瑞雲型軽空母 雲を数える国
横須賀軍港での進水式の報は、太平洋を越える前に、まず欧州の新聞欄を満たした。
“日本、新型軽航空母艦を進水”
その見出しは控えめで、記事も短い。写真に写るのは、全通式の飛行甲板を持つ、いかにも「空母らしい」艦影だったが、どこか物足りなさがあった。
ロンドンの海軍省に勤める分析官は、その写真を机に広げ、鼻で笑った。
「軽空母だ。しかも四隻もだと? 正規空母を造る余力がない証拠だな」
隣の武官が、記事を指でなぞる。
「搭載機数は“三十機前後”としか書いていない。内訳もなし。相変わらず曖昧だ」
「隠しているのではない。無いのだ」
そう断じる声には、確信があった。
当時、日本は慢性的な資源不足に悩まされていると見られていた。鉄鋼、石油、アルミニウム。どれも列強に比べて脆弱で、海軍拡張は無理がある。そうした前提が、彼らの思考の土台だった。
パリでは、新聞記者が皮肉混じりの記事を書く。
「瑞雲、紫雲、白雲、青雲。
日本はどうやら“雲”を集めるのに熱心らしい。
だが、雲は掴めないし、爆弾も落とさない」
記事は続く。
「これらの軽空母は、正規空母の代用品であり、
本格的な航空戦を行う能力は疑わしい。
戦闘機を十分に搭載できるとも思えず、
攻撃力は限定的だろう」
ニューヨークの海軍専門誌では、より冷静だが、結論は似ていた。
「日本海軍は、量を揃えることで質の不足を補おうとしている。
だが軽空母は軽空母だ。
制空権は取れず、決戦兵力にはなり得ない」
記事の末尾には、こんな一文が添えられていた。
「資源に乏しい国家が選びがちな、苦肉の策である」
一方、ベルリンの武官団では、やや違う視点があった。
「四隻同時建造という点は注目すべきだ」
だが、その評価も長くは続かない。
「いや、やはり攻撃力が足りない。
搭載機数三十前後では、我々の基準では巡洋艦以下だ」
「しかも艦載機の詳細を発表しない。
隠すほどのものではないからだろう」
彼らは、そう結論づけた。
各国共通の見方はこうだった。
•日本は正規空母を量産できない
•代わりに軽空母を並べている
•資源不足と工業力不足の表れ
•守勢的、あるいは場当たり的な計画
誰一人として、「役割」に目を向けなかった。
夜間索敵の話は出ない。
直掩専用という発想もない。
戦闘機が多いか少ないかすら、推測の域を出ない。
新聞は数字を欲し、武官は砲や爆弾を欲した。
目や盾といった概念は、紙面に向かなかった。
そして数週間後、別の進水式の記事が載る。
また一隻、瑞雲型。
記者は書く。
「日本は空母を造っている。
だが、なぜこの規模で、なぜこの数なのかは不明だ」
締めの一文は、どの国でも似通っていた。
「戦艦でもなく、正規空母でもなく、
軽空母を並べるこの選択は、
日本海軍の迷走を示しているのではないか」
ある英国武官は、私的な覚書にこう残した。
「日本は、戦艦をどう使いたいのか分からない。
空母をどう使いたいのかも分からない。
そして最も奇妙なのは、
彼ら自身は“分かっている”ように見えることだ」
机の上には、雲の名を持つ艦の写真が並んでいた。
どれも静かで、穏やかで、脅威には見えない。
その雲が、夜に何を覆い隠すのか――
まだ、誰も気づいていなかった。




