浮気した婚約者を算盤で追い払ったら、宰相の息子にロックオンされました「人生は割り切れないね」ですって!
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「アンネリース、君との婚約は破棄する!」
「ちょっと、こんな人前で!?」
久しぶりにやってきた学園でカフェテリアの入口に足を入れかけた瞬間、そんな会話が聞こえてきた。
また修羅場かと気が滅入り、足先の方向をしばし考えるハリソン。
カフェテリアの中ではフォルクナー男爵家のアンネリース嬢とその元婚約者が言い争いをしている。
話を聞いていると元婚約者の隣にいるのは浮気相手の男爵令嬢だと分かった。扇で顔を隠しているが、目元の皺が笑っていることを教えてくれる。
婚約破棄されたアンネリース嬢は動揺をみせつつも凛とした態度。
少しばかり行く末を見届けたくなる。
ハリソンはそっと彼女の方向に足を下ろした。
なんでも元婚約者は彼女が進めていた事業を無理やり自分の領地で行うよう仕向けたらしい。
(ふむ、アンネリース嬢はどうするのだろうか?)
アンネリースは元婚約者に土地を返すという。しかも元に戻すと言っている。
元に戻すとなると、大変なことだ。
産業があれば町ができ上がる。
人がその土地に根づき息づいていく。
それでなくとも彼女の事業は『魔力の実』の栽培なのだ。国の中でも特に難しいといわれる分野で試作案が八つも具体的に挙がっているのだから驚いた。
(まさか土壌まで持っていく気か)
やり取りをこの場で書面にサインさせる周到さ。ハリソンは無意識に顎に手をやり、自分が彼女に感心していることに気がついた。
「元々何もなかった土地ですから何もない土地をお返しいたしますわね」と彼女の言葉が聞こえる。
すべてを自分の領地に持っていくようで、思い切った令嬢だと、ハリソンは顔が大きく綻んだ。
(なんて面白い令嬢なんだ)
カフェテリアを見渡すと、自分と同じようにアンネリースを見ながら事の行く末を楽しみにしている学生たちが目立つ。
「ご安心を。私の自腹で行いますわ」
そう言葉を放った彼女の思惑が読めない。
住民たち、家財、店、土壌──元婚約者のザール領からフォルクナー領までは距離がある。
ハリソンは頭の中にある情報で計算し始めた。そんなハリソンをよそにアンネリースから令嬢御用達の扇⋯⋯ではなく珠の連なった算盤が出てきた。
カフェテリアがざわめく。
それもそうだ。
アンネリースの弾く指が見えない。
残像連打拳のごとく珠を動かし金額を弾き出す。
「細かい金額は出せませんが、慰謝料込みで見積もりはざっとこんな感じ。端数はおまけいたしますわ」
驚嘆の声がそこかしこから上がる中、ハリソンは一人だけ眉を顰めた。
(あの金額では足りない。土地ごと持っていくのに足が出る)
ハリソンはどうしてもアンネリースが“自腹”を決めた理由が気になった。足りない分の金額はハリソンも交渉できる。
それを材料にアンネリースに会いに行こうと足取りも軽やかにカフェテリアを去った。
* * *
半年後──。
面会の取り付けは簡単だった。
材料は『魔力の実を王城へ献上すること』と『足りない金額の補填』の二つ。
感の鋭いルドルフ王子は何か気がついたようだが、ハリソンを泳がせた。
ハリソンは“王城からの遣いの者”として、アンネリースの目の前にやってきたのだ。
「私はアンネリースと申します。王城から遠路はるばるご足労おかけいたしました」
ハリソンは王家の紋章の蝋封がついた封筒を渡しながら、今回の“魔力の実”についての用件を説明する。
今までのどこよりも高い魔力値を持つ実の栽培方法を見いだしたとして、高く評価を受けた。その結果、安定的に魔力の実を取引したい意向を話す。
ハリソンは今回訪問した理由のおまけに過ぎないと思いながら、流れるように説明した。
