#9・雪に咲く炎
~ラガド街道・ラナ隊
雪が積もった森林で、ラナが率いる千人の兵士は息を潜めていた。深雪が提案したという白い外套は、予想以上に視認を困難としている。雪中での戦いは経験したことがあるが、全軍がこのように身を潜めての戦いというのは経験したこともないし、聞いたこともない。戦とは正々堂々と行うものではないのだろうか。
だが、この兵力差を鑑みれば、こういう手段にうって出ざるを得ないのだろう。反発を買うことは必至で、この策を実施に移したフィリップの執念は見習うべきところがある。そして、深雪の奇策も。
雪は音を吸う。静まり返った街道で、ラナはひたすら息を潜める。手袋をしているとはいえ、指先がかじかむのは仕方ない。
思えば、今回の戦にはアドルフの補佐がない。彼はキーラと共に一隊を率いている。部隊の総合力を鑑みての配置とのことだ。無論、ラナもその件は理解できる。キーラは明るく、そして気さくな性格から、兵からの人気は高いが、肝心の指揮能力に関しては少々不安が残るからだ。
だが、初陣以来、ずっと傍についていてくれていたアドルフがいないのは、少々不安であり、そして寂しくもある。ラナにとって、アドルフは護衛役以上の存在であった。今でこそ深雪やミカが親しく接してくれているが、それまでは、肉親以外で気を許せる存在はアドルフだけだったのだから。
「……ラナ様、足音が聞こえます」
ラナの思索は、兵士からの報告でかき消された。耳を澄ませてみれば、確かに雪を踏む音が聞こえてくる。
「……敵が近付いていますね。いいですか、私の合図まで、動いてはなりません」
ラナに与えられた任務は、敵の脇腹を突き、戦列を分断することである。そして、狙うのは敵部隊の尻尾。敵の戦列を分断し、弱らせたところで包囲、せん滅する。それがフィリップの狙いである。
ラナはかじかむ指を暖めながら、乾いた喉を潤すべく唾を飲むのだった。
やはり、戦は終わらなかった。
カチューシャは嫌な予感を抱いたまま、部隊を進ませていた。昨日から降り続いている雪は、ラガド街道をすっぽりと覆っている。街道はまだいいが、真横に広がる森林の地面は真っ白だ。行軍の音と軽口しか聞こえない、静かな世界と白い息が余計に寒くしてくれる。
今回はミレーニンと共に先鋒を授かっている。率いている兵力は六千。兵力的に不安はないが、兵士達の間に楽勝ムードが漂っていることが気になる。敵は小勢、おそらくは城に籠もるのみで、前回と同様、そのうち音をあげるはず。そうなればこの寒い土地ともおさらばだ。
以前、このラガド街道で手痛い伏撃を食らったカチューシャとしては、そんな希望的観測は何の役に立たないと思っている。敵将は「赤い虎」との異名をとるフィリップが率いているらしい。彼の武名はカチューシャも知っており、フィリップほどの男がこのまま黙って引き下がるとは思えない。
「あー寒い寒い。カチューシャよ、いっちょ裸で抱き合って暖まろうぜ」
「……何ば言いよっとね。くらすぞ?」
そんなカチューシャの心境を知ってか知らずか、ミレーニンの軽口は止まらない。彼なりに気持ちを解そうとしてくれているのだろうが、今はそんな気分になれない。
カチューシャやミレーニンといった指揮官クラスならともかく、兵士の間には満足な防寒具が支給されていない。明らかに準備不足であるが、部隊お付きの督戦官―俗に言う政治将校―は攻撃を強行した。督戦官は朝廷より直々に派遣されているため、その発言力は非常に強く、指揮官をも上回る。ハイランド軍は強大な力を持っており、ハイランド帝国発足時は軍部によるクーデターが絶えなかった。そのため、一種のシビリアンコントロールである、督戦官という制度が作られたのだった。督戦官の縛りのもとで戦果を挙げねばならないため、ハイランド軍の指揮官には高い力量が求められていた。
全軍を動かすには準備が足りていないため、今回はカチューシャとミレーニン率いる六千の兵のみで出陣している。目標は橋頭堡の確保であり、そこからもソプニカ軍は籠城するという前提が伺えた。
