第七話
クロスは宿屋のベッドに寝転がっていた。
まだ寝るには早い夕刻だが、特にやることも無いのでギルドカードを眺めている。
紹介された魔導具屋で指輪型のアイテムボックスを二十万Gで買い、旅の必需品となりそうなものを買い集めて来た。
二十万Gもしただけはあり、中央の宝石に触れるだけで物質の出し入れが可能で、食物などは自動で保存の魔術が掛かるのだという。
内容量も大きく、一軒家に収まるくらいの荷物までなら入れられる、とのこと。
ただしこれらのマジックポーチやアイテムボックスは生きているものは入れられないという条件がある。
ゼストとは買い物をする前に別れていた。
ふらふらしていたが大丈夫だろうか、とその元凶であると自覚していないクロスはふと思った。
窓から見える夕焼け空にギルドカードを翳す。
弾ける電気と共に表れる称号、『雷を司る者』。
神獣の能力をそのまま引き継いでいるはず、というのはギルドマスターの言だ。そこまで的外れでもないだろう。
だがクロスは天虎が能力を使う前に倒してしまっている。だから明確な使い方のイメージが出来ない。
それに、術式という志向性を与えていれば魔術は問題なく発動することは解っているのだが、毎回魔力を込めただけで電気を発生させていれば問題があるだろう。
魔力は無色でなければならない。無色から詠唱や陣で術へと変換する。それが基本的な元の世界での魔術だ。
故に得手不得手はあっても、使えない属性などあってはならない。それが元の世界での魔術の考え方である。
だが今の状態は決して無色とは決して言えない。このままでは何か他の術を行使する時に予想外のミスをしてしまうかもしれない。
だからまず何よりも、この能力を制御しなければならない。
発電能力を持つ能力者は元の世界にもいたが、特に興味を惹かれなかった。
あの虎自体は期待外れだったが、神獣……神の名を冠するケモノ。
そのチカラを用いればどこまで至ることが出来るのだろうか。
――検証と訓練が必要ですね。
いつもの柔和な笑みではなく、邪悪ささえ感じる三日月の笑みを浮かべていた。
それはまるで、玩具を見つけた道化の笑み。
ゼストは再び門の前に佇んでいた。その目は森からの新たな客を捉えている。
「隊長!準備完了いたしました!」
若い兵士の報告にゼストは頷く。
「『タカの眼』で確認したが、ありゃストーンボアだ。今回も楽勝だな」
ストーンボアとは驚異的な素早さ、突進力と石のように固い皮膚を持つイノシシの魔獣だ。
そのランクBの魔物が三匹街へと迫ってきていた。いつもより数は多いが、森から来る魔物としては普段通りである。
「お前ら構えろ!いくらBランクだからって気を抜くなよ!」
十四人の隊員が威勢よく返事をする。
罠は既に張ってある。実力もあるこの人数なら今回は無傷で乗り越えられるだろう。
実際に目論見通り罠にかかったストーンボアを兵士たちは危なげなく討伐した。
「今夜は猪鍋だ!」
「隊長!今日は宴会ですよね!」
「バカ野郎さっさと死体片付けとけ!」
緊張を解いた兵士たちに指示を出しつつ、もう一人の森からの客を思い出す。
――とぼけた顔してやがったが、ありゃ相当修羅場越えてやがったな。
番外のSSSモンスターである神獣を単独で討伐した男。称号を確認した今でも完全に信じきることは出来ない。
神獣は生ける伝説であり、災害の一つ。
天候を操る龍、炎を宿す狐、海神の蛇、蟲毒の蠍、大地を割る狼。
確認されている神獣はあと五体もいる。
今までどれほどの人間が犠牲になったのか解らない、それほどの存在だ。まだ夢だったという方が信じられる。
今日はたらふく酒を飲んで忘れよう。そう思うゼストだった。
翌朝、クロスはギルドの酒場に来ていた。
酒場と言っても飲んでいるのは薬草を煎じたハーブティーに似ている物だが、正直に言うとあまり質は良くない。
それでも柔和な笑みを変えずに、掲示板の紙を剥がして受付に持って行き、その足で依頼へと出かけていく冒険者たちを眺めていた。
少ないながらもエルフや獣人の姿を見ることが出来る。戦争をしていると言っても人の流れまで止められているわけではないらしい。
種族間で争っていても世界中にいる冒険者やギルドには関係がない、ということなのだろう。
だが冒険者の中には別種族に対する確執を持つ者もいるらしく、不躾な視線を向けれらていたエルフと獣人の二人組は居心地悪そうにさっさと依頼を受けて出て行ってしまった。
同時に、追うように出ていく冒険者パーティも見掛けたが。
「ここ、よろしいかしら?」
声に目を向ければ対面の椅子を指した、如何にも町娘といった格好の女性がいた。
朝だからか他にも席は空いているが、断る理由もない。
「どうぞ。いやぁ、今日は運がいい。こんな美しいお嬢さんとお茶が飲めるとは」
「あら、お上手ですわね」
世辞ではない。美しい亜麻色の髪を持つその女性はスタイルもよく、不思議な魅力に満ちていた。
格好は町娘でも滲み出る気品と美しさは隠しきれていない。
