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生きていく上での原動力

 


 それから一週間、俺は色々と教えてもらいながら割り振られた仕事をこなしていった。田畑の世話、家畜の世話は思っていた数倍きつかった。肉体的にも、精神的にもだ。特に家畜の解体では何度も吐いた。料理は日頃からやってきたが、解体とは天と地ほどの差がある。


 そうして肉体的にも精神的にも限界に達したところで追い打ちをかけるように、食べるのが苦痛な食事が待っているのだ。食べたくないが、生きるためには食べなくてはいけない。まだこちらの世界に来てからそれほど時は経っていないのに、ボロボロになっていく自分の心身。


 心が安らぐのはハンスに元の世界の話をしている時くらいのものだ。あの頃はよかったと昔話を延々と語るジジババの気持ちが少しだけわかった気がする。

 昔がよかったわけじゃない。ただ、今が辛くて過去に逃げたくてたまらないだけなのだ。


 こんな絶望的な世界で、俺から異世界の話を聴くハンスの瞳はキラキラと輝いている。それはもう眩しいほどに。


「ハンスって明るいよな」

「そうかな?」

「なんというかこの世界、全体的に雰囲気が暗いというかさ」


 明るい人も確かにいる。しかしそれは少数派で、大多数は死んだ魚の目をしている。俺も、今はおそらく後者にカウントされると思う。瘴気のことを考えればそれも当然なのかもしれないけど。


「たしかに気が滅入ることも多いけどさ、ぼくには夢があるから。ぼくね、新しい世界を見てみたいんだ。いろんな動物や植物や建物や。いろんなものを見てみたい。マサトが居た世界だって見てみたいなあ。マサトがこっちの世界にこれたってことはぼくもいけるってことだよね?」

「ああ、当たり前だ。このままずっと帰れないだなんて俺が困る」


 俺はそう嘘をついた。本当は、無意識のうちにもう帰れないのだろうと諦めていたから。


「けどなんだかんだで、ぼくがそういうことを考えられるのも、明日を考える余裕があってこそだと思う。今日だけで精一杯な人もたくさんいるからさ」


 それは、まさしく俺のことだった。日々の忙しさや辛さの中、未来について考えることなどこの一週間一度もなかったかもしれない。いつだって現実逃避に活用されるのは過去のことだった。けど人が生きるには夢が、目標が必要なのだ。未来を考えなくてはならない。

 元の世界だと美味しいものを食べるとういことが生きる原動力だった。しかしこの世界では食の楽しみが奪われている。ならば新しい目標が必要だ。この日々を生き抜くための目標が。

 肝心なのはなにを目標にするかということだが、そこに迷う余地はなかった。そう、俺の目標など寿司を食うことを置いて他にないのだから。この瞬間から俺の目標はこの世界で寿司を食べることになった。


「よし、ハンス。君に俺の握った寿司を一番に食うという記念すべき権利をくれてやろうじゃないか」


 目標を定めたことで気分新たになった俺はこのハッピーな気分をハンスにも共有してあげようとルンルンでそうもちかける。


「えー、寿司ってあの変な薄い箱の中にあったシャシンってやつに入ってたあれ?生魚の切り身が白いつぶつぶしたうじ虫みたいなのの上に乗ってるやつ。あんなの食べたくないよ」


 が、ハンスの寿司への評価は散々だった。この勘違いは正さねばなるまい。


「なに言ってるんだ。寿司は美味いんだ。世界一美味いんだ。いつも食べてるスープの1億倍は美味いんだぞ。それにあのツブツブしてるのは虫じゃなくて米だ。麦や芋の親戚みたいなもんだぞ」

「えー。どう見てもウジ虫じゃないか」


 なおもハンスは寿司を食うことに対して否定的だった。まあ良い。いずれ無理矢理にでも口に突っ込めばわかることだ。


「神父様は瘴気が充満する前のことにも詳しいけど、それでも生魚を食べるなんて話は聴いたことないけどなあ」


 魚の生食というのは瘴気関係なく馴染みのない行為らしい。俺としては考えられない話だ。魚を食って寄生虫で死のうが食中毒で死のうが俺としては本望である。


 そもそもこの世界において食事に幸福感を求める、というのは想像し難いのかもしれない。


「それにしても瘴気が広がる前って、この世界の瘴気って元々あったわけじゃないんだな」

「みたいだね。瘴気がいつ広がったのかは知らないけど、神父様なら詳しく知ってるんじゃないかな?」

「へー」


 あとで覚えていたら聴いてみよう。


「そういえばハンス、体調はどうだ?テトから体調が悪いって聴いてたけど良くなったか?」


 なんだか最近はエルミーの俺に対する棘も減ってきた……ような気もする。だからハンスが復帰してもすぐさま俺が追い出されるという可能性も無さそうなので、ハンスには遠慮なく良くなってほしい。


「まあ、ちょっとした流行り病みたいなものだから、気にしなくてもすぐに治ると思うよ」


 ハンスはニコニコと笑った。


「そっかそっか」


 俺から見ても特に調子が悪そうにも見えないし、神父様は優しいからな。念の為長めに療養させているのだろう。相変わらず具体的な病名とか症状は誰も教えてくれないからわからないけど。


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