和平交渉の雲行きが怪しくなった頃から、防寒具の調達は行っているものの、ハイランド軍はソプニカの商人との間に満足なパイプを持っていない。調達は遅々として進まず、防寒具が支給されている者は半数を切っている。今はまだなんとかなるかもしれないが、今後、冬が本番になるに従って、その効果は如実に現れるだろう。防寒具だけではない。足りているのは兵糧のみで、矢も燃料となる薪も、それに馬草も足りていない。督戦官が軍事に疎ければ、こんな弊害が生じる。
「……カチューシャ、嫌な予感がする」
ミレーニンは軽口を止め、重々しい口調で呟いた。この状況で嫌な予感となると、一つしか思い当たらない。
カチューシャも五感を研ぎ澄ませる。
「……何かおるね」
「……ああ。間違いねぇ、兵の気配がするッ!! 全軍に迎撃体勢を取らせるぞッ!!」
「わかっちょる!! 全軍停止、迎撃体勢ッ!!」
カチューシャが号令をかけると同時に、森の中から何かが投擲されてきた。
「あちゃー、バレちゃったか。でも、つっかまえたッ!! みんな、隠れるのは終わり! 行っくよーッ!!」
キーラの号令で、彼女とアドルフが指揮する千人の部隊が、支給された瓶に火を点け、投擲する。目標は兵士ではなく、荷駄である。
瓶が割れ、炎が立ち上る。慌てて消火にかかるハイランド軍であったが、油が燃えているためか、消火に手間取っている。
キーラが投げたのは火炎瓶である。和平交渉決裂後、深雪が提案してきたものだ。薄手の陶器瓶に油を詰め、布で蓋をしただけの簡素なものであるが、効果は見ての通りだ。
「キーラ殿、敵は混乱しています。追撃をかけましょう!」
「うん、わかってる!! ラナ姉みたいに上手にはできないけど、やれるだけのことはやるもんね!!」
キーラの号令で、一斉に矢が放たれる。猟師出身者が多いカレワラ軍の射撃は正確で、混乱しているハイランド軍兵士が次々と倒れていく。
「よし、こんなとこでいいかな! あんまり矢を無駄遣いしないようにね!」
「キーラ殿、森の中に敵を誘い込みましょう。この中は兵士達の領域です」
「そうだね! いい、敵さんが追ってきたら、森の中に誘い込むんだよ! あとは好きに料理してねッ!!」
キーラは精一杯声を張り上げ、徐々に森林の中へと戻っていく。案の定、逆上したハイランド軍兵士の一部が森の中に入ってきた。
こうなれば、普段はこの森で狩りを営んでいるカレワラ軍に分がある。ハイランド兵は身動きや連携が取りづらい場所に次々と誘い込まれ、孤立したところを弓矢で仕留められていく。それは戦闘というよりは、狩りであった。
ほどなくして、ハイランド軍中央部は混乱の坩堝と化した。
一方、ハイランド軍先頭はフィリップ率いる二千の兵と正面から戦闘を繰り広げていた。フィリップが誇る五百人の直属部隊は、彼が傭兵の頃から見出し、育ててきた若者達であり、彼らはカレワラ、いや、ソプニカ最精鋭と言っても過言ではない力量を持つ。そして、彼らと共に戦っているのは、今回志願してきた新兵である。彼らは力量こそさほどではないが、その戦意は凄まじかった。ハイランド軍も先頭にはベテラン兵を集めているが、いかんせん数の優位を活かせぬ隘路である。カレワラ軍の勢いに勝てず、次第に戦列が崩れていった。
さらに、部隊の最後尾をラナが率いる部隊が攻撃している。こちらもカレワラ軍優勢に進んでいた。
そして、部隊の中央部にはキーラの奇襲。
ハイランド軍は三方向から攻撃を受けている形となり、前に進むことも、後ろに退がることもできなくなった。包囲の成立である。
「クソッタレ、どうしようもねぇじゃねぇか!!」
部隊中央部にいるミレーニンはメイスを振るいながら、悲鳴にも似た叫びをあげる。彼は斧槍の使い手であるが、この狭路では自慢の得物も振り回すことはできず、背負ったままであった。
それでも、彼の武芸は一流であった。メイスの一振り一振りが人間の急所へ的確に命中しており、彼の周りには動かなくなったカレワラ兵が数人転がっている。
「……おかしかね。連中、攻撃ばやめちょる」
