壁内からの追放者
鍛冶屋への使いっぱしりの帰り、俺はすこし寄り道し、門を眺めていた。
壁内は完全な壁で囲まれているというわけではない。ところどころ壁外と通じる門が配置されている。まあ、門が開いてるところなんて未だに見たことはないが。
その横に顔が見えるかどうかの窓があり、そこには朝だろうが夜だろうが門番が何人か配置されている。普段は閉じているものの、壁外にいる者にとっては基本的にあの窓が壁内とつながる唯一の方法のようだ。ハンスの為の壁内の肉もあそこから門番達と交渉して手に入れていたらしい。……そうとうに足元見られてたんだろうな。確証はないがなんとなくそんな気がした。
この門の向こうには、どんな世界が広がっているのだろうか。そんな思いをめぐらせしばし足を止めていると、その不動の門が、目の前で開きだした。
中には、まるでこちらとは別世界のように、整備された石畳の地面が顔を見せる。
なにより目立っていたのは、道のど真ん中に居る馬車だった。馬車の中からはじき出されるように出てきたのは、小さな子供を連れた、見るからに上品そうなドレスを纏った女性だ。
「お願いです。この子は、この子だけは見逃してくださいませ!」
馬車に向け、石畳に額をつけるようにして懇願する女性。その身なりに似つかわしくない行為である。ただ事ではない雰囲気だった。
続くように馬車の中から出てきたのは、重たげでガッシリとした鎧を着た俺と同い年くらいの青年だった。両者共に少しくすんだ金髪であった。それは神父様の髪と同じ色だ。どうやら壁内ではこの髪色が多いらしい。ヨルはこれよりももっと綺麗で、輝くような金色だったけど。
それぞれ壁外の住人と同じようにゴーグルにバンダナを着用している。そして、青年のバンダナと鎧に、十字の印が白色で描かれている。鎧が年若い青年には似合わないのもあり、その身なりはまるでコスプレでもしているようなちぐはぐさを感じた。
「ならん」
青年は静かに、だが良く通る冷たい声でそう告げた。
「そんな。この子はまだ八歳なのです。苦しいこと楽しいこと、すべてはこれからなのです。どうか、どうかお見逃しください」
「女子供は関係ない。規則は守ってもらおう。あなたがたは定期検査で瘴気の汚染度が許容値を超えた。だから追放する。そうやって我らは瘴気の汚染を食い止め、平和を守ってきたのだ。気の毒には思うが、あなたがたとて犠牲の上になりたつ平和を教授してきたのだ。だというのに自分達だけは犠牲になるのは嫌などと、そんな道理は通らないだろう」
そう言われるも、なおも女性は「どうか御慈悲を!」と頭を下げ続けた。
「ご婦人よ。今のわたしの言葉がご理解頂けないのであれば、残念なことにあなた方を切り捨てなければならないのだが、どうだろうか」
青年の口から発せられたのが信じられないほど、その言葉遣いは大人びていた。あんな上等そうなドレスを着た女性があんなにかしこまるほど、あの青年はお偉いらしい。二人の会話を聞くに、どうやら俺は壁内の住人が追放される場面に遭遇してしまったようだった。話には聞いていたが、こんな感じなのか。
「わかり、ました」
少し離れていても、そう返事をする女性の体が震えているのが見て取れた。鎧の青年の話に納得していないことが丸わかりだ。ただ殺されるのが嫌でそう答えたのだろう。
「そうか。それはよかった。それではあなたの幸運をお祈ります、ご婦人。エステリカ様の加護のあらんことを」
よかったと言っておきながら、鎧の青年は限りなく無機質な冷たい声でお辞儀をした。そして、門がゆっくりと閉じられる。あとには泣き崩れる女性と、女性に抱きしめられるとぼけた顔をした男の子だけが残った。
そのひどく気の毒な有様に、俺は光に吸い寄せられる蛾のように壁内から追放された親子へと近づいていく。
「あの、だいじょうぶで」「ひぃっ。汚らわしい魔物モドキが私達に近づかないでちょうだい!」
彼女は庇うように子供を抱き寄せ、俺から逃げるようにして、足をもつれさせながらも霧の中へと姿を消した。
差し伸べようと中途半端に伸ばした手が、虚空に向けて宙ぶらりんになっていた。
……ああ、そうか。これが壁内の住人の俺たちへの対応なのか。パニック状態の女性とは反対に、抱えられた男の子の方はこの状況も飲み込めていないような、ぼけーとした顔をしていた。この世界で稀に見る子供らしい子供だ。
女性は去り際、抱きかかえた子供に「大丈夫、大丈夫よ。わたしがなんとかしてみせるから」と言い聞かせていた。でも、それはきっと無理だろう。俺を魔物モドキ扱いしたあの女だけじゃなく、あの子も……死ぬんだろうな。
その何日か後、俺の予想通り、壁内から追放された親子が何者かに殺されていたという話をテト伝いに聴いた。十中八九レジスタンスの連中だろうとテトは言った。レジスタンスは、女子供も容赦なく殺してしまうらしい。けど、俺は親子を殺しただろうレジスタンスよりも、親子が追放された場に居合わせたのになにもできず、結果的に親子を見殺しにした自分自身が憎たらしくてしょうがなかった。
伸ばした手を拒まれたのは確かだ。けど、無理矢理にでも後を追い、孤児院に連れ帰るべきだったのかもしれない。いや、結局は孤児院頼りか。俺はいつだって人頼りしかできないのだとつくづく思う。
瘴気を無くす方法について、エルミーの魔法に期待しているのだってそうだ。俺は、一人じゃなにもできやしないのだ。そんな無力な自分が嫌で仕方がなかった。
「そんなだからおまえはハンスのことも助けられなかったんだろう?」と、そう糾弾されているような幻聴が頭の中で響いて胸が苦しくなった。