「まぁ⋯⋯嬉しい」
痛い、心臓が締め上げられたかのように苦しくなった。
ハリソンの瞳には可憐に咲く花のようでいて陽だまりのような温かさのある彼女の満面の笑みに目が離せなかった。
程なくしてカフェテリアの一件の話をハリソンが始めることにした。
するとアンネリースは笑顔を引っ込め冷ややかな顔になった。
声がかすれ始める。ハリソンは自分の違和感に気が付き始めた。
「あの場で瞬時に元婚約者であるオスカー殿に土地を屋敷二軒分の価値だと伝えたのは良かった」
「はぁ、左様でございますか」
ハリソンはなぜか手に汗を掻いてくる。
令嬢らしからぬ繕わない無表情を見る自分の脳裏は先程の魅力的な彼女の笑顔を引き出した。
「算盤であの場で計算したとは素晴らしかった。だが慰謝料が少し少ないように見えた」
「記録がないからですわ。ある程度は執事と侍女の証言で何とかなりますが、立証という点では弱いのです。それにあまり金額を上げますと“商人上がり”と揶揄されますわ」
フォルクナー男爵は元大商人。商いが当たり男爵の爵位を授与された。
アンネリースは長女として様々な分野の知識を習得していた。特に“数字”に関する知識も。
ハリソンは何事も冷静にそして納得しうる理由で物事を判断しているアンネリースをこの短時間で高く評価した。
彼女はなんだか誤解しているようだが。
「もしかして淑女としてしっかりと笑顔を貼り付けたほうがよかったでしょうか、宰相殿の御嫡男・ハリソン様」
名を呼ばれた瞬間、顔に熱を帯びた。
彼女はハリソンが誰であるのか分かって接していたのだ。
(まさか俺のほうが翻弄されるとはアンネリース、益々興味深いぞ)
ハリソンはソファを座り直すと彼女をまっすぐ見た。
「俺は少々君をみくびっていたようだ。すまない。だが、一つだけ教えてほしい。君はなぜフォルクナー領への土地ごと移動させるのを自腹にしたんだ?」
彼女は瞬きしている。こちらの意図が理解できないといっているように感じる。
笑顔は貼り付けず自然な表情のまま彼女は答えた。
「何度も言いますが私は商人の娘。自腹をするということは、私がお金を払うということです──」
引っ越しとなると人も荷物を運ぶ道具も掛かる。それを依頼人となることで誰に頼むか選べるようになる。
元々移動してきた人の住む町ごと移動することになるが、注目されている『魔力の実事業』はまだ始まったばかり。
これから大きく発展が見込まれるのだ。
そうなると町が大きくなる。
家や建物の建設も必要となる。
道具を作る鍛冶屋や服飾、八百屋や精肉店──。
その一つ一つを見つけてくるのは大変な労力となる。
それを引っ越しの一環として自分たちも移動するなら金額を上乗せしてもよいとした。
つまり移住が格安でできるとされたのだ。
するとどうだろう。発展を横で指をくわえて見ていた人々が移住したいと思うのは自然のこと。
それが格安でできるのなら今しかない、そう判断した人が多数現れた。
「フォルクナー領の新しい町に必要なのはそういった人材なのです。それを考えたら移動に係る金額は安いと思いませんか?」
ハリソンはアンネリースの言葉を聞き終えると下を向いた。
(素晴らしい! 先を見据えた行動だったのか。そこまで考えて動ける令嬢がいたのか)
「君は素晴らしい」
顔をあげたハリソンは満足気だった。
彼女はなぜか顔を火照らせている。
自分の言葉がまるで彼女を喜ばせていると錯覚するほどだった。
ハリソンが顎に手を添えていたのは言うまでもなかった。
* * *
それからハリソンはアンネリースの王城への登城を甲斐甲斐しく面倒を見た。
王族へのマナーや言葉遣い、その他気をつけなくてはならない点など、ハリソンは思いつくことを彼女に伝えた。
登城の前日になると、珍しく彼女は青白い顔をしていた。ハリソンから見ても手に取るように緊張しているのが伝わった。
