第二話 孤独な名前
「こんにちは、ステラお嬢様。今日からお嬢様のお世話をすることになりました、マイスター・リゲルの作った人形です。よろしくお願いします」
夜魔の森にあるステラの屋敷にやってきた人形の少年は、不機嫌そうな顔で出迎えたステラにぺこりと頭を下げました。
「………………」
ステラはその少年の顔をじっと眺めます。
「本当に、人形なの?」
思わずそんなことを訊いてしまったのは、少年が人間にしか見えなかったからです。
その体つきも、顔立ちも、人間そのものでした。
流暢に喋る言葉にも、不自然な部分がどこにもありません。
「ええ。僕はマイスター・リゲルに作られた人形ですよ。だからステラお嬢様のお側にいることが出来ます」
「………………」
ステラは気怠い身体を動かして、少年の身体に触れます。
手に触れて、腕に触れて、最後に顔に触れます。
「固いわね……」
「人形ですから」
そこにあったのは、固い、人形の身体でした。
人間の柔らかい身体ではありません。
無機質な身体は、少年が確かに人形であると示していました。
見た目は完全な人間なのに、少年は確かに人形なのです。
それが酷く不自然なことに思えました。
「なるほど、ね」
そして気付きます。
少年が人形である一番の特徴に。
「無表情、ね」
「え?」
「何でもないわ」
少年は無表情でした。
作り物の顔は、笑うことも、泣くことも、怒ることも出来ません。
たった一つの表情、いえ、表情ですらない、無機質な顔立ち。
それが少年の正体なのです。
「何だ。やっぱりただの人形じゃない」
ステラが吐き捨てるように呟きます。
人間に近い人形だと聞いて、少しだけ期待していたのは確かです。
もしかしたら、本当に自分の孤独を癒やしてくれるのかもしれないと、ささやかな期待をしてしまいました。
けれどそこに居るのは人間ではなく、ただの偽物でした。
人間の振りをした、ただの木偶人形です。
少しだけがっかりして、そしてほっとしました。
こんなものが人間として生きていたら、本物の人間であるステラは救われないと思ってしまったからです。
そして目の前にいる少年が木偶人形だと分かると、ステラも態度を切り替えます。
『ひと』ではなく『もの』だと考えれば、そこまで腹も立ちませんでした。
「あの、ステラお嬢様?」
「何でもないわ。それよりも君はなんていう名前なの? これから私の世話をするのなら、名前を知っておいた方がいいでしょう?」
リゲル先生は、自分が作った人形に、ひとつひとつ名前を付けていました。
それはペットに名前をつけるようなものだと、ステラは考えています。
名前というよりは、区別する為の記号だと認識しているのです。
自分の世話をさせる以上、その記号がなければ不便だと思いました。
しかし少年は首を横に振ります。
無表情のまま、少し期待するような声で言いました。
「僕に名前はありません。僕はステラお嬢様の為に存在する人形ですから、ステラお嬢様に名前をつけてもらいなさいと、マイスター・リゲルに言われました」
「………………」
ステラは忌々しげに舌打ちをします。
悪趣味にも程がある、と吐き捨てたくなりました。
道具に名前を付けるなど、ステラの趣味ではありません。
名前を付ければそれだけ愛着が湧くかもしれないと思うと、ぞっとしてしまいます。
リゲル先生がそれを狙って、ステラに少年の名前を付けさせようとしている事も分かってしまいました。
仲良くして欲しい、という願いはそこから始まります。
名前を与えること。
それがステラと少年の絆になるようにという彼の祈りなのでしょう。
そんなものは必要無いのに。
しかし用事がある度に『君』だの『そこの人形』とか言うのは流石に悪い気がしました。
人の形をしたモノをそんな風に扱うのは、とても悪いことだと思ってしまったのです。
だったらせめて、愛着の湧きづらい名前を付けようと思いました。
「アルファルド」
「え?」
「君の名前よ。私が決めていいんでしょう? だから、アルファルドにするわ」
「アルファルド。それが僕の名前ですか?」
「そうよ」
「分かりました。今から僕はアルファルドですね」
「ええ。よろしくね、アルファルド」
「はい。ステラお嬢様」
「その、お嬢様っていうのは必要ないわ。そう言われるの、嫌いなの」
「ではステラ様でいいですか?」
「ステラでいいわ」
「ステラさん?」
「ステラ、よ」
「ステラ……ですね」
「そう。それでいいわ」
「分かりました。ステラ。ところで、一つ訊きたいのですが」
「何?」
「アルファルドって、どういう意味なんですか?」
「知りたいの?」
「自分の名前ですから、その意味を知りたいと思います」
「孤独なもの、よ」
「え?」
「アルファルドは孤独な星の名前」
「孤独……ですか?」
「ええ。人形としては異端で、人間ではあり得ない。孤独な存在である君にはぴったりの名前でしょう?」
ステラは意地悪そうに笑います。
悪意をもってつけた名前です。
傷つけることが目的でした。
仲良くなど出来る筈がありません。
こんな人間紛い、偽物など、傍に居るだけで腹立たしいと思ってしまいました。
「私と同じね。孤独なまま生きて、そしていつか壊れるんだわ。一人きりで」
「僕は、ステラの為に作られたんです。ステラを孤独にしない為に、ここにいるんです」
「知らないわよ、そんなこと。アルファルドのことなんてどうでもいいわ。私を癒やそうなんて考えないで。不愉快よ」
そのまま、ステラはアルファルドに背を向けました。
二人の出会いは最悪のものでした。
アルファルドと名付けられた少年は、とても悲しくなってしまいました。
傷つけられたことが悲しかったのではありません。
傷つける事しか出来ない、ステラの孤独が哀しかったのです。
そして、これだけ傷つけられても、傷ついた表情すら出来ない自分の事が哀しかったのです。