ミレーニンの背中を守るかのように立ち回っているカチューシャだったが、カレワラ兵の攻撃が消極的になりつつあることに気付いた。射撃は止んでいる。森の中へ攻め行った者の悲鳴は聞こえてくるが、街道にまでは攻撃をしかけて来ないようだ。
「……確かにな。おい、お前等!! 落ち着けッ!! 落ち着いていったん集結しろッ!!」
カレワラ軍からの攻撃が収まったことも手伝ってか、ミレーニンの一喝で、恐慌状態一歩手前であったハイランド軍は落ち着きを取り戻し始めた。ミレーニンは先頭と後方に伝令を出し、一息つく。
「何があったっちゃろうか……」
「さぁな。だが、この機会を逃す法はねぇわな。負傷者の手当と、損害の確認だ」
「そうやね。……また来るかもしれんけん、警戒態勢は解かんとこうか」
「ああ。……ったく、面倒なとこで戦いになっちまったぜ」
ミレーニンは焼け焦げた物資に目をやると、忌々しそうに舌打ちをした。
~カレワラ城
「……坊やよい子だねんねしな……」
深雪はミカの横で子守歌を歌っていた。これは深雪が好きなバンドの曲で、普段はハードロックばかり演っているのに、アルバムの中に一曲だけ紛れ込んでいたという異色の曲である。
寝物語として昔話や童話なんかを話して、ミカが眠くなった頃に子守歌を歌ってやる、というのが最近の日課である。寝物語はともかく、子守歌は好評であった。歌唱力にはそこそこの自信があるので、好評のようで嬉しい限りだ。
ミカが眠ったのを確認して、深雪はベッドの横から窓際へと動く。ミカはカレワラ城に住み込んでいて、カレワラ城も高台にあるため、窓からの眺めは良い。城下町の灯りはぽつぽつと消え始めており、一日の終わりが実感できた。雪がちらほらと降っている。今晩も冷え込みそうだ。深雪が現在住んでいるY県、そして実家のあるF県は、そこそこ冷え込むものの、雪はあまり降らない。これだけ毎日のように雪を見るのは、高校の修学旅行―北海道でスキーだった―以来である。
「やっほー、みゆみゆー」
セシリアの声がした。窓から部屋のほうに振り返ってみると、そこには宙に浮かぶセシリアの姿がある。最近は深雪にだけ姿を見せるのが面倒になったらしく、姿と声を消す魔法を使うのはやめているとのことだ。
「せっしーじゃない。今日は何よ?」
ミカが寝ているので、声量は抑えている深雪だった。正直眠くなってきたので、早めに切り上げて眠りたいところだ。
「そこで戦ってるでしょ? その結果を伝えてあげようと思って」
「あ、気になる話だ、それ」
フィリップを完全に信用して送り出したとはいえ、やはり結果が気になることに変わりはない。何が起こるかわからないのが実戦なのだ。色々と適当な性格であるセシリアが正確に教えてくれるとは思えないが、それでも情報は欲しかった。
「ひとまず、初日は敵軍を包囲して終わり。あの人のことだから、夜襲でも考えてるでしょうけどね。敵軍のテンションはドン底。ま、幸先のいいスタートよ」
「おお、そいつはめでたいわね」
ある程度予想のできていた結果なのだが、やはり嬉しいことに変わりはない。ミカの邪魔にならないよう、小さく拍手。
「この様子だと、案外早く終わるかもね。よかったじゃない、早く向こうに帰れるわよ」
「うーん。確かに嬉しいけど、なんだか寂しくもあるなぁ、それ。ミカ君、ラナっち、キー坊、それにフィリップさん。みんな仲良くなっちゃったからさぁ、どうもねぇ……」
「……うふふ、そこは心配いらないわ」
セシリアが悪戯っぽく笑った。
「みゆみゆが元の世界に戻るときは、あなたの『ここにいた』っていう記憶は、きれいさっぱり消えるから」
「……え?」
突然の話で、呆気に取られたような表情になる深雪。そして彼女は、ミカのベッドの掛け布団が少し動いたことに気付かなかった。
ララ。
……(ぼー)
…………(ぼー)
…………フィリップいなくて、さびしい。
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かろうじて12月中に更新できました。
遅筆なのが本当に申し訳ないです。
ハードロックなのに子守唄というのは人間椅子から。