壁の内と外
俺はテトと一緒に外を歩いていた。テトの巡回についていくのもこれでもう五回目になる。テト曰く、「君が一人で歩いても変にちょっかいかけられない為のアピール」だそうだ。俺はまだ一人じゃ外にも出られない要介護人なのである。
「なあ、あのクソでっかい壁。度々聴く壁内とか壁外ってのに関係あるのか?」
その日、俺は空に向かってアホほどデカイ壁がそびえ立っていることに気づいて、指差してテトに尋ねた。その存在感は圧倒的で、まるで山のようだ。
今までよく気づかなかったものだなと自分の視野の狭さに呆れ果てた。これまで周囲の人達の視線にビクビクしていて視線をあげる余裕などなかったのでそのせいかもしれないが……それにしてもである。
「ああ、そうか。君はそんなことすら知らなかったんだね」
事実ではあるとはいえ、心をチクチク刺されるような言い回しだった。
「ああ悪い悪い。君は悪くないよ。説明しなくてもわかっていると決めつけていたぼくの落ち度だ。あの壁は昔、瘴気を防ぐために魔法使いが作ったものだそうだ。で、察しの通りあの中が壁内、ぼくたちの暮らす外が壁外って呼ばれてる。詳しいことが知りたいなら、神父様に聞けばわかると思うけど」
前から思ってたけど、神父様は色々と知りすぎじゃないだろうか。
「よくこんなもの作れたな……」
見上げていると首が痛くなる。それにこの壁はどれだけ広範囲を囲ってるのか、端が見えなかった。
「なんでも昔、この国が建国された時それはすごい魔法使いが居たらしい。この壁を一人で建てたその人は救国の大英雄なんて呼ばれてて、その血筋が今の王族らしいけど」
「何百人でとかならまだしも、これを一人で作るって化物かよ……」
「君、王族のご先祖様を化物呼ばわりとは恐れ入るね」
テトは呆れたように首を振った。
「魔法ってそんなすごいことができるものなのか?」
「人によるってところだね。ぼくは水を出すことはできても、街を飲み込むほどの水量は出せないし。せいぜい毎日孤児院で消費する量が精一杯さ」
「もう少し魔物を狩るのに役に立つものがよかったよ」とテトはつぶやく。
しかし俺からすると、テトの能力は大当たりに思えてしまう。なにせ、魔法で作られた水は瘴気ゼロなのだ。一家に一人水魔法使い。それができないものは魔法使いから水を買うか、食材と同じように瘴気を抜いたものを飲むしかないらしい。瘴気のない水を飲みたい時にすぐ飲める。それは水魔法の使い手の特権なのである。
神父様によれば俺にも魔法は使えるのだそうだ。魔法が使えるようになると、その証として身体のどこからに使える魔法を表す印が浮かぶらしい。
身体をくまなく調べてみれば、俺の場合は右肩に変な模様の痣ができていた。しかしそれは神父様でも見たことがない印らしく、どんな魔法が使えるかは未だにわかっていない。できるなら物凄く役に立つ力がいいなあと願うばかりだ。そう、例えば瘴気を浄化する魔法とか。
「そういえば、なんでそんなご立派な壁があるっていうのにここの人たちは壁の外にいるんだ? 定員オーバーってやつか?」
「土地は足りている……どころか余っているらしいね。ぼくらが思っている以上に壁に囲まれている大地は広大って話だ」
「じゃあなんで」
「ぼくらは国民じゃないからね。ほら、ここの人達って肌の色とか髪の色とかバラバラだろ?」
そう言って、テトが自分の黒い髪をつまんだ。
「ああ、そう言われてみれば」
孤児院のみんなだけでもハンスは茶髪で、エルミーは濃い赤毛だ。神父様とヨルは、ちょっと差はあるけどふたりとも金髪か。それにテトの場合肌の色も違うしな。異世界だからとカラフルな髪色に疑問を抱いていなかったが、理由があったらしい。
「ぼくらは瘴気で国や街が滅んだりして逃げてきた難民なんかの子孫なのさ。そして壁内にいるのが本当の国民。ぼくたちは瘴気の薄いこの場所に住まわせてもらっているのを感謝しなくてはならない立場なわけだよ」
「なんだよそれ」
なんというか、納得できなかった。
「土地が余ってるなら入れてくれたって良いのに」
俺がそう思ってしまっても仕方がないだろう。
「ところがそうは問屋が卸さない」
テトはそう言って、人差し指を揺らした。
「方法は知らないけど、壁内じゃあ瘴気の汚染を食い止めるため、定期的に国民全員の汚染度を測定して、一定値を超える者は容赦なく壁外に追放してるのさ」
「ああ、俺は最初、その追放された奴ってのに勘違いされてたわけだ」
「そういうことだね。というか今でもこの街の大多数はそう思ったままだと思うけど」
「でも、それが壁内に入れないこととなにか関係あるのか?」
