episode S
私が生を受けた広島県呉市は、眼下に瀬戸内海を臨み、常に潮風が吹き込む、なんとも清々しい場所だった。小さいころから内向的だった私は、そこで細々と育っていった。
頭に刻み込まれている情景がある。盆や、正月、うちには親戚が一同が会し、私には苦痛なほどの喧騒が家の中を満たしていた。私はそこから逃げ出そうとするが、毎度見つかり、「こっちにいらっしゃいよ」「せっかく集まったんだし、みんなでゆっくりしましょうよ」そんな御託が私を絡めとり、忌々しい喧騒に私を縛り付けた。
私は、この血という繋がりを捨て去りたくてしょうがなかった。
そして、高校を出て県外の大学への進学が決まったことで、その願いは成就した。
最初こそは歓喜していたが、次第にそれが、私の人生の目標であり、終着であることに気が付いた。
私は20歳を待たずして、生きる意味を見失った。
それからしばらくして、廿日市市の小さな町工場に就職した。生きる意味を失った私にとって、就職というイベントは、何の琴線にも触れない、至極下らないものだと感ぜられた。
大きな工業用の丸鋸を使って、金属を切断する毎日。いよいよ私は、自分の中にある命に、非現実さを感じるようになった。
それは、その年の最高気温を更新した日のこと。
いつものように作業をしているだけで、目が開けられなくなるほどの汗が顔を伝う。汗を拭った右手に目が行く。そこで、私の錯覚は、頂点に達した。
この手は私の手なのか。 私の意志で動かしているものなのか。 この手にも、他人と同じような血が通っているのか。
しばらく考えたあと、私はその右手を、切断板の上に置いた。
皮膚が裂けるのを感じた。
肉が解けるのを感じた。
骨が断たれるのを感じた。
血の飛沫が辺りを染めた。
随分短くなった腕を見て、そこで途絶えた。
私は腕を失っただけではなかった。
私は、独りぼっちになってしまった。
繋ぐものが無くなった瞬間、私はその存在の大きさを初めて実感した。
生きた心地のしない部屋の中で、私は一つのアプリに行きついた。
慣れない手つきで操作していると、私には似ても似つかない美青年ができあがった。
私はその青年に『紫村トウジ』という名前を付けた。
その青年の皮を借り、私は今日も独り言を呟く。
「いらっしゃい、ゆっくりしてってね」