#12・つかの間の日常
~カレワラ城・中庭
珍しく晴れ間が覗いている昼下がり。深雪は木刀の素振りに勤しんでいた。動かないでいては体が鈍ってしまうため、城に出入りしている木工職人に頼んで作ってもらったものだ。寸法は適当に伝えているので、一般的な規格とは微妙に異なるが、素振りには手頃なサイズだ。小学生の頃から続けている剣道は大学生になってからやめているが、素振りだけはたまにやっている。
「ミユキ殿、精が出ますね」
すると、珍しい客。アドルフだ。深雪は素振りを止めて、アドルフのほうを向く。
「拙者達の剣術とは異なりますが、一振り一振り、綺麗な形をされてますね。お見事です」
アドルフの評価に思わず顔がほころぶ深雪であった。団体戦でだが、高校の頃に剣道の盛んなF県で県大会まで出たのは伊達ではないのだ。
「いえいえー。アドルフさん、どうかしました?」
「いえ……少しご用がありまして……」
アドルフはどこか恥ずかしそうにしている。がっちりとした体格である彼がそうしているのは、どこかおかしかった。
「ほほう、用とは?」
「いえ、姫将軍がもうすぐ誕生日を迎えられるのですが……」
姫将軍というと、ラナのことだろう。たしか自分の一つ上の二十一歳と聞いていた。
「へぇ、そうなんですか」
「そのですね、姫将軍はカレワラで働きづめで、大変だと思っておりまして、少しでもお力になればと、お祝いの品を贈ろうと思いまして……」
よほど恥ずかしいのか、アドルフの口調はたどたどしい。見たところ三十歳前後に見えるが、なかなか純情なところがあるようだ。なんだか見ていて微笑ましい。
「なるほど、それでプレゼント選びを手伝え、と?」
「そのとおりです! よくおわかりになられましたね……」
「そういう経験は多いですから!」
男友達は多かったが、恋愛とはほど遠かった深雪は、よく「彼女へのプレゼント選び」の手伝いを引き受けていた。とは言っても、割と男性的な趣味を持っている深雪としては、結構面倒なのであった。何せ、自分がプレゼントされて嬉しいものといえば、歴史関係の珍しい本やB級映画のDVDなのだから。自分がプレゼントされて嬉しいもの、という視点が使えないため、結局、あたりさわりのないデザインのアクセサリーや小物なんかを選んでしまう。
「では善は急げです。アドルフさんがよければ、すぐに行きましょう!」
「あ、はい! 申し訳ありません!」
「ランセンのお菓子で手を打ちましょう」
ランセンとは城下町にある菓子店である。料理はあまり美味しくないカレワラであるが、菓子はなかなか美味しい。
「むぅ、ずいぶんと大きく出られましたな……」
「労働には対価が必要でしょう? 準備してきますので、門のところで待っててくれますか?」
深雪は木刀を納刀するようにして左手に持ち替えると―こういった細かい動作は剣道をやっていた頃のままである―、アドルフに一礼してから部屋に戻るのだった。
~城下町
深雪とアドルフは茶店で一服していた。昼過ぎということで、店内には客が多い。中には兵卒も混じっている。志願兵が増えたせいで、武装した者が城下を歩いている姿をよく見るが、治安や物資はまだ良好である。特に物資だが、後方から無償援助という形で続々と入ってきた。先日、後方の領主に物資を援助させることを約束してくれたマリオンだが、その手腕は流石といったところだろうか。
ラナへのプレゼントは、南方のナディア帝国から入ってきた首飾り。砂漠地帯があるということで、少々エキゾチックな感じのデザインである。
目当てであったランセンの菓子は、店が定休日だったせいで手に入らず、この店で出されているスコーン状の菓子で妥協していた。スコーンに蜂蜜をかけて、口に運ぶ。元の味が薄いせいで、蜂蜜の甘みが目立った。
「ミユキ殿、今日はありがとうございました」
「いえいえ。アドルフさんも気晴らしになったんじゃないですか?」
「そうですね。ここしばらく、新兵の訓練で忙しかったもので……」
