38 第四皇女と図書室の忘れ物。
「今日は “勉強会” が予定よりもかなり早く終わったから、これから久しぶりに図書室へ寄って本を探そうと思っているの。部屋に戻るのがいつもよりも少し遅くなるけれど心配しないようにと、私の侍女のジネットに伝えておいてもらえるかしら?」
「ルイーズ殿下は、お1人で図書室へ向かわれるのですか?」
「ええ、そうよ。部屋に戻る時も私1人で大丈夫だから、わざわざ図書室まで迎えに来る必要はないと伝えておいてね」
「畏まりました。ジネット・シャルハム様にお伝えすればよろしいのですね?」
「ええ。もしもジネットが見当たらなければ、エルマ・クラウゼでも構わないわ」
図書室へ向かう前に、私は近くに居た顔見知りの女官にジネットへの伝言を頼むことにしたの。
予定時刻よりも随分と早く授業が終わってしまったので、ジネットもエルマもまだしばらくは迎えに来てくれそうもないしね。
それにね、王宮内で過ごしている分には特に危険な目に合うこともないだろうからと、今、私に護衛騎士は誰もついていないのよ。
薬草採取の際にダーガルウルフに襲撃された後、リリカ・ルーゲルが『鍛え直す!』と言って第二騎士団に武者修行に行ってしまっているし、正直、人手不足っていうのもあるかもしれないわね。
ちなみに『行き先さえ伝えてあるならば、王宮内のどこでも好きに歩き回って良い』とマキシミリアン陛下からはちゃんと許可を頂いているのよ。
それに関しては、エルマから『他国からの滞在者が自由気儘に王宮内を歩き回れるなんて、本当に異例中の異例なことなのですよ!』って驚かれたけれどね。
行き先さえ伝えてあるならばと陛下が仰るのにはわけがあって、最初の頃は、広くて複雑に入り組んだゼーレンの王宮内で方向音痴の私が何度か迷子になってしまい、大騒ぎになったりもしたからなの。
最近では……そんなことも滅多になくなったのよ。
伝言を頼んだ女官には「本を探しに行く」と言ったけれど、私が図書室へ行く本当の目的は、本を探すことではなくて、実は、別の物を探すため。
初めて図書室へ足を踏み入れた日。司書の方の事務机の上に “パステル” らしき物が置かれていたのを目にしたような覚えがあるのよ。できるなら、それを貸してもらえないかしら? と思って。
あの図書室で働いているのは、飛竜騎士団第7分隊のルドファー・ノルマン様のお祖母様と姉上様ってお話だったし、お願いすれば知り合いの知り合いって誼みで、少しの間なら貸してもらえそうじゃない?
ああ、どうして “パステル” を私が使いたいかを、まだ説明していなかったわね。
中庭でのお茶会、と言うか “もふもふ会” から数日経った今朝のこと。
私のところに、あの日ご一緒したハッセン侯爵家の双子のルカ様とニコ様から、とっても可愛いお手紙というか、絵が届けられたの。
若草色の紙の真ん中に、真っ白でモコモコなセレストがとても大きく描かれていて、その横にルカ様とニコ様、それからたぶん私が描かれているのよ。
可愛らしい絵と一緒に、双子ちゃんのお母様であるアリシア・ハッセン様からのお礼のお手紙も添えられていたわ。
双子ちゃんたちはセレストに会えたことが余程嬉しかったらしくて、あの日以来、ずっとセレストの話ばかりをしているそうよ。
だからね、私からも双子ちゃんたちにお手紙、というか、絵を描いて届けたいと思って。
「あら。ルイーズ姫殿下。お1人ですか? 今日も本をお探しに?」
「実は、カロラインさんにお願いがあって来ました」
「お願いですか? 姫殿下が私に、ですか?」
「はい」
「まあ、なんでしょう?」
私は以前図書室の事務机の上に “パステル” が入れられた箱が置かれていたのを見たことをカロラインさんに伝えて、できれば少しの間で良いので絵を描くためにその “パステル” を借りることはできないかと尋ねてみたの。
ところが、私の話を聞いたカロラインさんの顔が急に曇ったのよね。
「“パステル” とは何でしょう? ええと、大変申し上げにくいのですが、私には姫殿下の仰られていることが何のことだか……」
「お祖母様! それでしたら、たぶん先日の殿下の忘れ物のことではないかしら?」
私たちは背後から突然かけられた女性の声に驚いて揃って振り返ったわ。そこに立っていたのはカロラインさんとお揃いの丈の長いローブを着込んだ若い女性だったの。
“お祖母様” ってことは、もしかするとこの方がルドファー様のお姉様かしら?
