思わぬコンタクト
神父様に昼食を届けた帰り。ボルドルさんを救う方法を考えるのに気を取られていた俺は、背後から近づく人影に気づけなかった。
「あ、あの!」
「うわッ」
突然すぐ背後から聞こえた声に思わず30cmくらい足が地面から離れた。
「テトさんと、よく一緒にいる……マサトさん、ですよね?」
慌てて背後を振り向くと、背の低い、中学生くらいに見える女の子がおどおどした様子で俺を見上げていた。
「えっと君は……」
「ステラって言います。覚えて、ますか?」
ステラという名前に、はっきり言って聞き覚えはなかった。けれど彼女の口を覆う赤い、チューリップの描かれたバンダナはよく覚えていた。
「ああ、覚えてるよ」
忘れられるわけがない。
俺がこの世界に来たばかりの頃、やさしく接してくれた恰幅の良いおばさん。俺がこの世界で最初に見た魔物。彼女はその娘だった。
でも、俺の記憶が確かなら、最後に見た時、彼女は魔物化した自分の母親を殺したテトに、敵意とも呼べる視線を向けていたはずだった。
さきほど彼女は俺をテトとよく一緒にいる、と言った。つまりテトの身内認定だ。だというのに、少なくとも声音から敵意は感じなかった。
少々おどおどと落ち着きがないのは、おそらく緊張によるものだろう。初めて会ったときも、俺とテトを前に大きな母親の背に隠れていたのを思い出す。
「あの、こんなこと、急に言われてもって思われても仕方ないんですけど、わたし、マサトさんに頼みたいことがあるんです。すこし、お話いいですか?」
これで母の仇! と襲われたらひとたまりもないが、もし殺したいならさきほど気づかれずに背後を取った時にやっているだろう。危険はなさそうだ。
「ああ、いいよ」
「はい。では、ついてきてください」
案内された建物内に入ると、棚には野菜が並んでいた。そういえば彼女の母親は生前、大通りで野菜屋をやっていたと聞いた。ここがそうだったのか。
「母親の跡、継いだんだね」
「はい。教えてもらった通りにやっても、お母さんみたいに野菜がうまく育ってくれなくて大変ではありますけど、なんとか」
孤児院で田畑の世話をしている身としては非常に親近感が湧く話だった。だからというか、俺は神父様から教わったことや自分で取り入れてみて手応えのあった元の世界での農業の知識をぽつぽつとステラさんに話した。
「なるほど、参考になります!」
「それで、頼みたいことっていうのは、こういう知識を共有したかったってことでよかったのかな」
「え? いえ違います違います!」
彼女は慌てた様子で両の手のひらを振った。
「その、私が頼みたかったことは「動くな!」
話すよりも早く、勢いよく扉が開け放たれる音と共に背後で男の怒号が鳴り響く。
振り向くと、そこには無地の布で顔を完全に覆い隠した男が剣を抜き身で構えて立っていた。
「殺されたくなかったらそこにあるもん全部――」
しかし踏み入ってきた男にステラさんが瞬時に詰め寄り、男の頭に指が触れた瞬間、強盗はその場に倒れ込んだ。反射で手が出ることもなく、男は頭から床に打ち付けられ、鈍い音が響く。
「あっ、縄を持ってきますね。すぐに起きることはないと思うんですが、一応、見ておいてください」
俺がなにがなにやらわからずに混乱してる間に、ステラさんは慣れた手付きで手際よく男を縛り上げてしまった。
ステラさんは表に出て、懐から取り出した笛を吹いた。ピーーっと耳を塞ぎたくなる音がしたと思ったら、大通りを行き交っていた人々が足早に立ち去っていく。
あの笛は、ハンターに異常を伝えるためのものだ。
ハンター達が無償で配っているが、異常が日常茶飯事のこの街にも関わらず、笛の音が鳴ることはほとんどない。
なにせ、ハンターは嫌われ者だ。問題があっても助けを求める人は少ない。だから街の異常は、大抵の場合笛の音ではなく悲鳴によってハンターに知らせられる。
その笛を、ハンターにあまりいい印象はないだろう彼女がなんの躊躇もなく吹いたのが意外だった。