴくりと反応して一斉にこちらに視線を向けた。10対の赤い瞳が、私を射抜く。
『 問いに答えよ 暗がりの子らよ 』
『 怒りには 』
[――嘲笑を!]
詠唱に合わせて影妖精たちは楽しそうに私に続いて声を上げ、みんなで手をつなぎ、空中で輪になってくるくるとまわりはじめる。
『 癒しには 』 [――新たな病を!]
『 好奇心には 』 [――底のない谷を!]
ぞわりと体内の魔素が抜ける感覚に、私は小さく安堵した。成功したようだ。
[あーび♪らーい♪いるある♪がーし♪]
私の詠唱が終わると、影妖精たちがきゃらきゃらと無邪気に笑いながら、歌いはじめる。私には理解できない不協和音だが、彼女たちにはこれが心地いいらしい。
そうやって歌いながら呼んでいるのだ。彼女らの、母を。
[ねーし♪そそうあ♪やーね♪りおぎあ♪]
影妖精が歌っている間、私は集中を切らさず見守る。通常の召喚と違い、召喚獣――実際にはそれを構成している魔素だが――を生贄にしてさらに強い召喚獣を作るこの上位召喚の魔法は、集中を切らせるとうっかり失敗することもあるのだ。
[ひーら♪まーぬ♪やーいー♪やおー!]
歌い終わった影妖精が輪を崩さないように地面に降り立つ。
するとその輪の中に唐突にぽっかりと黒い穴が開いた。
まるで切り取ったかのようなその穴の中には、周囲が明るいにも関わらず光が差し込むことはない。穴というよりも、奥行きを感じないので、不自然な黒い丸といったほうがいいか。
その黒い丸の中から、何かがのびて、嬉しそうに穴をのぞき込んでいた影妖精を一気に薙ぎ払った。そうして周りに何もないことを確認したようにずるりと穴から何かが這い出したのを感じて、私はほっと胸をなでおろした。
――不可視のそれは、影妖精を生贄に召喚した、高位の闇妖精だ。
私の元居た世界での通称は、インビジブル。別にちゃんとした名前があるのだが、長い上に平原の民の言葉ではないので覚えていない。
で、その見た目だが……一切わからない。だって、見えないから。
ただし、ぼんやりと魔素をまとっているので、魔法使いには存在だけなら見える。
なぜ、私の元居た世界で影妖精は見つけた瞬間討伐することが推奨されているのか。その理由がこれだ。
影妖精に限らず、妖精はいくつかの条件がそろうと、自然にぽこぽこ生まれる。
生まれた妖精は互いを引き寄せ、そのうち居心地の良い場所に集まり始める。そして数が揃うと妖精は自らの命と引き換えに、一匹の上位の妖精に進化するのだ。
つまり、影妖精は、集まるとインビジブルになる。
影妖精単体ではそこまで害はないのだが、インビジブルは一般人には見えない上に精神的な魔法を得意としていて、なおかつ弱るとさらに見えづらくなるので厄介なのだ。
気づかない間に精神を蝕まれ、それが小さな村全体に広がって謎の疫病と間違われたり、混乱の洞窟だと地元住民に忌避されていたが蓋を開けてみればインビジブルの仕業だったとか、よくある話だ。
インビジブルの攻略法はいくつかあるが、パーティーを魔法使いだけで固めて、特殊な付与魔法をかけて、太月属性の魔法で臨むのが一般的な対処法である。
そんな厄介なインビジブルだが、今回のこっそり盗賊退治にはかなり適役だ。
魔素が見える相手がいないのだ。独壇場である。
私はインビジブルに簡単な指示をして、馬車へと戻った。
時間にして、5分ほどだ。まあ、トイレ休憩としては及第点だろうか。
何食わぬ顔をして馬車を止めてくれた商人に礼を言い、馬車の定位置に戻る。
久しぶりに上位召喚を使ったが、意外にも体内の魔素量はさほど減ってはいなかった。
もしかしたら、大気中の魔素が濃いので消費してもすぐに回復しているのかもしれない。ありがたい。
馬車が動き始めたとき、インビジブルはすでに盗賊に間近に迫っていた。
盗賊については、殺さないことだけを厳命してあとはインビジブルに全任せすることにした。寝かせてもいいし、幻覚を見せてもいいし、無効化できればなんでもいい。
そうして、馬車は盗賊が待ち構えているあたりに差し掛かった。
盗賊は左右に分かれているし、矢の一本くらいはうっかり飛んでくるかと気を張っていたのだが、そんなことはなかった。
私はさっきまでの戦士の歌を口ずさみながら、森のほうへと視線を向ける。
インビジブルの視点からは、泡を吹いて倒れる盗賊たちやこちらの馬車が見えるが、馬車からはインビジブルも盗賊もチラリとも見えなかった。
「何か見えるかい?」
エリオットが不思議そうに声をかけてきた。
「……いいえ、何も。」
「そうか。何だろうね、さっきから馬がね、何かに怯えているんだよ。だから狼でもいるのかなと思ったんだけど。」
そう言って、馬の首をさすっている。見れば、一番後ろを行く馬車の馬もしきりに頭を振っている。
――インビジブルの影響、だろうか?
インビジブルは月の三姉妹のうちの、闇や眠り、恐れ、死などを司っている闇月の属性だ。インビジブルの魔法の効果は街道まではみ出してはいないものの、もしかしたら何かしらの影響を与えている可能性はあった。
もう盗賊の包囲からは抜けているが、またいつ同じように狙われるかわからないので、次の休憩まではインビジブルに先行してもらうつもりだ。つまり、それまではずっと馬は怯え続けることになる。しかしそれは、馬を必要以上に疲れさせるだろう。
「では、歌を変えましょうか。」
私はいくつかの候補の中から、ひとつの戦歌を選んで歌い始めた。
『 偉大なる父神の名のもとに
癒しの女神は祈るだろう
我らの勝利を 勝ち取る平和を
杖を取れ それが我らが鉾 我らの魂
唱えよ 我らを守りし神の名を
叫べよ 我らが守りし国の名を
祈りは届き 祝福は我らに与えられる
神は我らと共にあり 』
これは、太陽神と太月の2柱の神への信仰を国教とする宗教国家の戦歌だ。
どっかの脳筋の歌とは違って、こちらは魔法耐性を上げてなおかつ魔力の自然回復が少し増える。
この国は、兵士は少ないがそのぶん質は高く、加えて魔法使いの割合がかなり多い。さらには高位の魔法使いを何人も食客にし、それにより他国をけん制しているので侵略されることがまずない。
国は枯れた土地にあるものの、雨の少ない乾いた気候を生かして香辛料を育て、その輸出で国はかなり潤っていると聞く。
ちなみに、この戦歌には集中しやすくするというおまけ効果もある。
インビジブルが馬車からだいぶ離れ、さらに戦歌の効果もあったようで馬は次第に落ち着き、しばらくすると完全に元の調子に戻ったようだった。
あと数日で、次の大きな街に着く。
私は、もう何も起こらないことを祈りつつ、歌を続けた。




