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#16・女神の涙

~ブレストン帝国首都・ケルキウス




 ここブレストン帝国は、ソプニカ諸侯連合の南にあり、ソプニカとハイランド帝国の両方に接した国家で、各国との貿易で高い利益をあげている海洋国家である。海の向こうの諸国とは歴史的に深いつながりがあり、それは文化面でも顕著に現れている。この戦争では中立を謳ってこそいるが、強国であるハイランドの弱体化を願ってか、どちらかといえばソプニカ寄りの姿勢である。

 ブレストン帝国首都の高級住宅街の一角に、マリオンは居た。彼女がここにいる理由は、ハイランドとの和平交渉のためだ。かねてよりブレストン帝国に打診していた和平交渉の仲介が了承され、中立のブレストン帝国で和平交渉が行われることとなった。ソプニカからはマリオンが、ハイランドからは皇太子自らが和平交渉に赴いている。

 先のカレワラ勢の大勝に加え、ハイランドのエピード方面軍で反乱が起きた。それがきっかけとなり、元よりこの戦争に乗り気でなかったハイランド皇太子が動いたようだ。

 何でも、冬の訪れによる兵糧の不足、それとカレワラ勢の大勝。それによってハイランド軍の士気が大幅に低下しているにも関わらず、包囲を解こうとしない上層部に憤慨した下士官が起こしたものだ。反乱自体はすぐに鎮圧されたものの、それがハイランド軍に与えた影響は大きかった。反乱に乗じたソプニカ軍の反撃で、ハイランド軍は手痛い損害を負った。その結果、エピードの包囲は緩められている。

 戦況はソプニカ優位に進んでいる。それはハイランドも解っているようで、交渉はスムーズに進んでいた。お互いにこの戦争を終わらせたがっている。争点はブリュスをどうするかだ。ブリュスを取り戻さないことには、ここまで抵抗した意味がない。ブリュスはハイランドの物ではない。ソプニカの、いや、ユーティライネン家の物だ。マリオンはその一心で、強気で交渉を進めていた。

 ブレストン帝国はソプニカよりもだいぶ暖かい。ソプニカで使っている防寒具は過剰であるが、体を冷やさないのに越したことはない。ましてやマリオンは体が弱いのだ。それが、父と同じ道を進むことを諦めた最大の理由である。

 関係者との会食を済ませたマリオンは、ブレストン側よりあてがわれている宿舎に戻った。侍女のファルクラムは先に戻らせている。どうせ中身のない会話が繰り返されると思っていたが、案の定その通りだった。彼女にそこまで付き合ってもらう訳にはいかない。

 ブレストンの建物や衣服は華やかなものだ。海の向こうの文化と大陸の文化とが併さった独特の様式。そして、それを表現する技術も優れている。工芸関係の技術があまり育っていないうえに、素朴さを良しとする国民性を持つソプニカ出身のマリオンからすれば、なかなか刺激的である。帰る前にブレストン様式のドレスを買って帰ろう。すらりとした華やかなドレスは、ファルクラムによく似合いそうだ。

 宿舎の扉を開けてみれば、暇を持て余していたのか、ファルクラムが飛んできた。

「お帰りなさいませ、あるじ様。お疲れでしょう? お茶でも煎れますねっ」

 ファルクラムは満面の笑みを浮かべ、炊事場に向かっていった。ブレストン帝国南部は茶葉の名産地である。そのせいか、茶を飲み放題というサービスがあった。ソプニカでは茶は貴重品である。それを気兼ねなく飲めるというのは素直に嬉しい。

 コートを脱いで、ソファーに倒れ込む。少ししてからファルクラムが湯気の立ったコップを持ってきた。それを受け取り、少し啜る。熱さで思わず顔が歪んだ。飲むのは少し待ったほうがよさそうだ。

「お疲れさまでした。会食のほうはどうでした?」

 ファルクラムが隣に座る。彼女は侍女という立場であるが、二人のときは隣に座るように言っている。この褐色の肌をした少女が、マリオンが最も信頼を寄せる人だから。

 ファルクラムは元々奴隷である。その独特の容姿に惹かれたマリオンが買い取ったところ、ファルクラムは聡明で、なおかつ誠実だった。そのため、読み書きを教え、秘書を勤めてもらうことにした。彼女とずっと一緒にいるうちに、マリオンにとって彼女はただの秘書以上の存在となっていた。