「昨日は挨拶もせずに申し訳ありませんでした。私、エリシア・フォルクスと申しますのよ、神獣殺しさん」
最後は身を乗り出してささやくような声。
テーブルの上で組まれていた腕に大きな胸が乗っており、無意識か意識的か色香を振り撒いていた。
「そして、Sランク冒険者でもありますの」
「これはこれは、先輩冒険者の方でしたか。ご存知でしょうがクロス・レヴィと申します。どうぞよろしく」
一礼し、にこやかに笑むとエリシアもよろしく、と微笑みを返した。
「それで、エリシアさんは」
「あら、エリシアと呼び捨てで構いませんのよ?」
用件を聞きだそうとしたクロスの言葉を遮ったエリシア。彼女はどうもこの会話を楽しんでいるらしいく微笑みを浮かべたままである。
「いえいえ、先輩冒険者の方を呼び捨てなどと」
「そんなことはありませんわ。どうぞエリシア、と。恋人のように呼んでくださいません?」
「いえいえ、そんな畏れ多いこと出来ませんよ」
「あら、何か言う人は私が黙らせますわ。エリシア、と」
「ふむ。……それでは私のことはクロス、と呼んでくださいますか?」
「あらあら。神獣殺しさんを呼び捨てなんて私こそ畏れ多くて出来ませんわ」
「いえいえ、どうぞ気楽にお呼びください」
あははうふふと笑みを交わす二人。
笑みではあるがその表情はぴくりとも動かない。
競っているわけではないが、遠慮の応酬が続いていた。
「それで、エリシアは私にどういったご用ですか?」
打ち解けた二人は呼び捨てでお互いを呼び合うことにしていた。
「用、というほどのことではありませんわ。少しクロスとお話ししたいと思っていまして」
そう言って優雅に紅茶が入ったカップを傾けるエリシア。
「クロスはこれからどうなさいますの?」
これから、というのは今日これからという意味ではないだろう。この国で、この世界で、神獣殺しであるクロスがどう行動するのか。
それを聞いているのだと解っていた。
「今はどこも動きが取り難くなってますわ。ギルドとしてもどうすべきか悩んでいるところですの」
声を潜めて告げた言葉に、クロスは応える。昨日言った言葉と同じだ。
「出来れば戦争なんて血なまぐさいことには関わりたくないですね。ひっそりと平和に暮らしていきたいと思っています」
エリシアはクロスがどこに属するか、それとも既にどこかに属しているのか、ということが不安だったのだろう。
ギルドとしては中立だが冒険者自体が国に属していけないわけではない。自分の故郷の軍に参加する冒険者もいるだろう。実際にSSランクの冒険者の中にも国に所属している者がいる。
そして、冒険者と言うからには金で軍に雇われることもあるだろう。
その中で現れた神獣殺し。圧倒的な力を持つクロスはどうするのか。
「私は、私のやりたいようにやります」
それこそが女神の願いでもある。
傍若無人とも取れる言葉にエリシアは微笑む。
それでこそ冒険者だ、と。
ですが、とクロスは両手の人差し指を立てる。
「まずは、この能力を使いこなせるようになりたいですね」
バチバチと指の間に紫電が迸って、消えた。
一瞬驚いた表情をしたエリシアは極上の笑みを浮かべた。
「また、森に?」
「えぇ。あの森のクエストを受ける方は殆どいないようですから」
冒険者たちを眺めていた限り、外縁部の依頼を受けていた者はいたが、森の奥深くまで入ってしまえば誰も来ないだろう。
ただ冒険者を観察していたわけではなく、どのような依頼が人気なのかといった調査も行っていたのだった。
「でしたら、こちらの依頼なんていかが?」
エリシアが差し出したのはAランクモンスターであるサイクロプスの討伐依頼だった。
「サイクロプスは森の少し奥に生息する魔物で、証明部位は頭の角ですわ。一週間ほど前に貼られた依頼なのですが、Aランクの割に報酬が低く、誰も受けようとしませんでしたの」
読んでみれば、ただの討伐依頼ではなく、証明部位である角を依頼者が求めているとのことだった。
つまり実質的には討伐依頼ではなく、素材提出依頼だ。
「サイクロプスの角は滋養強壮に良いのです。この街の鍛冶師が病気に臥せっておりまして……有能なのですが、ちょっと金遣いが荒く……。今日私が受けるはずの依頼だったのですが、これから祖父に呼ばれていまして受けられそうにありませんの。受けて、下さいませんか?」
この報酬の額もその鍛冶師の精一杯なのだろう。
上目遣いで頼んでくるエリシア。
確かに適格な人選だ。グレース大森林に入っても問題なく、大金を手にしている今報酬にも頓着しない。
それに能力を試せる適度な相手を探してもいた。
ならば、同席以上に断る理由は無い。
「解りました。その依頼、受けましょう」
すぐに受諾し、森へと向かうことにする。エリシアはそんなクロスを街の門まで見送ったのだった。
色々混ざってますが、雷神獣にルビを付けるなら雷を統べる虎となります。
天虎は天を駆ける姿から付けられた俗称、雷神獣は属性、ヴァジュラがそのものを指す言葉、という感じです。