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#15・鮮血と雪と(前編)

~カレワラ・中央広場




 広場には今回出陣する五千五百の兵士が集まっていた。その舞台裏には、指揮官四人とサビーネ、それにミカと深雪がいる。

「あれ? ミユキ、今日は普通の服装じゃん」

 キーラが残念そうな声を出す。そう、今回深雪はいつもの「女神」に変身してはいなかった。

 その代わり、ミカの衣装は気合が入っている。群青色―キンクネン家のテーマカラーだそうだ―を基調にした詰襟の服で、ところどころに金色の刺繍が施されている。また、寒い土地柄を反映してか、襟や袖、合わせ部などには毛皮がついている。今まで見ることがなかった彼の正装は新鮮だ。普段のちょっとゆるい感じとは異なり、非常に凛とした印象を受ける。これが少年領主の本来の佇まい、というものだろうか。

「うん。ミカ君がどうしても、って言うから」

 今回、いつものように訓辞をするべく女神様に変身しようとしたところ、ミカに反対された。今回は僕がやる、と言って聞かなかったのだ。しょうがないので、二人で訓辞を考え、今に至っている。

 いつまでも深雪に頼るわけにはいかない。そんなふうに考えているのだろう。なんだか嬉しくもあり、寂しくもある。

「へぇ。ミカ君がねぇ」

「ふふ、期待してくれていいよ? ねー」

「ねー」

 ミカと視線を合わせ、軽く目配せ。二人で話し合っただけあって、なかなかの出来になったと思う。

「そろそろ時間だ。ミカ、噛むなよ?」

「大丈夫だよっ。それじゃ深雪、サビーネ、また後でね」

 ミカがこちらに手を振り、舞台へと上がっていった。サビーネは裏方ということで訓辞には参加しないらしい。

「……ミユキさん、ありがとうございます」

 二人になったところで、サビーネが頭を下げてきた。

「わわ、急にどうしたんですか?」

「ミユキさんがここに来られてから、色々なものが変わりました。戦況もですし、軍の中身も、それにミカ様の意識も」

 サビーネの口調は感慨深そうだった。だが、深雪には自分がこれらを変えたという意識はない。自分がやったのは、いずれも提案のみ。それを使うかどうかを決めて、成し遂げたのはフィリップであり、ミカである。

「今だから言えますけど、私、この戦に勝ち目はないと思っていました。なんとかしなきゃ、と思っていましたが、私はただの文官です。戦になれば、私にできることなんかありません」

「そんなことないですよ! サビーネさんがいなかったら、あたしやフィリップさんが考えた戦術は実行できなかったですもん! それに、前線で戦っている人がお腹が空かないようにする。それだけで十分すぎる貢献ですよ!」

 輜重輸卒が兵隊なら、蝶々蜻蛉も兵のうち。

 この歌が深雪の脳裏によぎった。やはり兵站担当というのはどの軍隊でも軽く見られるのだろう。兵站の重大性が浸透していないであろうこの世界では余計にだ。

 しかし、サビーネの調達能力は本当に大したもので、必要な物資はすぐに揃えてくれる。今回も準備から出陣までの待ち時間はほとんどなかった。それは誇れる能力であり、それを卑下するのは間違っている。物資を安定して供給してくれるサビーネがいるからこそ、フィリップ達は安心して戦えるのだ。

「私にそこまで言ってくださるのも、ミユキさんぐらいですね。……ありがとうございます」

 サビーネがもう一度頭を下げる。だから、礼を言われる筋合いはないのに。彼女はどうも謙虚すぎる。

「それに、ミカ様が以前よりも生き生きとされたのも喜ばしいことです。やはり、上に立つお方が生き生きとされていますと、下で働く者もやる気が出ますからね」

 確かにミカの件については自分の存在もあると思える。この戦が終われば、自分は元の世界に戻る。そのことが彼に知られてから、ミカは本腰を入れて動き始めた。それがいい方向に進むと信じたい。

「ミユキさんさえよろしければ、ずっとここに居て欲しいものですが……」

 サビーネがくすくすと笑う。だから、そんなに期待しないでほしい。決心が揺らいでしまうから。ここまで来て翻意だなんて、格好悪いったらない。

 とりあえず、サビーネには苦笑いで返答。

 舞台の向こうから聞こえてきたざわめきが静まりだした。そろそろだろう。

「あ、そろそろ始まると思いますよ。ミカ君の大舞台です」

「そうですね。是非とも聞いておきましょう」

 二人は舞台の袖に移り、ミカの姿を見届けることにした。

 緊張するだろうけど、ミカ君なら大丈夫。何せ、あたしの一番弟子にして、弟みたいなものなんだから。

 深雪は緊張してそうなミカの横顔にそんなエールを送るのだった。



 流石に緊張する。

 ミカは目の前に並んでいる五千人の兵士を前に、思わず唾を飲んだ。手が震えてるの、ばれないだろうか。

 兵士の他にも、建物のベランダに野次馬がたくさんいる。おそらくは女神様を期待していたのだろう。しかし、これ以上架空の存在である女神様に頼る訳にはいかない。そして、本当は無関係な深雪にも。

 不慣れなのと緊張とで、詰襟がなんだか息苦しい。だが、父もフィリップも、そして深雪もこのプレッシャーに打ち勝っているんだ。ここでくじける訳にはいかない。じゃないと、深雪が安心できないだろうから。

