29 第四皇女、魔獣と遭遇する。
「この後はどうしますか? もう戻りますか? それとも、掲示板にあったレイモニック草を探してみますか?」
「そうね。できれば採取して帰りたいわ。リリは、以前にレイモニック草を採取した経験があるのでしょう?」
「はい。随分と前ですけど」
私の護衛騎士の “リリ” ことリリカ・ルーゲルと、私の “従魔” のセレストを連れて、王都の城壁門からそれほど離れていない草原に薬草を採取しに来ています。
今朝、ギルドの掲示板から剥がしてきた依頼書に書かれていた数種類の薬草採取の依頼は、特に苦労することもなく無事に達成できたわ。
薬草の採り過ぎはルール違反だと思うので、草原に座り、ここへ来る途中で買ってきたパンと果実水でお腹を満たし終えたところよ。
空はすっきりと晴れ渡っていて、心地よい風も吹いている。セレストは私の横で気持ち良さそうに寝息を立てているわ。
既にランクを上げている冒険者たちからしてみれば “薬草採取” は面白くもなければ旨味もない依頼らしくて、掲示板に貼られていても見向きもされないようだけれど、冒険者登録をしたばかりの新人冒険者や、年齢が10歳に満たずにまだしばらくの間は冒険者登録ができない冒険者見習いにとっては、経験値と収入の両方をまとめて得ることのできるとても魅力的な依頼だと思うの。
魔獣の討伐と違って、危険も少ないしね。
ああ、でも……。ギルドで会ったケントさんが、最近魔獣が活発に活動しているから気をつけた方が良いようなことを話していたわね。
森からはかなり離れたこの草原にまで魔獣は来ないとは思うけど、注意するに越したことはないでしょう。
「レイモニック草って、確か、紫色の花が咲くのよね?」
「そうです。ありきたりな見た目の草ですし、群生はしていないので、花が咲いている今の時期しか見分けるのは難しいですね。濃い紫色の、かなり目立つ花ですよ。咲いていればすぐに分かります」
知らなかったけれど、薬草採取の依頼って、2種類あるらしいわ。
今日私たちがギルドで受けてきたような、割と簡単に見つけることのできる薬草を採取する “通常依頼” と、採取時期が限られていたり、極めて発見が難しい薬草を採取する “高難度依頼”。
レイモニック草は “高難度依頼” に分類されるのですって。
“高難度依頼” の薬草の場合は、前もって依頼を請け負っていなくても、採取した薬草を持ち帰ってギルドに納めることができれば依頼達成になるそうよ。
「流石のセレストでも、今まで一度も見たことのないレイモニック草を探し出すのは無理よね……」
「ぎゃぅ」
咲いていさえすれば、レイモニック草だとすぐに分かるとリリが言うので、私たちは適当に草原を歩き回ってみることにしたのよ。
もし見つけられなかったとしても “依頼不達成” になるわけではないし、食後のお散歩のついでみたいなものだもの、気楽で良いわ。
「ギルドでも注意を受けましたし、あまり森に近付くのは止めておきましょう」
「そうね。魔獣に遭遇なんてしたくないものね……」
もしかすると、こんな風に話していたのが不味かったのかもしれないのよ。
それから程なくして、ダーガルウルフの群れに遭遇しちゃうんだから……。
◇ ◇ ◇
なんだか遠くの方から人の騒ぐ声が聞こえてきた気がして、私たちはレイモニック草探しを中断して周りを見回したの。
何かしら?
森の方向から、人が何かを叫びながら私たちの方に向かって走って来るのが見えるわ。
「うわぁーーーー」
「逃げろーー!」
えっ。何が起きているの?
逃げろって、何から?
「ルイーズ様。魔獣が来ます!」
リリはそう言って剣を抜くと、こっちに走って来る人たちに向かって剣を構えたのよ。
魔獣が来る? 人ではなくて?
私の横でちょっと前まで楽しそうに飛び跳ねていたセレストも、一点をじっと見据えて身構えているわ。
私、こんなピリついた雰囲気のセレストの姿を見たのは初めてよ。
「すまん! 魔獣に追われている」
「ダーガルウルフの群れだ。仲間が1人やられた。嬢ちゃんたちも、早く逃げないと食い殺されるぞ!」
走って来たのは冒険者風の3人組で、早口でそう言うと、振り返ることなく一目散に城門の方へと走って行ってしまったの。
今『仲間が1人やられた』そう言ってなかった?
