五話
翌日、体の倦怠感と共に目覚めたネロは、隣のベッドを見つめた。昨晩、遅く帰った時に父の姿がなかったことに、ネロは少しばかり安堵していた。目は腫れていたし、こんなに遅く何をしていたのか問い詰められれば言葉に詰まる。そして何より、ペンダントをどうしたのか尋ねられるのが怖かった。ネロはベッドから降りて靴を履くと、鏡を見つめた。
相変わらずまぶたの上には大きな腫れが居座っていて、どうしようもなかった。
一応顔を洗った時に少し引いた腫れも、まだ触ってみればぶよぶよで、ネロは諦めて服を着替えた。念のため、昨日拾った木を再びベルトに挟み、ネロはポケットに入っていたクッキーを取り出した。
中身は粉のようになっていたが、捨てるのも気がひけたネロはそれを朝ごはん代わりに口へ流し込み、棚に置いてあった工具箱から、ペンチを取り出した。
ネロはしばらくそれを手で触って重みや触り心地を確かめ、かばんへ入れる。
すっと上げた覚悟の表情は勿論、再び吸血城へ乗り込む決心があった。
ネロは少し遅くなる旨を紙にしたため、ダイニングテーブルに置く。
情けなく涙を流して逃げ帰ってきた自分を気合づけて頬を叩き、ネロは家を後にした。
エドワードは村が見えるダイニングの窓に両手を置いて、じっと二時間ほど落ち着きなく外を見つめていた。赤い瞳が映し出す青々とした森とその奥にぼんやり見えるむらの風景は、期待に満ちていた。ソフィアはそんなエドワードの肩から村を見下ろして、小さく鳴いた。
「何だいソフィア?」
ソフィアはそんなエドワードが不服なのか首元を優しくつつき、外を眺めるのをやめさせようとしていた。エドワードはソフィアの頭を撫で、穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫、ネロは来る。あの子はきっと、とても優しい子だから…。こんな僕のわがままに、合わせてくれる…」
エドワードはもう一度外を見遣る。
薄暗い外を走る少年の姿に、もう一度笑みを浮かべた。
ネロは崩れた城壁の穴の向こうを見つめて深呼吸をした。もし奪われたものが母の形見でなければこんな所、二度と訪れはしない。そうして吸血城には悪魔が住んでいると言いふらしてやったのに。ネロは心の中でそう毒づいた。相変わらず重い雲が垂れ込めていた。この城の付近だけ嫌に昼間も暗く、そうした現象もエドワードのせいなのかとネロは考えながら、城内に侵入した。幸い、ソフィアにもエドワードにも気付かれず、うまく二階までやってきたネロは、長い廊下を見つめてため息をつく。
その廊下には等間隔にドアがあり、ソフィアが入っていった部屋を探すのは少々骨が折れた。
ネロは恐る恐る始めの部屋を開いた。
するとその部屋は使われている様子はないものの、清潔で、いつ客がきてもいいように整備されたゲストルームだった。
ネロは念のため、ゲストルームへ足を運び、豪奢で優美な部屋をぐるりと一周して、ペンダントを探したが、やはり見つからない。
ネロが次の部屋に行こうと出口を目指した時、部屋がノックされ、思わず肩を跳ね上げたネロは呼吸を殺してただ閉まったドアを見つめた。
「えっと、ネロ?」
声はエドワードだった。
ネロが驚きから声を出せずにいると、エドワードがおずおずと部屋のドアを開く。
「ああ、やっぱりネロだ。ようこそ、来てくれて嬉しいよ…」
「なんでここが分かって…」
「あ、ごめんね。ネロが来るのをダイニングからずっと待ってて入ってきたのを見たから、つい追いかけちゃった」
最初から見つかっていたのだと知り、ネロは落胆の声を上げた。
エドワードは遠慮気味に室内へ入ると、照れくさそうに笑ってネロを見つめた。
「昨日のクッキー、どうだった?お菓子作るには好きなんだけど、あげる人がいなくて…」
「…捨てた」
「そ、そっか。じゃあ今日も作るからそれで…」
「なあ、ペンダント…返してくれよ。こんなんじゃまともに家にも帰れない」
ネロは再び昨日のように右手を伸ばした。途端エドワードは俯き、先ほどまでの笑みをすっかり無くした悲しげな表情でただ黙った。ネロは中々返事のないエドワードに痺れを切らして部屋を出た。
「アンタがその気なら、俺は自分でペンダントを探す。」
「あ、待って、ネロ!」
ネロが面倒そうに振り返る。エドワードはきょろきょろと落ち着きなく視線をさ迷わせてゆっくりと尋ねた。
「ケーキがあるんだ、よかったら食べていってから探さないか?」