「……みんな、よく聞いて」

 心を落ち着けながら、叫び声にならない程度の声を出す。後ろの人、聞こえてるかな。だけど、ここで叫び声になっちゃ格好悪いから。

「僕には一つだけ、胸を張って自慢できることがある。それは、この戦が始まってから、ずっとみんなを信じてた、ってこと。これだけは、誰にも負けない」

 声を出してみたら、緊張は少し和らいだ。

 ちょっとだけ嘘をついてしまった。確かに不安になったことはあった。だけど、それは深雪がいたから乗り切れた。そして彼女は、知識があるからこそフィリップ達を信じることができたのだろう。決して盲目的な信頼ではない。自分もそれを心がけるつもりだ。

「それは、これからも変わらない。僕はみんなを信じてる。これだけは、ずっと変わらない」

 兵士達にではなく、自分に言い聞かせるように、ミカは丁寧に言葉を紡ぐ。深雪がいなくなってからも、自分はみんなを信じ続けるだろう。このことは全く変わらないし、変えたくもない。

「この戦が始まってから、みんなには色々な苦労をかけたね。不本意な戦いかたをしたと思ってる人もいるかもしれない。だけどね……」

 思えば、今までの戦いは全て奇襲を主にしている。正面から正々堂々という戦いは一切行っていない。だが、それはしょうがない。そうしないと勝てないのだから。正々堂々とした戦法にこだわって勝利を逃したら、もっと多くの人が死んでしまうし、戦も長引いてしまう。この訓示を考えるときに深雪から言われた言葉を思い出す。

「……戦士は、犬って言われても、畜生って言われても、勝たなきゃダメなんだから。このことはみんな、覚えててほしい。……大丈夫。みんななら、きっと勝てる」

 ここで一度深呼吸。もう少しでこの大舞台も終わる。

「……さっき、僕はみんなを信じてる。そう言ったよね。もう一つ付け加えるなら、僕はみんなの勝利しか信じない。それは僕だけじゃなくて、ここにいるみんなもそう思ってる。そうだよね?」

 建物のベランダや屋根に集まっている野次馬に問いかける。彼らは歓声で返事してくれた。思わず笑みがこぼれる。

「それじゃ、みんな、頑張って!! 僕達の期待に応えて! そして、ハイランドの臆病者を、蹴散らしちゃって!!」

 ミカの言葉が終わると同時に、兵士達は歓声を上げた。



 ミカは立派だった。そう思ったのは深雪だけではなく、サビーネもらしい。彼女が目頭を押さえた姿が少しだけ見えた。

 舞台裏にミカが戻ってくる。彼のどこかやり遂げたような表情はとても可愛らしかった。思わず頭を撫でたくなる。

「ふぅ、緊張した。深雪の気持ちがわかったよ」

「あたしがやりたくないって言ってた気持ちもわかったでしょ?」

「うん。これが最後になれば……いや、最後になるよね」

 ミカは微笑んで、深雪の手を取った。少しどきりとする。あぁもう。

「深雪、サビーネ、行こ。ちゃんと見送りしてあげないとね」

 ミカにエスコートされる形で、深雪は城壁へと向かう。後ろからサビーネがついてきているのがわかった。雑踏からミカへの歓声が上がっているのがよくわかる。彼は元々領民から人気があったようだが、この戦争でいっそう人気を上げたようだ。小さいながらもカレワラのために働いている姿がよく見えるようになったからだろうか。それとも、彼の人間的成長が見えているのか。願わくば両方であってほしい。

 城壁にたどり着くと、次第に小さくなっていく軍勢に向けて、深雪はいつものように敬礼をした。その横で、ミカが見よう見まねで敬礼をする。この光景が最後となるように願う。

 寂しくはあるが、それが一番良い方向に進むと思うから。




~ハイランド軍先鋒・カチューシャ隊




 街道は静かであった。先の戦いの反省を含め、カチューシャは念入りに索敵を行っているが、今のところ敵の気配は見られない。ソプニカ軍はこの状況で籠城を選ぶというのだろうか。

 確かに一万という兵力に正面から対抗できるだけの戦力をソプニカ軍が用意できるとは思えない。だからこそ、彼らは奇襲に終始しているのだ。そして、結局は勝利を収めてきている。彼らが奇襲という選択肢を選ばないとは思えなかった。

「カチューシャ様、督戦官殿より、進軍が遅すぎるのではないかと……」

「放っときぃ。あんな素人に何がわかっとね。それで痛か目ば見るとはこっちばい」

 カチューシャはそう吐き捨てる。だいたい、この出陣自体が督戦官のごり押しなのだから。誰が広めたのか、このことは軍中に広まっており、督戦官への不信感は煮えたぎっていた。ロフスキーは対応に苦慮しているそうだが、カチューシャは不満を隠そうとしない。

 ソプニカ兵、いや、カレワラ兵は強い。カチューシャはそのことをよくわかっていた。用心するに越したことはない。

 ミレーニンの弔い合戦。その意識はある。だが、それで冷静さを失っては、ミレーニンに合わせる顔がない。己の激情を、彼女はそうやって抑えていた。

「カチューシャ様、斥候より報告。この先に敵軍が待ち構えているとのことです」

「やっぱ迎撃してきたね。そんなこつと思っちょったばい。規模はわかるね?」

「およそ三千ほどとのこと。いかがしますか?」

 三千で迎撃してくるとは思えない。間違いなく裏がある。カチューシャはそれを確信した。

 しかし、周囲を見渡してみると比較的開けている。これでは前回のような奇襲はかけることはできまい。ここで後続を待ったところで、督戦官殿から催促されるのがオチだ。裏があるとしても、この状況では対応のしようがない。

 そして、カチューシャの脳裏によぎるのは、負け戦の光景。コリアノフの疲れた顔。ミレーニンの笑顔。

 裏があるなら、裏ごと潰すのがこの状況で取りうる最上の手段か。

「……ひとつ突っついてみるね。全隊攻撃開始!!」

 カチューシャは己の激情にそう理由をつけると、号令をかけ、軍を動かした。

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