Part.1 Saturday Night Zombies(5)
2-1-(5)
「疲れた? リサ」
センターからの帰り道。すっかり夕暮れになっていた。明るかったドーム都市の空が、紫色に染まっている。
ミッキーは車を運転しながら、わたしを気遣ってくれた。
「あちこち引っぱりまわしたから、疲れたろう? 悪かったね……休暇の最終日だったのに」
「ううん、大丈夫。……そうじゃないの。気になっただけ」
「そう?」
『疲れていない』と言えば嘘になったとは思うけれど、溜め息の意味を誤解されたくなくて、わたしは微笑んだ。
今日は久しぶりに充実した一日だった。皆川さん、フィーンさんとお知り合いになれ、ミッキーの検査にも付き合えた。こんなに充実していたのは、去年のクリスマス以来じゃなかろうか。あの、ラグに会った日の。
「どうかした?」
その時のことを思い出してくすっと笑ったわたしを、ミッキーは不思議そうに振り向いた。運転は半自動に切り換えている。
「何でもないわ。ねえ、あの事件、どう思う?」
「フィーンのことだね」
ミッキーは前方へ向き直って頷いた。
「おれも気になっていたんだ。鷹弘とラグのことといい、おれ達の――倫道教授の件に関わりがあるのかもしれないな」
「フィーンさんが居たのは、パパの研究所とは違うけれど……。あのラグが、緊急指令を受けて戻って来るなんて」
「《レッド・ムーン》 で何が起きているのか」
ミッキーは軽く首を傾げた。黒い瞳がまばたき始めた星の光を映している。
「調べてみる価値はあるかもしれないな」
「出来る? ミッキー」
「ああ。ラグに会うのは無理でも、鷹弘からは聞き出せると思うよ」
何を思いついたのだろう、ミッキーは苦笑した。
「おれが調べないと、きみは自分で飛び出して行くだろう。学校そっちのけで」
「…………」
「ダメだよ、今回は。きみは、明日から新学期なんだから」
わたしは返す言葉を思いつけなかった。――あ、あは。あはは……。
「判る? やっぱり」
「ダメだよ、本当に」
ミッキーは苦い口調になった。
「フィーンとイリスにも言っておくからね。危険なことに首を突っ込まないでくれよ」
フィーンさんは宇宙飛行士訓練校の学生で、わたしの一級上の学年だ。イリスとは、明日から同級生になる。
心配を通り越してやや不機嫌になるミッキーに、わたしは、ささやかな抵抗を試みた。
「あら、まだ危険とは限らないじゃない?」
「……頼むよ、リサ」
ミッキーは真顔になった。困った視線をわたしへ向け、滑らかな声をひそめた。
「きみが自分のことは自分でしようとする娘であることは認めるよ。それはきみの長所だけれど……。きみといいルネといい、思いついたことがあると、すぐに飛んで行ってしまうのは、やめてくれないか。後ろからついて行く方は、気が気じゃないんだから……。地球で、家を出たときも、そうだ」
「ごめんなさい。……って、それじゃあ、ミッキー」
クリスマス・イブの夜。スティーヴン・グレーヴスの殺人犯を捜すために、わたしとルネが別行動を主張したとき、ミッキーは止めなかったけれど、実は心配してくれていたの? わたしが一人で月へ行こうとした時も。
「あのさ」
ミッキーはハンドルから片手を外し、その掌で顔を覆った。長い指の間から、情けない声が漏れた。
「心配しないわけがないだろう。おれの寿命は、あの一晩で三年くらい縮んだよ……。きみは自分をなんだと思っているんだい? きみは、ラグのようなトループスでもなければ、ルネのようなESPERでもない、普通の女の子なんだ。無茶なことはしないでくれ」
わたしをちらりと横目で見て、ミッキーは付け加えた。
