宇宙下克上編
深夜であったこともあり、ひとまず話は明日ということになった。
メシエは鈴と一緒に一階の大家の部屋で泊まり、俺は自分の部屋で寝た。
そして翌朝。
「入るぞ、鈴」
ドアを開けると、味噌汁の香りがした。
「銀兄、おはよ」
制服にエプロンをつけた鈴が、流しに立っていた。
「ご飯よそっちゃって」
「おう」
勝手知ったる何とやら。
先代の大家である鈴のばあちゃんが元気だった学生時代からずっと、金がない時にはいつもここで飯をたかっているので、専用の茶碗も箸もあれば、二つ並んだ瓶のどっちが醤油でどっちがソースかも知っている。
確か注ぎ口が赤い方がソースで黒い方が醤油……逆だったかもしれん。
「おはようございます、銀河さん」
襖を開けて、メシエが挨拶した。メシエが着ているのは寝間着代わりのジャージだ。装飾品はつけていないが、右の腕輪だけ、ジャージの上からはめている。
学校指定の野暮ったいジャージでも、メシエのおっぱいの大きさは隠せない。
俺は紳士なので、すぐになにげない仕草で顔をそらした。
そして横目でメシエのおっぱいを見る。ううむ朝から良いものを見た。
「こら」
べしっ。鈴が後ろから俺の頭をはたいた。
「銀兄、そーゆー目してるから、すぐフられるんだよ。これで揉む度胸があるならまだしも、目だけが必死になめ回すから、気持ち悪いったら」
「うるさい」
俺と鈴のやり取りを、メシエが「?」という顔で見ていた。
いつまでもそのままの君でいてくれ。
朝食はご飯、味噌汁、漬物、干し魚、納豆という“伝統的”な日本の朝食である。
こうしたメニューが一般家庭にまで普及したのは、本当はせいぜいがこの百年前後という短い期間らしいが、美味いから気にしない。
「ええっと……これは、食べても大丈夫なんですよね?」
宇宙人には、納豆はきついようだったが。
昨夜の梅干しの件もあって、警戒しているらしい。
「大丈夫。発酵食品だから」と俺。
「練って。どんどん練って」と鈴。
ねりねりねり。
「う、うわ。なんだか、ますますこの……本当に大丈夫なんですか?」
「タレは後でかけてね」と俺。
「ネギもあるよ」と鈴。
涙目になったメシエだが、意を決して一口食べてからは、その美味しさの虜になった。
運動部にいる鈴もそうだが、メシエもご飯をおかわりするなど、健啖ぶりを見せた。
俺はというと、朝は弱いので軽くよそったご飯も食べきるのに時間がかかった。
「朝練がある日は、練習の後でおにぎり食べるんだよ」
「あ、私もそうです。おにぎりじゃなくてレンバスっていう携行食なんですけど」
「どんなの?」
「ナッツ入りビスケットですね。甘くて栄養豊富なんですよ」
「わー、食べてみたい」
「今度、持ってきますね」
昨夜はお泊まり会みたいなことになったせいか、メシエと鈴はすっかり仲良くなっていた。どことなく疎外感。
コンビニ弁当だった夜食に比べるとずいぶん立派な食事の後、俺が流しで食器を洗っていると、メシエが声をかけてきた。
「銀河さん。お話があります」
「ん」
俺は洗った皿を棚に置き、タオルで手を拭いてからメシエに向き直った。
「事情を説明してくれる気になったのか」
「はい。私が結婚したい理由も」
通学の準備をしていた鈴の手が止まる。
「じゃあ、部屋に戻るか。鈴も学校だし」
「銀兄、私――」
「学校から帰ったらちゃんと話す。だから、お前はちゃんと学校に行け。ばあちゃんに怒られるぞ」
「……うん。わかった。いってくるね」
鈴は鞄を手にして――
ざっ……ざざっ……。
時空にさざ波が走る。時の流れに放り込まれた小石が、小さな波紋を広げる。
「学校から帰ったらちゃんと話す。だから、お前はちゃんと学校に行け。ばあちゃんに怒られるぞ」
「……」
鈴は黙ったまま、携帯を取り出し、いずこかに電話した。
「……おはようございます。二年四組の鈴谷です。熊野先生を……はい。すみません、先生。鈴谷です。家庭の事情で本日は休ませていただきます。いえ、健康には問題ありません。明日は登校できると思います。では、失礼します」
