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三話


 ネロは改めて誰もいないダイニングの窓から外を見つめた。

城は丘にそびえ立っていたので、景色は抜群によく森の木々と村々の明かりが灯った様子が見て取れた。しかしネロは少しその景色が不自然に思えた。

エドワードは城から見える景色を元にあの模型を作ったというが、森に阻まれたこの視界ではせいぜい森の模型が限度である。それなのにも関わらず、どうやってあの模型を作ってみせたのかが一番の謎だった。ネロは益々エドワードへの疑心が晴れぬまま、ダイニングの長いテーブルを見遣った。

この城には人の気配がない。先ほど、エドワードに連れられていた時も使用人なんかともすれ違うことはないし、明かりは沢山灯っていたが、人の声は一つも聞こえない。

真紅の上質なクロスの上には花瓶に生けられたバラが飾ってあり、いきいきとしている。

こんなに人が居ない城で、まさかエドワードは一人で掃除し、花を育て庭を守り、全ての部屋に明かりを灯すのだろうか。ネロは考えてやめた。まさか、そんなはずはない。

そう思っていると、ダイニングの扉が勢いよく開かれた。


「お待たせ!」


とてもいい笑顔で戻ってきたエドワードは、先ほど着ていた喪服のような服から一変して真っ白なタキシードに身を包んでいた。さながらこれから挙式があるのかと思わせるほど浮かれた風体のエドワードは、窓際で突っ立っていたネロを席へと誘導した。


「さあ座って!ああ、誰かと食事するのはいつぶりだろう…僕は君の隣でいいかな?」


上座に案内されたネロは、ぎこちなくその背の高い椅子に座ると、テーブルを見渡した。

エドワードはネロの食事の準備を始め、ネロの目の前には次々とフォークやナイフ、ナプキンにグラスなどがきれいに並べられていく。恐らく城主であるエドワード自ら使用人の役をしているのはなんだかネロにはきまりが悪かった。

やがて、全ての準備が整うと、エドワード自身もネロの隣に腰掛け、パンパンと二度手を打った。

やっと使用人を呼んだのか、そう思って扉に視線を遣っていたネロはテーブルの上が突然賑やかになっていく様を見て、思わず悲鳴を上げた。

食卓は今まで存在していなかった豪華な食事たちがひしめき合うように並び、グラスにはいつの間にかジュースが注がれている。

あまりに一瞬の出来事に、ネロは驚いて開いた口が閉まらなかった。


「今日はお客様がきているからはりきっちゃって…さあどうぞ、あの村一番のお客様」


そして先ほどの笛を鳴らすとすいすいと何処からともなくソフィアが現れ、エドワードが座る椅子の縁に足をかけて止まった。


「どういう仕組みだ?」

「仕組みなんて無いさ!魔法だよ!」


胡散臭い。ネロは顔をしかめた。確かに先ほどの現象がなんなのかは説明できなかったが、ネロは信じなかった。そもそもエドワードを信じてしまって食べてしまわれるのではという恐怖から、この不可解な出来事を飲み込み、考えないことにした。ネロは冷静を装って恐る恐る料理を口へ運んだ。

最初に口をつけたのはトマトのスープ。見た目が赤いので、血ではなかろうかと心配しながら一口飲んだ瞬間、ネロの頭は一気に冴え渡るような感覚に陥り、あまりの美味しさに体を震わせた。


「どうかな?」


穏やかな笑顔のエドワードが、言葉を失っているネロへ尋ねた。ネロは褒めるのが悔しく、そのまま黙って流し込むようにそのスープを飲み干した。

しかし手をつける全ての食べ物がネロには魅力的だった。父が作る料理が不味いわけではないが、こんなにも高級で鮮麗な食べ物の数々を口にしたのは、ネロにとっては生まれて初めて。

数日ご飯を食べなかったかのように食いつくネロへ、軽蔑のような眼差しを送るソフィアが一鳴きした。

エドワードは一口ちぎったパンをソフィアにやりながら、ほほえましげにネロを見つめた。


「ねえ、君の名前を教えてくれないかい?」

「…俺は…」

「勿論、仲良くしなくっていい。お願いだ、一度呼ばせてくれないか」


ネロは食事していた手を止め、真っ直ぐエドワードを見つめた。


「…ネロ」

「ネロ?そうか、君はネロというのか。初めて人間の名前を呼んだよ…、そうか」

「お前、やっぱり人間じゃないのか?」


エドワードは少し笑った。ネロには自嘲しているようにも見えたが、彼の真意はよく分からない。もしかしたら肯定するような意味で笑ってしまったのかもしれなかった。

エドワードは俯いて片手でソフィアの艶やかな羽根を撫でた。


「そうだね、うん、同じような環境では生きていない。僕は、君たちが嫌いな種族だろうから」

「…、吸血鬼…なのか?」


ネロは我ながら踏み込んだことを聞いている。もしかしたら城から帰してもらえないのでは、と思ったが、エドワードは案外あっさりと返事をする。


「いや、そうだな一般的にどう呼ばれているかは知らないけど吸血行動は取らないから違うんじゃないかな?」


ネロは手にしていたパンから手を離した。強烈なニンニクの臭いがしたのだ。先ほどソフィアにやった後、エドワードも食べていたガーリックトーストを見れば、確かに吸血鬼ではないのかもしれなかった。納得がいかない。じゃあ魔法が使えたとして吸血しないでカラスが妻で人間じゃない種族など何であるのかさっぱり分からない。しかしふと庭先で出会ったエドワードの姿を思い出したネロはぼそっと思いついたかのように呟いた。


「悪魔?」


エドワードは顔を上げた。その表情はなぜか異様に明るい。


「あくま…うん、それだね!きっと」


ネロは口を開いて唖然としてエドワードを見つめた。軽く肯定したエドワードにも驚いていたが、ようやく素性が分かったと思えばとんでもないものだったのだ。下手すれば吸血鬼より悪かった。


「何だよそれっ!?おま、え悪魔だぞ?こんな黒い羽根が生えてて地獄に住んでて人とか食べちゃうようなやつなのか、お前!」

「そ、そんなことはしないけど羽根はあるよ」


エドワードは席を立った。ソフィアが抗議の鳴き声を上げたがお構いなしにそのまま両手を広げると、エドワードの背中から紺色の鳥類の羽根が飛び出した。ネロは思わず椅子から転げ落ちて言葉を失った。そして言いたいことを沢山詰め込んだ口を一度閉じて、ネロは抑えた声で言い放った。


「もう嫌だ、帰るっ!」





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