なっちゃんとレノンの帰り道
終礼が終わり慌ただしくなった校内で、机に突っ伏して居眠りをしていた女子生徒が目を覚ます。
腰まである長い茶色の髪の毛と、濃い茶色の瞳が印象的な女子生徒である。
「クラスメートが教室から出て室内が静寂に包まれても尚、居眠りを続けているなんて、なっちゃんらしいね」
爽やかな笑顔と穏やかな口調。和やかな雰囲気を醸し出す女子生徒は肩に僅かにかかる長さで切り揃えられた黒髪と、黒色の瞳が印象的な女子生徒である。
なっちゃんと呼ばれた女子生徒は寝ぼけ眼のまま、呆然と周囲を見渡す素振りを見せる。
頭が覚醒しきっていないのだろう。
数秒間の沈黙後、大きく目を見開いたなっちゃんは盛大にため息を吐き出した。
「うわぁ……まじか。寝過ごしたし」
六時間目の授業が開始して早々、教師が怒り狂っていることにも気づかずに深い眠りについてしまった。
ほんの少し机に突っ伏すつもりだったのに、気づいたら帰宅する時間になっていた。
なっちゃんは現在の時刻を確認して唖然とする。
「高槻先生怒ってたよ。授業中に寝ちゃだめだよ」
先生に怒られてもなお熟睡していたなっちゃんの姿を思い浮かべて苦笑する友人の名前はレノン。
「全く気づかなかった。昨夜は夜遅くまで起きていたから……」
頭を抱えるなっちゃんは昨夜遅くまで起きていたため寝不足だった。
普段は授業中に居眠りをすることのないなっちゃんは、授業中に熟睡してしまったことを激しく後悔する。
「一先ず気を取り直して帰ろうか。寄り道する?」
落ち込む友人に対して気を取り直してと言葉を続けたレノンは鞄を手に取り教室を出て正面玄関に向かう。
「寄り道かぁ」
帰り道の道中に飲食店やゲームセンターがある。
「久しぶりに寄り道しようかな」
大勢の生徒達で賑わうゲームセンター内を思い浮かべつつ、窮屈そうだなと想像するなっちゃんはか細い声で呟いた。
正門を抜けて学校敷地内から足を踏み出すと、すぐに交通量の多い大きな交差点に差し掛かる。
普段から人通りの激しい道路ではあるものの、今日はやけに人の数が多い気がする。
周囲を埋め尽くす人の数。四方八方から聞こえる人々の声が重なりあって、何を言っているのか分からないほど騒がしい。
遠くで聞こえていた救急車のサイレンが、瞬く間に近づき学校正門前の交差点に続々と到着する。
「何があったんですか?」
自分よりも背丈の高い大人達の背中が視界を遮っているため状況が分からない。
側に佇む背の高い男性に声をかけると、すぐに返事があった。
「多重事故がおこって、複数の車が歩道に乗り上げたらしい。数名の学生さんが車の下敷きになっているらしいよ」
普段は歩道を行き交う人々が事故を目撃して足を止めた。
何とか車の下敷きになった生徒達を引きずり出そうとして、大人数で車を持ち上げているらしい。
救急隊員が到着したため、瞬く間に開けた視線の先。
乗り上げたタイヤが、レノンの首を押し潰していた。
「え……」
思わず声を漏らしてしまったなっちゃんの視線が、隣に佇むレノンに移る。
再び車の下敷きになっているレノンの姿を視界に入れたところで気がついた。レノンの幽霊と話をしていたのだと。
大きく目を見開いたまま仰向けに横たわるレノンが致命傷を受けていることは簡単に想像することが出来る。
「私達にも何か出来ることがあるかな?」
レノンの目の前には背の高い男性が2名佇んでいる。レノンは小柄だから車の下敷きになっている自分の姿が見えていないのだろうか。
心配そうな表情をするレノンは事故現場に向かって足を進めようとする。
「知識が豊富な救急隊員に任せた方がいいよ」
レノンに事故現場を見せてはいけないような気がして、咄嗟に声をかけてしまった。
幽霊をみたら極力、視界に入れないように気を付けていたけれども、今回は既に言葉を交わしてしまっているため後の祭りである。
今更レノンの存在に気づいていないふりをすることも出来ずに会話を続けざるおえない状況である。
「それもそうね。私達が出来ることは無いか。寄り道をするんだよね。カラオケに行く? それともゲームセンター? 飲食店でもいいね」
穏やかな口調で言葉を続けるレノンの問いかけを耳にして、なっちゃんは動揺を見せる。
「寄り道……そうだね。どうしよう」
あまりにもレノンが鮮明だったから霊であると気づかなかったため、久しぶりに寄り道をしようかなと答えてしまっていた。
しかし、霊だと分かった今の素直な気持ちはレノンと二人きりになるのは怖い。
寄り道をせずに真っ直ぐ家に帰ろうと急に意見を翻したら、レノンはどのような反応を示すだろうか。
「カラオケに行こうか?」
レノンは寄り道をする気満々である。
「喉の調子が悪いからカラオケはやめておこう」
幽霊であると分かったため、二人きりになるのは怖い。
家に一直線に帰ろうと言う勇気も出ずに、なっちゃんは冷や汗を流す。
飲食店に行った場合、個室に案内されてしまったらレノンと二人きりになってしまうと考えたなっちゃんの脳裏にゲームセンターが過る。
