第九話
クロス・レヴィは誰でもない。
レヴィはある魔術師から貰った姓、十字架という名も教会を皮肉って付けたモノだ。
故に、彼は強烈な“個”を持つ存在に魅せられる。
例えば、少しでも多くの命を救おうと魔術に手を染めた医者、己の欲望のまま暴虐の限りを尽くした王、敵を全て射殺さんと研鑽し続けた百発百中の弓姫、国に忠誠を誓うが故に革命を起こした英雄、技術を発展させることに快感すら得る狂気の科学者、同族を護る為に戦い続けた吸血鬼、そして誰より魔女であろうとする少女。
彼、彼女らはクロスにとって輝きだった。
故に恋しく、故に愛しく。故に羨望し、故に――妬ましいのだ。
彼のように生きれたら、彼女のように過ごせたら。
それがクロスの根源たる願い。
後に、『嫉妬』と名付けられた魔法だった。
炎槍は見事に腹部を貫通しているものの、槍先はなんとか少女に届くことはなく止まっていた。
「いやぁ、危なかった。ぎりぎりセーフですね」
傍から見たらセーフではなく完全に、致命傷なのだが、軽い調子の声に少女の動きが止まった。驚きに涙も止まってしまったのか口をパクパクさせている。
「え……え、えぇーっ!?」
がさり、と音が聞こえた方向を見ると、草木を掻き分けてこちらへ向かってきている獣人の少女の姿。
ふ、と視線が合った。
「……ん?にゃ!?にょぉぉぉっ!槍が刺さってるぅぅぅうっ!」
「あ、今のは少し猫っぽかったですね」
ズボッ、と素手で炎槍を抜くと、槍は空気中に溶けて消え去った。
「何とも、面白い体になりましたねぇ」
風穴が開いた腹部にバチバチと紫電が発生し、すぐにその穴を埋めてしまう。
数秒もすると完全に元通りになっていた。
だが残念ながらスーツはおしゃかである。腹部だけがパックリと開いて肌をさらしていた。
「いったいどうなっているんですか……?」
エルフの少女がまじまじと興味深そうに覗きこんでくる。触れてきそうな勢いだったのでアイテムボックスからローブを取り出して羽織る。
「お腹は結婚する相手にしか見せてはいけないと母から言われているのです」
もちろん冗談だが、実はスーツが破れてしまったことに少しばかりショックを受けているのだった。
スーツにも魔術が刻んであったのだが、それがうまく作動しなかったようだった。いや、作動したからこそ炎槍を止められたのか。
二人の少女の冷たい目に咳払いをし、刀を回収する。男はまだ息があったが、躊躇なく拘束魔術を解除し、血を払って杖に納める。
栓の役割をしていた刃を抜いたことによって一気に出血量が増えた。もう長くはないだろう。
「っは……クソッ、化け物かよアンタ」
息も絶え絶えな男の言葉。
「えぇ、私は化け物ですよ」
何の感慨も無くそう答える。そんなこと聞き飽きたとでも言うように。
「ククッ……俺みたいに魔族に……亜人に恨みを持つヤツは大勢いるぜ……」
二人の少女はその言葉を聞くと苦々しい顔をする。冒険者として人間領にやってきているのだ。それでも種族の違いで苦労したのだろう。
「全員殺していくのか?俺みたいによぉ……?」
口をついて出たのは小さな溜息。青年はそんなこと考えるまでも無いと笑みを浮かべる。
「私は化け物ではありますが、神ではないのですべてを救うなどと大言を吐きません。ただ私が通りすがり、そこに気に入らないことをしようとしているあなたたちがいた。それだけのことです。……災難でしたね?」
「っち……あぁ……最悪だよ」
その言葉を最後に、男は息絶えた。
男の死体を見下ろすクロス。その表情は敬意すら込めた笑みを浮かべている。
そう、あの瞬間。確かにクロスは男の生き様を認めていた。
惜しい、と素直に思う。最後まで独りで、独りきりの復讐であったならば、違う結末もあっただろうに、と。
「さて、私はもうちょっと森の奥に行く用事があるのですが、お二人はどうなされますか?」
エルフの少女はルナ・ウィンザー、獣人の少女はリーヤ・バーネットと名乗った。お互いの自己紹介の後にルナの捻挫を治療し、これからどうするのかを聞く。
助けられた側だからか二人が怯えたような態度を取ることが無かったのは幸いだった。
「え、お一人で、ですか?」
ルナが不思議に問うのを見て何かおかしかったかと考える。
「一人じゃ危険だよ。この森の依頼ランク、全部パーティ戦を見越して設定されてるんだから」
そうなのですか、ととぼけた答えを返すクロスだが、その目は二人を見てはいなかった。
「ですが、まぁ、依頼受けちゃいましたし」
それに、とある方向を指差す。
「私の標的、どうやらアレのようですので」
アレ?と指した方向を同時に見る二人。そこには周りの木々よりも更に大きい、一つ目の巨人の姿が。
「えぇぇっもがっ!」
「ちょっとルナ!声大きいって!」
驚愕の声を上げようとしたルナの口を覆うリーヤ。
小声で怒鳴るという珍しいものを見せる二人に気付いていなかったのか、と逆に驚く。
地面から巨人が歩いてくる振動が伝わってきていたのだが、二人は既に疲れ切っていたため、察知能力が低下していた。
それに加え、森に入ってはいるものの、サイクロプスの生息地はもっと奥だと知られている事も驚きの原因だ。
「何で?なんでこんな所にサイクロプスが!?」
「あーもうどうなってんのよこの森ぃ!来るんじゃなかったぁ!」
サイクロプスはランクとしてはAでも、四人以上のパーティを想定して設定されている。
その事実にわたわたと慌てる二人を落ち着かせるため、クロスは二人の頭を撫でた。
「大丈夫。言ったでしょう。アレは私の標的だ、と」
二人を庇うように前に出る。だがそれは守るためではなく、彼女たちを巻き込まないように配慮した結果だった。
刀を抜き、刃先で一直線に指し示す。狙うは樹に隠れて見えない胴体。
バチバチと刃が紫電を纏っていく。
扱い方は既に把握していた。炎槍で無事だった理由、それはこの能力が今まで常に発動状態だったからだ。
己の肉体を雷に変え、自在に操る能力。そのチカラをクロスは見極めていく。
刃のみではなく、全身から紫電を発生させる。雷が踊り、薄暗い森の中を昼間より明るく照らす。
異常なほどのマナに気付いたのか、サイクロプスは物凄い勢いで樹を薙ぎ倒しながら突撃してきた。だが一直線に向かってくるなど愚の骨頂。
ふ、と息を吐き、轟音と共に放たれた白雷は、進路上のの木々を消し飛ばし、なおかつサイクロプスの首から下を全て消失させた。
全力、ではない。三割ほどでこの威力。
――何であの虎は使ってこなかったんでしょうねぇ?