「……リリ」
「ルイーズ様は、セレストを連れて早く先程の冒険者の後を追ってお逃げ下さい! ルイーズ様のことは、この私が、命に替えてでもお守り致します!」
「駄目よ、リリ。簡単に命を投げ出すのは、絶対に駄目!」
「私など、どうなっても構いません! ダーガルウルフが来る前に早く!」
そんなことを言われても、私、走るのは苦手なのよ。
それに、もうダーガルウルフの群れはすぐ近くまで迫って来ているわ……。
あの3人が城門に駆け込んで助けを求めたとして、警備隊がここに来るまでには、まだかなりの時間がかかるわよね?
前に、離宮の執事長のクラウス・アインホルンが『王国騎士団の者たちであればダーガルウルフの群れなど簡単に制圧可能』だと話してくれたけれど、それって、あくまでも王国騎士団(複数)ってことよね?
いくらリリが飛竜騎士団に所属する凄腕の騎士だとしても、たった1人でダーガルウルフの群れと戦うなんて、どう考えたって無謀だわ。
ああ、でも。私がここにいたら、逆に足手纏いかしら……。
「ルイーズ様。私に構わず、一刻も早くお逃げ下さい!」
「……そんなこと言われても!」
だって、もうダーガルウルフは私たちの目の前よ!
10匹……。いいえ、もっと沢山いるわね。
ダーガルウルフは私たちを追い詰めようとしているかのように、ジリジリと距離を詰めて来ているわ。
そんなことを考えていたその瞬間、一番先頭にいた1匹が一瞬にして、剣を構えているリリに飛びかかったの。
怖い!
あまりの恐怖に、思わず私はぎゅっと目を瞑ってしまったわ。
本当は大きく目を見開いて、周囲の状況を冷静に確認しなきゃならないことくらい頭では分かっているつもりだったけれど、いざとなると私は本当に臆病者よ。
「キャン、ギャッ」
「グルルル、キャン」
「ぎゃーーーーーぅ!」
リリの剣が肉を切り裂く、なんともいえない重くて鈍い音と、ダーガルウルフの呻き声に混じって聞こえてきてるのって……。
もしかして、セレスト?
恐る恐る目を開けると、私を庇うようにして私の目の前で剣を振って戦うリリを、私ごと守るかのように、セレストが最前線で戦っている姿が目に飛び込んできたの。
セレストは2本の後ろ足を力強く踏ん張るようにして立ち上がり、両方の前足で次々に飛び掛かってくるダーガルウルフを右に左にと弾き飛ばしているわ。
セレストの強さは圧倒的で、セレストに弾き飛ばされたダーガルウルフはよろよろと立ち上がることはできても、完全に戦意を喪失しているように見える。
リリに飛びかかったダーガルウルフも、剣で斬りつけられて致命傷を負っているのか、地面に横たわったままピクリとも動かないわ。
そんな戦いがしばらく続いた後、これ以上戦いを挑んでもリリとセレストには到底敵わないと理解したのか、倒れたまま動かなくなっている数頭を置き去りにして、ダーガルウルフの群れは森の方へと戻って行ったのよ。
「リリ! セレスト!」
「ルイーズ様。ご無事ですか?」
私の呼びかけに振り返ったリリは全身血だらけで、泣いているのか、笑っているのか、怒っているのか、表情もよく分からないわ。
「リリ。怪我はない?」
「問題ありません。これは全て返り血ですから」
そうは言うけれど、そうでないことは明らかよ。
リリの服はところどころダーガルウルフの爪によって引き裂かれているように見えるし、絶対にあちこち怪我もしているはず。
でも、生きてる!
リリとセレストが私を守って戦ってくれたおかげで、私たちはこうしてみんな生きているわ。
「駄目です、ルイーズ様。お召し物が汚れてしまいますよ」
「そんなの、どうってことないわ。……ありがとう、リリ」
私はリリの静止も聞かずにリリに駆け寄って、血だらけのリリに思いっきり抱きついたの。
リリ以上に血塗れのセレストは、私の足に大きな体を擦りつけるようにして、いつものように私に甘えているわ。
「セレストも。私たちを守ってくれて、本当にありがとう」
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