「特に進展はなかったわ。中身はないだろうな、って予想してたけど、やっぱり予想通り」

 マリオンが首をしかめると、ファルクラムもはにかんだ。彼女の笑顔の前でだけ、マリオンは自分をさらけ出すことができる。普段の強がっている姿ではなく、本当の弱い自分を。

「そうですか。あ、お料理はどうでした?」

「魚ばっかり。味は濃かったけど、悪くはなかったかな」

 ブレストン帝国は海に面しているということで、魚を中心とした食文化が発達している。なかなか魚を食べる機会のないマリオンにとってはこちらも新鮮だった。

 茶を飲んで、一息つく。今度はちょうどいい温度。ファルクラムの肩に頭を預け、目を瞑って少し考え事。

 ハイランド皇太子の対応はあまりにも消極的というか、逃げ腰だった。早くこの戦を終わらせたい。その一心が透けて見えた。

 確かにハイランド軍は多大な出血を被り、冬の訪れで満足な補給もできなくなるだろう。これ以上損害を出さないように、という視点で見れば、皇太子の言動にも納得がいく。

 だが、彼は劣勢を悔いている様子をみじんも見せなかった。交渉の場でも、先の会食の場でもそうだ。ソプニカの健闘を称えこそすれど、ハイランドの状況に関しては極めて淡々としていた。

 動揺を見せない交渉戦術なのかもしれない。だが、それにしては弱気な交渉ぶりである。何せ、停戦とハイランド軍の撤退に加え、ブリュスの返還に、賠償金までふんだくれそうだ。

 ハイランドの思惑がよく見えない。この戦争でハイランドが得たものといえば、ブリュスの一時的な支配権のみだ。こんな結果では、間違いなくこの戦を進めた者の首が飛ぶだろう。

 ひょっとして、皇太子は政敵を蹴落とすために、わざと――。

 いや、いくらなんでも荒唐無稽な話だ。流した血に見合った成果を得られるとは思えない。

 なんだかひどく疲れた。ファルクラムの肩に預けていた頭を少しずつ下にずらしていき、彼女の膝に乗せる。

 すると、ファルクラムの手がマリオンの頬を愛おしそうに撫でたのがわかった。




~カレワラ




「ね、深雪。今日は何を話してくれるの?」

 寝間着に着替えたミカが深雪に問いかける。彼が寝る前に日本史講座をやっていたが、第二次世界大戦の終戦をもって、それは終わった。近代史は駆け足気味になってしまったが、いくら賢いミカとはいえ、近代戦を理解できるとは思えなかったから。

 そんなこんなで、今度は世界史のエピソードを単発で教えていた。今日のネタは何にしよう。

「うーん。じゃあ、『笑わない女』にしましょうか」

 周の幽王と褒姒ほうじの話にしよう。ミカの期待するような視線が可愛らしい。

「昔昔、周という国に、幽王という王様がいました。彼はほうという国を攻めて、褒の人は褒姒という美人を幽王に差し出しました。彼はたちまち彼女に夢中になり、今までの奥さんと別れてしまうほどでした」

 中国の話をするのは初めてだ。聞いたことのない固有名詞が出てきて、ミカは興味津々、といった感じだ。

「ところが、褒姒は全く笑いませんでした。幽王は考えます。こんなに綺麗な女性が笑ったらどんなに素敵だろうか。幽王はなんとか彼女を笑わせようとしますが、彼女は全然笑うそぶりを見せません。ところが、高級な絹を引き裂いた音で、褒姒は微かに笑いました。幽王は喜んで、国中の絹をかき集めて、彼女の前で引き裂き続けました。最初のうちは微かに笑っていた彼女でしたが、やがて反応しなくなりました」

「……ねぇ、絹って、高いんじゃない?」

 この世界にも絹は存在する。隣国のブレストン帝国の一部に製法が伝わっているそうで、庶民は触れることすらかなわない高級品だと、以前サビーネから聞いた。

「そうね。当然、国民の生活は苦しくなるわ。そうなると、恨みがたまるよね。……さて、周の国には、異変があるとのろしを上げて王様に知らせる、っていう仕組みがありました。ある日、何かの手違いで、何も起こらなかったのにのろしが上がりました。諸侯は大変だとばかりに都に駆けつけます。ですが、何も起きなかった、ってことで諸侯は力が抜けてしまいました」

