ハルマゲドン編
大学に合格して、おんぼろアパートの二階の一室に入ってから今年で十年になる。
大家は顔を合わせるたびに建て直すから早く出ていけとせっついている。金のない俺は出て行く気などさらさらなく、一年、また一年と居座り続けているのだが、それも今宵限りかもしれない。
「私は絶対、絶対に絶対、結婚するんです!」
宇宙人が風呂敷を広げる。
「お前の結婚は、このコスモレオパルト二二七八が阻止する!」
戦闘ドロイドが右腕をアンテナに変形させて天井に向ける。
今まさに、このアパートで、宇宙戦争が始まろうとしていたからだ。
二人がどのような宇宙兵器を繰り出すかはわからないが、築四十年のアパートがそれに耐えられるとは考えにくい。
「……」
メシエはじっと風呂敷を構えて待つ。かなり間抜けな格好だが本人は真剣だ。
「……? ……??」
レオは自信満々で右腕を天井に向けていたが、どうも思っていたのと違うのか、ちらちらと天井を眺めている。
時計の秒針が一周し、そして二周した。
何も起きない。
「あー、すまんが二人とも」
俺は二人に確認した。
「なんでしょう、銀河さん」
「なんだ、民間人」
「ここの住人として聞く。何をしようとしているのかね?」
「私は――」「オレは――」
同時に口を開き、そして閉じる。
「……」「……」
互いの様子をうかがい、そして再び口を開く。
「この布は――」「オレの腕は――」
タイミングがぴったりすぎる二人だった。
片方はドロイド、つまり人造物のようだが、どこか姉妹のようにも見える。
「まず、メシエから言え」
「あ、はい。この布はステイシス風呂敷です。包んだものの時間を止めるもので、大きさは可変。最大で惑星サイズのものを包むことができます」
「時間を止めるとはまた少し不思議な風呂敷だな。何に使うんだ」
「ふだんはお弁当箱を包むものです。できたてのお弁当を包めば、お昼でも温かいままで食べられますから」
「やたら日常的なアイテムだな! でも、その風呂敷でメシエはどう戦うつもりだったんだ?」
「この人が何か攻撃したら、これで包んで止めようと思ったんです」
メシエは大まじめだった。
しかし、ところどころ色あせた風呂敷は、銃弾はおろか、ナイフすら防げそうにない。
「大丈夫なのか、そういう使い方して? 攻撃を受けて破れたりしないのか?」
「たぶん……大丈夫です。ご先祖様が、反乱を起こした惑星をこれで包んで百年ほど時間停止して、その間に各地の反乱軍を各個撃破して鎮圧したとか由来がありますし」
「少し不思議かと思ったらすごい科学だった!」
このステイシス風呂敷って、防御兵器ではなく、攻撃兵器じゃあるまいか。時間を止められた側は無防備になるわけで。
ところで、惑星の時間を止めた場合、惑星の公転はどうなるのだろう? 恒星の周囲を回り続けるのか、それともどこかに飛んでいくのか。
「それで、レオの方は何をする気なんだ?」
「レオ? オレのことか?」
「コスモレオパルト二二……じゃ長いだろ。まあ、レオだと獅子ってことになるんだが、そこは許せ」
「獅子であるレオ……うむ、オレにふさわしいな」
満足そうなレオ。レオパルトがヒョウって意味だと知らないらしい。
こいつはこいつで、かなりポンコツである。
「で、レオ。その右腕はなんだ?」
「ああ、これか。オレの自慢の装備でな。右腕のアンテナを経由して衛星軌道の戦闘衛星を動かし、ここにビーム砲を撃ち込んでやるのさ。半径一キロメートルは焼け野原だ。ふふふ、その風呂敷で防げるかな?」
こいつ、いきなりとんでもないことを言い始めたぞ。
「待て、それだと俺もお前も焼かれるぞ」
「え? あ、そ、そうだな。よし……」
きょろきょろと見回した後、レオは部屋の隅に下がると、俺に向かってくいくいと左手で招く仕草をした。
「お前、ちょっとこっちに来い。ビーム砲の照射半径を、あいつを中心に最小限の十メートルにしたから、オレと一緒に部屋の隅にいれば大丈夫だろう」
「大丈夫じゃねえよ! 焼けるよ!」
「本当か? えらく狭い部屋だな」
「余計なお世話だよ! 止めろよ!」
俺が言うと、レオは少しほっとした様子で右腕をアンテナから元に戻した。
「まあいいだろう。戦闘衛星も今日は具合が悪いみたいだからな」
「戦闘衛星に具合のいい日と悪い日があるのか」
