ウェディングリング編
===another view
ワールの肉体を支配する超越体は、宿敵たるネロス皇主の腕輪が何を企んでいるかなど、お見通しだった。
お互いに五万年の間、戦い続けたのだ。手の内はだいたい分かっている。
――新たな依代を得たとはいえ、しょせん、生身ではなく情報体。現実世界から投影された影にすぎん。さほどの力は発揮できぬだろう。
守りに徹し、その間に情報空間の檻から逃げようとするはずだ。
――なら、ここで殲滅する。Gライブラリ経由では滅ぼすことができないのはお互い様だが、依代を失えば力を失い、地球に足止めとなる。始祖の船もだ。
そうすれば、後はどうとでもなる。
超越体はワールの情報体マトリクスをコピーして数を増やした。コピー情報体には情報核がないので、戦いともなればたちまち消滅する。その影響はワール本体の精神核が受け、最悪ワールの精神核が消滅して精神的死を迎えることになる。
――それはかまわぬ。しょせん、この肉体は使い捨てだ。それに、反撃を許さなければよいだけのこと。
超越体はそう判断した。
用意したコピー情報体は、彼の作った情報空間における上限である一〇四万あまり。兵装は重力子砲だ。重力子砲による攻撃は、単純な装甲では防げない。鎧装の防御システムへの負担が大きくなる。一緒にいるメシエ皇女を守るとなれば、なおさらだ。
こうした判断の積み重ねの上で、超越体は銀河とメシエ皇女がいる情報空間の封鎖を破った。
『なんと?!』
不倶戴天の敵である皇主の腕輪のあげる驚きの声が、超越体には心地良い。
「消えよ、我が宿敵」
超越体が宿したワールが手を上げると、コピー情報体一〇四万が一斉に重力子砲を発射した。
次の瞬間、一〇三万のコピー情報体が分解され、消えた。
では、重力子砲による攻撃は?
遮断が困難なはずの重力子は、まるで夏の日差しを浴びた淡雪がごとく、消えていた。
白く輝くケースⅥ鎧装をまとった一星銀河が両手を広げ、メシエを背にして微動だにせず、立っていた。
===another view end
あちらは、一〇四万の重力子砲での一斉集中攻撃。
こちらは、ケースⅥ鎧装による空間振動波による全方位攻撃。
「はーっ、はーっ、はーっ」
どちらがより、相手の攻撃に脅威を感じていたかは分からないが、自分の攻撃に脅威を感じていたのは、間違いなく俺の方だ。
『何をしている、銀河! 反撃だ!』
「待てっ!ちょっと待てっ!」
頭の中でテンション上げてわめく腕輪に、俺は待ったをかける。
情報空間の壁が破壊された後、鎧装を展開し、重力子砲の攻撃を防ぎ、空間震動波で反撃する。ここまで一セットで三十ミリセコンド。
十分の一秒に満たない間にこれだけやれたのは、もちろん腕輪に宿る幽霊だか始祖様だかのおかげである。
「お前、ケースⅤと言ってなかったか? なんかすごく重いぞ!」
トカゲ野郎に見えないのは幸いだが、今の俺は指一本動かすのに全身全霊が必要だった。
敵の攻撃を受けて微動だにしないのではない。できないのだ。
『ケースⅤは宇宙空間ならともかく、情報空間では重力子砲の一斉攻撃を防げない。我の判断で、ケースⅥに変えた』
「重すぎる! まるで動かないぞ、この鎧!」
『根性が足りん。もっと気合いを入れろ』
「精神主義かよ! 物理的に支援しろよ! ブースターとか噴射して動かないのか?」
『単純な物理法則が意味を持つのはケースⅣまでだ。ケースⅤ以上の鎧装は、惑星サイズの質量を砲弾にしてぶつけられても跳ね返せる。ケースⅥともなれば、ブラックホールの重力すら遮断するのだぞ。ここから先は精神力勝負だ』
楽しげな始祖の声を聞きながら、俺は思い出していた。
こいつはさっきから何と言っていた?
そうだ。こいつは、あのトカゲ野郎に憑いた敵と五万年戦ってきた、と何度も言っているではないか。つまり、五万年の間、戦い続けるほどこいつは戦いが好きなのだ。
「とにかく俺は動けない! この姿勢のまま、残ったトカゲどもを一掃する手段があれば、それを使え! 俺の本体にかかる負担は――気にするな!」
『よかろう!』
腕輪が間髪を入れずに答える。少しはためらえよ!
しかし、俺としてもここは正念場だった。賭けに出た以上、出し惜しみこそが悪手だ。
俺の両腕が、ゴキゴキゴキ、と音を立てて変形した。どこに入っていたというのか、中から中からメカが外へ張り出していって、二本の長い誘導砲身になる。
何を――? と疑問を抱くと同時に、回答が脳裏に浮かぶ。
空間破砕砲。その前に撃った空間震動波の上位兵装だ。シールドで覆われた自分の周囲の空間を除く、最大直径三光秒の空間を破砕し、そこにある全ての物質を素粒子レベルにまで分解し、消滅させる。
――三光秒? 九〇万キロメートル? 地上で発射すると、地球と月が消滅?
