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番外編:鱗の姫

 ケースⅥ(ウルトラレア)の鎧装の姿が消えた時、超越体は敗北を悟った。

 空間破砕砲。これを放つ時、鎧装はその周囲の空間を切り取って別次元に遷移させる。

 ――まさか、地球人が本当に空間破砕砲を発射できるとは。

 この情報空間に罠を仕掛けてからというもの、超越体の計画に狂いが連続している。

 ひとつひとつの狂いは、許容範囲だが、重なることによって、今の事態を招いた。

 空間そのものが砕け散る。超越体はバラバラに引き裂かれるワールの情報体から飛び出し、逃走を開始した。

 事前に逃げ道は用意してあった。

 しかし、今の超越体は情報体を持たないむき出しの“意識”である。この状態はきわめて燃費が悪い。超越体がわざわざ何かに憑いて活動するのも、あまりの燃費の悪さゆえである。このまま、Gライブラリのネットワーク経由で逃走すると、通常空間に出るまでに超越体が蓄えた力のほとんどが失われることになる。

 これから数百年、あるいは数千年にわたって、超越体は戦う力を持てないだろう。

 ――腕輪は、そこまで計算している。

 超越体は宿敵たる皇主の腕輪の思考パターンと弱点を見抜いていた。

 腕輪の思考は堅実で、間違いが少ない。

 それゆえに、間違えた時のダメージが大きい。

 間違えた時、というのが確率的に極小なので、対策がおざなりになるのだ。

 ――つまり、ここで奴の計算を狂わせれば、次の戦いに有利になる。

 対する超越体の思考は、投機的であっても、ひたすらにアグレッシブだ。

 この危機を前に、超越体は次の一手を考えていた。

 まず、情報空間内にあらかじめ作っておいた小部屋に入る。

 地球人が皇女を救出する時に使ったものと似ているが、こちらには外へ通ずる扉がある。

 そしてここには、もうひとつ、超越体が望むものがあった。

 現実世界にある肉体とのリンクを切断され、オブジェクトと化した地球人の体だ。

 超越体は体の中に入った。ワール人の体に比べて、地球人は肉体的な強度は落ちるが、視覚や触覚などの五感のバランスがよく、何より知的生物としてのポテンシャルが高い。

 むくり。

 地球人の体が起き上がる。

「残った記憶をスキャンするか――おっぱい」

 最初に浮かんだのが、乳房への強い衝動だった。

「ふむ?」

 超越体が肉体を捨てて五万年が経過している。

 超越体が先に寄生していたワールは爬虫類なのでメスも発達した乳腺を持たず、乳房への強い衝動は持たなかった。

「他にはないのか――結婚したい、か。ふむ、下等生物が子孫を残す本能を持つのは当然のことだな」

 幾つかの知識は手に入ったが、やはりワールの攻撃で強制的に抜け殻にしてしまった衝撃で、多くの記憶は欠落していた。

 クロスワードパズルを埋めるように、穴だらけの記憶を補填していく。

一星銀河ひとつぼしぎんが――これがこの個体の識別コードか」

 銀河という名前は、ソル星系を中に含む十万光年の大きな渦状星雲と同じだ。

「未開人のくせに希有壮大な名前を持つことだ。気に入ったぞ」

 この肉体を使う間は、この名前を使おうと超越体は考える。

 さらに、記憶の中から貴重な情報がサルベージできた。

 時間改変。

 未来から過去へ、何者かが介入した形跡をこの個体は掴んでいた。

「やはり、そうか」

 超越体の計画が失敗したのが、未来からの時間改変の影響だとすれば、腑に落ちることが多い。

「ふむ――」

 そして、時間改変ならば、肉体を持たず、時空を行き来する能力を持つ超越体の方が経験を積んでおり、得意とするところだ。

「素人のやる時間改変ならば、あちこちに歪みがあるはずだ。そこをつけば、貴重な駒が手に入る」

 そして歪みは、改変ポイントに近い時空――つまり、今、この時ほど大きい。

 ここで、手を出すべきか。力の温存を計るべきか。

 超越体は判断を迫られた。

 ここで時空連続体の歪みに手を出せば、腕輪との戦いで敗北し、エネルギーのほとんどを失った超越体にとって、さらなるエネルギーの流出となる。それで何かを得られれば良いが、何も得られなければ、エネルギーを失っただけに終わる。

 超越体はすぐに決断した。

「やってみるか」

 超越体は、あくまで攻めの姿勢を保つ。

 超越体は、指で呪文のようなものを狭い情報空間内に書いた。

「さあ、来い――時空の狭間に落ちた、失われた可能性よ。時間改変によってはじき出され、なかったことにされたモノよ。我がお前を使ってやる。お前の存在を、この時空に今ひとたび、刻んでやる」

