最悪からの最悪
テトに付着した糸は、どれだけテトがどれだけ力を込めてもちぎれなかったし、なんと剣でも斬れなかったのだが、あーだこーだと試しているうちに、火で炙れば容易く溶かすことができるとわかった。化け蜘蛛が出す糸とはいえ、弱点はあったようだ。
「お、この先はなんか広くなってるみたいだな……テト?」
すこし先を行き、松明を掲げていたテトが、その手をダランと力なく垂らす。
「おい。どうしたん……」
続く言葉を見失う。目前には、今まででとびっきり広い空洞が広がっていた。けれど、テトと俺が言葉を失うほどに驚いたのは、大声を出せばよく反響するだろうその広い空洞に対してではない。驚きは、天井にぶら下がっているものに向けられていた。
天井から吊るされた、袋状の繭のよな白い玉。それらはすべて糸でできているのだろう。中にいるのは、なんだ?捕らえられた餌……じゃなさそうだ。なにかが、もぞもぞとうごめいていた。
思い出すのは昔、弟が蜘蛛を新聞紙で潰した時のことだった。蜘蛛はへんな糸玉のような物を抱えていて、それが潰れた瞬間。小さな小さな蜘蛛が何匹も、何匹もわらわらとそこから出てきて弟と俺は悲鳴をあげて逃げ惑った。
「これは……卵なのか?」
そのときの記憶が、俺にそう訴えていた。
「わからない。でも、一つの卵でもありえないのに……この卵の数は……」
テトが続く言葉を見失い、呆然と空洞に広がるいくつもの白い繭を見渡した。
何十匹、いや何百匹生まれるんだ……?明らかに異常だ。これも、魔物化、瘴気による変異なのか?変異というよりも、これはまるで進化じゃないか。そもそも魔物は、子供を作るのか? もし魔物が増えるというのなら、そんなの悪夢だ。考えたくない思考が洪水のように溢れ出た。
「魔物って、繁殖できるのか?」
「ぼくは……そんな話は聴いたことがない。でもこれは、今目の前にあるこれは……」
少しずつ、頭上で垂れ下がる繭ににじり寄る。近くで見ると、はっきりとわかる。ああ。それは間違いなく蜘蛛だった。さきほど遭遇した化け蜘蛛と、ほとんど同じ大きさの蜘蛛が、うじゃうじゃと繭の中でひしめいているのがわかった。さっき遭遇した化け蜘蛛は塵となり、紫色の魔核を残して消えた。それは魔物の特徴だ。だとするならば、それとほとんど同じ姿のこいつらは間違いなく魔物だ。この鳥肌と背筋の寒気は、俺が蜘蛛が嫌いというだけでは片付けられないだろう。
それを見て、俺の中の、もう二度と思い出したくないと思っていた記憶がほじくり返された。
「そう言えば、マルベルさんが言ってたんだ。魔物になった恋人と、子作りだってできるって。それって、魔物になっても生殖機能はあるってことだろ?」
なら、子供を作ることだってできてしまうのではないだろうか。テトは、俺の問いかけになにも答えない。ただじっと頭上の繭を見つめていた。
「……潰していこう」
テトがぞっとするくらい冷たい声でそう呟いた。松明を繭に投げつけようと振りかぶる。
「ま、待ってくれテト」
俺はそんなテトの体を押さえつけるようにして止めに入った。
「もし繭全部燃やしたりしたら、空気が無くなって、死ぬ……かもかもしれない」
実際のところはわからない。これほどの空間の酸素がどれほどで尽きるのか、煙はどれだけ出るのか、一酸化炭素は?なにもわからない。わからないからこそ、安直に火をつけるわけにはいかなかった。
それに糸は確かに火に弱かったが、燃えるという感じじゃなかった。もし繭が解け、中から子蜘蛛達が出てきたとして、いくらテトとはいえ魔物の群れを処理しきれるとは思えない。そうなってしまえば、軍隊アリに集られた獲物のように、俺たちは成すすべなく死んでしまうハメになるだろう。
「……すまない。少し冷静さを欠いていたようだ」
テトはふーっと息を吐ききった。
テトが焦るのも無理はない。もし人が踏み入れない瘴気の奥底で、魔物が今も増え続けているとしたら、ハンター達がいくら魔物を狩っても瘴気が薄まらないのも納得できてしまう。言い方は悪いが、それは焼け石に水というやつだ。ハンターのテトにとって、それはすんなりと受け入れられるような事実ではないだろう。
「人は……どうなるんだろうね」
テトはそうぼそりと呟いた。
もし、マルベルさんと魔物となった恋人を放置していれば、人と魔物の子が生まれていた可能性はある。いや、もしかしたらもうお腹に宿っていたのかもしれない。
でももし生まれた人と魔物のハーフに知性があったのだとしても、ハンターでさえ忌避されるあの街で幸せな人生は歩めやしないだろう。
「それにしてもさっき戦ったアレが、まさか子蜘蛛だったとはね……。こいつらが繭から出てくる前にお目当ての鉱石を探すとしようか」
俺はテトのその呟きで気づく。そう、この繭は卵で、なかにいるのは子蜘蛛だ。ならば、卵を産んだ親がいるのが道理ではないだろうか。子蜘蛛が人の子供ほどの大きさだというのなら、成体は、こいつらの親は一体どれほどの大きさだというのか。
その疑問の答えは、すぐにわかった。