ぴっ。
立て板に水、で相手を押し切って鈴は電話を切った。
「お前なあ」
半分保護者的な気分で俺は鈴を叱ろうとする。
「あのね、銀兄。これが惚れた腫れたなら、私だってここまで口出したりしないわよ」
「そうか? お前、この前も俺の部屋に来た女のところに――」
「銀兄、あの結婚詐欺の女に騙されて金取られそうになった上、女の前の男に殴られて目を回した癖に、エラそうに言わないで」
いかん、この話題は藪蛇だった。
俺が黙ると、鈴はメシエに向き直った。
「メシエさん。私も話を聞かせてもらうわ。夜中に二階であんだけドタバタされたんだから、大家としても聞く義務があるもの。それに――私、メシエさんのこと、もう友達だと思ってるし」
鈴の言葉に、メシエが嬉しそうにうなずく。
「はい。では、銀河さん、これを頭につけてください」
メシエが腰のポシェットから取り出したのは、伸縮性のある輪っかだった。
「これは?」
「Gライブラリの閲覧端末です。これを使って説明します。リングの石のあるところを、額の真ん中にもってきてください」
「わかった」
「私のは?」
「あ……えーと、これはひとつしかないので……」
メシエはしばらく考えた後、ぽん、と掌を合わせた。
「鈴さん、銀河さんの額の、石のところにおでこをくっつけてください。それで同時にアクセスできるはずです」
「え? うん……こ、こう?」
鈴が前髪をあげておでこを出して俺にかがみ込む。
鈴の吐息が、俺の鼻にかかる。
「うひょ」
「ヘンな声ださないでよ、銀兄」
「息がくすぐったいんだ」
おでことおでこをくっつけるような姿勢なので、互いの顔がえらく近い。十年前は小学生になったばかりの鈴も、このところずいぶんと女の子らしくなった。
「これでいい?」
「はい。じゃあ、私がGライブラリにアクセスしますね。少し待ってください」
メシエが、テレビのリモコンのようなものを腰のポシェットから取り出す。昨日から、いろいろなものがあのポシェットから出ているが、やはり四次元的な何かなのだろうか。中に入れたものの重量はどうなっているのか、気になる。
「ねえ、銀兄」
囁くような声で、鈴が話しかけてきた。
「ん?」
「メシエさんと、結婚するの?」
「してもいいと思ってる」
俺も囁き声で、ひそひそと返す。
ぐりぐりぐり。鈴が額を押しつけてきた。
「痛い痛い、やめろ、鈴」
「メシエさんのこと、好きじゃないくせに」
「おっぱいは大きいから、そこは好きだぞ」
ぐりぐりぐり。
「痛い痛い」
「銀兄、調子にのってすぐ痛い目に遭うんだから。もっと堅実に生きなよ」
「すまん」
「そういう性分なんだってことは、よーくわかってるんだけどねー」
反論したいが、一言えば二返ってくるので黙る。
むにむに。そのかわり、俺は鈴のほっぺたを引っ張る。
ぐりぐり。鈴が額を押しつけて反撃する。
そんなことをしていると、リモコンを上に向けたり下に向けたりしてボタンを押していたメシエが、ほっこりと笑顔になる。
「準備できましたー」
ぽちり。
スイッチを入れた瞬間、アパートの部屋が消えた。
気が付けば、俺は宇宙に浮かんでいた。狭い部屋の中から、三百六十度全面が星空である。大きなお盆サイズのガス星雲が花びらのような赤いガスを広げている。
目の前に、惑星があった。
夢か? と思った『否定』瞬間に、情報が入ってきた。思考の間に挟んでくるほどの素早いレスポンスで。
目の前の惑星は、地球『否定』ではなく、ではどこか『惑星ネロス』どこに『銀河系オリオン腕シリウス星区所属。銀河座標は……』なんでこんなに情報が『感応型端末によりGライブラリに接続中』うわ、すげえうざい。
「す、すみません銀河さん!」
メシエの声が聞こえ、すっと俺のそばにメシエの姿が浮かんだ。
「ヘルプモードの設定が、未開種族用の初期設定になってました。今はもう大丈夫のはずですが、うるさかったら言ってください」