自信を失った瞳をハリソンに向けながら震える唇を動かす。
「あの、ハリソン様は明日お側にいてくれますか?」
「もちろんだ」
ハリソンの声は自然と大きくなる。
頼られるのは悪い気がしない。特に気になっている人ならなおさらだった。
彼女はそれを聞くと肩の力を抜き朗らかに笑った。
(あの時の春を運んできたような笑顔……好いな)
ハリソンは無意識に顎に手を当て、口元を緩めた。
* * *
王城へ向かう馬車にはハリソンは“王城の遣いの人”としてアンネリースの馬車に乗り込んでいた。
終始固い表情の彼女の手に視線を落とすと白い指先が震えていた。
考える前に握っていた。
顔をハリソンへ向け目を見開くアンネリース。
「君は大丈夫だ。必ずできる」
(こんな偽りのない言葉を向けられる人がいただろうか)
彼女は目を少し潤ませながら感謝を述べた。
それを見たハリソンはまた胸を焦がした。
(あの瞳にずっと映っていられたら……)
ハリソンは彼女がお守り代わりに持参した算盤をしっかり掴むと彼女へ渡す。
「君がもし俺と婚約してくれるなら、いくらでできるだろうか」
言葉にした側から後悔した。
ロマンチックの欠片もない言葉。
アンネリースに誤解されないか心配も追いつかなかった。
ハリソンは心から反省し眉間に皺を寄せる。
「ハリソン様……あの……」
彼女の声にハリソンの肺は大きく軋んだ。
ようやくこの異変が何であるのか分かった。
(俺はアンネリースと共にしたいのか……)
「それはできません──」
彼女の言葉と馬車の車輪の甲高い音が重なる。
「今なんて──」と身を乗り出すハリソン。
「王城へ到着いたしました」と従者の声が外から聞こえた。
「承知しました。ハリソン様、行きましょう」
ハリソンは自分の間抜けさを心の中で罵った。
荘厳な作りの王城に圧巻されるアンネリース。
数え切れないほど細かく彫刻された扉を抜けると、廊下を歩く。
廊下だけでも柱の上下に金箔が貼られ豪奢な雰囲気に呑まれる。
応接室で豪華絢爛な調度品に囲まれ、上質で座り心地の良いソファに身を預けていると、ルドルフ王子がやってきた。
ハリソンとアンネリースはすぐさま立ち上がり王族への挨拶を行う。
ルドルフ王子はハリソンを見たあとアンネリースに視線を向ける。
胸に燃えていた炎を砂で消されたようにざらざらと痛い。ハリソンの心配は現実のものとなった。
アンネリースは頭の回る器量のよい令嬢だったので、軽い雑談のあと本題の『魔力の実』について事業を説明し始めた。
鋭い視点と機転の効いた言葉選びに口端をぐいっとあげるルドルフ。
それは彼が満足している時の癖だった。
喉の奥がひりつく。
理性では王子に評価されるのは喜ばしいはずなのに、
胸の奥がそれを拒んでいた。
(アンネリース嬢の事業説明はうまくいってほしい。
だが──ルドルフ王子には気に入られたくない)
「はっはっはっ、なるほど。アンネリース嬢は先まで良く見据えているな。計画も具体的で分かりやすい」
超えられない身分にどうすることもできない憤りを感じる。
「そうだ、今度はその新たな魔力の実を持参してもらって話そうではないか、アンネリース嬢──」
「そろそろお時間ではありませんか」
普段なら絶対にしない行動。
嫉妬であることは十分に分かっていた。それでも今止めなければルドルフとアンネリースは二人きりで会うことになる。
そうすれば、大なり小なり王子との噂が立つ。
そうなればハリソンはつけ入る場所は少しもなくなる。
「珍しく焦っているではないか、ハリソン」
ルドルフの視線がハリソンを射抜く。
実際に刺されたわけではないが、自然と一歩引いた。
「……」
「ハリソン、そんなに余裕がないところは初めて見たぞ。たしかにアンネリース嬢は魅力のある素敵な令嬢だ。其方のことがなければ変わったかもしれない。