「順番が逆になってしまったけれど。きみを引きとめて、うちに来てくれるよう頼んだときから、おれは、きみのことは全部引き受けたつもりでいるんだ。倫道教授が殺された理由をつきとめるのも、《VENA》に会えるようにするのも、おれが何とかするから。きみはそこで見ていなさい」
「……はい。判ったわ、ミッキー」
黙ってしまうミッキー。わたしはその端麗な横顔を見詰めた。嬉しいようなこそばゆいような、温かい気持ちが胸に湧いて来る。
ミッキーは紫の夜空を背景に、車の運転を続けた。わたしは、こっそり囁いた。彼に聞こえるか聞こえないかくらいの声で。
「ありがとう、ミッキー」
「え? 何か言った?」
「ううん、何でもない」
恥ずかしくなって、わたしは首を振った。顔が真っ赤になったのが判る。手を当てて熱を冷ましながら、急いで話題をかえた。
「そういえば。フィーンさんは、どうして《VENA》 のことを知っていたのかしら?」
「え?」
ミッキーは、驚いたように振り向いた。気づかれた? でも、わたしの顔については何も言わず、前方に視線を戻した。
わたしには、彼がかすかに微笑んだように見えた。
「そうだね。倫道教授は有名人だったし……。おれはルネから《VENA》 のことは聞いていたけれど。鷹弘とラグが親友なことを考えると、フィーンは鷹弘から聞いたんじゃないかな? あいつの能力を、鷹弘は以前から買っているしね」
「ふうん。そうなの?」
「フィーンは謙遜していたけれど、」
徐々に暗くなるハイウェイで疎らな対向車のヘッド・ライトを浴びて、ミッキーは眼を細めた。こちらの車のライトを点けながら、
「力の強い精神感応能力者は希少だし、息のあったESPER同志のテレパシーは、恒星間航行をする宇宙船にとっては価値があるんだ。きみもルネのテレパシーを経験したと思うけれど。――あいつは、くだらないことにばかりエネルギーを使うから、ありがたみが半減してしまうんだが」
「ルネのESPは凄いわよね」
わたしは右手の人差し指を唇に当て、相槌を打った。
自動車で空を飛び、サイコ・ガンを発射し、長距離を一瞬でテレポートする、ルネのESP――たまに距離を間違えるところが、ご愛嬌。
わたしは他のESPERを知らないし、彼が当然のように使ってみせるので、そんなものかと思っていたけれど。心の奥に直接響く、不思議な声のようなテレパシー。わたしとも会話が出来てしまう――なんて、そうよね。
やっぱり大変なことなんだわ。
感心するわたしの口調に頷いて、ミッキーは説明を続けた。
「宇宙船の通信には光を使うけれど、途中で遮る物質があったり吸収されたりしてしまうと、どうにもならないからね。テレパシーには、そういう問題がない。強いESPERなら、距離も、時間すら逆行出来るそうだよ」
「銀河連合軍って、本当に凄い人たちが揃っているのね」
「そうだね」
ルネといい、ラグ、ミッキーに皆川さん、フィーンさん。いつの間にか、わたしの周りには凄い人たちがいる。
ミッキーは、さっとわたしを顧みた。黒い瞳がまっすぐわたしの顔を映してから、前方に戻る。
何が意外だったのだろう? やや呆然と呟く彼の横顔を、わたしは観た。
「そう言えば、全員ESPERだ。偶然こんなに集まったのか?」
「どうしたの? ミッキー」
わたしはてっきり、銀河連合の戦士は全員ESPERなのかと思っていた。
ミッキーは頭を振った。
「いくら銀河連合でも、ESPERをそんなに集めるのは無理だよ。おれと鷹弘やルネ、フィーンみたいに、友人なのは珍しい……。本当に偶然なのか?」
「ミッキー?」
ミッキーは言い淀み、眉を曇らせた。
「おれの考え過ぎか? ESPERで、戦士で、《VENA》 に関わっている、このメンバーは。誰かが意図的に集めたのでなければ、いったい……」