「未開種族ね。地球はやっぱり未開の惑星なのか?」
俺がそう言ってしばらくしてから、情報が脳に挿入された。
『シリウス星区ソル星系第三惑星地球はネロス皇国の保護惑星として登録。保護惑星は、宇宙連邦の規則により、宇宙連邦加盟種族の接触が制限される』
関連情報のタグのようなものが、俺の傍らに浮かぶ。『ネロス皇国』『宇宙連邦』『未開惑星保護条例』などなど。
「なるほど。ここは、バーチャル空間か何かか」
「はい。Gライブラリとアクセスしました」
「そういや、鈴はどこだ?」
「ここよ」
頭の上から声が聞こえた。
頭上には、デフォルメされた小さな人形となった鈴が浮かんでいた。
「なんで私だけ、こんな、大雑把な形なのよ」
「すみません。鈴さんは銀河さんの端末にくっついてアクセスしてもらってるので」
「まー、いいわ。無理言って学校休んだんだし、今はきっちり説明してもらうわよ」
「はい。お二人には、すべてをお話します。私がどうして地球に来たのか。そして、なぜこうまで急いで結婚しようとしているのか」
メシエの姿が、すっと消えた。
「ここは私のふるさとの惑星ネロスです。ネロスは五万年の歴史を持つ古い星間国家です。かつては十万の星と三千の従属種族を支配下に置き、宇宙連邦でも有力な星間国家でしたが、それも遠い昔。今は従属種族のほとんどが独立して領土も失い、惑星ネロスをのぞけば古い植民星系、そして昔からの保護惑星を持つに過ぎません」
メシエの声がどこからともなく聞こえる。
きらっ、きらっ。
惑星の表面に輝きが走った。続いて黒い穴ができる。
「あれ何?」
「なんだろうな。あ、タグで情報が出てきた」
『自己消滅型ブラックホールによる重力爆弾』
『穴の直径は百キロメートル、深さ二十キロメートル』
「戦争か何かかな」
鈴はよくわかってないようだが、俺は見えない手で胃をぎゅっと握られた気がした。
深度二十キロメートルというのは、ほとんど地殻をえぐり取るレベルの深さだ。もしこんなものが一発でも日本で炸裂した日には、防ぐ手はない。直撃した場所にいる人間は即死するが、それは災厄の最初の段階だ。えぐれた地殻の底から吹き出る巨大噴火。大量の質量が一気に失われたことによる大地のひずみが引き起こす超大地震が立て続けに発生する。被害の範囲は太平洋一帯に広がり、生じる死者は億人単位で数えられるはずだ。
『銀河さん、鈴さん。これから地表へ移動します』
メシエの声がどこからか聞こえた。
続いて、ぐんぐんと惑星が大きくなる。
真っ赤な溶岩を噴き上げる地殻にあいた大穴の上空を通り抜け、高緯度地帯にある白い山脈の間に建設された巨大なドーム都市へと降りていく。
周囲の動きが止まる。俺はドーム都市にある神殿のような天井の高い建物の中にいた。正面から俺と同年代くらいの男がひとり、早足で突っ込んでくる。あわてて避けようとしたが、男はそのまま俺にぶつかり、そして通り過ぎた。ホログラフの記録映像だ。
『父上! 軌道軍港からの連絡が途絶した! 地上砲台もひとつを除いて破壊されたぞ』
俺を素通りした男が、壮年の男に向かって言う。男のところに『バン皇子』壮年のところに『ホイル皇主』とタグが浮かぶ。
「え? 日本語?」
「いや、声ではラビルボレ、ニオラビフレとかなんとか言ってるな。頭の中で自動翻訳されてるようだ」
「うわ、便利。英語もこれで話せるようにならないかな」
自動翻訳にはわずかにタイムラグがあるようで、声が遅れて届く。
ひゅん。
小さな輝きが空気中に生じ、それが人の姿となる。メシエだ。すでに地球では姿を消して久しいブルマに似た運動着だ。
――宇宙ではブルマが生き残っていたのか。
感慨にふけっていると、俺の頭に乗った鈴がべしべしと叩いてきた。
『父上! 兄上!』
『おお、メシエか』
『学校から緊急転送されました。何があったのですか?』
『この星が攻撃を受けている』
『え?』
