#13・女神と領主
~カレワラ城・領主室
「さぁ、信長は志半ばで果てました。天下は光秀が握るのか? 気になる織田家の軍団長の動向は? そこらは明日!」
「えー、また気になるところで切るんだからー!!」
夜。深雪はミカの部屋で、日課である日本史解説を終えた。ここからはミカを寝かしつけるべく、昔話や童話、もしくは子守歌を聞かせている。
「楽しみは後に取っとくもんよ。さ、夜も更けてるから、早く寝よう」
だが、今日は異なった。普段ならベッドに入るはずのミカが机から離れない。神妙な面持ちで、こちらを見つめている。
「……ねぇ、ミユキ。ミユキって、ミユキの世界じゃ、どう書くの?」
「へ? どう書くって、字のこと?」
ミカが頷いた。そういえば、自分の名前を文字にして書いたことはない。深雪はセシリアの魔法によってこの世界の文字を読み書きできるが、ミカ達が漢字を読めるはずがないので、字を書くときはこちらの世界の字で書いていた。
どうして急にこんなことを聞いてくるのかわからないが、せっかくだから説明しよう。解説のときに使っている黒板をもう一度取り出す。
「じゃ、せっかくだから説明してあげましょう。よく見ててね」
深雪は蝋石を使って、黒板にゆっくりと、そして大きく自分の名前を書く。ミカが手元を覗き込んできているので、なんだかとても緊張する。字は下手ではないが上手くもないので、余計にだ。
白雪深雪、という漢字の上に、平仮名でルビを振り、さらにこちらの言葉でルビを振る。
「できあがり」
「へー。これがミユキの世界の文字?」
ミカが興味深そうに見つめている。漢字は西洋の人に受けがいいと聞くが、これを見る限りではそうらしい。
「うん。あたしの世界、っていうか、あたしの国の文字だけどね」
「文字が二種類あるけど、これはどう違うの?」
鋭いところを突いてきた。賢いだけのことはある。
「うーん、説明が難しいな。えっと、この『みゆき』っていうのが、喋るときの言葉と同じ言葉。ミカ君とこの言葉と同じ感じ、かな?」
「ふむふむ」
「そして、この『深雪』っていうのが、『みゆき』って音に意味を持たせた文字、かな? これは書くときに使うんだよ」
なんだか説明に自信がないが、とりあえずそういうことにしておこう。カタカナやアルファベットまで混ぜるととんでもなく面倒臭いことになるので、意図的にスルー。
「むー、難しいね」
外国の人が「日本語難しい」というのはよく聞くが、そのようだ。深雪も外国語は苦手なので、気持ちはよくわかる。
「この『白雪』っていうのが、ミカ君でいうところの『キンクネン』なの。ミカ君達とは逆になってるね」
「そうなんだ。ねぇ、これってどういう意味なの?」
自分の名前の意味。そういえば、あまり深く考えたことはない。父親曰く、産まれたときに雪が降っていたので、深雪という名前をつけたらしい。父の名は暁、母の名は吹雪と、韻を踏んでいることも狙っていたそうだ。ちなみに妹の名前は響で、これは明らかに韻を踏むことを狙っている。また、旧海軍の吹雪型駆逐艦の艦名で統一しているということも最近気付いた。父は詳しいので、有り得る話だ。
「うーんとね、白雪、っていうのは、白い雪って意味。で、深雪、っていうのは、深い雪って意味。こうしてみると雪まみれだね」
「ホントだ。雪ばっかり」
ミカがくすりと笑った。それにしても、どうして急にこんなことを聞いてきたのだろうか。
「どうしたの、急にこんなこと聞いてきて」
「……ミユキの名前、忘れないようにと思って」
深雪の質問を受けたミカの声は少し沈んでいる。別れのことを考えたのだろうか。せめて名前だけでも覚えておこう、と。
『あなたが元の世界に戻るとき、あなたがこの世界にいた記憶は全て消えるから』
セシリアの言葉が脳裏によぎる。
「この戦争が終わったら、ミユキはいなくなっちゃうんでしょ……? 僕達のことも、忘れちゃうんでしょ……?」
ミカの言葉に、深雪は驚きを隠せない。ひょっとして、あの夜にセシリアと話していたことを聞かれていたのか。面倒だからといって声を消さなかったのが、こんな形で表れるとは。
「ミユキが話してたのが、ミユキをこの世界に呼んだ人なんでしょ? ……盗み聞きみたいになっちゃったけど、聞いちゃったんだ」
セシリアの立場も予測している。本当に賢いというか、なんというか。
ミカは椅子をこちらに寄せ、深雪の顔を上目遣いで覗き込んでくる。その仕草に加え、彼の寂しそうな表情はなんだかとても愛らしく、つい母性本能が刺激される。
……って、ミカは真剣なのに、そんな感情を抱くだなんて不謹慎じゃないか。
