家族と仲間
夜の孤児院。誰もいない食卓で、俺は神父様の魔法によって生み出された頭上に浮かぶ光球をぼーっと眺めていた。対面の席にヨルがぽつんと座っている。シーンとした沈黙が場を支配するも、最近はこの空気が気まずいとも思わなくなってきた。
いろいろなことが、俺の中で日常へと変わっていく。俺は手のひらの上に転がる標石を見た。標石。俺とテトが命がけで手に入れた戦利品。触れたものの瘴気による汚染度によってその色を変える石。
「なぁヨル。なにか魔物化を食い止める良い案とか思い」「わからない」「……さすがに食い気味すぎないか?」
思考というクッションが挟まる余地もない即答だった。
「わたしは、そういう難しいことを考えるのは苦手だ」
「そうか」
「そうだ」
そっけない応答のあと、また沈黙が訪れる。
俺は、頭を傾け、とんとんと手のひらで天井に向けられた耳を叩く。
「どうした?」
「ああいや、なんでもない」
「そうか」
別に沈黙に耐えられなくて奇行に走ったってわけじゃない。ここ数日、どうにも片耳だけ調子が悪かった。まるで風呂で水が入った時みたいに音がくぐもって聞こえる。
ここのところ無茶ばっかりしてたし、疲れてるんだろう。そう結論付け、俺は深く考えないことにした。そんなことを考えてる暇がないほど、今は他に考えるべきことが多すぎた。
ハンターギルドに行ってから一週間。街には前と変わらない日常が流れている。バンダナとゴーグルをつけた人々が外を出歩く日常。自分や他者が魔物化することに怯える日常。依然として何一つ変わり映えしない日常が。
ガスマスクの生産は順調に進んでる。もうハンターへは供給され始めているらしい。でも、街全体へはほとんど普及していなかった。
本来なら、死の洞窟から俺たちが生還したことがガスマスクの性能が確かだというなによりの証明になるはずだった。でも結局、標石を死の洞窟から持ち帰ったことを俺たちはまだ世間に公表していなかった。
俺たちが死の洞窟から生還したという証は標石だけ。それ無しに、瘴気の塊である魔核を利用したガスマスクは街の人々になかなか受け入れられなかった。というか、断固拒否って感じだ。
だからといって、標石の存在を公表する気にはなれなかった。ハンターですら魔物もどきと差別されるのだ。なら、もし標石の存在が公になったとして、魔核の色が魔物に限りなく近いとわかった人がどういう扱いを受けるかは考えずとも明らかだ。
どこから人で、どこからが魔物か。どこからがセーフで、どこからがアウトなのか。その線引きは難しい。不安と恐怖、そして正義感を元に、もうすぐ魔物になりそうな「人」を狩り出す輩も出てくるだろう。
魔物化を食い止める方法を見つけ出せれば、そんな混乱もある程度防げるとは思うのだが。
しかし浄化魔法の開発は進展ゼロ。他に魔物化を食い止めるめぼしい手段も見つかっていない。それどころか……。
「私に難しいことはわからない。けど、わかることもある」
ヨルが口を開く。
「おまえは頑張ってる。えらい」
ヨルが唐突に、ぽんと俺の頭に手のひらを載せた。ゴシゴシとぎこちない動きで手のひらを左右に動かす。頭を撫でてくれているんだろうけど、どちらかというと撫でるというよりも、擦るの方がふさわしい動かし方だった。痛い。摩擦で髪が引っ張られる。
これはきっと慰めてくれている……んだよな。
「えっと、ありがとう」
「私は事実を言っただけだ」
そう言ったきり、ヨルはまた沈黙した。
「今日は徹夜する予定だったんだ。話し相手がいて気が紛れたよ」
「エルか?」
俺はぼかしたはずの理由を即座に言い当てられ驚く。
「よく、わかるな」
「エルは家族だから」
ヨルにとって孤児院のみんなは家族か。
「おまえも家族だ」
「別に疎外感を感じたりはしてないから大丈夫だって」
気を使われると気にしちゃうだろ。
「気を使ったわけじゃない。大事なことは、口に出して伝えること。そう教わったから、そうした」
いつも人形みたいに変化のないヨルの表情が変化した。彼女の口角がわずかに上がり、眼が細まる。
ヨルは普段の冷たい印象が嘘のような柔らかくて、温かな微笑みを浮かべていた。
「寝る」
いつもの何を考えているかわからない顔にすっと戻ったヨルは、相変わらず足音を立てず寝室へと去っていった。
「……家族か」
その背中が消えたのを確認してぽつりとつぶやく。
孤児院のみんなは家族。なんだかしっくりこない。だってやっぱり俺の家族は向こうの世界の肉親で。孤児院のみんなは仲間というのがふさわしいだろう。
「でも……」
ヨルに家族と言われるのは、悪い気はしなかった。
俺もいつか、みんなのことを家族だとすんなり受け入れられる日が来るのだろうか。
まあ、家族だろうと仲間だろうと今は関係無い。いずれにしろ無理してるやつをほっとけ無いという点では同じなのだから。