メシエが、窓に駆け寄る。彼女が視線を向けた南の地平線が赤く輝いている。
『首都の方角が――』
『重力爆弾だ。首都はすでに地殻まで開いた穴で蒸発した』
『そんな! 私、ついさっきまで、学校でみんなと――』
メシエが床にくずおれる。そのメシエに、皇主が近づいて肩を抱いた。
『聞きなさい、メシエ。お前はすぐに始祖の船に行き、この星を脱出するのだ』
『お父様、いったい何が? 誰がこんなひどいことを?』
『何もわからぬ。だからこそ、危険なのだ』
ひゅん。ひゅん。ひゅん。
複数の輝きが空気中に生じた。続いて全身を緑色の甲冑めいた装束に包んだ姿が現れる。浮かんだタグに『ワール空間突撃兵』の文字。
『おお、ワールか。いったい今まで何を――』
皇主の言葉が途切れた。
皇主は、信じられない、という驚愕の表情で、自分の胸に穿たれた穴を見おろした。
そして、どう、と仰向けに倒れる。
『父上!』
メシエが悲鳴をあげて皇主に駆け寄る。メシエの頭に空間突撃兵が銃を向ける。
記録映像であることを忘れ、駆け寄ろうとした俺の身体をバン皇子がすり抜けていった。
『鎧装!』
バン皇子の腕輪が光った。
逞しい身体が一瞬で黒い鎧に覆われる。
空間突撃兵はバン皇子に銃口を向け直した。
しかし、それ以上は何をする余裕もなく、次の瞬間にはへそのあたりで上半身が断ち斬られ、緑色の血を噴き出して床に落ちた倒れた。
『反乱か! トカゲども!』
バン皇子が空間突撃兵に突進する。無手のように見えるが右腕の籠手が輝いており、これを縦横に振るたび、空間突撃兵が鎧ごと身体を切断されて倒れる。
ひゅん。ひゅん。ひゅん。
しかし、どれだけ倒されようとも、次から次へと転送した空間突撃兵が現れる。
部屋には他にも十数人の男女がいたが、これらは護衛も含めて皆、すでに物言わぬ骸となって床に倒れている。奮闘しているのはバン皇子ひとりだけだ。
『メシエよ』
仰向けに倒れた皇主が、メシエに語りかける。
『始祖の船でソル星系へ向かえ』
『お話は後で。早く肉体凍結してください、父上』
『無駄だ。奴ら、ナノワームを撃ち込みおった。鎧装は使えぬ』
――ナノワーム?
俺の疑問に、Gライブラリが脳内で答える。宇宙連邦では、要人には肉体修復用のナノマシンと原材料のナノマテリアルがあらかじめ休眠状態で埋め込まれている。事故やテロなどで負傷すれば、ナノマシンが目覚めて肉体を修復し、それが不可能なほどの傷であれば中枢神経などの重要器官を凍結状態にして蘇生まで持ちこたえる。バン皇子が身にまとった黒い鎧、鎧装と呼ばれるものも、このナノマシンで作られている。
ナノワームは、これを逆手に取る。ナノマシンを狂わせ、逆に肉体を破壊させるのだ。暗殺用兵器としてこれ以上はないナノワームだが、開発には対応するナノマシンのデザインマップが必要とされる。要人はひとりひとりが違うナノマシンを埋め込まれているし、その情報は厳重に秘匿されている。むしろ大威力の兵器で肉体ごとナノマシンも蒸発させる方が簡単であり、通常はそうする。
じわじわと、皇主の胸に開いた穴が広がっていく。肉体を修復せんと傷口に集まるナノマシンがナノワームに制御を奪われているのだ。埋め込まれたナノマシンが尽きた時、皇主の命も尽きる。
皇主は孤軍奮闘するバン皇子を一瞥した後で、右腕を持ち上げる。金色の腕輪がそこにはめられている。
『メシエよ。お前にこれを託す。これを持ってソル星系に行け』
『ですが、それは皇主の腕輪です。私ではなく――』
メシエが父を、そして兄を見る。
バンの鎧のあちこちに、白い輝きがあった。空間突撃兵の攻撃で破損した箇所が再生する時に出る輝きだ。転移してくる空間突撃兵の数は、なおも増えつつある。
『バンはここを動けぬ。お前が行くのだ』
ホイル皇主が父ではなく、皇主としての顔でメシエに語りかける。
『……わかりました、父上』
メシエは自分の右腕を皇主の腕輪に近づける。
ぬるり。腕輪が蛇のように変形し、皇主からメシエへと移動した。