「わからないかな? 瘴気を一定値以上貯めたものは彼らにとってもう人じゃないんだよ。そして、瘴気の濃い壁外で暮らしている僕らを彼らは人とは思ってない。彼らはぼくら壁外の住人をこう呼んでいる。魔物モドキとね」
「魔物を自分たちの国に入れるバカはいないだろう?」と、テトはそうおどけてみせた。
この一週間でテトの巡回についていくことが多かった都合上、何度か魔物……になってしまった人を目撃する場面にも遭遇した。そしてそれを処理するテトの姿も見た。テトの言う通り、あれは人を襲い瘴気を撒き散らす化け物で、処理しなければ……殺さなければいけないということもちゃんと理解した。
だからこそ、魔物モドキというその言葉が人に向けられていいものではないことも分かる。
「実際に瘴気の汚染を最小限に防ぐ、という点で壁内の選択はこの上なく正しい。誰だって、自分のことが一番かわいいんだからね」
「それが正しいとしても、魔物モドキ呼ばわりは違うだろ」
「人間、自分達より下の存在を作りたがるものだよ」
そうだとしても、納得できるものもんじゃない。
「この国には2つの壁があると言われていてね」
「あの中にもう一個壁があるのか?」
それはそれは、防衛意識の高いことで。
「違う違う。あの壁が二枚目の壁で、一枚目はぼくらさ。壁の外に住まわせておけば勝手に瘴気を防ぐ壁を作ってくれるし、自分たちの身を守るために魔物も狩るだろ? だからこそぼくらは税も払っていないのに壁外に住むことを許されてるのさ。これぞホントの肉壁ってやつだね」
両手を広げ、街を示しながらテトは笑った。なぜ笑えるのかが俺には理解ができなくて、
「そりゃあ、壁内への敵意が高いわけだな」
平然を装い、そう皮肉をひねり出すのがやっとだった。どうしようもない怒りだけがグツグツと腹で煮えたぎる。この苛立ちはどう解消すればいいのだろう。あのたいそうな壁を殴りつければ少しは気分が晴れるだろうか。
「そんな顔しないでくれよ」
平然を保っていると思っていたのは俺だけだったらしい。テトは俺の顔を見て、困ったように笑った。
「瘴気に汚染された人間を避けるのは、ここの住人だって対して変わりやしない。そう壁内のやつらを非難できる立場じゃないんだよ、ぼく達は。君も気づいてるだろ? ぼくに対する周囲の目に」
テトに向ける周囲の目。
「……まるでおまえを人殺し扱いするような視線はしょっちゅう感じてるよ」
それは今、この瞬間でも。まるでテトを中心に即効性の毒でも出ているかのように避けていく通行人達を見て、俺はそう答えた。
……おまえらなんなんだよ。テトがおまえらの代わりに魔物を処理してくれてるんだろ? そんな眼で見るなら、おまえらがやれよ。人にやらせておいて、そんな眼で見るなよ。もう、なにもかもに腹が立って仕方がなかった。
「魔物は魔物。そう切り離せない人は多いからね。それはしょうがないことさ。それにぼくが避けられるのはそれだけが理由じゃない。ハンターは外に出て魔物を間引く中で、人よりも瘴気に触れる機会が多い。瘴気に汚染されやすいんだ。壁内のやつらにとって壁外の住人は魔物モドキで、壁外の住人にとってはハンターが魔物モドキってわけさ」
「なんだよ、それ。ハンターが魔物を狩ってくれるから、被害が防がれてるんだろ?」
魔物は瘴気を発する。街中はもちろんのこと、街の周囲の魔物もしっかり間引かなくてはならないらしい。でないと周囲の瘴気が濃くなる一方だとかなんとか。
あんなに恐ろしい魔物を狩ってくれるハンターが感謝される理由は山程あれど、こんな扱いを受ける理由は一つもないはずだ。
「そうだよ。誰かがやらなきゃいけない仕事さ。でもさっきも言ったたけど、人はみんな自分が一番かわいいんだよ」
「じゃあ、おまえはどうなんだよ」
みんなに忌避されて、憎まれて。それでも魔物なんていう化け物と戦わなきゃいけない損な役回りを引き受けているテトはどうなのだ。
「……自分の為だよ。ぼくが魔物を狩るのもね。人はみんな、自分のために生きている。あのお人好しの神父様だってそれは変わらない。君だって、そうだろう?」
テトの問いかけに俺は息を飲んで数秒呼吸を忘れた。なぜならそれは図星だったからだ。
「……そう、だな」
俺は自分可愛さに手を差し伸べられなかった少女のことを思い出す。そうだ、いくら善人面しようとも、俺も壁外の人々を魔物モドキと蔑む壁内の奴らや、テトのことを差別する壁外のやつらと同類なのだ。
まるで心の中を覗かれているような気がして怖くなった俺は、逃げるようにテトから視線を反らしたのだった。