使わなかったのではなく、使わせなかったのだが、クロスにとってはそんなことどうでも良かった。
だが、これでこの能力のことは全て把握出来た。
能力をある程度発動すると、身体構造から半精霊、いや、どちらかというと精霊寄りになっていくようだ。周囲のマナが自身に隷属する感覚すらある。
精霊は身体が全てマナで構成されており、一部が削られてもマナを吸収することで元通りになるという特性を持っている。だからこそ、先程の腹部の損傷はただ、マナを幾らか削られただけという結果になっていたのだった。
――これはあまり多用するべきではありませんね。
見ると、雷が通過した場所は地面が削れ黒く焼け焦げている。
予想外の威力にクロスは溜め息を吐いた。
「あら、こんな所で奇遇ですわね」
未だ微弱ながらも電気を纏う刃を納めていると知った声が聞こえてきた。
「エリシアさん、ですか」
「あら、呼び方戻っていましてよ。エリシア、ですわ」
振り返ると、門で別れた時と同じ町娘の姿のエリシアがいた。
だが、変わっている点が一つ。両手に二本ずつ縄を持っており、その先には簀巻きにされた四人の男たち……クロスが気絶させた冒険者たちの姿があった。
「もしかして、それがギルドマスターからの呼び出しの件ですか?」
「えぇ、エルフ殺しが不審な動きをしている、と。戦場の事までは関与しませんが、ギルド内となっては話は別。信用に係わりますからね」
最後の言葉にまるで商人のようだ、と感じた。いや、実際に商人でもあるのだろう。商品は冒険者という人材と、魔物の素材。
だからこそ、国を越えてギルドは存在しているのだ。
エルフ殺しの死体を一瞥してエリシアはクロスへと一礼した。
「巻き込んでしまってごめんなさい。まさかこんなに動きが早いとは思いませんでしたの」
よく見ると髪はほつれ、汗を流している。襲撃される可能性のあるエルフの冒険者を調べ、急いでこの森へと向かってきたのだろう。
どうやら本当に偶然だったようだった。
「いえ、構いませんよ。このお二人も無事でしたから」
先ほどまでぽかんとしていたルナとリーヤの二人はこそこそと会話をしていた。
「エリシアって、あの審判者のエリシアさんなのかな!?」
「うん、多分……カルディナに移ってきてるって噂あったし……それよりも親しそうにしているクロスさんって何者っていうかさっきの雷なに!?耳がキーンってなったんだけど!もしかしてクロスさんも審判者!?」
びくびくとこちらを見やる二人を見て、エリシアは苦笑しながらもほっと息をついた。
「何にせよ、無事でよかったですわ」
ただギルドの信用が守れたというだけでなく、彼女自身魔族への、亜人への偏見は無く、少女たちが無事だったことに心からの安堵を浮かべている。
むしろ彼女は魔族とは好意的に接しているのだろう。
「エルフ殺し、オセ・ルドイドには元々、依頼中のエルフ冒険者たちの殺害容疑が掛かっていましたの。監視として私が抜擢されたのですが……この場を見る限り、間違いは無いようですね」
エリシアはオセの死体から剣とマジックポーチを奪うとクロスに渡した。
「これは報酬ですわ。といっても別にギルドから口止め料と言う名の報奨金が出るでしょうけれど」
内緒ですわよ、と人差し指を自身の唇に当てる仕草に笑みを浮かべ、クロスはそのままアイテムボックスへと仕舞う。
「ルナ・ウィンザーさん、リーヤ・バーネットさん。今回は本当に申し訳ありませんでした」
二人に向き直ったエリシアは深々と頭を下げる。
「ギルド内部の監督不行き届き、ギルドマスターからも謝罪させていただきますのでどうかギルドまで一緒に来ていただけませんか?」
謝罪に硬直していた二人はそこではっと正気に返った。
「あ、はい。大丈夫です、けど……あ、でも依頼……」
「あぁっ!ルナ、ルナ!今気付いたけどここにいっぱい生えてるの依頼の薬草だよ!これならすぐに依頼の分だけ集まるよ!」
恐縮しきったルナと薬草に飛びつくリーヤ。二人の性格の違いが端的に表れており、エリシアは微笑み、クロスは変わらぬ笑みを浮かべていた。