初耳である。
「ウチの会社が契約しているのはインド製なんで、軌道位置が悪い日にはアンテナがたたないんだ。国産の戦闘衛星なら反射衛星を各地に配置してあるから確実なんだけど、契約料が高いんだよ」
「国産ってどこの国だ?」
「日本に決まってるだろう」
これまた初耳である。
……いや待て。何かおかしい。
「しょうがない、戦闘衛星が使えないとなると……コレでいくか」
レオの右腕が再びガチャガチャと変形し、剣の形になる。
ぶぅぅぅん。低い音を立てて、剣の輪郭がブレた。
「震動ブレードだ。こいつで斬られれば傷口が粉砕されて、それはもう酷いことになるぞ。おとなしく降伏しろ」
「イヤです」
「……い、痛いぞ! すごく痛いぞ! それでもいいのか?」
「痛いのもイヤです。でも――」
ステイシス風呂敷を握るメシエの指が震える。
「私には、救わなきゃいけない人たちがいるんです。だからっ!」
メシエがステイシス風呂敷をばさっとふると、風呂敷が大きく広がっていきレオを包み込もうとする。
「うわわわっ!」
「私は地球人と結婚しますっ!」
レオが慌ててとびすさる。風呂敷がしゅるしゅるとレオの足下を掴もうとする。
「ちっ!」
レオはまるで重力がないかのように天井へ駆け上がり、右手の震動ブレードで風呂敷を切り裂こうとする。しかし、まったく通用しない。
どたんばたん。築四十年のアパートが大きく揺れる。もう深夜なのに! ここの一階は、大家の部屋なのに!
「おいこらお前ら」
いい加減にしろ、と怒鳴ろうとした瞬間、それは起きた。
べきっ。アクロバットなレオの動きに耐えられず、天井板が割れた。
「あっ」
穴に足を取られ、天井からレオが落下する。バランスを取ろうとした右腕が、目を大きく開けたメシエの頭に伸びる。
「えっ」
俺はメシエの肩を掴み、引き寄せた。メシエが体勢を崩して倒れる。
「うおう」
レオの右腕が、俺に向かって落ちてくる。これはあかん。
ずだだだだーん!
俺、メシエ、レオが床に落下してあたりのものを吹っ飛ばした。
「銀河さんっ!」
最初にメシエが起き上がり、俺にのしかかってるレオを引きはがす。
「銀河さん! しっかりしてください! あ――」
この時に、ステイシス風呂敷を俺にかぶせようとしていたあたり、俺がどうなっているか、メシエはかなり的確に推測していたと思われる。ステイシス風呂敷は包んだものの時間を止める。致命傷を負ったとしても、死ぬ直前で止めれば、メシエが持つ宇宙技術で蘇生のチャンスがある。
だが、それも俺が即死していなかった場合のみ。震動ブレードは、たとえるならば超高速回転しているチェーンソーのようなものだ。ちょっと押し当てるだけで、震動する刃が触れたものを粉砕してミクロンの単位の切りくずに変えつつずぶずぶと対象を切り裂いていく。人間の胴体なぞ、包丁でキュウリを切断するよりたやすく真っ二つだ。しかも切り口はレーザーブレードのように綺麗じゃない。ぐずぐずになっているのだ。
これらのことは、本当ならもうちょっと未来の俺が知ることなので、ここで語るのは少々アンフェアであるが、ご了承いただきたい。
「おろ?」
実際には、その時の俺は間抜けな顔をして間抜けな声を出し、自分の体を撫でさすって切れてないことに安堵していた。
何があったかはわからないが、ラッキーだったと、そう考えていたのである。
もちろん、違った。
「く……う……な、何が起きた?」
レオがうずくまる。すでに右腕は元に戻っている。
「うう……《最優先コード発動》……え?なんだこの命令は?《全兵装、緊急ロック》……な、なんだと?《全エネルギーをナノマテリアルに変換し、放出》ま、まてっ?!」
ばしゅううう。
レオの体から、白い霧のようなものが放出された。
うにょうにょと広がっていき、ちょん、ちょん、とメシエをつついてから離れた。
そして――「うわわわわ」――俺の体に吸い込まれていった。
「銀河さん、大丈夫ですか?」
「お、おう。なんともない……おい、レオ。今のはなんだったんだ? レオ?」
「うう……なんてこった……」
白い霧が晴れると、そこには幼女となったレオの姿があった。あれだけ立派なおっぱいも、今やぺたーん、としている。
「なんてこった……」
俺はがっくりと肩を落とした。
