なんの覚悟もないまま死地を行く
「色は?」
「赤だね」
「赤か……。余裕を持って早めに交換しておこう」
持ち込んだ魔核の粉の色をこまめに確認しながら、カートリッジ式の吸収缶を交換する。
魔核の色は薄いピンクからだんだん赤みを帯びていき、最終的には濃い紫色へと変わる。まだ純粋な赤なら余裕はあるが、用心しておいて損はないだろう。
替えの吸収缶は専用の容器に保管している。瘴気が壁で防げるというのなら、密閉しても防げるはずだ。一応容器に保管した吸収缶を外にしばらく放置してテストもしてみたが、吸収缶内の魔核の色にほとんど変化は見受けられなかった。
俺たちは自分と、ギース達の分の吸収缶も取り替えてやる。試しにギース達から外した使用済みの吸収缶の中身を確認する。体がでかい分呼吸時に吸い込む瘴気の量も多いんじゃないかと心配だったが、俺の吸収缶の中身とほとんど色に差はなかった。
交換のタイミングが遅れる、なんてことがなければ吸収缶の替えは余裕で持ちそうだ。このまま順調にいければ歩かなければならない、なんてこともないだろう。
魔核の色は確か魔核の交換の目安にはなるけど、ここから瘴気は更に濃くなっていくことも予想して、より早め早めに交換する必要があるだろう。もうちょっとくらいなら大丈夫、なんてケチってたら、待ってるのは死である。俺はエリクサーは道中で惜しみなく使う派なのだ。
コンパスで方向を確かめながら進んでいく。尻が痛くてたまらないが、スピードを落とすわけにもいかない。
「ケツがいてぇ……」
「皮が剥けてるんだと思うよ。我慢してもらうしかないね」
撤退の理由がケツが痛いからなんてカッコ悪すぎる。俺は涙目になりながら、歯を食いしばってギースを走らせた。ギースは鳥っぽいくせして夜目が効くらしい。コンパスをしっかり確認しながらではあるが、それほど極端に夜の速度が落ちるということもなかった。さすがに休ませてやった方が良いんじゃないか?とも思ったが、テト曰くギースはそんなヤワじゃないらしい。改めて凄まじい生物である。
尻の痛みを除けば、道中は順調すぎるほどに順調だった。それはもう薄気味悪いほどに。道に迷うこともなく、魔物等危険な生き物に遭遇することもなく。そして街を出発してから二日目の朝、俺たちは目的の洞窟へとたどり着いてしまった。
しかし問題はここからだ。その標石とやらがまだあるのか。そもそも見つけられるのか。洞窟の入り口が、まるで俺たちを飲み込む化け物の口のように不気味に映った。
「こんなとき神父様がいればねえ」
「ないものねだりしたって仕方ないだろ」
とは言ったものの、たしかにテトの言う通り、松明のゆらゆらとした光源はなんとも心もとなかった。火のゆらぎは心を落ち着ける、なんて話をよく聞くのに、見てるとなんだか不安になってくる。なにより片手が塞がるというのも痛手だ。
洞窟内で火を燃やすのは一酸化中毒なんかがすこし怖いが……これだけ広ければ松明の火くらいでどうこうならないだろう。というか頼むからそうであってくれ。
他にも松明の火が可燃性のガスに引火するとか、毒性のガスが充満してるとか、懸念要素はやまほどある。考えれば考えれば手足が震え、進む足が鈍った。
「ここらが瘴気に飲み込まれて人の出入りが無くなってから50年くらいって話だけど……確かに人の痕跡があるな」
俺はあたりを見渡してそうつぶやく。朽ちた道具がちらほらと見受けられた。
「お、採掘用の道具もあるじゃないか」
テトはそう言って落ちている錆びたピッケルを持ち上げた。そのボロボロのピッケルは一度振るっただけでポキリと根本から折れてしまいそうだった。こんなのを使わなくても、しっかりとしたピカピカのやつをホメロスさんに用意してもらっている。使うとしてもそっちだろう。とはいえ、
「すでに掘ったものの中に紛れてれば最高なんだけどな……」
素人ふたりで採掘なんてうまくいくとは思えないし、変に掘って落盤なんてしたらって思うと怖い。見たところ、洞窟の壁や天井は結構しっかりしてそうだけど、素人の見立てなのでなんとも言えない。
歩みを続けていると、また前方に明らかな人工物を発見した。
「お、手押し車があるじゃないかってうわぁ!」
俺は思わず飛び跳ねた。なぜなら手押し車の持ち手には、人のものと思われる手の骨がぶら下がっていたからだ。不意にそんなものが視界に映ったら、だれでもびっくりして当然である。おそらく瘴気の汚染が進んでから、最後に採掘していた人々だろう。彼らが望んで汚染が進んだこの洞窟に鉱石を掘りに来たのか、強制的に命令されて来たのかはわからない。結果として、彼、もしくは彼女が生きて帰ることはできなかったようだった。
人骨に数秒手を合わせて手押し車の中身を覗いてみるが、目的の標石らしきものは一つも見当たらなかった。外れか……。こういう採掘後の手押し車があと何個かあればいいんだが、それは期待しすぎというやつだろう。
「なあ、魔物って寿命とかあんのか?」
「魔物というのは、発見次第迅速に排除するべき存在だ。放置したことなんてまずないからそんなの知らないね」
テトの言葉は、俺のもしかしたら、ここで最後まで働いていた人たちの成れの果てと戦わなければならないかもしれないという思考を否定してくれなかった。
「ただ……魔物になってから時が経てば経つほど変異は進むとされている。もし人形の魔物が出たとしても、それはただの化け物でしかないよ」
俺の思考を読んだように、テトはそう付け足した。街中でたまに出る魔物も、十分異形だったのに。あそこから、更に変化すると言うのだろうか。
「まあなにが出てきたとしても、ぼくに任せるといい。街だろうと、外だろうと、ぼくのやることは変わらない。ただ魔物を狩るだけだ。それがハンターの仕事だからね」
それが例えここの元労働者であったとしても、テトはなんら変わらず剣を振るのだろう。街での仕事ぶりを見ればそれは明らかだった。問題は俺だ。一応クロスボウと、小振りな剣は持たされている。けれど、俺は元人間の化け物を撃つことができるだろうか。
撃てないとして、自分の手は汚さず、テトに全部押し付けるのか?適材適所と言えば聞こえは良いだろう。でも、たとえ手を汚さなくとも、それはひどく薄汚れた行為じゃないか。そう思わずにはいられなかった。