「うん、それは気が抜けちゃうよね」

「そんな諸侯の姿を見て、褒姒は笑いました。今まで見せたことのない、満面の笑み。幽王は大喜びしました。それから彼は何度も、何も起こっていないのにのろしを上げ、諸侯に無駄足を踏ませます。そのたびに褒姒は笑いました。その綺麗な顔をほころばせて。そんなことを何度もしているうちに、諸侯はばかばかしくなってきて、のろしが上がっても集まらなくなってしまいました」

「え、それってまずいんじゃ……」

「その通り。ある時、幽王に恨みを持っていた人が反乱を起こしました。幽王は慌ててのろしを上げますが、またいつものご機嫌取りかと思った諸侯は誰一人集まりません。結局、幽王は殺されてしまい、周の国は滅んでしまいました。褒姒は捕らえられ、その行方は伝わっていません。……おしまい」

 考えてみればずいぶんと救いのない話だ。ミカもちょっと複雑な表情である。

「ねぇ、どうしてホウジは笑わなかったの?」

「……うーん。はっきりした理由はわからないわね。元々そういう性格だったのか、それとも幽王の気を引くための作戦だったのか」

「そっか。……ユウオウの気持ちも、わかる気がするな。僕だって、好きな人には笑顔でいてほしいから。……さすがにさっきの話はやりすぎだと思うけど」

 ミカが恥ずかしそうにはにかんだ。それは一理ある。誰だってそうだろう。好きな人のしかめっ面よりは、好きな人の笑顔を見ていたい。

「……だから、深雪も笑顔でいてね?」

 不覚。ちょっときゅんと来てしまった。これじゃ遠回しな告白じゃないか。全く、こういうことは言われ慣れていないから、どうも敏感に反応してしまう。

「……まったく、生意気言うんじゃないわよ!」

 照れ隠しに、ミカに軽くヘッドロックをかける。

「いたた、ごめんなさい」

『やれやれ、本当に見せつけてくれるじゃない』

 ミカが笑顔混じりに謝ったことで、彼をヘッドロックから解放したとたんにセシリアの声がした。ミカにも聞こえたようで、二人とも同じ方向を向く。

 そこには、腕と脚を組んで宙に浮かんでいるセシリアの姿があった。

「……誰?」

 深雪をかばうかのように、ミカが前に出る。警戒した口調だ。無理もない。突然現れた、宙に浮かんでいる女。そんなの、不審者以外の何者でもない。

「うふふ、そこの少年に姿を見せるのは初めてね。初めまして、私はセシリア。だいたいわかってるでしょうけど、そこのみゆみゆをこの世界に呼び出したのは、この私」

「深雪を!? ……ひょっとして、あの日、深雪と話してた……」

「女の子の会話を盗み聞きとは褒められたものじゃないわよ」

 セシリアはくすくすと笑うと、床に着地した。

「今日の用事は一つだけ。……ミカ、あなたをみゆみゆの世界に送ってもいいわよ」

 唐突な、そして驚きの一言。

 ミカを深雪の世界に連れていく。確かに深雪をこの世界へ送り込んだセシリアからすれば、逆のことも可能なのだろう。

 ミカが深雪の世界に来れば。それはきっと楽しいことだろう。周囲の知らないものに好奇心をいっぱいにしているミカの姿が目に浮かぶようだ。そして、誰もいない暗い部屋に帰ることもなくなるだろう。それは、考えるだけで喜ばしいことだった。

「考えたのよ。さすがに何らかの形でみゆみゆに見返りをあげなくちゃまずいな、って。そこで思いついたのがミカ。みゆみゆに懐いてる貴方を彼女の世界に送る。それだけで十分見返りになるんじゃないかな。ね、みゆみゆ」

 こちらに同意を求めてきた。確かに十分すぎるほどの見返りと言えば見返りだ。

 だが、それだとこの世界はどうなるのか。ただの学生である自分とは異なり、ミカは領主という責任のある立場である。彼がいなくなったことでもたらされる混乱は容易に想像がついた。

 ミカが深雪の世界に来るのは嬉しい。だが、領主としての責任を果たすため、そして深雪から教わったことを活かすために、この世界に残るという決断も、それはそれで嬉しいことだ。