そんな思いを打ち消すべく、こっそりと深呼吸する深雪だった。
「僕はミユキと離れたくないよ……。ワガママだっていうのはわかってる。だけど、だけど……」
ミカの瞳は潤んでいる。深雪だってミカと離れるのは寂しいし、彼のことを忘れてしまうなんてことになれば余計にだ。
だけど、もしこの世界に残れたとして、そうなれば元の世界にいる友人達はどう思うのだろうか。そもそも、深雪がいなくなったことはどう扱われているのだろうか。
どんな答えを返せばいいか、ベストと思える答えが出てこない。ミカの表情は寂しそうなままだ。最初こそきゅんと来たものの、今では完全に悲しくなった。
そして、自分がなんだか情けなくなってきた。勝手にミカの御伽衆を名乗っておきながら、勝手に姉のように振る舞っておきながら、彼を不安にさせっ放しだなんて。
なんとかしなきゃ。そう思った瞬間――。
「……ぁ」
深雪の胸元で、ミカの声にならない声が聞こえた。
そう、深雪はミカを抱き締めていた。
抱き心地というのだろうか。なんだか凄く良いというか、しっくりくる。そして、ミカの髪からは風呂上がりの良い匂いがして、なんだか落ち着いた。
「……嘘をつくことになっちゃ嫌だから、あたしは先のことは言わない。だけど……」
この世界に来てからずっと、ミカは深雪と一緒にいた。まるで弟みたいだと思ってもいる。
その気持ちも行動も、この世界にいる限りは変わらない。
「……ここにいる間は、あたしはずっとミカ君と一緒にいるから。恩返しとか、義務感とかじゃない。あたしは本心から、ミカ君と一緒にいたい。そう思ってるから」
深雪の言葉が終わるか終わらないかで、ミカは深雪にしがみつき、抱き返してきた。
異性とこんなことをするのは、ミカ相手が初めてだ。だけど、ミカが相手なら文句はない。
ミカを慰めるように、深雪は彼の背中を撫で続けた。
深雪はミカを寝かしつけ、部屋に戻ると、ベッドに寝転んだ。
まだミカを抱き締めたときの感触が残っている。今思えば、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしいことをしてしまったんじゃないか。
『ひゅ~っ、見せつけてくれたじゃない』
窓の方からセシリアの声がした。そっちを向いてみれば、窓枠にセシリアが座っている。
「……せっしー」
「ホント、仲がいいのね。うふふ、微笑ましいったらないわ」
セシリアはくすくすと笑って、深雪のベッドに腰掛ける。それに合わせ、深雪は上体を起こした。そうだ。せっかくセシリアが現れたのだから、気になっていたことを聞いておこう。
「……ねぇ、向こうはどうなってるの?」
「向こう?」
「あたしがいた世界。あたしがいなくなって、どうなってるの?」
深雪の質問で、セシリアはしばし考え込んだ。なんかまずいことになっているのだろうか。それとも、そういうことを教えるのが不味いのだろうか。
「……いいわ。教えたげる。この世界に残るか、それとも向こうの世界に戻るか、それの判断材料になりそうだからね」
セシリアが深雪の頭に手を当てる。
「目、瞑りなさい。昨日、あなたの世界で、あなたがいなくなったことで起こったことを見せてあげるわ」
セシリアの言うとおりに、深雪は目を瞑る。
すると、映像が脳内に流れ込んできた。
深雪が住んでいるS市の中心部。駅前の雑踏のなかには、深雪の母である吹雪と、そして親友である千歳の姿があった。彼女達はたくさんのビラを抱えている。
『何でも構いませんので、情報、情報をお願いします!』
千歳が悲鳴に似た声をあげつつ、通行人にビラを配る。そのビラには深雪の顔写真が写っていた。
深雪の身体的特徴と、アパートの住所。それに、大学の学部にバイト先。ビラにはそんな深雪の個人情報が書かれている。
これって、ひょっとして。
自分は失踪したと取られているのだろうか。だとすれば、二人の悲壮な表情にも納得がいく。
『彼女は私の親友なんです! ほんの些細なことでも構いません! 情報をください!』
ひたすら声をあげながらビラを配る千歳と吹雪。その姿を見ていると、なんだか心が痛くなってきて――。
深雪は思わず目を開けた。それと同時に映像は消える。
「……今の……」
「お母さんと友達でしょ? あの人達は毎週のようにビラを配ってるわよ。それに、この日はたまたま二人だけだったけど、あなたの父親と妹さん。学校の友達。そういう人達もちょこちょこ手伝ってる。まぁ、ここまで来ればわかると思うけど、あなたは失踪したことになってるのよ。突然に姿が消え失せた。そんなふうに」