 ぴしっ。

 時空に細い裂け目ができる。

 その中から、細い腕が出た。女の右手だ。

 超越体はその手を掴む。指先に滑らかで硬い、奇妙な感触。気にせずに引き出す。

 するり。

 黒いドレスを着た女が、出てきた。

「なるほど――な。確かに今、この場所であれば、そうであろうよ」

 ぼんやりとした表情で虚空を見つめていた女の表情が、超越体=銀河を見て、動く。

 狂おしいばかりの、希望が浮かぶ。

「あ――」

「残念ながら、私はお前が望んだものではない。私は超越体で、この肉体は借り物だ。そしてこの時空はお前のいた場所ではない。お前のいた時空は時間改変によって消えた」

 女の顔が強ばる。

 瞳の焦点が、消える。

「皇主の腕輪はないのだな。まあ、当然か」

 女の右手に金の腕輪はない。代わりに、その部分を黒い鱗が覆っていた。

「腕輪を奪い、代わりにワールの鱗を生やさせたか。趣味の悪いことだ」

「何を――」

 冷え冷えとした声で、女は言った。

「アレも、あなたでしょうに。私を――あのような――」

 女が背筋を震わせる。憎しみのこもった目で、超越体を見る。

「異なる時空の我など、知ったことではない」

 超越体は涼しい顔で自分に向けた女の敵意を受け流す。

 女の顔から表情が消えた。

 視線をそらし、吐き捨てるように言う。

「では、異なる時空の私も、放っておいてください」

「そうはいかん。この時空の我は負けたのでな。それも、忌々しき宿敵にではなく、時間改変で力を得た地球人、この肉体のオリジナルにだ」

「ふ――」

 女が唇の端を歪めてあざ笑う。

「五万年を生きたバケモノが、未開惑星の男ひとりに負けるとは、いい気味です。そのまま消滅すればどうです」

「消滅はしないが、ずいぶんと力を消耗した。そこで、お前の肉体を乗っ取ろうと考えていた。お前の中には、大量の時空の歪みがエネルギーとして蓄えられているからな」

 女の顔が一瞬だけひきつる。

 そしてすぐに、諦めに似た色が瞳に浮かぶ。

「いいでしょう。どうせ、この時空での私は、存在しなかった幽霊です」

「――だが、やめた」

 超越体は腕をひとふりして時空の裂け目を消した。

 口にはしないが、一連の行動で、残っていたエネルギーもほとんどが失われている。

「なぜです?」

「我は負けた。時間改変の影響はあるが、それでも完膚なきまでに敗北した」

 超越体は繰り返す。自分の中に敗北を刻み込むように。

「同じままの我では、次も敗北する。それゆえに、これまでの我がやったやり方はせぬ」

 超越体は、勝利を、ひたすらに勝利を求める。

「では、何をするのです?」

「まずは現実への帰還だ」

 超越体はトンネルを開いた。

 超越体がこれまで使ってきたワールの肉体――すでに精神的死を迎えている――は、滅びた惑星ネロスの衛星軌道に浮かぶワール艦隊の中にある。

 だが、あらかじめ用意した逃げ道は、そこではなく、深宇宙に浮かぶ小惑星につながっていた。半径百光年内に人が住む惑星はない、寂れた宙域だ。

 現実へ帰還する前に、超越体は、自分が宿る地球人と女の肉体を情報体の情報から復元した。

 自我や記憶を担当する精神核があるので、肉体の合成は簡単にできる。しかし、これで超越体が持っていたエネルギーはほぼ枯渇した。

「ここは……?」

「あらかじめ用意しておいた隠れ家だ。ひとまずここで、肉体と精神が馴染むのを待つ」

「ここで、ですか?」

 何もない、がらん、とした空間を女は見回した。

「ふむ……地球人に合わせる必要があるな」

 超越体は地球人の脳内を検索した。

「畳……布団……流し台……」

 一星銀河が暮らしてきた居住環境を複写する。

 狭い木造アパートの一室が、小惑星の隠れ家に出現した。

「ワール軍艦の居住室より狭いな。おい、女。地球人は、こんなところに住んでいるのか?」

「……」

 女は超越体の言葉には反応せず、ふらふらと部屋の中に入り、ぺたん、と畳の上に座った。

 畳表の変色したい草を、指で撫でる。

「ああ……」

 今は改変された過去、短い期間ではあるが女はここで暮らしたことがある。

 女にとって、最後の幸せな記憶だ。

 そして、そのすべてが――奪われた。

 あの日。地球の衛星軌道を、ワールの艦隊が埋め尽くした日に。

 がりっ。女はい草に爪を立てた。

「どうやら問題がないようだな」

 超越体もアパートの中に入ってきた。

 そしてごろり、と布団の上に横になる。

 この五万年で、かつてないほどに己が消耗していることに気付く。

 ――まずいな。

 このままでは、回復にかなりの時間を有する。十年か二十年か。超越体にとってはわずかな時間だが、せっかく手に入れた肉体に劣化が来るようではまずい。何より、宿敵に時間を与えたくない。

 ――今からでも、女の肉体に乗り換えるか?