「それはオレのセリフだ。くそっ、なんでこんなことに!」
ぺちこん。レオが床を叩いた。
どうやら、こいつにも何が起きたのかわかってないようだ。
どんどん! 部屋の扉が叩かれた。
「銀兄【ぎんにい】! ここを開けて! 銀兄!」
「わ、やべえ。大家だ」
これだけ夜中に上の階で騒げば、当然の展開であろう。
ガチャ。こちらの反応を待たず、即座に鍵が外される。大家なので仕方ない。
「銀兄! 何があったの?」
飛び込んできたのは、大家の鈴谷鈴【すずやりん】。頭にヘッドライト、手にはバール。着ているのは花柄のパジャマ。
バールというのは犯罪報道でよく出てくる『被害者はバールのようなもので殴られ』というアレである。てこの原理を使って釘抜きなどをする金属製の棒で、その用途からして、丈夫な作りになっている。思いっきり何かをぶん殴っても、壊れたりしない。手首を痛める危険はあるが、確実に人を撲殺――もとい、無力化したいなら木刀やバットよりも向いている。
「銀兄! ……え?」
鈴のヘッドライトが俺を、続いてメシエを、最後にレオを照らした。
「銀兄……」
俺を照らした。まぶしい。
「この子、誰?」
レオを照らした。小さな尻を。
「で、この子も。誰?」
メシエを照らした。大きな胸を。
「えーとだな、鈴。これには事情があって」
「ほう、銀兄に情事があって。なるほど」
鈴がバールを振りかぶる。
「違う! 逆っ! 逆っ!」
俺が手を振って否定すると、横からメシエが口を出した。
「そうです! 私と銀河さんは、まだ結婚してませんから!」
「あ゛?」
鈴がすごむ。それはいいが、なぜ俺にメンチ切るかね。怖いんだが。
その時である。
「くそーっ、覚えてろーっ!」
ちびっちゃくなったレオが、だだっ、と走り出した。
「きゃっ?」
鈴の隣をすり抜け、開いたままのドアを駆け抜け、外へ逃げ出す。
「オレは諦めないからなーっ!」
呆気に取られた鈴が、毒気の抜けた顔でレオを見送り、そして俺を見た。まぶしい。
「何がどうなってるのよ、銀兄」
「俺が知りたい」
いや本当に。
===another view
「時間柱、不活性モードに入りました。過去からの信号、途絶」
空中に浮かんだホロディスプレイに向かって指を踊らせていたメイド服の少女が、主に向かって報告する。その表情は硬く、声は平板だ。彼女は人間ではなく、女主人に仕えるドロイドである。
「進捗は?」
「コスモレオパルト二二七八の最優先コード発動を確認。無事に対象と接触」
「そう。ならいいわ。計画は終了。……それにしても」
女主人は、空中に浮かぶ、籠のような椅子に背を預け、大きくため息をついた。
「ぎっりぎりよね、この反攻計画。本当に成功したのかしら」
「不明」
ざっ……ざざっ……。
時空にさざ波が走る。時の流れに放り込まれた小石が、小さな波紋を広げる。
「ぎっりぎりよね、この救出計画。本当に成功したのかしら」
「不明であります」
メイド服のハーフドロイドは乳兄弟でもある女主人に肩をすくめてみせた。
「時空連続体の中に閉じ込められてるという意味では、私たちも一緒であります」
「そうよねー。自分たちの過去が、記憶ごと変えられたら、気づけるわけないものね。あ、でも、あんたが消えてないってことは、成功したんじゃない?」
「どうでありましょう? 最初から成否が確認できない前提の計画であります」
「過去改変は宇宙連邦加盟種族にとって禁忌中の禁忌だものね。慎重にもなるわ」
「超越体どもが、自分に都合のいい過去改変ををやらかして、この宇宙を数百回、壊しやがりましたので」
「未来宇宙から『いい加減にしろ』ってティンダロスの猟犬がしこたまこのへんの時空に送られてきてるものね」
「無理もないことであります。ただし、そのせいで超越体だけでなく、私どもも時間旅行ができなくなりましたが」
「例外はただひとつ。宇宙連邦に属さない未開惑星での、改変度Cマイナスのみ。そして地球がこの条件にあてはまるのは、この時間帯が最後よね」
「はい」
メイド服の少女は、不活性になった時間柱の表示に目をやった。
レオが最優先コードを発動させた時刻が、そこに表示されていた。
「もうすぐ、地球は宇宙連邦に正式加盟となるのであります」
===another view end
次回:『スペース婚活:宇宙下克上編』へつづく