『安心しろ。ここは情報空間内だ。地球も月も壊れたりはしない』
「壊れてたまるか!」
『それに、直径三光秒というのは、あくまで最大出力だ。今のお前では、撃てても一万キロメートルほどだな』
それでも地球がほぼ消滅するのだが。ワールが惑星ネロスに撃ち込んでいた重力爆弾が可愛く思える威力である。
超越体の戦いというのは、こんな迷惑なシロモノを撃ち合うのか。
『臆したか?』
「ああ。ビビりまくってるよ。俺が使い方を間違えれば、地球が消えるんだからな」
『それでいい。知的生命たるもの、自分が扱う力の恐ろしさを理解しておかねばな』
腕輪の言葉には、苦々しいニュアンスがこもっていた。
自分への、あるいは、あのトカゲ野郎についた超越体への感情か。
「恐ろしさは分かるが、使い方は分からん。俺とメシエが一緒に分解されないよう、しっかり頼むぞ」
メシエは俺の後ろに立ち、祈るように手を組んでいる。
『砲撃準備ができたぞ』
「よし。やってくれ」
俺がそう言うと同時に、視界がすっ、と暗くなる。
続いて、鎧装をまとっているのに、体が冷たくなっていく。
『意識をしっかりもて』
「ぐ……」
貧血しながら凍死する感覚とでも言おうか。
体の中から、熱の形で生命力が奪われていく。
「う……あ……」
鎧装が俺の生命を吸い取り、誘導砲身へと注ぎ込む。
視界が、意識が、暗くなる。
『しっかりしろ! ここでお前が負ければ――』
腕輪の声も、遠くなる。
まだ何かわめいているようだが、寒すぎて、言葉の意味を理解できない。
感覚的には、眠くてたまらない時に似ている。
何もかもが、どうでもよくなってくる。
否――
メシエについてだけは、どうでもよくなかった。
メシエは目の前で父を殺され、兄を失い、故郷の星を破壊された。
それだけでも少女の身には重すぎる現実だ。なのに、メシエは三億の民の未来を担わされている。
――理不尽すぎるだろう。
俺はそのすべてに、腹を立てていた。
世の中は理不尽なものだというのは分かっている。
だけどそれは、理不尽さを諦めて受け入れろ、という意味ではないはずだ。
理不尽さに抗うのは俺の勝手だ。
――メシエはいい子だ。彼女はもっと幸せになっていい。幸せにしたい。
この宇宙の神々が彼女を幸せにできないのなら、俺がやる。俺にやらせろ。
そうだ。
俺がこうして、ここにいるのは、そのためだ。
理不尽さへの怒りが、熱となり、俺を内側から炙る。
『よし! いけるぞ! 空間破砕砲、発射可能だ!』
「おう! ぶちかませっ!」
次の瞬間、周囲が真っ黒になった。
また何か問題があったのか? と思ったら元に戻った。
正確には、戻ったのではなく――
「なんだ……これは……」
何もかもが、なくなっていた。
『空間破砕砲を発射した。視界が黒くなったのは、その瞬間、周囲の空間を遮断したからだ。これで奴の作った情報空間は完全に初期化され、奴が依代にしていたワールも、その複製もすべて破壊された』
「……あっけないものだな。これで終わりか?」
『ひとまずは。奴の物理空間での依代は精神核を失い、死んだ。奴自身も、力のほとんどを失ったはずだ。復活するとしても遠い未来のことであろうよ』
「そうか」
『……』
「……自分で言って、信じてないようだな?」
『今回のは、かなり手応えがあった。奴の作った情報空間は、奴にとっても足枷になる。これが物理空間ならば、空間破砕砲を使ったところで奴はすぐに逃げただろう。しかし、ここでの一撃は、奴にとって致命傷とはいかないまでも、それに近いはずなのだ』
「ふむ」
『だが、奴はこれまで何度も、滅ぼされるのを紙一重で逃れてきた。今回もそうでないとはいえない』
「そうか。ところで今、プランク定数という言葉が自動翻訳されて挿入されたぞ?」
『お前の言葉で紙一重という単語だな。我が使ったのはもうちょっと厳密な概念だったので、科学的な用語が出てきたのだろうよ』
本当に今後もこの自動翻訳に頼っていいのか、少しばかり不安になる話だ。語彙が増えても、俺が深く理解してない言葉が挿入されたのでは、意思疎通にむしろよくない。
「終わったのですか?」
俺の後ろからメシエが顔を出して、おずおずと周囲を見回した。
「ああ。勝ったぞ」
「おめでとうございます、あなた」
ぎゅっ。
「きゃっ」
気がつくと俺はまたしてもメシエを抱きしめていた。
『おい、鎧装が重すぎて動けなかったのではなかったのか』
腕輪がツッコミを入れるが無視する。
「それじゃ、鈴の部屋に戻るか」
俺は、メシエを抱き上げた。
「はい」
