数少ない武器
「神父様にお願いしたいことがあります」
「どうしました? 私にできることならば気軽になんでも言ってください」
俺は書斎を訪れていた。神父様が広げていた本から目線をあげる。近頃俺に読書を妨げられるのは何度目だろう。だというのに神父様は嫌な顔一つせずにっこりと俺を迎え入れた。
いつも神父様は頼みをろくに聞きもせず、たいていのことを2つ返事で請け負ってしまう。俺をこの孤児院に迎え入れてくれた時だってそうだった。でも、
「ボルドルさんの魔核を、この間話した手術で摘出します。キュアで手伝ってください」
「無理ですね」
今回ばかり申し訳なさそうにすることもなく、きっぱりと拒否された。
「私は言ったはずです。手術では救えるどころか命を落とさせることの方が多かったと。もしあなたがそれでも盲目に手術を決行しようと言うのなら、わたしは止めなければいけません」
いつもはおだやかな口調が、今は子供を叱りつけるように厳しさを帯びる。
しかし今回の手術にキュアの存在は必要不可欠だった。だからここでなんとしても神父様を説得しなくてはならない。そして神父様を説得させるための武器を俺はもう持っている。
「俺の元居た世界は魔法が存在しなかった。って、前に話したの覚えてますか?
「ええ。まあ普通なら信じられませんが、あんなものを見せられては信じるしかないでしょう」
あんなもの、というのは俺の持っていたスマホのことだろう。まだバッテリーが残っていたから写真に音楽に動画にゲームとこの世界にとっては完全にオーバーテクノロジーをお披露目したのを覚えている。この世界で会った誰よりも知識のある神父様をしても、あれは異世界の代物と信じるに足る代物だったらしい。それならよかった。
「俺の居た世界で、キュアに代わるものが手術だったんです」
「そんな馬鹿な」
「本当です。信じられないかもしれないですけど、向こうの世界ではキュア無しで、心臓の交換だって行われてたんですよ」
神父様は真偽を確かめるように、俺の顔を凝視する。けどいくら観察されたところで、いままで言ったことに嘘はない。
「あなたの居た世界で、手術という手法はどんな扱いだったのですか」
「どんな病気や怪我も治せる最も信頼ある医療です」
嘘はここからだった。
手術で救えない命もやまほどある。それは医学知識なんてない俺でも当たり前に知っていること。でも俺は白々しくそう答えた。
どうやって神父様を説得するか。悩んだ末に俺がたどり着いた答えは、嘘だった。
無力な俺がかろうじで持っている手札は2つ。
1つは異世界の知識。そして2つ目は、孤児院のみんなに異世界の知識を持っていると思われているという立場だ。
「神父様も見たじゃないですか。スマホ……中で人動いたり歌を歌ったりする薄い箱を。俺が居たのはあんなものが一人一台持っているような世界なんですよ? 医学の進展もこの世界の比じゃないんです」
だから俺は今、恩人である神父様に嘘をついている。少しでも計画に協力してくれる確率を上げる。ただそれだけの為に。そう改めて認識すると、自分の愚かさに吐き気を催す。
「魔法の代わりに、別のアプローチが発達するというのは当たり前の話です。しかし……」
顎に手を添え、普段からは想像できないほど眉間のシワを深くして考え込んでいた神父様が短く息を吐く。
「わかりました。引き受けましょう」
「本当ですか!」
「ええ。私が最初に断ったのは、手術でボルドルを救うなど絶対に無理だと思ったからです。ですがどうやら勝算は、少なくとも0ではないようだ。助けられる可能性が1%でもあるのなら、わたしには協力する義務がある」
1%、か。当たり前のように、手術という行為の成功率が著しく低いだろうことは見抜かれているらしかった。
「騙すようなことを言ってしまい、すみません」
「謝ることはありません。嘘も使いようですからね。それで救える命があるのなら、どんな嘘でもつくべきです。謝ることはありません。ただ一つダメ出しをさせてもらうとするならば、」
神父様は人差し指を立てた。
「考えていることが、顔に出過ぎですね。どんな怪我や病気も治せる……と口にしてからの顔は特にひどいものでした。マサトに嘘は向いていませんね」
そう言われて、俺は自分の頬に触れる。一体俺は、どんな顔をしていたのだろう。ヨルみたいなポーカーフェイスを保ってたつもりだったんだけどな。
「嘘ではなくその正直さで真摯にぶつかるというのも、わたしは良いと思いますがね。そっちの方が、あなたには向いていると思いますよ。打算のないひたむきさというのも、立派な武器になるのですから。
「……善処します」
まさか嘘を見抜かれ叱られるどころか、ダメ出しをされるとは。ひどい顔というのは、多分今はしていないだろう。神父様に嘘を見抜かれて、気分は大分楽になっていた。
ああなるほど。確かに俺に嘘は向いていない。改めて実感させられた。