『行け』
『はい』
メシエは立ち上がり、戦い続けるバン皇子の背中を見た。
『ご武運を、兄上』
そして駆け出す。
空間突撃兵の銃撃がメシエの背中に集中する。
無数の弾道が急カーブを描いて曲がり、バン皇子の左腕の籠手に吸収された。
ひゅん。
新たな転移。他の空間突撃兵より一回り巨大な、赤い甲冑が出現する。
『貴様――シャッコウ!』
赤い甲冑は無言のまま、『二連銃刀』を引き抜く。二本の誘導銃身が、そのまま刀身ともなっている刀だ。遠近両用というよりは、斬り合いで相手の甲冑を砕き、その隙間に零距離射撃を撃ち込むという武器である――という知識が、一瞬で俺の中に入ってきた。
――Gライブラリが馴染んできたのか? 翻訳も口の動きとずれなくなったし。
バン皇子も、拳を固め、赤い甲冑に立ち向かう。
そして、そこで。
周囲の動きが停止した。
「ここまでが、私が緊急脱出用の転送円で転移するまでの間、皇主の腕輪に記録されていた映像です」
すっ、と映像の中にメシエが入ってきた。メシエは沈痛な表情で床に倒れた父を、戦い続ける兄の背を見た。
「私は、父の言葉に従い、始祖の船を動かして惑星ネロスを脱出し、ソル星系に、そして地球に来ました」
「お兄さんは?」
メシエが首を左右に振った。
「わかりません。ですが――」
メシエは手を伸ばし、兄の背に触れようとした。
その手がすっ、と立体映像を通り過ぎる。
「――始祖の船が転移ポイントに到着するまで兄は来ませんでした。追っ手も、また」
敵をバン皇子が食い止めてくれたのだろう。
「いいお兄さんだな。いい男だ」
「ええ」
メシエの唇が少しほころんだ。
「結婚したいというのは、このことと関係あるんだな?」
俺は止まったままの映像全体を身振りで示して聞いた。
「はい。始祖の船には今、三億人のネロス人がいます。私は彼らをソル星系に移住させたいのです」
「三億人?!」
俺の頭の上で鈴が聞き返す。
「どこに住むのよ、そんなにたくさん?」
「月や地球近傍小惑星です。できれば許可を得て、地球の衛星軌道にもコロニーを建設したいです」
許可、という言葉が俺の中で引っかかった。
「妙な話だな。月にも小惑星にも、地球人は住んでいない。地球人に知られれば、地球の衛星軌道に宇宙人が住むことに反対意見は出るだろうが、妨害する力を地球は持たない」
俺はひとつひとつ、論理を追いかける。
「だから、ネロス人が移住してくるのに許可を得る必要はない。それどころか、許可を求めたところで、その許可を与える権限など、地球のどこにもない」
「国連とかは?」
「無理だ。国連であれ、アメリカであれ、議論百出する意見をまとめるだけで何年もかかる。そして、地球の誰かが許可を与えたところで、そこには法的な根拠も強制力もない。世界中が賛成と反対で大荒れに荒れるぞ」
メシエは黙ったまま、俺の言葉を聞いている。
「メシエ。君の言う許可とは、宇宙連邦のルールに基づく許可だな? そのために、結婚が必要なんだな?」
「……はい。どちらも、はい、です」
メシエはほっとした様子で答えた。
「地球はネロス皇国が保護惑星として管理しています。地球のあるソル星系へ移住したり、住民と公に接触するには、本当なら保護を解除する必要があります」
「どうやれば保護は解除される?」
「解除そのものは、簡単です。地球人がすでに宇宙連邦に参加できる知的生物であると、知性化テストで証明して宇宙連邦に届け出を出せばいいのですから」
「テストぉ~?」
鈴がいやそうな声をだす。
「なんだかいやだなぁ……」
「そういえば鈴。こないだの定期テスト、赤点はなかったけど、ずいぶん低空飛行だったそうじゃないか。クラス平均以上が一教科もなかったとか」
「うぐっ……だ、誰がそんな機密情報を……」
「担任の熊野先生だ。心配してたぞ」
「もうっ!もうっ!」
ぺちぺちと鈴が俺の頭を叩く。ポリゴンが荒いせいで腕の角が当たって痛い。
――痛い?
