第四話
森のざわめき、木の葉が風に揺れる音でクロスは目が覚めた。
異世界に来て二日目。爽やかな目覚めである。
この旅は別段急いでいるわけでもないのだが、最初の場所から動かないというのはあまりにも不義理だろう。
そう思って立ち上がって伸びをするとまた林檎に似た果物が落ちてきた。
昨日の一つが通常の赤い林檎ならば今日のは青林檎。実に瑞々しく食欲を誘う果実だ。
大樹に礼を言って今回も美味しく頂くと、昨日の様な充足感は無いが、体の中から浄化されていくかのようなすっきりとした爽快感があった。
「この果物、もしかして何か特別なものなのでしょうか」
今更のように思えるが、その答えをクロスが持っているはずもない。
世界樹はありとあらゆる物質を魔力の元となるマナに変換するという能力を持っている。生物は死んでいなければ変換できないが、基本的には大地からマナを吸い上げて成長していく。
その過程で数百年に一つだけ実らせる果物。高濃度マナの塊である赤と緑の果実はそれぞれそれを食したモノに驚異的な能力を与える。赤は神獣を越すほどの魔力、緑は神獣レベルの再生・治癒能力である。
世界樹も気に入ったモノにしかその果実を与えないと言われており、伝説級のシロモノとなっているのだが、何故クロスがそれほどのものを二種類とも手に入れることが出来たのか。
それは昨日倒した神獣の肉体を世界樹がマナとして変換し、取り込んだからである。
神獣はそれだけで数百年生きる怪物であり、肉体そのものが高濃度マナを蓄えている。
一番マナが蓄えられているのは神獣のチカラの源である宝珠なのだが、それがなくとも今まで世界樹自身が蓄えてきたマナ。そして神獣の肉体を変換して得たマナ。それらを使えば果実を二つほど実らせることなど容易いことだった。
変換の際に残した雷帝の宝珠、そして牙と爪は神獣を倒したクロスへの当然の報酬。そして二つの果実は自らを傷付けるケモノを討伐してくれたクロスへの感謝の気持ちであった。
何故神獣が世界樹を傷付けていたのか。それはただ爪を研ぐため、ではない。
元々ここは神獣に近い別のケモノの住処だったのだが、そのケモノを殺し縄張りを奪ったのが最近の話である。
その際に少しばかり減った自身のマナを回復させるため、世界樹を削り、その蜜を舐めと取っていた。世界樹の蜜もまた高純度のマナで構成されており、天虎にとっては絶好の回復スポットだったというわけである。
さて、と林檎を食べ終わったクロスはおもむろに大樹に向き直った。
「いやぁお世話になりました。これこそまさに一宿一飯の恩、いえ二飯ですか」
もちろん果実が大樹からの礼であると知るはずもなく、逆に何か礼になるものはと懐を探っていく。
仕込み杖、は唯一の武器だ。無ければ無いでどうにでもなるが今は手放せない。
懐中時計、は贈り物として自身が貰ったものだから手放すのは贈り主に対して申し訳ない。
財布を渡しても意味はないだろう。
数分間考え込んだクロスは苦肉の策としてあるものを渡そうと決める。
「すみません、何か有用なものを、とでも思ったのですが私、普段からあまり物を持ち歩かないタチでして。これでどうでしょう?」
そう言って頭に乗っているモノを樹の根元に置いた。風に飛ばされないようにと重しとして辺りに落ちていた石を乗せる。
ざわざわと揺れる葉は遠慮しているかのようだった。
「いえいえ、私がお礼をしたいだけなので。物で感謝を示そうなどと可笑しな事だとは思いますがこれもある意味自己満足なのですよ。あぁ、もしいらなかったら捨てても構いませんので」
クロスが置いたのは帽子だ。悪趣味と言われるスーツと同じ柄の物である。
帽子を置くことで黒色の髪が露わになる。
命の次の次くらいには大事な物だったのだが、その割には未練もない。
「機会があれば、また来ますね」
そう一礼し、当てもなく樹の海へと向かうのだった。
夜。蒼い月が世界を照らし、緩やかな風でそよそよと草木が揺れている。
世界樹と呼ばれる大樹、一際太い枝にその少女は腰かけていた。
子供が昇るにしては危険すぎる高度だがそれを気にするモノはいない。
淡い光の粒子が舞う世界樹の丘。その幻想的な光景は見る者すべてに感嘆の念を抱かせるだろう。
そして白いワンピースの少女はまるで妖精のように見える。
少女は機嫌が良いのか足をゆらゆらと揺らしていた。
心地の良い風によって腰まである薄緑の長い髪も揺れており、両手は頭上の白と黒のストライプの帽子を下に引っ張るようにしている。
深々と被った帽子に目は隠されているが、月に照らされる口元はにへら、とだらしのない笑みを浮かべていた。
――あの人は、ちゃんと森を出られるかな?
森にお願いして最短で抜けられるようにはしているものの、少女に出来るのはそこまでだ。今この森では新しい王になろうと魔物たちが蠢いている。
――だいじょうぶだよね。雷帝を倒しちゃうくらいだもん。
そういえば、と思い出す。ただの剣で神獣を殺せるはずもない。あの奇妙な剣には少し懐かしい気配を感じていた。
――どうでもいっか。
帽子に隠されていた碧玉の瞳は、旅立った青年の姿を追っている。
――本当に、もう一度来てくれるかな?
もし次に会ったら、その時は――
笑みを深めた少女の姿が光の粒子へと変化していく。
数秒後、そこには蒼い月に照らされた大樹のみが悠然と佇んでいた。