「ゲームセンターに行こうよ」
ゲームセンターには帰宅途中の沢山の生徒達がいる。
人が大勢いれば、恐怖心も少しは鎮まるだろうかと考えたなっちゃんに対して、レノンは笑顔を見せる。
「久々だね。一緒にプリクラを取ろうよ」
瞬く間にテンションを上げたレノンは明るい口調でプリクラを撮ろうよと考えを口にしたけれども、なっちゃんは首を左右に振る。
心霊写真を咄嗟に思い浮かべてしまったなっちゃんは首を左右に振る素振りを見せた。
「今日は化粧をしていないし寝起きで顔が浮腫んでいるからプリクラはちょっと、クレーンゲームをやろうよ」
レノンをクレーンゲームに誘うなっちゃんは背後を振り向いた。
レノンは背後にいたはずなのに気づけばレノンの姿がない。
周囲を見渡す素振りを見せたなっちゃんは、既にプリクラを撮るために箱の中に移動したレノンの姿を視界に入れる。
上半身だけを覗かせてなっちゃんに向かって手招きをするレノンは爽やかな笑顔を浮かべている。
レノンと二人でプリクラを撮る事になる。
既に個室に移動してしまっているレノンに今更、プリクラを撮るのは嫌だと断ることは出来ない状況の中でなっちゃんは恐る恐る箱の中に足を踏み入れる。
既にお金は投入された後だった。
設定を行ってから筐体に内蔵されたカメラに向かって身構える。
「肩に力が入りすぎ。拳を構えるなんて斬新なポーズだね」
レノンに笑われてしまった。
結局のところ、手に入れた写真は一般的なもの。
おちゃらけたレノンの姿もはっきりと写っているし、恐怖心と緊張から変顔を披露するなっちゃんの姿もはっきりと写し出されている。
景品は一つも手に入れることが出来なかったけれどクレーンゲームも堪能してから、ゲームセンターから足を踏み出した頃には既に外は薄暗くなっていた。
人通りの少なくなった大通りを真っ直ぐ進むとやがて、大きな交差点に差し掛かる。
レノンは交差点を渡った先に家がある。
なっちゃんの家は交差点を渡らずに右へ足を進めると、10分ほど進んだ先にあるため、レノンとは交差点の前でお別れである。
「なっちゃん。楽しかった。また遊ぼうね」
笑顔で手を振るレノンの声かけに対して、なっちゃんは苦笑する。
「私も楽しかった。有り難う。気を付けて帰ってね」
また遊ぼうねと口にしたレノンは事故に遭ったことに気づいていないのだろう。
そして、その事故で命を失ってしまったことに気づかぬまま、この世をさ迷う事になるのだろうか。
また遊ぼうねと返事をしてしまえばレノンをこの世に縛り付けてしまう気がして、気を付けて帰ってねと言葉を続ける。
悪霊にならなければよいけどと考えるなっちゃんには霊感がある。
霊と共に行動を共にしたことは今回が初めての事で、高校に入ってから仲良くしてくれていたレノンに、もう会えなくなるのかなと考えたなっちゃんの気分が激しく沈む。
レノンの背中を呆然と見送っていたなっちゃんの肩に、ふと温もりを持った人の手が触れる。
二度肩を叩かれて、背後を振り向いたなっちゃんの視界に焦った様子の初対面の男性の姿が視界に入り込む。
「友人がふざけたポーズを取ってるから写真を撮ったんだけど……」
携帯電話の画面に写し出されている写真には男性の姿と、端っこに小さく写るレノンの姿がある。
男性の差し出した画面には、心霊写真が写し出されていた。
「ごめん。有り難う」
咄嗟に状況を教えてくれた男性に向かって礼を言ったなっちゃんは、同時に身を翻してレノンの元に全速力で駆け寄った。
歩行者用の信号機は赤色。
車が行き交う交差点で、レノンの腕を手に取り力任せに引くとレノンを巻き込む形で背中から地面に倒れこむ。
「レノン、双子のお姉さんか妹さんがいる?」
顔面蒼白となったなっちゃんの問いかけに対して、レノンは小さく頷いた。
「双子の姉が……隣街の学校に通っているけど」
なっちゃんの行動が読めなくて首を傾げて問いかけるレノンに対して、なっちゃんは尚も問いかける。
「仲は?」
なっちゃんの問いかけに対してレノンは即答した。
「いいよ。お揃いの服を買ったり、一緒に出掛けたりしてる」
「レノンも連れてく気だ」
仲が良い妹も一緒に連れていくつもりなのだと、瞬時に悟ったなっちゃんは、事故現場で車の下敷きになっているレノンと良く似た容姿を持つお姉さんの姿を見たから状況を把握する。
対するレノンは事故現場は目撃したものの、車の下敷きになったお姉さんの姿を見ていないから激しく混乱中。
なっちゃんとレノンの元にたどり着いた男子生徒が、携帯電話をレノンの目の前に差し出した。
画面にはふざけたポーズを取る男子生徒の姿と、横断歩道の前に佇み信号機が青色に変わるのを待つレノンの姿が写し出されている。
レノンの背後、少し右寄りに佇むレノンと同じ容姿を持つ幽霊の表情は無。
車が通るタイミングを見計らっているかのように両手を胸元の高さに持ち上げて、レノンの背中に向かって構える幽霊の存在が写し出されていた。