13 第四皇女と魔法のインク。
「はい、これ!」
「これ、何ですの?」
「ルイーズが欲しがっていた、例のインクだよ」
数日後。
昼食を終え、私がのんびりとお茶を飲んでいると、ラファエルお兄様がそっと近付いて来て、私の耳元で内緒話でもするかのように、そう囁いた。
お兄様が私に手渡されたのは、ごく普通のどこにでもありそうな小さな白い箱。
私は辺りを見回して、誰にも見られないようにそっと箱を開けてみる。
ダイニングルームに何人かの使用人は居るけれど、皆忙しそうで、誰も私たちのことなど気にしている様子は無い。
中には小さなガラス製のインクのボトルが入っていた。
「ねえ、ルイーズ。そのインクを使って、僕にお手紙を書いてよ」
「お兄様にお手紙ですか? 普通の便箋で?」
「そうだね、紙はどんなものでも大丈夫だよ! 手紙を書き終えたら、15分くらいそのまま何もせずに待っていてごらん。きっと凄く驚くことが起きるから!」
「驚くこと?」
「僕は部屋に居るからね。いつでも訪ねて来て良いよ!」
「……分かりました」
ラファエルお兄様は、満面の笑みを浮かべてダイニングルームから出て行った。
私は急いでお茶を飲み終え、小箱を持って部屋へと急ぐ。
でも、走ってはいないわよ!
部屋に入って、はやる気持ちを抑えて、とっておきの便箋を用意する。
ええと、お兄様へのお手紙。いったい何を書けば良いのかしら?
取り敢えず、今の気持ちを書いておきましょう!
お兄様から渡されたインクは、少し紫がかった綺麗な濃い青色で、書き心地はとても良い。
あれこれ考えながら書いていったので、ちょっと時間がかかってしまったかもしれない。
後少しだけ書こうかなって考えている頃には、もうお兄様が仰っていた “15分” が近付いていたらしい。
ああ、早く全部書きあげなきゃ!
そう思っていると、最初に書いた筈のお兄様の名前が無い。
もしかして、消えてる?
じっと見つめていると、上の方から見る見るうちに文章が消えていっちゃう。
うわー。待って、待って。まだ私、全部書き終えていないのよ!
◇ ◇ ◇
「ラファエルお兄様!」
「やあ、ルイーズ。随分と早かったね」
あっ。驚き過ぎて、自分の部屋からここまで走って来ちゃった。
お兄様は、私が手でぎゅっと握り締めている便箋を見て笑っている。
「あはは。便箋、そのままなの? ルイーズの印璽が押された正式なお手紙を貰えるかなって、ちょっと期待していたんだけどな」
「あっ」
「どう? そのインク、良くできているでしょ?」
「お兄様。でもこれ、書いている途中で消えてしまいました!」
「おや。まだ書いている途中だったのか……。成る程ね。ルイーズ、ちょっとその便箋を貸してごらん」
私は言われるまま、手に持っていた便箋を差し出した。
部屋を飛び出す前は、まだ最後に書いていた部分は残っていたのに、今はもう最後の数行も消えかけている。
ところが、その便箋をラファエルお兄様が私から受け取ったその瞬間、すっかり消えてしまっていた筈の私の書きかけの文字までが、じわじわと浮き上がって来るじゃないの!
