十一話
城内の変貌振りに、ネロはついに言葉をなくした。
掃除がいきとどいて綺麗だった城内には、ほこりと、割れたガラスが散らばった床。そして綿菓子のように折り重なったくもの巣が張り巡らされたいかにも吸血鬼が住んでいたといえる姿へと変わってしまっていた。ネロは黴の臭いが充満した不潔な室内を険しい顔で眺めて、ハロルドの側に駆け寄り、強引に肩を掴んで振り返らせた。
「帰ろう」
「ど、どうしたんだよ?来たばっかじゃんか」
「帰りたいんだ」
有無を言わせないネロの言葉に、ハロルドはたじろいだ。しかし来るまでが長かったため、中々すぐ返事をできなかったハロルドは、少し機嫌を損ねたように頬を膨らませた。
「嫌だ、帰るならネロ、お前だけ帰れよ。俺は違うぜ?ビビッたりなんかしねえ。さっさと帰れよ臆病者」
ネロは首を振った。
「それは駄目だ。お前が危ない」
「チエっ、でも帰る気ねえかんな」
「…なら、ついて行くけど早めに切り上げるぞ」
「はいはい、怖いもんね~」
ネロは歯がゆく思った。彼を帰した後すぐさま城に戻って真相を確かめようと思ったが、そう簡単に家に帰るような少年でないことなど、長い付き合いで分かっていたはずだ。しかしこれは一体何事なのか。この状態から見て、数十年は経っているのに見える。ハロルドは床が軋む廊下を歩きながら、べたべたするドアノブを触って嫌そうな表情を見せた。
「うええ、最悪」
「部屋は危険だ、何があるのかわからない」
「うん、むしろドアノブが気持ち悪くて触れねえよ…」
しばらく歩いたところで、ハロルドは突然足を止めた。
ネロが何事かとハロルドの背後から伺うと、ある一室のドアだけ、開いていたのだ。
ネロはハッとしてハロルドを見遣る。案の定、入っていったハロルドは、部屋に入った瞬間驚きの声を上げた。
「ネロ、こっちこいよ!」
ネロは部屋に見覚えがあった。その部屋は、ネロが最初に連れてこられた模型の部屋だったのだ。
「これ、見ろよ」
部屋は依然として荒れていた。ネロたちが歩いた箇所に足跡が残るような積もった埃たちの中で、何故か模型だけはとても綺麗な状態で机の上に鎮座していた。ネロは恐らく、エドワードがわざとこの部屋だけに入り、模型を見るように誘導したと思えてならなかった。
「すげえ…これお前ん家…これは俺の…なんか気味悪いな…」
「…よく、できてるな」
「そうかよ?だってこんな正確に作られててなんかおかしくねえ?やっぱり吸血鬼は、俺たちを監視してんだよ…!」
「そう…かもな」
ハロルドはしばらくそれを眺めていたが、やがて気に食わないように顔をしかめた。
そしてあろうことかその模型を机から叩き落してしまった。
さすがのネロもこれには焦り、落ちた模型を立て直してハロルドに返った。
「な、なにしてんだよ!」
「だって…気持ち悪いだろ~なあネロ、壊しておこうぜ、これをもとに村に攻め入る気だよきっと」
「そ…そんなこと…しないよ」
「あ~?わっかんないなあ…相手は吸血鬼だぞ?人間となんて仲良くなれないんだ、敵なんだよ!」
ネロは胸を押さえた。とてもひどく、胸が痛んだ。少し前まではそう同じように考えていて、正直心の奥にはいつもその思いがあったのに、ネロは気づく。
少し深呼吸をしたネロは、模型を置いて、ハロルドを見つめた。
「そんなこと、しなくていい。むしろ怒らせないほうがいい、だろう?」
「あ、そうか。なら違う部屋行こうぜ?」
ハロルドは肩をすくめて踵を返した。ネロはエドワードがいないか少し辺りを見渡して、もう一度模型を見つめる。そしてそっと部屋から申し訳なさそうにネロもまた退室するのだった。
ネロは、用をたしたいとハロルドに断りを入れて、城を出た。
危ないから玄関口で待つようにハロルドに言い、ネロは城の城壁を辿って真後ろまでやってきた。そして小さな呟くような声で、呼ぶ。
「ソフィア?」
黒い翼が空を舞った。ネロは悠々と飛んでくるソフィアを見上げて、安堵のため息をつく。
そして、舞い降りたソフィアは翼に包まれ、人の姿へと変わった。
「何か用?トイレは反対側だけれど?」
「あ、ごめん。俺、この城がすごく変わって心配になったから…」
ソフィアはくつくつと笑んで、ネロに顔を近づけた。それはカラスのときのくせのようなものらしく、あまりに近いその距離にネロはドキドキして後ずさった。
「旦那さまの魔法よ」
「ま、またそれかよ…」
「当然ですわ、旦那さまは大悪魔さまですものまあ人間の言葉を借りればね。」
「これは古く…見せてるのか?」
「いいえ」
ソフィアは首をこてんと横に倒して、少女のような女性のような、どちらともつかぬ妖艶な笑みを浮かべる。
「逆」
「えっ?」
「普段綺麗にしてみせているのが魔法。今は魔法を解いているの。」
「えええ、じゃあ、本当はとても汚くて、ふけ…」
「失礼なことをおっしゃらないで頂戴。彼の魔法はただ見せているだけじゃない、綺麗だった頃の記憶を借りているの、お分かり?」
ネロは少し混乱して力強く首を振った。ソフィアは軽蔑の眼差しでネロを見つめて、ため息をついた。
「まあいいわ。とにかく不衛生なんかじゃないから安心して。エドワードと私は眷属の姿を借りて隠れているから、見つからないわ。」
「エドワードの眷属って?」
ソフィアは嫌そうな顔して返した。
「犬」
ネロは思わず目頭に涙を浮かべて笑おうとしたが、すぐにソフィアに張り手されて無表情になった。
「いいこと、あなたが余計なこと言わなければことが済むのだから気をつけて頂戴」
「分かってるって」
「じゃあね、あたくしそんなに暇じゃないの」
「お、おう、ありがとうソフィア…」