 この肉体を時間凍結して保管しておき、エネルギーを回復させるために女の肉体を奪うことを考慮する。

 ――ここは閉鎖環境だ。二人より一人の方が環境維持のコストも低い。

 女の肉体を目測し、それが消費する酸素、水、食料を計算する。

 男の肉体に比べると小柄で、消費は少なくてすみそうだ。頭部の長い毛は剃った方が衛生面で優れている。胸部には脂肪を蓄え、赤子に栄養を与える液体を分泌する仕組みがあるが、繁殖をしないのだからこれは捨てても――

「ダメだ。それを捨てるなんてとんでもない」

「?」

 超越体は、自分の口から出た言葉に驚いていた。女がきょとん、とした顔で寝転がった男を見る。

 ――驚いたな。ああ、驚いた。こんなに驚いたのは一万年ぶりかもしれん。

 無自覚に、肉体の元の思考パターンが口をついて出ていた。

 ――これほどに地球人が求めるというおっぱいの力、試してみるか。

 超越体は布団の上に座ると、女を手招きした。

「こっちに来い」

「……」

 女は不審と嫌悪、そして自分でも整理できない何かに顔を強ばらせて男の隣に移動した。布団の上に並んで座る。

「ふむ」

 超越体は、彼としては珍しく、ためらった。

 ――生物としての本来の役割から推測するに、おっぱいの正しい利用は、乳を飲むことだ。しかし乳は繁殖活動を行い、子供を合成しなくては分泌が行われない。

「???」

 女が、困惑した視線を男に向ける。

 しかし、困惑という点では超越体も同じだった。

 ――この女は、乳を分泌しない。だから、おっぱいを正しく利用できない……はずだ。なのに、この男の記憶と衝動は、問題ないと強く訴えてきている。

 死を克服し、五万年を生きてきた超越体にも解けない難問だった。

 ――ままよ。この男の記憶と衝動に任せてみるか。

 超越体は肉体を操る手綱を緩めた。

 がばっ。

「きゃあっ?」

 男は、いきなり女の胸に顔をうずめた。

「え?え?え?」

 女が混乱している。

 超越体はもっと混乱していた。

 ふかふか。

 ふかふかである。

 柔らかく、弾力があり、そして柔らかい。

 ――おお……おお……。

 超越体は五万年間、感じたことのない至福に包まれていた。

 彼を突き動かし続けてきた勝利への渇望すら、今、この時には消えていた。

「なぜ――」

 一方の女は、自分の胸に顔をうずめた男の頭を見下ろし、強い憎しみと、自分でも抑えきれない愛おしさに、気も狂わんばかりとなっていた。

「なぜ、お前は――なぜ、あなたは――」

 無防備に女に抱きついているのは、父の、兄の、故郷の皆の仇だ。

 さらに愛する男を殺し、女を捕らえて辱めた。

 十万回殺しても飽き足らない、憎い、憎い、憎い敵。

 だけど、その憎しみを抱いている女は、別の時空の存在だ。

 そして憎しみの対象である超越体もまた、時間改変で消えた。

 ここにいる超越体は、別の存在だ。

 それどころか、幸せそうに自分の胸に顔をうずめる仕草と表情は、どこまでも彼女の愛した夫と同じだった。

 この超越体は負けたと言った。一星銀河に。彼女の夫に。

 地球は無事で、あのアパートも無事で、彼女の夫も、地球でできた友人たちも無事で。

 ――違う。この時空で、銀河さんは私の夫ではない。この時空に本来いる、私の……私の……私ではない、私の――っ!!

 目もくらむほどの殺意が、女の脳髄を痺れさせた。

 その殺意は、どこを向いているのか、何を、誰を殺したいのか。

 ――考えては、ダメです!

 ぎゅっ。

 己の思考を止める方法は、ひとつしかなかった。

 女は自分の胸に顔をうずめる男の頭を抱きしめた。

 男を抱きしめる女の右腕に、ワールの黒い鱗があった。


『スペース婚活番外編:鱗の姫』エンド

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