わたしには良く判らなかったけれど、ミッキーは疑問点に気づいてしまったらしい。『月うさぎ』に着くまで、彼は考えこんでいた。
*
『月うさぎ』のロビーには明かりが点き、あたたかな光を路上に投げかけていた。黄金色に包まれた玄関で、人影が動いている。
急いで帰ってきたけれど、夕食の準備には間に合わなかった。ミッキーは車から降りてドアを閉め、肩をすくめた。
「マーサが怒っているかな。行こう、リサ」
「そうね」
わたしはともかく、ミッキーはこのホテルのコック長みたいな人だから、彼が遅れると皆が困ることは察しがついた。マーサさんと洋二さんの夫婦が下の子ども達を引っぱっているけれど、人手は多ければ多いほどいいものね。
建物の裏のガレージから正面玄関へ進んだミッキーが、自動ドアの前で立ち止まった。体温感知センサーの範囲に入る直前で、わたしは危うく彼の背にぶつかりそうになった。
「どうしたの? ミッキー」
「まずい……」
「ええ?」
「リサ」
苦虫を噛み潰したようなミッキーの声に、彼を見上げる。ミッキーはガラス扉ごしにロビーを見て、そのままの口調で続けた。
「リサ、悪いんだけど。おれの足、踏んでみてくれる?」
「ええっ? どうしたの」
「いいから。思いっきり、踏んでみてくれ」
わたしはミッキーのすらりと伸びる脚に視線を合わせ、ジョギング・シューズの上まですべり下ろした。それから、再び彼の顔を見上げる。
「いいの?」
「ああ。変なことをさせて、悪いけれど」
仕方なく、わたしは彼の靴の上に自分の足の裏を当てた。上目遣いにミッキーを見ながら、そっと……思い切って体重をかける。彼の頬がびくっと引きつったので、わたしは慌てて足をどけた。
「大丈夫?」
「ああ、痛かった。ありがとう。判ったよ」
なんだか意味不明なことを呟くミッキー。心配するわたしの前で、その右手が持ち上がった。
「予感的中……。これは夢じゃないけれど、悪夢だ」
繊細な人差し指が示す方向に目を向けたわたしは、意味がわからず視線を戻した。
ミッキーは肩をすくめ、左手をジーンズのポケットに突っ込んで歩き始めた。先ほどとはうって変わり、のろのろとした足取りだ。わたしは小走りに彼に追いついた。
自動ドアが開いた。
わたし達の体温を感知したセンサーが、強化ガラスの扉を滑らせる。ロビーの照明はまぶしいくらいだ。光に目が馴れてくると、フロアの片隅でウサギ達が動いているのが見えた。
ウサギのケージの側に立っていたリズちゃん(五歳)とドナ君(三歳)が、こちらを向いた。カウンターの麻美ちゃんと芳美ちゃんも。アニーさんの足元に、カウリーちゃん(五歳)がくっついている。
アニーさんがわたし達をみつけ、ホッと表情をゆるめた。がっしりした四角い顎を動かして、言いかける。
「ミッキ、リサちゃん、おかえり。助かった」
小さな子ども達が可愛らしい口をぽかんと開けて眺めていた人物。――その姿を見て、わたしの頭からは不安も嫌な予感も吹き飛んだ。
ミッキーの表情は、ますます苦々しくなった。
子ども達の反応に気づき、彼が振り返る。濃紺のシャツ、真っ黒なスペース・ジャケットとジーンズ。腰にはベルトが二本あって、片方には重いホルスターがついている。冷たく輝くダーク・グリーンの銃身はサイコ・ガンだ。ライト・シーリングの光を受けて、ふわりと銀の長髪がひろがった。翼さながら背を覆い、腰にとどく。
褐色のサングラスの奥で、緑の瞳が笑った。
「よお、お姫様」
のほほんとした声は、低くて少しハスキー。笑いを必死に我慢しているような口調だ。ゆらりと左足に重心を移す。
「坊主、来たぜ」
ラグ・ド・グレーヴス!
~Part.2へ~