 頷こうか悩んでる深雪を後目に、ミカはすぐに答えを出した。

「……断るよ」

 ミカの口調ははっきりとしていた。表情にも迷いはない。

「あら、どうして? 姉のように慕ってるみゆみゆと、ずっと一緒にいられるのよ?」

「確かに、それは僕にとっても嬉しいことだよ。だけど、僕が深雪の世界に行くってことは、領主って役目から逃げるってこと。それは、カレワラのみんなにも、そしていろんなことを教えてくれた深雪にも申し訳ないことだから。だから……」

 ミカが枕元の護身用の短剣を手に取った。そして、毅然とした表情で短剣をセシリアに突きつける。

「帰って。あまり僕を、迷わせないで」

 彼の後ろ姿が、一回り大きくなったように感じた。セシリアはミカの姿をじっくりと見た後、小さく拍手した。

「……ふふ、合格」

 セシリアの満足そうな声。それはなんだか意味深で。

「合格?」

 思わず間の抜けた声で聞き返してしまった。ミカが剣を下ろす。

「みゆみゆ、貴女はやっぱり仕事をしたわ。英雄として戦場で活躍するのは立派かもしれない。だけど、それは貴女がいなくなったら終わること。残るのは武勇伝だけ。貴女がやってくれたことは、それとは違う。貴女がやったことは裏方だったかもしれない。だけど、貴女は人の意識を変えた。知識を与えた。方法を教えた。ミカっていう領主。そして、その周りで働く人達に。それは、貴女がいなくなっても、ずっと残る。それが、貴女の、女神様の仕事」

 セシリアが今までに見せたことのない、真剣な表情を浮かべる。

「私に頼らなくてもいいような人を作ってくれただけでも、みゆみゆは最高の仕事をしてくれたわ。正直、また生贄を捧げられるのも御免だからね。結局は同じことの繰り返しになっちゃうもの」

 深雪は人の意識を変えた。意識が変わった人は、組織を変える。組織が変わったら、やり方も変わる。そして、セシリアは楽をできるようになるのだろう。これはセシリアから仕事ぶりを褒められた、ということだろうか。

「それじゃ、お邪魔虫みたいだから、私はこれで。……ふふ、この戦争、そろそろ終わるわよ」

 セシリアはそれだけ言い残して、姿を消した。いつものように、急に出てきて急に消える人だ。

「……深雪」

 ミカが短剣を置いて、こちらを向いた。頬が赤い。

「ホントはね、僕は深雪とずっと、ずっと一緒にいたい。さっきの人が言ったみたいに、深雪の世界に行けたら、どんなに楽しいかって思う。きっと、前の僕ならすぐに頷いてたと思う」

 きちんと聴こう。深雪は腰を落として、ミカと目線を合わせる。ミカは少しびっくりした様子だったが、すぐにこちらの目を見てきた。

「だけど、僕はカレワラの領主だから。何度も言ったけど、僕がしっかりしてないと、深雪がいろんなことを教えてくれた意味がないから。……僕は、ユウオウにはなれない。深雪と一緒にいたいってだけで、全てを投げ出すことはできない。深雪が教えてくれたことは、そんなことをするためじゃないから」

 愛する人の笑顔を見るために、国を滅ぼした周の幽王。ミカは彼の気持ちもわかると言いながら、彼のようにはなれないと言った。それは、深雪の教えによって。

 自分がやってきたことが他人に褒められて、それでいて相手にしっかりと根付いている。それはなんだかとても嬉しくて、涙腺が緩んでしまう。あぁもう、年は取りたくないものだ。

「……勘違いされたくないから、このことははっきり言うね。……僕は、深雪のことが好き」

 ミカは頬を染めながらも、はっきりと言い切った。こんな雰囲気で「好き」なんて言われるのは初めてだ。さっきのことと併せて涙が流れたのがわかった。あぁもう、肝心な時に可愛くもなんともない、くしゃくしゃで不細工な顔してる。情けないなぁ、もう。

「……ミカ君、一つ、問題」

 涙を拭いて、明るい口調で問いかける。

「……こういう顔をしてる女の子に、男の子がしてあげることは、なぁに?」

 ミカは少し戸惑うも、意を決したかのように、深雪をそっと抱き締める。

 そして、少しだけ背伸びをして、そっと影を重ねた。

深雪「ミカはわしが育てた」



ちょっと遅くなってしまいました。

戦犯三国無双6Empires。

なお今はFF4をやっている模様。


……年内の完結を目指します。

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