神父様はなんでも知っている
「壁内では定期的に瘴気による汚染の度合いを測定し、許容値を超えるものは追放していると聴きました。それは本当ですか?」
夜、俺とテトは本を読む神父様にそう尋ねる。そう。それが本当なら、壁内ではそれを確かめる方法があるということなのだ。壁内出身の神父様なら、詳しく知っているんじゃないだろうか。同じ壁内出身らしいヨルにも聴いてみたのだが、どうもそれが石?であるということはわかったのだが、わかったのはそれだけだった。
「ええ、確かですよ。この間も二人追放者が出てしまいましたね。もう、亡くなってしまったようですが……。残念です」
神父様はパタンと本を閉じ、死んでしまった二人に黙祷するようにしばらく眼を閉じて沈黙した。
「それでなにを知りたいのですか?」
「具体的に、壁内じゃあ瘴気による汚染の度合いなんてどうやって確かめてるんですか?ヨルは、石を使ってるって言ってましたけど」
「石は石ですが……触れたものの瘴気によって色を変える特殊な鉱石があるのですよ。標石、なんて呼ばれていますが。見掛けは水晶が近いですかね」
やはりあった。鼓動が早くなり、思わず「ビンゴ!」と叫びそうになるのをなんとか抑える。それを用いて色々と工夫すれば、ガスマスクの性能を調べることも可能ではないだろうか。
「それって俺たちが手に入れることってできないんですか」
「あれは貴重品です。なにせ標石が採掘できる洞窟は、すでに人が踏み入ることのできる状態ではないですからね」
その洞窟は、もう五十年ほど昔に瘴気にひどく汚染されてしまったらしい。五十年前でそれなのだ。今どうなってるかなど考えたくもない。
「でもその標石、壁内にはあるんですよね?」
「どうしてあれを欲しがるのかはわかりませんが……。貴重品ですからね。手に入れることは不可能と見ていいでしょう。厳重に管理されているので盗み出すことも無理です。まあ仮に盗み出せたとしても、壁外で犯人探しという名の蹂躙が行われることになるでしょうね」
「蹂躙って……。」
壁内のやつらは、そんなに力を持っているのだろうか?前から疑問だったのだ。なぜ、壁外の人々は差別されるがままになっているのだろうかと。壁内への恨みつらみは確実にあるはずなのに、レジスタンスは煙たがられ、壁外の人相の悪いごろつき達が武装蜂起して壁内に攻め込むなんて素振りはまるでない。それはまるで、敵わないことが最初から分かりきっているみたいに。
壁内のやつらは……そんなに強いのか?テト達のように外の魔物と戦わなければならないというわけでもなく、悠々と壁の中で暮らしているだけなのに。俺にはどうにもわからなかった。
仮に盗めたとして、狙われるのは自分たちだけではない。その他大勢の人々が迷惑を被ることになるんだぞ。言外に神父様にそう聞かされて、それでも盗みを考えられるほどの度胸は俺にはなかった。大勢の命の責任なんて、そんなの俺に背負えるわけがないじゃないか。
「神父様、その標石が発掘された洞窟ってどこにあるんですか」
だからと言って、諦める気は毛頭ない。
神父様は俺としばらくにらめっこをしたのち、長い溜息をついた。
「なんの為にそこまで標石を欲しがるのかはわかりませんが……。まあ教えれば……諦めるでしょう。」
神父様はそう言って折りたたまれた地図を広げた。
「我々が今いるマルダガルダ王国はここです。そして、標石が取れるという洞窟は……ここです」
つーっと指で地図をなぞり、トントンと目的地を叩く。地図には俺には読めない文字で、地名や道の名前が記されているようだった。
「この洞窟、発見されたのが比較的最近で、標石に目をつけたのは洞窟が瘴気に飲まれる寸前でしてね。標石の希少性が高いのはそのせいです」
つまり、未回収の標石が眠っている可能性は高い。神父様の言葉を俺はそう解釈した。
「ここまで行くのに一週間はかかるでしょう。そして、この洞窟は五十年前ですら人が立ち入ることができないとされていました。現在がどうなっているかは君たちの想像におまかせしますが……運良くたどり着き標石を手に入れることができたとしても、生きて帰ることはできないでしょうね」
その末路は魔物か、死か。どちらにしてもろくなものではないだろう。
「わかりましたか?私達壁外の住人が標石を手に入れることは不可能だということが」
突き放すような、言い聞かせるような神父様のセリフ。俺はまるで親に無理難題を頼み込む小さな子どもにでもなったような錯覚をした。
「八方塞がりだね。ガスマスクの性能を確かめるにはその標石というのが必要だ。けど、性能が保証されていないガスマスクじゃあ瘴気の満ちた鉱山に標石を取りになんていけない」
神父様の話を聴き書斎から出てきてすぐ、テトは食卓の椅子をコツンと蹴った。八つ当たりにしてはえらく優しい蹴りだ。物は大切にという意識がにじみ出た八つ当たりだった。
「性能が保証されてないガスマスクで標石を取りに行けばいい。それだけの話だろ」
「……君、自分の言ってることがわかってるのかい?」
「ああ」
「いいやわかってない。君は今、自殺しに行くって言ってるんだよ。」
「ガスマスクの性能が十分なら死なない。可能性は……あるだろ」
「鉱山の瘴気の濃さは?ガスマスクは人が踏み入ることさえできないほどの濃い瘴気を防げるのか?防げたとしてどれだけ持つ?そもそもまだ標石はあるのか?どれもこれも、不確定要素ばかりじゃないか」
テトは、俺を睨む。殺気を飛ばされる、というのはおそらくこんな感じなのだろう。思わず腰が引けそうになる。目を逸らしてしまいそうになる。それでも俺は引くつもりはなかった。
「仮に標石が手に入らなくても、そんな死地から帰ってこられたら、ガスマスクの性能は証明できる。そうだろ?」
「それは確かにそうだけど……はあ。わかったよ。今の君は、なにを言ってもダメそうだ」
テトはため息を吐き、さっきりよ少しだけ強めに椅子を蹴った。
「道中にかかる時間は……なんとかなるかもしれない」
「本当か!?」
「まあ、そういう約束だしね」
テトはもう一度、さっきよりも深いため息をついた。俺の夢に協力すると言ってしまったことを後悔しているのだろうか。その原因を作ってしまったことに申し訳なさは感じても、やっぱり止まる気はない。仕方ないので潔く最後まで付き合ってもらおう。
「飲水の方はどうにかなるさ。魔法の遠隔発生は、そう難しい技術じゃあない。君の口の中に水を発生させることくらいはぼくにもできるさ」
「それ大丈夫なのか?手元が狂って、肉がえぐれるなんてことは……」
「そんなことが可能なら、ぼくは今頃魔物相手に無双してるさ。射程はアホほど短いし、生成場所になにかあったら魔法は発動しない。そんな心配は無用だよ」
「君はまだ見たことがなかったかな?足が早くてタフな獣が居てね。それを休みなしに飛ばせば、まあ遅く見積もっても行き帰りで二、三日くらいまで短縮できるだろう。」
「なんだそれすげーな!馬か?」
「いや、馬じゃないんだ」
馬じゃない?じゃあなんだろうか。もしかすると、異世界らしく俺が見たこともない未知の生き物でも出てくるのだろうか。そう考えると、こんな状況だというのになんだかワクワクしてしまうじゃないか。異世界の騎獣なんてそんなのカッコいいに決まってる。