小林花音という女
神凪志帆と柊響也が付き合ったということを受け入れられず、バイトに帰ってから泣き叫んだ
まだ太陽が昇りきらず辺りがまだ薄暗いような時間帯
サッカー部の自主的に行われる任意参加の朝練には柊、他数人とマネージャーは神凪のみが参加していた
「おはよう神凪さん」
「おはようございます」
「なんというか…今日も朝からありがとう」
「それがマネージャーの役割だから」
「…」
遂に誕生した才城高校きっての美男美女のビッグカップルの二人。その会話の内容は薄く、まるで起伏のないといっていいほどのものだった。二者の会話においての気まずい雰囲気というのは日本人の中では同性でも珍しくないし、それが付き合いたての男女ともなれば尚更だろう。しかしこの状況下でその気まずさの原因となっているのはそんな普遍的なものではなく彼女の異質さからくるものであった
「また木戸君いないですが…毎日朝練来る人だったのに昨日も今日も」
「昨日顧問から聞いたけど彼は退部するらしいよ」
「そうですか…」
物憂げな表情を浮かべる彼女にこれ以上なんと話しかければ良いのか分からない響也であった
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ホームルームが始まる前の教室。いつも通り朝練をこなしてから自分の席でぐったりしている健太郎のもとへ行き、俺は昨日退部届けを出したことを伝えた
「コウちゃん部活辞めたの!?」
つい先ほどまで疲れ果てて机に突っ伏していたはずの彼は急に顔を上げてこちらを見ていた
「昨日部活行かなかったのはバイトに行ったからというよりもう部活を辞めたからだしな」
「せめて大会までやれば良かったのに。来月から始まるし、レギュラーなれそうだったんだろ?」
「あんまりこだわってなかったしな。そもそもバイトするのも大変だったし、居心地も悪かったしな」
「そっか、まぁコウちゃんが後悔しないならなんでもいいと思うよ」
健太郎はこちらの家の事情を理解している。俺の喜怒哀楽を汲んで励ましてくれたり、応援してくれたり、喜びを共有してくれる良き友人だと常々思っている
「そうだ!今日花音と帰ってくれよ。あいつ会いたがってし」
「大丈夫か?新しい友達とでも帰るんじゃ?」
「じゃあ声ぐらいかけてくれ、クラスは1-cだから」
「了解」
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俺は部内で疎まれていたと思う
部活の中でも1.2を争うメジャーな部活であるサッカー部では基本的に休みは無い。俺はそんな部活に入ってバイトもこなすためには定期的に部活を休んでいた。その分朝練を頑張ったおかげで、段々実力をつけることができたのだが、周りはそんな俺のことをよく思わなかっただろう。俺だって逆の立場だったら良い印象をもたないかもしれない。サッカーはチームスポーツであり、休みの多い俺は腫物のような扱いを受けていたため、いじめとかはなく一緒に練習はしてくれるものの、その雰囲気は重々しかった
響也は俺と平等に接してくれたが、あくまで『平等に』である。そもそも出席率の低い俺と話す機会は少ないし、他に付き合いの多い彼と特別仲がよくなることは無かった
顧問もこんな俺の状況を黙認してたと思う。俺が退部届けを出した時、僅かに安堵の表情を浮かべたように見えた。気のせいかもしれないが
俺に響也程の実力が有れば良かったのか。それともチームのムードメーカーのような存在にでもなれば良かったのか。結局俺には才能の壁を簡単に超えることはできず、チームの輪に入り込むことも出来なかった。それが現実だった
話変わって今は1-cの教室前にいる
健太郎の言っていた『花音』というのは彼の妹である小林花音のことであり、中学で俺と健太郎が仲良くなって家にお邪魔した時初めて会った
今年才城高校に入学したということで年齢は1つ下だ
ホームルームが終わり、1年生が入り乱れる中、俺は一際身長が小さく茶髪でショートの女の子に声をかける
「花音」
「あ、お兄ちゃん‼︎」
しーん…という効果音が流れるほどに静まり返り周りの1年生が俺と花音に注目する
悪いことをした訳でもないのに冷や汗が出てきて、俺は非常に焦ったが
「俺はお兄ちゃんではない‼︎」
と声高に紛れもない事実を叫び、人を掻き分け、花音の手を引っ張り昇降口に向かった
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「花音のお兄ちゃんはケンちゃんだろ」
「あんなばか兄知らないもん。あと私のことも○○ちゃんって呼んでよ」
「語呂が悪いんだよな。カノちゃん、ノンちゃん、カンちゃん、どれも微妙」
「ノンちゃんとかいいんじゃないの?それかカノノンでもいいよ」
「カノノンもNO」
この話題は初めてではなく、何度か議論されたがパッとしたものが出ず普通に「花音」と呼んでいる
ノンちゃんは彼女の快活なイメージに合わないと個人的に思っている
「良かったのか、友達と帰らなくて」
「まだみんながどこに住んでいるかも知らないよ。それにみんながどこ住みだろうと徒歩通学ってかなり少数派だから一緒に下校できる人も少ないんじゃないかな」
言われてみれば確かにその通りである。新入生である花音が徒歩通学の人とたまたま友達になって一緒に帰るというのがかなりハードルの高いことであるのは想像に難くない
そんな風に思考を巡らせていると不意に
「そういえばなんで部活辞めちゃったの?」
なんて聞いてきた
「逆になんで知ってんだ、とこっちは聞きたいがその質問に答えるならバイトを優先したくなったというのが理由だ」
俺は顔色変えずに答えた
「へぇ、お兄ちゃんがいるなら『サッカー部のマネージャー』やろうと思ったのに」
「冗談よせよ、本当は何に入るんだ?」
ドキッとしたがそれでも表情は変えずに答えた
「吹奏楽部かな。ばか兄のために演奏しなきゃいけないのが癪だけど。もしその時になったらお兄ちゃん応援してね」
「ああ、ケンちゃんも花音も応援するよ」
「カノノンも、じゃなくて?」
「花音も、だ」
女の直感というやつだろうか
核心を突くようなキーワードの連呼に、俺の表情はいつもと比べひきつったものになっていたかもしれないがなんとか立て直した
表情と言えば花音の表情は神凪と違ってよく動くタイプで、いつでも笑って八重歯が見え隠れする。そんな彼女の醸し出す雰囲気で俺の気持ちも少し軽くなった気がした
どうやら彼女は自分のことをカノノンと呼んで欲しいらしい。本物のお兄ちゃんにでも伝えておこう