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作者: 狸小屋

私が彼女と出会ったのは、兄と一緒に大学のそばにあるレストランへ昼食を食べに行ったときだった。


その日、私は、レストランへ向かう前にデパートで兄に買ってもらったきれいなネックレスを首につけていた。兄は一、二年に一回くらい私にプレゼントをくれるのだが、どういう訳かいつもネックレスであった。しかし、私はそんなことは関係なく新しいネックレスをつけ嬉しかった。


しかし、レストランはペット連れ込みOKの店で、動物嫌いの私はそのことだけは少し憂鬱に思っていた。どうして動物に近づくだけで冷や汗が出てくるほど動物が嫌いな私を、兄はこんな店に連れてくるのだろうか。ずっと前から疑問に思ってはいた。しかし、私は兄が大好きだったので気を悪くさせたくなかったし、ここの料理はすごくおいしいので少し我慢してもいいかなと思って黙っていた。それでもやはり、私と兄が店に入ると、犬や猫たちがこっちをふりむき、刺すような視線で睨みつけてうなっているのを見ると憂鬱にならずにはいられなかった。


私はとことん動物がダメなのだ。特に、犬。あいつらのどこがかわいいのだろう。そんな風に自分が思っているせいか、どんなに人懐こい犬も、私に対してはまるで敵を見ているかのように吠えるのだ。もしキリスト教徒とイスラム教徒が分かりあったとしても、私と犬が分かりあうことはないだろう。そんなことを考えながら、ふと犬たちのむこう側をみると一人で座っている女性が目に入った。


なぜか彼女は採光の良くない陰気な雰囲気すら漂う一番奥の席に座っていた。まだ他に席は空いているのに、そんな普段あまり座りたがらないような席にわざわざ座っている人を初めて見たので、私は少し興味を覚えたが、兄は別段気にしている様子もなかった。


私達は柔和な顔をした店員に案内され、私達はいつもの通りカウンター席についた。しばらく待つとおいしそうな料理を背の高いちょっと二枚目の店員が持ってきた。注文したビーフステーキはとてもおいしそうだった。

 

しかし、その日はなぜかそわそわして気持ちが落ち着かなかった。料理を口にしてもその違和感は拭えず、ますます増していくばかりだった。


私はたまらなくなって後ろをふりむくと、例の女性が私にむかって、どういう意味か読み取れないような曖昧な微笑みを浮かべながら手招きをしていた。私は彼女の目線とかち合ってしまって思わず目を逸らした。さっきからの違和感は彼女の視線だったかと思い、そして、知り合いにあんな人がいただろうかと考えた。しかし思い当たる節はなかった。


兄は彼女が私に手招きしているのをみて、私の友人だと勘違いしたのか、「行ってきなさい。ほら呼んでるよ」と私に言った。私は、知らない人だ、言おうと思ったがなおも手招きをしている彼女が気になったので、兄と、食べかけの料理をカウンターに残し、彼女の前に立った。


近くで見ると彼女は40才ぐらいの年齢で、目鼻立ちのはっきりした、なかなかの美人であった。しかしぼろきれを合わせたような不思議なコラージュ模様の服を着て、わざわざ薄暗いところにいる彼女はなんとなく不気味に思われた。


「あのう、失礼ですけどどこかでお会いしましたっけ?」と私は声を掛けた。


「いいえ」彼女は無表情に答えた。


「勘違いなら申し訳ないですけど、先ほどから私を呼んでいたようだったので‥‥」


「はい」


「なにか私にご用件でも?」


「ええ、まあちょっと。少し気になったものですから」


私は声を掛けたことをちょっと後悔した。用もないのに他人を呼ぶのも変だが、初対面の人に向かって気になったなどとは失礼ではないか。私はさっさとこの場を離れて兄のいる席へ戻ろうと考えた。しかし、そんな私の思惑を知ってか知らずか彼女は私に席に座るよう勧めた。座れと勧められた手前、黙って自分の席に戻るのもためらいがあったし、なにより、私の何が気になったのかが知りたかったので、結局彼女の向かいの席に腰掛けることにした。


「今、私のことが気にかかると言いましたけど、私の何が気になるのでしょう? 自分ではあまり自分のことを、そんな目につく人とは思ったことはないのですが‥‥」私は席について彼女に尋ねた。


「おやおや、やはり自分では気が付いておられないようで‥‥ まあ他の人にはわからなくとも私にはわかるんですよ。まあ、そのことは後でお話しましょう」

 