俺は指で子供の時に木から落ちて大けがをした時の腕の傷を探った。少し盛り上がった痕がある。Gライブラリというのは、ここまで再現できるのかと感心した。
「知性化テストそのものは、難しくありません」
メシエの言葉に合わせて、宙に映像が幾つも浮かんだ。大きなトカゲのような生き物が、棒を渡されて天井からぶら下がったバナナっぽい果物を取ったり、ジグソーパズルのようなものを完成させて、餌をもらっていたりする。
「あ、これなら私も合格できそう……てことは、私は宇宙レベルで知的生物ってこと?」
得意そうな鈴。
いや、このテストって、チンパンジーでも合格しそうなんだが……。
「これが知性化テストです。合格すると、宇宙連邦の一員ということになり、先進種族から支援が行われます。ソル星系はネロス皇国の保護領ですので、移住もできます」
「問題はなさそうだな。だけど、これではまずいわけか?」
「……知性化テストに合格すると、ソル星系の転移座標がGライブラリに公開されます。ワールがやって来るかもしれません」
ワール。
その名前は、戦いの記録の中で何度も耳にした。
俺は、バン皇子が戦っている赤い甲冑に目を向けた。
『シャッコウ大竜長』
タグが浮かんでいる。俺の疑問に合わせてすぐに情報が脳内に入ってきた。
『ワール人。ネロス人の従属種族。トカゲ型知性体。遺伝子レベルで刻まれた高い忠誠心を持ち、ネロス皇国においては種族をあげて軍務を任されている』
「忠誠心の高い種族、とあるな」
俺は周囲の惨劇を見た。ワールの忠誠心が実際にどうであったかは門外漢の俺には分からない。が、この裏切りが成功したことそのものが、ネロスの人々がワールの忠誠心を当然のものとして、疑っていなかったことを示していた。
「……なぜ、ワールがこのようなことをしたのか、私には分かりません」
「記録を見る限り、地上を爆撃された時さえ、誰もワールの裏切りに気付いていなかったようだな」
「はい」
「銀兄。こいつらが地球に来たら、どうなるの?」
「鎧袖一触、だろうな。軌道上から都市にマイクロブラックホールを撃ち込んでくるような敵を相手に、どうしろと」
頭の痛いことだった。
「地球の転移座標を公開しなかったら、ワールが来ることはないんだな?」
俺はメシエに確認した。
メシエは緊張した顔でしばらく考えていたが、小さく首を振った。
「すみません。確実とは言えません。ソル星系の転移座標は王家の秘中の秘で、外部に漏れることなどあり得ないのですが……ワールが裏切って故郷のネロスが失われることも、本当ならあり得ないことでした」
「そうか」
「じゃあ無駄ってこと?」
「それでも、私は地球と生き残ったネロス人を危険にさらしたくありません。なので、危険を最小限にするため、ソル星系の転移座標を公開しないですむ方法を選びたいのです」
俺は自分の中でのメシエの評価を上げた。
王たるもの「かくありたい」と「かくあらねばならない」は分けて考える必要がある。
王は「かくありたい」を臣下に示し、共に目指す存在だ。王が「かくありたい」をきちんと示さなければ、臣下は各自の利益と価値観に基づいて勝手に行動を始める。
だが、王が「かくあらねばならない」を臣下に強制してしまうのはもっと悪い。臣下はそうでない、という事実があっても対応できなくなる。王の不興を買って意見を退けられ、まともな手が打てないからだ。
メシエは、不十分ながら王として自分を成長させようとしている。好感を抱けることだ。
「地球人と結婚すれば、それが適うんだな?」
「はい。地球はネロス皇国の保護惑星で、宇宙連邦視点では、ネロス皇家の所有物です。ネロス皇家は地球に対して、適切な管理をする権利を持っています」
「管理?」
「地球人が絶滅する危険があれば、ネロス皇家は、これに介入できます。今はその絶滅の危機に当たります」
「あれ? 絶滅の危機ってあったっけ?」
俺の頭の上で鈴が首をひねる。
……それにしても、俺の頭の上に乗っていて視界の外にいるはずの鈴が“見えている”というのは、どういう理屈なのだろう。俺のこの姿はGライブラリの作った仮想現実に投影されているだけで、仮想現実内の情報は投影された俺の視界とは別に脳に直接送り込まれているのだろうか。
「ワールだ、鈴。あいつらが地球に来る危険がある」
人が住む惑星にマイクロブラックホールをぼこすか落とすような奴らだ。ネロス皇家のことがあろうがなかろうが、地球に近づいて欲しくはない。
「で、その……メシエさんが、銀兄と……コホン」