フィリップが言うには、アドルフの指揮能力はかなりのものだそうだ。それに、兵士からも慕われているようで、評判もいい。名将と呼んでも差し支えないと思う。
「そうです。ミユキ殿が来られてから、キーラ殿もずいぶんと張り合いが出てきたようですよ」
「キー坊……キーラさんが?」
「そのあだ名も気に入られてるみたいです」
アドルフが少し笑った。思いつきでつけたあだ名だが、気に入ってもらえたのなら名付け冥利に尽きる。
「キーラ殿は、マリオン様や姫将軍とは異なり、奔放に育ってきました。いえ、それはマリオン様のご意向なのですが。拙者が見るに、軍才は亡きカール様に匹敵すると思うのですが……」
確かに中央で辣腕を振るっているマリオンや、フィリップも認めるほどの力量を持つラナと比べれば、キーラは一歩、いや、二歩三歩劣るといった評価なのだろうか。だが、アドルフの言い方では、才能はあるように聞こえる。ラナとキーラの姉妹と長年一緒にいたアドルフの言だ。信用に足るだろう。
「磨けば光る、ということですか?」
「はい。今までは努力をあまりされなかった、というか……。ですが、今は異なりますよ。よく本を読まれたり、フィリップ殿に教えを請われたりされています。ミユキ殿の知識に刺激を受けられたんでしょうな」
キーラにそんな影響を与えていたとは知らなかった。何せ、彼女とは顔を合わせる度にじゃれあっている仲だ。勉強をしている素振りは見せなかった。
ともあれ、いい影響を与えているようで何よりだ。
「おや、ミユキにアドルフじゃないかい?」
噂をすれば何とやら。キーラがふらりと入ってきた。
「おや、キー坊じゃないかい。仕事はどーした、仕事は」
「それはコッチのセリフ。休憩してるんだよー」
キーラがイタズラっぽく舌を出した。姉二人に似て、なんだかんだで彼女も美少女である。こういう仕草は可愛らしい。
「少々野暮用がありまして、拙者に付き合って頂いていたんですよ」
「野暮用ねぇ、怪しいなー」
キーラの口調は楽しそうだ。アドルフがたじろいでいるのが見える。歴戦の猛者も、色恋沙汰には弱いようだ。なんだか面白くて、くすりと笑う深雪であった。
「秘密。ね、アドルフさん」
「で、ですな。秘密です」
「ちぇ、つまんないの」
キーラが残念そうに笑った。
~ブリュス城
ブリュス城では、出陣の準備が慌ただしく行われていた。数日前に本国より届いた命令書。それは、ブリュスに帯陣を続けるコリアノフをなじるものであり、督戦官の責任も問う内容だった。
それを受けた督戦官は顔色を変え、ただちに出陣命令を出した。地域住民から聞いた話によると、例年この時期は晴れ間が続くとのことだ。その情報で、出陣を渋っていたコリアノフも折れたのだった。
兵士が慌ただしく動いているなか、カチューシャは腑に落ちないものを感じていた。
カレワラ軍が行ってくるであろう奇襲への対策ができていない。いくら晴れの日が続いて視界がいいとはいえ、先日大成功を納めた戦術である奇襲をかけてこない訳がない。それどころか、雪解けで足下がぬかるみ、機動力を削がれるおそれは十二分にあった。弓術に優れるカレワラ兵に森林から射かけられては、路上で何もできないまま的になってしまうだろう。それがわからないコリアノフではあるまい。
よほど足下の突き上げが酷いのだろうか。いや、彼は現在の地位に固執するような小人物ではない。彼はいつも、部下のこと、そしてハイランドのことを考えて行動している。だからこそ、自分はコリアノフについていくのだ。
とはいえ、ミレーニンの弔い合戦ということもあってか、兵の士気は高かった。うまく会戦に持ち込めれば、そうそう負けはしないだろう。そんな形に持ち込めれば、の話であるが。だからこそ、コリアノフの決断が引っかかる。
考えがまとまらない。やめておこう。わからないことを案じる柄ではない。
ミレーニンからもらった命だ。彼の仇を討たないことには、彼に申し訳が立たない。
カチューシャは疑念をそうやって振り払うと、部隊長からの報告を受けに行くのだった。