メシエが嬉しそうに俺の首に手を回す。
『いやだから、なぜお前はケースⅥ鎧装で軽やかに動けるんだ』
腕輪は無視。
視界が歪み、滲み、消えた。
そして現実世界。
目の前に、メシエの顔があった。
互いの額をくっつけてるので、かなり近い。
メシエも、きょとん、とした表情で間近にある俺の顔を見ている。
「あ、目が覚めた」
鈴の声が聞こえた。
俺は床に横向きに寝転がっていて、メシエも同じ姿勢で俺と向き合う形になっていた。
鈴が上からのぞきこんでくる。
「銀兄の額とメシアさんの額をくっつけるなら、その格好が一番楽だったのよ」
「ありがとうな、鈴」
「どういたしまして。うまくいったみたいで何よりだわ。あ、コーヒー入れてくるね」
パタパタと、鈴が流し台へと走る。
目の前でメシエが「?」という顔をしているので説明した。
精神体を撃ち抜かれた俺は、霧のような存在になって情報空間を漂っていたこと。
観察や情報検索は可能だったので、打てる手がないか独自に調べていたこと。
超越体によってロックされている俺とメシエは情報空間から逃げられないが、鈴だけならログアウトさせることができたこと。
「その時に、鈴に頼んだんだ。俺と鈴が端末リングに額をくっつけてGライブラリにアクセスしたように、俺とメシエの額をくっつけて欲しいとね」
ワールと戦っていたメシエを俺の作った情報空間に引き込めたのは、直接アクセスのおかげだった。
「そうだったんですか」
じー。
至近距離でメシエの視線が俺の顔に突き刺さる。額はくっつけたままだ。
何となく居心地が悪くなったので、俺は立ち上がろうとした。
がしっ。
メシエの腕が離れようとする俺の腕を掴んだ。メシエの右腕と俺の右腕に、同じ皇主の腕輪がはまっていることに、俺はこの時、気付いた。
「え?」
メシエの顔が近づいて、互いの唇が重なった。
「ふあっ?」
「ありがとうございます、あなた」
「お、おう」
トカゲと戦ったことか、と思ったが違った。
「私のために――怒ってくれて」
「え?」
なぜ、それを。
『あー、それだがな』
皇主の腕輪の声が頭の中で聞こえた。
『お前は、あくまで我の仮の継承者。今も保有者はメシエだ。つまり――』
「つまり?」
「あの……鎧装をまとわれていた時の銀河さんの心の声は、全部聞こえていました。私の運命の理不尽さへの怒りも、そして……私を幸せにしてくださるという、決意も」
「おおう」
キラキラと目を輝かせるメシエ。
逃げ道を、爆破処理で塞がれている気分である。
「コーヒー入ったよー……ん、何? 何よこの微妙な空気?」
げしっと鈴が俺を蹴る。
「銀兄、偶然を装ってメシエさんのおっぱい揉んだでしょ。メシエさん、そういう時はきっちり反撃しないと、このダメ人間は何度でも同じあやまちを繰り返すよ」
冤罪だ!
「いえ、揉まれても大丈夫です。銀河さんと私は夫婦ですから」
「夫婦でも、昼間からおっぱい揉んじゃダメだよ」
厳しい!
「地球では、そうなんですか?」
「銀河系標準だと思うな~」
グローバルだった!
「まー、いいから。二人とも起きて、起きて」
「そうだな」
いつまでも寝転がっているわけにはいかない。
すると、俺が起き上がるより先に、ぱっ、とメシエが立ち上がった。
コホン、と咳払いをひとつ。
「起きてください、あなた」
かがみ込んで、俺に手を伸ばす。
素顔のメシエは、意外と茶目っ気が多いタイプのようだ。
これまでは、俺の前でお姫様らしい自分を演じていたのだろう。
それはいい。夫婦になってから知っていけばいいことだ。俺だって、メシエには隠していることが多くある。おっぱいが好きなこととか。
『いや、ばれてるぞ』
「えっ」
腕輪から聞く、驚愕の真実。
『しかも、まんざらでもないらしい』
「そうなのっ?!」
それで嫌わないとか、この子は女神か。
『メシエはいい子だぞ。だから、これからも山のように苦労はあるが、まあ頑張れ』
「……ああ」
やはり、逃げ道は塞がれていた。
それは俺だけでなく、たぶん、地球のすべてがそうなのだ。
逃げ道はない。立ち止まることもできない。
広い銀河系に住む、さまざまな勢力がこれから地球に押し寄せてくるだろう。
ならば、どうする?
「よろしく頼む、メシエ」
俺はメシエの手を握り、立ち上がった。
逃げ道を塞がれたのなら、仕方がない。
覚悟を決めて、前に進むのみだ。
「はい! 妻ですから!」
メシエは、ぐっと拳を作って言った。
『スペース婚活:星の世界の皇女さま』エンド
『スペース婚活番外編:鱗の姫』へ続く