鈴が咳払いする。
「メシエさんが、銀兄と結婚したとして、銀兄はどうなるの?」
「ネロス皇家の一員となります。そして、ソル星系の代官になってもらいます」
「代官……代官って、時代劇の悪役のお代官様?」
鈴はおばあちゃん子なので、今時の子でも時代劇を知っているのだ。
逆方向の自動翻訳が、メシエにはピンとこなかったのだろう。怪訝な顔になる。
「えーと……悪役ではないです。あくまでソル星系というネロス皇家の領土の管理人です。代官が許可を出せば、ソル星系の資源や空間を利用できるんです」
メシエは生真面目に返す。
「事例があるんだな?」
「はい。昔、デューン帝国が滅亡した際、生き残りが流刑惑星サルダウカーに逃れて、そこの流刑囚の一人と結婚して、捲土重来を図ったという歴史があります」
「なるほど。地球と条件は違うが、そのサルダウカーという星は流刑地だから銀河座標が隠されてたのか。囚人の仲間が救出に来ないようにするために」
メシエが結婚したがっていたのも、結婚相手を代官に任命して、ネロスからの難民が太陽系(ソル星系)で生きていけるようにすることが目的だったわけだ。
「代官になったからといって、地球の支配者にならないといけないとか、そういうのはないんだな?」
「もちろんです。でも、銀河さんが――結婚相手の方が望めば、地球統一のお手伝いはします。将来的には必要なことですし」
「お手伝いというと?」
「まずは――このGライブラリです。宇宙連邦四十億年の叡智が、この中には入っています。地球に似た文明の惑星が、どのように統一されたか。その時にどんな問題がふりかかったか、アクセスしていただければいくらでも情報は手に入ります」
俺は少しばかり意識を集中した。
事例がたちまちタグとなって目の前に並ぶ。ざっとみて、五百以上。
これは多いのか少ないのか、と疑問を抱くとライブラリが自動的に検索して比較をしてくれた。それによると知性化テストに合格して宇宙連邦に参加した種族のほとんどは、文字や技術を手に入れる前の非文明段階だったようで、そちらは万の単位でデータがライブラリに登録されていた。ワールもその中に含まれる。
――地球でいえば、都市文明を築くようになる前か。そりゃそうだな。知性生物としてのポテンシャルは、文字を持たず狩猟採集だけで生きていた一万年前の人類も、インターネットを持つ今の人類も変わりはない。違うのは知識の蓄積と教育の有無だけだ。
俺が読んできたSFだと、先進的な宇宙文明が人類を受け入れるのは、たいていが人類が宇宙に進出した後だ。倫理的にある一定のラインに達しないと、知的種族として受け入れない、なんてSFもけっこうあったように思う。
――ワールみたいな連中が、宇宙連邦の標準だとすれば、倫理なんかどうでもいい、ってことにそりゃなるよな。
けれど、そうなると新たな疑問が浮かぶ。
地球は、どうして知性化テストを受けないまま、保護惑星として扱われてきたのか?
頭の中の疑問に、Gライブラリは答えなかった。
「地球を、ネロス皇国が保護惑星にしてきた理由はなんだ?」
口に出してみる。Gライブラリの返答はない。
「すみません」
ぺこり、とメシエが頭を下げた。
「私も、それは疑問に思って調べたのですが、地球に関する記録は、始祖の船の中の封印された区画に入っているようです。父上なら、ご存じだったかもしれませんが……」
「そうか」
それはネロス皇家がわざわざ封印するほどの深い理由がある、ということだ。
その理由を知らないまま行動を起こすのはためらわれた。後戻りできない選択肢を選ぶのなら、納得した上で行動したかった。
「あの……それで、銀河さん……結婚の、ことなんですが」
メシエが恐る恐る結婚話を持ち出してくる。
俺は答えるべく、口を開いた。
その時。
赤い甲冑が、目の端で動いた。
――なぜ? こいつは記録映像で、今は停止しているはずでは?
赤い甲冑の右手が、俺に向けられた。
===another view
「あの……それで、銀河さん……結婚の、ことなんですが」
メシエの言葉に、考えこんでいた銀河が顔をあげる。
何事かを話そうと口を開いた瞬間。
閃光が、銀河の胸を撃ち抜いた。
「え?」
メシエが驚いて振り返る。
そこには、赤い甲冑姿のワールが立っていた。右の掌部分から、白い煙が上がっている。
『探したぞ、メシエ皇女――我が花嫁よ』
ワールは、シュルシュルと擦過音をたてて舌を鳴らした。
===another view end
次回:『スペース婚活:ブライダル闘技場編』へつづく