いきなりこんなことを言われては、まるで自分も知らない自分の秘密を知られたようで気持ちが悪い。


「ははあ、まあ私の何を気になさっているのかは後で伺います。じゃあどうして私にも、他の人にもわからないことをあなたはわかるんですか?」


すると彼女は私が予想していなかった一言を言い放った。


「なぜかって? ふふ‥‥それは私が人の心を読み取れるからなんです」


彼女はあっさりと言った。話が怪しくなってきた。宗教の勧誘にでも引っかかってしまったか。


「ええと‥‥あなたはつまり私の心を読んで何か気になるところを見つけた、と。そういうことですよね?でも私はそういう心霊の類はちょっと‥‥」


「まあ、それは信じてもらえませんよね。いきなりこんなこと言っても。ああ、宗教かなにかの勧誘だと思ってますね。私は人を驚かせることが趣味なだけの人間ですよ。心配する必要はありません」


こんな状況では誰だって心配するだろう、と私は思った。


「では信用してもらえるかわかりませんが、心の中のあなたの過去を探ってみましょう‥‥ううん、あなたは少し前まで海の近くに住んでいたようですね‥‥それからその家には‥‥あなたと、他に三人の方が住んでいました。一人はあそこのカウンターにいる若い男性、そして四十歳後半くらいの女性、後は五十歳前半くらいの男性ですね‥‥おや、この男性は心臓が悪かったのですか。心臓病で亡くなってしまったようですね」


私は軽い眩暈を覚えた。その通りなのだ。私と両親と兄の四人家族はこの間まで千葉の九十九里の海の近くに住んでいた。そして私のことをとてもかわいがってくれていた父は心筋梗塞で亡くなったのだった。私のことを前もって調べていたのか?この程度の情報は調べれば簡単にわかることだ。しかし何のために‥‥


「まあ、いいでしょう。信じてもらえなくとも。これから話すことも信じる信じないは、あなたの自由です。さて、あなたは狼少女というのを知っていますか?」


話の展開についていけない。今度は突然、狼少女などという聞きなれない単語が飛び出してきた。


「いえ‥‥イソップ童話の狼と少年なら知ってますけど。それとは違うんですか?」


「違いますよ。狼少女というのは作り話ではなく実際にあった話です。ある女の子がインドの山で見つかりました。彼女はおそらく九歳ぐらいであろうと思われました。彼女は言葉も話せず、生肉を食べ、夜になると遠吠えさえしました。彼女は乳児のとき山に捨てられ、狼に助けられた子供だったのです。そして、狼に助けられ、狼として育ったのです。十七歳で彼女が亡くなるまえごろには人間らしさを取り戻しつつあったようですが、完全に社会に適応することはできなかったようです。人とは人に育てられることで、人らしくなることができるのですね。彼女は狼に育てられたことによって、自分を狼だと思いこんでいた。なぜこんな話をするかわかりますか?」


私はこの話を聞いて、なぜかわからないが大きな不安を感じた。なぜだろう? 私は家族と裕福な暮らしとはいかないまでも、人間らしい幸せな生活をしてきたはずだ。不幸な話ではあるが、この話のどこにも私との共通点は見出せない。しかし正体不明の不安を拭うことは出来なかった。


私は、心拍数がだんだん上がっていくのを感じながらも搾り出すような声で答えた。


「いや、あなたが何を言いたいのかさっぱりわかりませんよ。人を不安がらせるようなことを言って‥‥何なんですか」


「私は不安がらせるようなことを言った覚えはありませんがねえ。ただ、狼少女の話をしただけですよ。それとも話の中になにか不安に思うところがありましたか?」


そう言った彼女は微笑みながらも、瞳の中の光は何か邪悪な雰囲気を漂わせていた。


この人は私の心を本当に読めるのか? 不安がっている私の心を知りながらこんなことを言っているのか? とにかくここにはもう座っていたくない。兄に助けを求めようと、視線を向けたが兄は、知り合いに出会ったらしく話に夢中になっていて、私の視線には気が付かないようだった。そんな私にお構いなく彼女はまた話し出した。


「何を見ておられるのです? ああ、あなたのお連れの方ですね。さて質問です。あのカウンターに座っているあなたのお連れの方は誰ですか?」


彼女はあまりにも当然すぎる事を聞いてきた。カウンターに座っている人物、それは兄だ‥‥そのはずだ。なぜこんな当たり前のことに確信をもてなくなっているのか。私はあの人間を自分の兄だと、これまでずっとそう思ってきた。あまりに当たり前すぎて本当に兄であるのか確認などとったことはない。では、あれは本当に兄なのか? なぜか確信がもてない。さっきの狼少女の話がなぜか頭から離れない。汗が一筋こめかみを流れ落ちる。


「では次の質問。あなたの誕生日はいつですか?」


私の誕生日…思い出せない。いや知らないのだ! なぜそんなことに今まで気が付かなかったのだろう!


