十四話
ハロルドはもたつく足でネロを探して呼んだ。雨は一層激しさを増して行き、視界は悪いし足は泥まみれになった。ネロはハロルドが呼ぶ声を聞き、懸命にハロルドを呼び返す。声が聞こえたのかガレージのドアをがちゃがちゃと動かす音が、ネロの耳に届いた。
「ネロ?いるのか返事してくれ!」
「ああ、ここだ!窓をつきやぶってくれ、そこからじゃ入れねえ!」
ハロルドは辺りを見渡した。そしてそばにあった大きな石を拾い上げると、少し躊躇いながらも窓ガラスを叩き割った。ものすごい風がガレージを引っ掻き回して、ネロの黒髪が揺らいだ。
ハロルドは身長に割れた窓の窓枠を外してガレージに侵入すると、閉じ込められたネロのロープを解いた。
「なあ、何があったんだ?父さんがたいまつを大量に持っていったけど…」
「お前の父ちゃんおかしくなっちゃったのか?吸血城を焼き払うとかなんとか言って、出て行ったんだ」
「なっ…!」
「なあネロどうしよう…父ちゃんたちが吸血鬼にやられたら…!」
ネロはあざがまざまざ残った腕を撫でながら、しっかりとハロルドを見据えておろたえることなく返した。
「父さんを止める」
「えっ?でも、相手は村の男のほとんどだぜ?」
「止めれるさ、俺は父さんの息子なんだ」
ネロはハロルドが開けた窓に足をかけてハロルドに振り返り、何か言おうかと口を開いた。が、言うのをやめて微笑んだネロは笑顔で告げた。
「お前はここにいてくれ、お前の母さんが心配するだろうから」
「でも、ネロッ…!」
「大丈夫、さっき出たんだろう?落ち合って話つけるだけだ、じゃあな」
ひゅ、と窓をジャンプして、ネロは着地するとすぐさまぬかるんだ道を走り出した。
ハロルドはそんなネロの姿を追って窓から出たが、あっという間に見えなくなったネロに、ハロルドは少し残念そうに微笑んだ。
「なんだよあいつ、一人でかっこいいでやんの」
ネロは森を駆け抜けていた。元々ここに住んでいた大人ならば吸血城までの道のりは知っているはずだった。ネロは雨が目に入らないように両腕で目元をガードして走る。
時々ぬかるんだ泥がネロの足を掴み、正面から転んだりもした。だが足はすぐに立ち上がり、前を向く。あの孤独な青年が心配でたまらなかった。ふと首元に指をもっていく。ペンダントがなくなっていた。
しかし今はそんなことすらどうでもよかった。父が、はたまたエドワードが危険な目にあっている。最初は木の棒を振りかざしていた臆病な少年の姿は、どこにもなかった。
「ソフィア…エドワード…!」
森を抜け、城を目指した。ぼんやりとした明かりが灯っている。それは父たちの姿に違いなかった。
ネロはさっと城の壁側を目指して遠回りをした。
雨でたいまつが濡れてしまわないように傘をさした数人の村民が、ドアを体で押している。ネロはたまらず、ぎゅっと目をつむってレンガの抜けた場所を目指して走り出した。
「これは一体何なの!?」
ダイニングから、村民が門を突き破らんとする姿が窺えた。ソフィアは悲鳴のような声を上げて、椅子に腰掛けのんびりお茶をするエドワードに振り返った。
「エドワード!」
エドワードは紅茶の入った白磁のカップを静かにソーサーにおろして悲しそうな顔をして返した。
「彼らはネロと違って、仲良くしてくれる気は…なさそうだね」
「何をおっしゃいます!ネロが元凶であるにきまってます!早くお逃げに…」
「…だめだよソフィア…僕にはもうそんな魔力は残って…ないもの」
「…!」
エドワードはついに門を破って突入した村民たちを眺める。その頬には一すじの涙が伝っていった。
「人間たちと僕たちは…敵で…仲良くなんて…なれなんだ…」
「え、エドワード…」
突然ダイニングの扉が開いた。もう村民が押し寄せたのかとソフィアが息を飲んで扉に視線を遣る。するとそこにいたのは今にも倒れて死んでしまいそうな呼吸を繰り返す、ネロの姿があった。
「ネロ!」
そして満身創痍だったネロはそのままどさりと倒れこみ、肺からもれるようなヒューヒューという高音で浅い呼吸を繰り返して、駆け寄ったエドワードの手を取った。
「父さんが…俺を…で…に…て」
「ネロ、一体何があって…」
「おれの…せい…しなな…いで…えどわ…ーど…」
エドワードはネロの両手をしっかり握り、どろまみれの彼をぎゅっと抱きしめた。ソフィアは不安げにその姿を見つめていたが、やがて窓を開いて、飛び立った。
「ごめん、ごめんねネロ…ソフィアが君のペンダントを…奪わなければ…僕たちが出あったばっかりに…」
「にげ…るんだ…それに…俺は今更…こうかいなんて…ないさ」
どん、とエドワードを突き飛ばして、ネロは先ほど森でひろった木を振りかざして立ち上がった。
エドワードは心配しておどおどとネロに駆け寄ったが、ネロは鋭くそれを止めた。
「来たらこれで目ン玉突っつくかんな!…にげろ…エドワード」
「ネロ…」
「早く!」
エドワードは後ずさりするようにネロから離れると、紺色の翼を広げた。ネロはそれを横目で見遣って薄く微笑んだ。
「すまない…」
「…きれいだな…ソフィアの羽根も…お前んのも…」
振り返ることなく走り出すと、窓をつきやぶってエドワードは飛び立った。
そしてその瞬間、ダイニングの扉が勢いよく崩れ去る。ネロは震える両手で木をかざして笑んだ。
「おい来いよクソ親父…きたらこれで目ン玉突っついてやる…」