だが唯一の友を傷つけることはしない。
アンネリース嬢とまた王城へ来てくれ。嬉しい知らせがあるとなお良いのだが」
ハリソンは心が躍った反面暗い影を落とした。
「ルドルフ様の御心遣い誠に感謝申し上げますが、私はアンネリース嬢に振られました」
ハリソンが口を閉じると、部屋の中にこだました気がした。
「違います!」
アンネリースの声が部屋中に響いた。
怖い顔をしている。怒っているようだ。
「しかし先程馬車の中で『できない』と申していたではないか」
沈んだ心とともにハリソンの声には張りがない。
それを見たアンネリースはお守りの算盤を取り出した。
「ハリソン様との婚約は金額では表せません。だから『今はできません』とお答えしました。だって……算盤では出せませんから……」
また春を呼んできたような陽だまりの笑顔のアンネリース。
ずっと瞳に入れておきたい。あの笑顔を向け続けてほしい。
ハリソンはアンネリースの目の前に立った。
「アンネリース・フォルクナー、君を愛している。婚約してくれないか? 両親は必ず説得する」
「はい、私もハリソン様が好きです」
距離は一歩。
呼吸の間隔は三拍分。
──計算できるはずだった。
今までなら。
だが、彼女を前にするとそのすべてが意味を失う。
ハリソンはアンネリースを強く抱きしめた。
そして大きく鳴り続ける心臓を煩わしく感じたのだった。
彼女の華奢な身体は腕のなかにすっぽりと包まれた。
折れてしまいそうな儚い彼女。
それでも強い瞳に胸を焦がす。
頭で考える前に彼女の愛らしい顔を両手で優しく包んでいた。
柔らかな唇が触れ合うと優美な甘さへと変わる。
彼女の感触を確かめたくて何度も唇を重ねた。
* * *
それから──。
王子の協力もあり、何とか婚約へ漕ぎ着けた。
しかし、問題もあった。
「君には任せられない」
「私の一存でウェディングドレスは良いといってくださったではありませんか」
元商人の娘はウェディングドレスを安く済ませようと画策している。
「生地は高級シルクでレースも最高級のものでなくてはならない」
「いいえ、最近は西の方から安価で質のよい生地がたくさんありますわ」
「ではその分、ドレスにダイヤモンドを散りばめてやる。そろそろ、甘やかされるのにも慣れてくれないか」
頬を膨らまして拗ねる彼女の姿も愛らしく感じハリソンは顔を綻ばせる。
「君の算盤は事業のことだけに使ってくれ。じゃないと算盤を隠す羽目になるぞ」
ハリソンは少し怖い顔を作ってみた。するとアンネリースは負けじと頬をさらに膨らませる。
二人はお互いの顔を覗き込むと、耐えきれず笑いが溢れた。
楽しそうな声は部屋中に溢れていく。
アンネリースは笑いすぎて涙を零した。
鏡を見たらハリソンも同じ顔をしているだろう。
彼女と知り合う前は自分は計算高い人間だと思っていた。
自分の利になるかどうかを考えてきた。
アンネリースと知り合ってから、良い意味で予想通りにいかない。
彼女の事業も国の重要な事業にまで発展した。
「今日は仰らないのですか?」
最近、度々口にする言葉がある。
予想通りにいかないとこも、知らなかった大きな充実感が溢れている。
元々良い意味の言葉ではない。
それでも二人にとっては──。
「人生は割り切れないね」
君とならどんなことでも価値のあるものだから──算盤の上では表せない。
アンネリース、そうだろう?
──彼女の笑顔が答えだった。
お読みいただきありがとうございました。
実はヒューマンドラマ短編『婚約破棄ですか?借りた土地はしっかりと元に戻しますのでご心配なく(n1121lq)』から派生したものでした。
冒頭のざまぁシーンをアンネリースの目線で語られているお話になります。
気になる方がいましたらぜひ読んでいただけると幸いです!
また誤字脱字がありましたらご連絡お願いします。