「もう一つ質問。あなたは何者ですか?」


‥‥わからなかった。今まで自分に自信を持っていた。自分が自分であることは当たり前の事実だった。しかし、私は自分のことを何も知らずにいたのだ。自分が何者なのかということに目をつむり、それに気づかないふりをしていただけなのか!


「やっと気が付いたようですね。あなたは自分自身が何者かわかってない。脳というものは自分に都合の悪いことは気が付かせないようにする能力があるそうです。自分が、あなたの思っている自分でないということに気付かせないためにね。あなたの脳は全て都合のいいように解釈してきたんですよ。あなたが人間であるためには、それが必要だったんです。どうしてあなたが兄だと思っていた人物は、動物嫌いのあなたをわざわざこの店にばかり連れてきたと思いますか?」


そのとき私の頭にひとつの可能性が浮かんだ。それは到底受け入れられないものだった。そんなことを認めてしまったら私が私でなくなってしまう!


私が、考えたくもない恐ろしい回答に辿り着いたことを、彼女は私の心を読んで気づいたらしく、いやらしい笑顔を浮かべた。私にはまるで悪魔が微笑んでいるかのように見えた。


「その通りです! あなたが今考えたとおりです! ついでに言わせてもらうと、私は人間だけでなく動物達の心も読めるんですよ。だから普通の人には鳴き声にしか聞こえないあなたの話も、心を読むことでわかるのです。あなたも人間の言葉を聞いて理解することはできるようですしね。つまりあなたは―」


言わないで! そう叫びたかった。しかし声のかわりに喉から漏れた音は、私の嫌いな生き物のうなり声でしかなかった。


「あなたは犬なんですよ! 人間なんかではない! 最近じゃ、犬に服を着せたり、人間と同じものを食べさせたりして、自分は人間だと思っている犬が多いんですよ。ああ、ひどい勘違い。あなたが狼少女の話を聞いて不安になったのは、あなたも彼女と同じだからですよ。狼に育てられて狼になりきってしまった狼少女ならぬ、人間に育てられて人間になりきってしまった人間犬ってわけです。かくいう私も、犬が大嫌いでねえ。私達人間と同じに思われちゃたまらない!だからこうやって、自分を人間だと勘違いした犬たちに親切に教えて差し上げているんです。まあ、私の心を読める特殊能力を生かした暇つぶしってわけです。自分が人間でないとわかったときの犬の表情が愉快で愉快で‥‥うふふふ‥‥」


私に彼女の言葉をそれ以上理解する余裕はなかった。現実感の薄れた、ぼんやりとした意識の中で、自分は家族の一員ではなく、ただの飼い犬であったことを理解した。


カウンターにいる、私がこれまで兄だと思っていた人間は、隣の席の客の飼い犬をいとおしそうになでていた。いつも私の頭をなでてくれたのと同じように。そして、気を失って倒れこむ瞬間、私の目に映ったものは、鏡に映っている四つ足で毛むくじゃらの自分の姿だった。


そしてその首には、兄だと思っていた人間が今日私に買ってくれたネックレスがつけられていた。


しかし、よく見るとそれはネックレスなどではなく、どこにでもあるただの犬用の首輪だった。



 (終)



最後まで読んでいただきありがとうございます。評価などいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 真相が明かされる前の恐怖と、明かされた後の恐怖がかけ合わされてとても楽しめました。得体の知れないものに対する怖さよりも、知って初めてわいてくる恐怖心のほうがインパクトがある気がします。
[良い点] 人間だと思わせて実は犬!というどんでん返しが面白いです。 [一言] ショックですよね。もしかして自分が犬?という事に気がついてしまった犬がちょっと可哀想です。
2013/03/21 19:03 退会済み
管理
[一言] 初めまして。心理を上手に使った物語で面白く読めました。  説明に狼少女があり、説得力がありました。動物に実際なればそう考える事もありそうですね。それでは失礼致します。
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