その日の夜。
ロフスキーはブリュス城の領主室に呼び出されていた。コリアノフの私物なのか、蜂蜜酒が見える。
まだ酒を止めてないんだな。医者からさんざん言われてるだろうに。ロフスキーは思わず苦笑した。
領主室の中に調度品の類は一切見られない。何々を接収したという話も聞かないので、元々存在していなかったようだ。金庫に蓄えはあったので、どうやら元の領主―ラナ―は風流を解さない質だったらしい。せっかく柱や天井の造りは良いのに、勿体ないことだ。
「すまん、待たせたな」
コリアノフが入ってきた。ロフスキーは立ち上がり、敬礼をする。コリアノフは軽く礼を返し、座れ、というジェスチャーを出した。それに併せて、ロフスキーは机の向かい側に座る。
「まぁ、酒でも飲んでリラックスするといい」
コリアノフはグラスを取り出して、蜂蜜酒を注ぐ。静かな領主室の中に、瓶から液体が流れていく心地よい音がした。
「医者から止められた、と以前に仰られてませんでした?」
「ふふ、こればかりは止められぬよ」
この人は自分が仕えだした頃から全く変わっていない。新人士官だった頃も、コリアノフの晩酌には散々付き合わされたものだ。指揮のコツなんかを教えてもらいながらだったので、有意義な時間ではあったのだが。
そんな昔のことを思い出していると、コリアノフはうっすらと笑った。
「お主との付き合いは長いのう。よい武将に育ってくれたものじゃ」
コリアノフの口調は少しくだけていた。そんな彼のグラスに酒を注ぐ。
「教え方がよかったからですよ」
「ふふ、上手いことを言うのぅ。……育ったのは軍才だけではないようじゃしな」
「これは幸せ太りですよ」
互いにグラスを掲げる、ハイランド式の乾杯を済ませ、蜂蜜酒を飲む。蜂蜜酒は安い酒だが、酒豪であるコリアノフが愛飲しているだけあって、これは非常に良い物のようだ。甘い香りが鼻に抜ける。
ロフスキーは今でこそ人の良さそうな小太りの男であるが、若い頃はスマートで、なかなかの美男子として通っていた。だからこそ、簡単に美人の嫁をもらうことができた。今では妻から「詐欺だ」と冗談混じりに言われているが。
「そういえば長らく会っていないが、細君は元気かね?」
「えぇ、おかげさまで。近々、三人目の子供が産まれる予定です」
ロフスキーには娘が二人いる。双子で、今は五歳。やんちゃざかりであり、優秀な武将であるロフスキーも手を焼いている。
「ほう。それはめでたい。今の子は確か双子の女の子だったのう」
「えぇ。ピーチクパーチクとうるさくなってきました。そろそろ息子が欲しいですね」
そういえば、妻と結婚するときの仲立ちもコリアノフにしてもらった。まったく、つくづく恩のある人である。
「……さて、話というのは他でもない」
コリアノフのトーンが落ちる。真剣な話のようだ。ロフスキーはグラスを置いて、背筋を伸ばす。
「次の戦、もし儂に何かあれば、何としても撤退せよ。督戦官の意向は無視しても構わぬ」
「……縁起の悪いことを仰いますな」
コリアノフの口調に、どこか嫌な予感を覚えるロフスキーであった。そもそも、このタイミングでの出陣は、普段のコリアノフならやらないだろうに。だからこそ、今の発言には真実味があった。
「無論、儂が危険と判断したら即座に後退する。今のは万が一の話じゃ。じゃが、覚えておいて欲しい」
「……はっ。畏まりました」
「カチューシャは弔い合戦に燃えておるからな。お主に冷静になってもらわねば」
ここで会話は途切れ、二人はグラスに残った酒を飲む。
蜂蜜酒の甘い香りも、ロフスキーの嫌な予感を払拭させてはくれなかった。
ミカ・キンクネンだよ。
ミユキが買い物に行ってたんだってね。いいなぁ、ちょっとアドルフが羨ましいよ。
僕もお菓子は好きだし、今度、機会があればお茶でもしようかな。
機会があれば、ね。
―――
なんと三ヶ月ぶり。大変お久しぶりです。
持っていた案件もケリがついたので、ようやく従来のペースに戻せそうです。
またよろしくお願いします。