「何ですの?……凄い!」
「だろう?」
「本当に、あのインク?」
「ああ。ルイーズが考えていたのって、こういうことで合っているよね?」
そう言ってお兄様はニッコリと微笑まれた。
◇ ◇ ◇
「ルイーズの研究室に置いてあったもの以外は、特に何も加えてはいないよ。ああ、もちろん僕の魔力は加えたけどね」
「魔力ですか?」
「そう。できあがった植物インクに特定の人間の魔力を封じ込めるんだ。今回は僕の魔力を入れたから、消えてしまったインクが僕の魔力に反応して浮き上がったってことだよ」
「では、私が魔力を込めれば……」
「もちろんルイーズの魔力に反応して書かれた文字は浮き上がる」
ラファエルお兄様の説明によれば、自分の魔力を込めたインクを交換しておけば、誰にも読まれることなく秘密の手紙がやり取りできるそうだ。
「ただし、改善点はいくつかあるよ。一度浮き上がった文字はもう消えないから、置きっぱなしにすれば、誰にでも読めてしまう」
「それは、きちんとお片付けすれば良いのです!」
「できるの? ルイーズに?」
「ええと……。頑張ります」
「それ以外にも、15分で文字が消えるっていうのは、ちょっと早過ぎたみたいだね」
「そうですわ! いろいろと考えながらお手紙を書くには、15分では短過ぎると思います!」
「僕的には、あまり消えるまでに時間が掛かっては、秘密を守れないと思ったんだけどね。いっそ5分くらいの方が……」
「それは絶対に駄目ですわ!」
「……だよね」
ラファエルお兄様の頭の中では、このインクの使用者は諜報活動家とか、陰謀の渦中に置かれた王族って設定なのかしら?
私の設定は、お友だちと楽しい噂話をしたり、今度内緒でどこかへ遊びに行きたいわねって待ち合わせ場所を書いたり、なんだけど。
慌てて書いた文章を見えなくしなくてはならない程の切羽詰まった状況は、今のところ私には無いので、せめて30分は消えないで欲しいと強く要望します!
「分かったよ。じゃあ、もう少し改良が必要だね」
「お願いします!」
「それから……。作ってしまってからこんなことを言うのは何なんだけど、これって凄く画期的なインクなんだよ。画期的と言うか、ある意味危険?」
「……危険?」
「そうだね。これを悪用されたら、簡単に重要機密の漏洩も起こり得るかな……」
「でも、私には重要機密はありませんよ?」
「……はぁ。分かっていないみたいだけど、このインク自体が重要機密に値するんだよ。それを考え出したルイーズ自身もね」
私にとっての重要機密は、私が “白の手” の持ち主だっていうことくらい。でも、それに関しては私は絶対にお兄様以外に話す気は無い。
だって、このお城を出て、聖教会で暮らすなんて絶対に嫌だもの。
ラファエルお兄様は、このインクの件をお父様に報告するつもりなので、私の了承が欲しいと言った。
もちろんそれは構わないけど、私がしたのって「あったら良いな」程度のアイデアの提供と、無闇矢鱈に植物を育てて集めたくらいよ。
後は全部ラファエルお兄様が頑張ったから完成したのだと思うのだけど……。
手柄を決して独り占めしない。こういうところが、ラファエルお兄様のカッコイイところでもあるのよねー。
「ねえ、ルイーズ。インクが完成したら、魔力を込める必要があるんだけど……」
「そうですよね! 魔力を込めるのって、難しいですか?」
「いや、それ自体は、そうでも無いよ」
「そうですか。なら良かったです」
「さっきも言ったけど、特殊なインクだから、誰にでもは渡せないと思うんだ」
「はい」
なんだか、お兄様が煮え切らない感じだわ?
「それで、一応、ルイーズが内緒の手紙を交換したい相手を聞いて、その人がインクを持つに値する人物かどうかを、父上に判断して頂かないと駄目なんじゃ無いかな、と思って」
「……」
「相手の名前を教えて貰っても良いだろうか?」
「……?」
「言いたくない。かな?」
「実は、私には内緒話をするようなお友だちが……ごにょごにょごにょ」
そうよ! 居ないわよ!
今居ないと、いつかできる(かもしれない)時のために、前もってインクを用意しておくのも許されないの?
まさかこんなに早くインクが完成するとも思っていなかったし!
「ああ、なんだ。そう言うことか」
「そう言うことです……」
「だったら、ルイーズのインクと僕のインクを交換しようよ。そのインクを使って、僕の留学先に手紙を送ってよ! インクが消えるまでの時間はルイーズの要望通り、ちゃんと長くしておくから!」
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