「ルイーズ姫様。初めてお目にかかります。ミーリア・ノルマンと申します。そちらにいるカロライン・ノルマンの孫で、ハインリッヒ殿下が指揮をされている飛竜騎士団第7分隊に所属しているルドファー・ノルマンの姉でございます」
ああ、やっぱりそうだわ! ルドファー様と、髪の色と、目元辺りがそっくりだもの!
「あら、ミーリア! 貴女、今日はこっちに来ていたのね。ええと、何だったかしら……。忘れ物? 殿下と言うのは、どちらの殿下のことかしら?」
「お祖母様。図書室と言えば、ラディスラウス殿下のですわ」
「ラディスラウス殿下の、忘れ物?……ああ! あの箱のことかしら? そうね。きっとそうだわ!」
カロラインさんは何かを思い出したようで、パッと明るい笑顔を浮かべたの。でも、それはほんの一瞬だけで、また再び表情を曇らせてからこう言ったわ。
「ルイーズ姫殿下。大変申し訳ないのですが、姫殿下がご所望の “パステル” は私の持ち物ではなく、ラディスラウス殿下が以前図書室に置き忘れていかれた物で、もう既に殿下の元にお返し致しております」
「ああ、そうだったのですね。それでは、仕方ないですね」
ああ、残念。当てが外れたわ。
絵を描くのなら、色鮮やかな方が良いと思ったのだけれど……。だって、鉛筆描きだけで勝負できるほど、私は自分の描く絵に自信がないのだもの。困ったわね。
「ルイーズ様は “パステル” を今すぐお使いになられたいのですか?」
「ええ。できればそうしたかったのですけれど……」
「もしも明日でもよろしければ、私の持ち物をお貸しすることもできます。もし新しい物の方がよろしければ、事務方に依頼して頂ければ、数日以内には入手できるかと存じます」
「貴女の物を貸して頂いても、構わないかしら?」
「もちろんですわ!」
◇ ◇ ◇
「それでは、明日またルイーズ様は図書室へと向かわれるのですか?」
「そうなの! 図書室でぱぱっとルカ様とニコ様へのお手紙の返事代わりの絵を描いて来るわね」
「ぱぱっとですか? 絵なんて普段はほとんど描かれることなどないルイーズ様が、ですか?」
「そうよ! 私だって、絵くらい描けるんだから! たぶん」
「そうですか。……健闘をお祈りしております」
「もう! ジネットったら!」
「ぐふふ」
私とジネットのやり取りを聞いていたエルマが、慌てたように私たちに背を向けたのよ。でもね、エルマ。貴女が笑いを必死になって堪えている顔が、しっかり鏡に映って見えていますよー。
「それにしても、あの日見た “パステル” が、ラディスラウス殿下の持ち物だったとは意外だったわ。それってつまり、ラディスラウス殿下が絵をお描きになるってことよね?」
「あら。ルイーズ様はご存知ではありませんでしたか?」
エルマが真面目な顔をして振り返ると、そう私に聞いたの。
「何を?」
「ラディスラウス殿下は、本当に絵がお上手なんですよ」
「本当にって……。まあ、良いけど」
「ラディスラウス殿下がお小さい頃はお身体が余り丈夫ではなかったことは、以前お話しましたよね? ですから、部屋で静かに絵を描いて過ごされる時間がとても多かったそうですわ」
「……そうだったのね」
「パステル画だけでなく、聞いた話では、ラディスラウス殿下の描かれた本格的な油絵も、何点も王宮内に飾ってあるそうですよ。私は絵には全く興味がないので、どれが殿下の描かれた物なのかは存じ上げませんけど。でも、今でも殿下が絵を描かれていたとは、私も知りませんでした」
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