予想以上の大事になっている。ありえることだとは思っていた。だが、あえて頭の隅に追いやっていた。目の前のことに集中するため。
「あなたが元の世界に戻ったら、今の光景は起こらない。なかったことになる。だけど、ここに残ったら……」
「……皆まで言わないで。わかってる」
この世界に残れば、ミカは喜ぶだろうが、家族や友人は悲しむに違いない。やはり、この世界から去る、という選択をせねばなるまい。
「記憶、どうしても消さなきゃなんないの?」
「まぁ、そうしたほうがいいわねぇ。覚えてたところで、人に言える類の話じゃないでしょうに。作り話乙、なんて言われちゃうわよ」
「そういうのじゃないわよ。ただ、お世話になった人のことを忘れたくないってだけ」
自分の力を認めてくれたフィリップ。友人として接してくれたラナ、キーラ。そして、姉のように慕ってくれたミカ。
彼らのことを忘れてしまうだなんて、絶対に嫌だ。
「……まぁ、あんまり思い詰めないように。まだまだあなたには頑張ってもらう必要があるからね」
セシリアはくすくすと笑い、姿を消した。まったく、責任放棄もいいところだ。もう少し便宜を図ってくれてもいいだろうに。
深雪は再びベッドに寝転んで、目を瞑った。
~翌日
午前中はミカが部屋に閉じこもっていたので、特にすることもなく、キーラやアドルフといわゆる「せーの」をしたりして時間を潰していた。指剣道や海戦ゲームといった簡単な遊びは、深雪からキーラに伝わり、それが兵士達の中に浸透していき、今では結構なブームとなっていた。
そんな日常は、昼下がりにもたらされた情報によって吹き飛ばされた。深雪は領主室に急ぐ。
ハイランド軍が出陣した。それも一万という大軍で。
ここ数日の晴れ間を狙ってのことだろうか。それとも、しばらくの膠着状態で足下を突つかれたか。
「深雪です。入りますよ」
領主室の中には、ミカとフィリップがいた。
「休んでいただろうところをすまないな。なにぶん急報だったものだからな」
「いえ、構いませんよ。フィリップさんこそ、ララさんと……」
「あんまりつっついちゃダメだよ、深雪。フィリップがララと仲良しなのは、公然の秘密なんだから」
ミカが悪戯っぽく笑った。フィリップは苦笑で返答する。
ミカの様子はいつも通りだ。ホッとしたような、寂しいような。
「……大まかなところは聞いているだろうが、ブリュスからハイランド軍が出陣した。兵力は一万。指揮は総大将のコリアノフ自ら執っているそうだ。どうやら決戦を望んでいるようだな」
「決戦、ですか」
「向こうも大変なのかな。このまま睨み合ってれば、こっちはどんどん苦しくなってくるのに」
「ハイランドには督戦官という制度があるからな。現状も把握していない政府から出陣を強要されたんだろう。気の毒だが、こちらにとっては奇貨でしかない」
フィリップが地図の一点を指差した。そこはやや開けた場所で、まとまった兵の運用も不可能ではない。
「我々も決戦を挑む」
「本当ですか!?」
思わず声が上擦った。こちらの動かせる兵力は五千強がいいところだ。兵力差はほぼ倍。この状況で正面から決戦を挑むというのは無謀な気がする。
「エピードの敵軍は長い帯陣で厭戦ムードが高まっているらしい。ならばここで大きな勝利を挙げれば、あちらにも影響が出るだろう。それに、マリオンがブリュスに扇動をかけている。ここでハイランド軍を殲滅すれば、ブリュスの奪還も夢ではない」
フィリップの言うことには一理ある。だが、現状では非常に博打性の高い戦略であることは確かだ。
「だけど、勝ち目はあるの? いくらこないだ勝ってるからって、同じことが通用するとは限らないよ?」
今日のミカはやけに饒舌だ。いつもは話を聞いているだけなのに。
ひょっとしたら、自分は深雪がいなくても大丈夫、だから心配しないで。そんなことを態度で表しているのか。
って、なんだか自意識過剰な気がしてきた。
「確かに、前回のこともある。ただ待ち伏せるだけなら敵は警戒してくるだろう。だが、兵力で劣る我々ができるのは、待ち伏せからの包囲。これぐらいだ」
「じゃあ、どうするの?」
「待ち伏せは何も待つだけじゃない。『釣る』なんて方法もあるさ」
釣る。まさか、それは――。
深雪の訝しげな視線で、フィリップは不敵に笑った。
「……Bの3」
「残念、民間人でしたー。一回休みねー。Eの7!」
「あ、副官です! やりますな……」
「……あまり遊んでばかりではいけないような気が……。あ、次回は私、ラナが久々に出させていただきます」
―――
なんとか一月以内に投稿。
「せーの」は部活の合間によくやってました。